去る7月22日、山口県防府市にお住まいの児童文学作家、那須正幹(なすまさもと)さんが逝去されました。慎んで哀悼の意を表します。79歳でお元気そうでしたので、まだまだ創作活動を続けられるだろうと期待していましたから、本当に残念です。
周知のように、那須さんの代表作品はもちろん『それいけズッコケ三人組』シリーズとその続編シリーズ『ズッコケ中年三人組』です。1978年2月の第1作目から始まった『それいけズッコケ三人組』は、2004年12月までの26年にわたる長期シリーズで全50巻。その子ども三人組が中年になったという設定での『ズッコケ中年三人組』は、2005年から2015年までの11巻のシリーズ。この2つのシリーズは、子どもはもちろん、大人の読者をも多いに楽しませてくれました。那須さんの作品には、その他にも『コロッケ探偵団』や女の子を主人公にした『りぼんちゃんは〜い』シリーズなど、たくさんあることもあらためて説明するまでもないかと思います。
しかし、その一方で那須さんの多数の作品の中には、数は少ないですが、戦争・平和問題にテーマを絞った初期の1975年の作品『屋根裏の遠い旅』や、1984年の『折り鶴の子どもたち』、1992年の絵本『ねんどの神様』(絵・武田美穂)などもあることはそれほど広くは知られていないように思えます。戦争・平和問題をテーマにした他の作者による子ども向けの作品は、「太平洋戦争では私たちは大変な被害を受けました。ですから戦争のない今の平和を大切にしましょう」という主として「戦争被害体験」だけを伝える内容のものがほとんどです。それに対して、詳しくは述べませんが、『屋根裏の遠い旅』は、日本が米軍基地支援という形で介入していた当時のベトナム戦争も視野に入れ、「現在進行中の戦争と未来に起きる戦争に、今なにもしなければ、あなたたちも巻き込まれる危険性があるのですよ」という警告のメッセージを子どもたちに強く訴える内容になっている力作だと私は考えています。
那須さんが戦争・平和問題に強い関心を持っておられた理由には、ご自分が3歳の時に広島で(母親の背におぶされて)被爆されているという個人的体験と、原爆で親を亡くした同級生が小中学校時代には多くおり、白血病で亡くなった同級生もいたことなどがあると考えられます。しかし『それいけズッコケ三人組』を読んで育った多くの読者のほとんどは、那須さんが被爆者であったことを知らなかったのではないでしょうか。那須さんは憲法擁護運動にも深く関与され、「防府九条の会」の結成者の一人で、同会の代表世話人も務めておられました。ときたま「第九条の会ヒロシマ」が主催した広島市内での講演会(例えば2005年の<大江健三郎・澤地久枝・鶴見俊輔>講演会)にも、わざわざ防府から出てこられ、幾度か会場で私もお会いして挨拶を交わしたこともありました。
そんな那須さんは、原爆無差別殺戮50周年にあたる1995年に、『絵で見る日本の歴史』などの作品のある絵本作家・西村繁男さんと協力されて、絵本『絵で読む広島の原爆』を福音館書店から出版されました。この本を出版されるにあたっては、那須さんは解説を書かれるために、原爆開発の歴史、核爆発の物理学的な原理や放射能が人体に及ぼす医学的影響など多くのことを勉強されました。一方、西村さんは広島に長期間住み込んで、戦前の広島の街並みや市民の生活状態をよく知っている人たち、原爆によって破壊された広島の惨状と被爆者の実相をまざまざと記憶されている被爆者の人たちから詳しく聞き取りをされて、それらの情報をもとに多くの下絵を描くという作業をされました。この絵本は、子どもの読者を対象にはしていますが、原爆無差別殺戮の歴史解説、核と放射能の科学的・医学的解説、戦後の核開発競争の詳細な歴史年表などが含まれているため、大人にとってもひじょうに勉強になります。しかもその解説が、誰が読んでも分かりやすい簡明な説明になっており、それが絵でも理解しやすいようになっています。ひじょうによく考えられて作られている、見事な内容の本です。
