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2021年7月29日木曜日

東京オリンピックと人権問題

7月23日に東京オリンピックが開幕した