1995年末、当時メルボルン大学で教員をしていた私は、(オーストラリアの)夏休みを利用して家族全員で日本に一時帰国し、その折に本屋でこの『絵で読む広島の原爆』に出会いました。一見して「これは素晴らしい絵本だ」と思い、(当時まだ幼かった)二人の娘たちのためにも買っておこうと考えてすぐに購入しました。日本滞在中に幾度も読み直しているうちに、「これは英語に翻訳して出版する価値が十分ある」と思うようになりました。そこで、福音館書店編集部に手紙を送り、「英語版を出すことを考えておられるようなら、ぜひ翻訳の仕事をさせて欲しい」という旨の希望を伝えました。ところが、数ヶ月後にようやくメルボルンの自宅に返信があり、「現在のところその予定はありません」とのこと。
ところが1996年末になって福音館書店編集部から再び連絡あり、「実はこの絵本が日本でひじょうに好評で、期待以上の売れ行きとなりました。そこで、編集部では、少々赤字となっても英語版を出してみようではないかという話になりました」という内容のメッセージを受けとりました。「少々赤字でも」という表現に思わず苦笑してしまいましたが、「赤字どころか黒字になって大喜びさせて、驚かせてあげよう」と思いながら(笑)、97年2月頃から仕事に取りかかりました。
しかし、やり始めてみたら、核爆発の物理学的な解説と放射能汚染が人体に及ぼす医学的な説明の部分の英訳には、やはり専門的な英語の知識が必要で、まずはこの勉強をしないでは正確な翻訳は難しいことに気がつきました。その上に、本の最後に付けられている1945年から1994年までの核兵器と原子力関連の歴史的出来事の詳細な歴史年表は、取り扱う項目が多いため、各ページの限られたスペースを考慮して、英語の翻訳が長くならないように、極力短い翻訳にしなくてはなりませんでした。また出版後の1995年から97年に起きた関連事項については、翻訳者の責任で付記しなければなりませんでした。それやこれやで、当時大学で教えていた私が、授業の準備や研究の上に、一人でこの翻訳の仕事をしていてはかなりの時間がかかってしまうことに気がつき、連れ合いに助けを求めました。当時、メルボルン大学で非常勤で日本語を教えていた私の連れ合いは、幸にして快く引き受けてくれ、主として歴史年表部分を担当してくれました。本当に助かりました。9月末頃までには初稿が出来上がり、年末までには最終稿の完成となり、翌1998年の確か春には出版されて、大手の本屋の英語図書の書棚や広島・長崎の原爆資料館内の販売店に並べられたはずです。
私の連れ合いと私の共訳によるこの『絵で読む広島の原爆』の英語版の題名を、私たちはHiroshima: A Tragedy Never To Be Repeated (ヒロシマ:繰り返されてはならない悲劇)としました。1998年からこの23年間、この英語版は重刷を繰り返して毎年コンスタントに売れ続けており、福音館書店にとっては確実に「黒字」となっているはずです(笑)。広島には、広島を訪れる海外からの政治家や著名人にこの英語版を贈呈することを平和活動の一つとしておられる女性のグループもあります。
また、かなり前から、英語版の歴史年表を97年から現在まで加筆したいと思っていたのですが、そのためには本のデザインを大幅に変更しなくてはならず、技術的な面からそう容易ではないことを福音館書店から知らされていました。そこで、一昨年9月に、1990〜2019年までの核兵器問題に関する世界の動向について簡略に解説する英文を英語版の本の末尾につけることを出版社に提案し、受け入れてもらいました。したがって、現在、原爆資料館などで販売されている英語版には、この解説文が付けられています。
那須さんの反核平和の強い想いが込められているこの『絵で読む広島の原爆』と英語版Hiroshima: A Tragedy Never To Be Repeated が、これからも末永く、世界中の多くの人たちに読み継がれることを願いつつ、那須さんのご冥福を祈ります。
合掌
こんばんは。『絵で読む広島の原爆』は、私も折に触れて読み返しています。絵本作家・西村繁男さんの細密な絵もすばらしいですね。今でいうとドローンで俯瞰したような構図は新鮮です。
返信削除英語版を田中さんが翻訳していたとは、今回初めて知りました。というのも、私の手にしている日本語版 第25刷(2014年7月5日発行)のカバーにある英語版の記述には「ジョアンナ・キング/田中利行=共訳」と氏名が誤植になっており田中さんと一致しなかったためです。
ではまた。
藤澤さん
返信削除情報に感謝します。
福音館書店編集部に訂正していただくようにお願いします。
取り急ぎお礼まで。
田中利幸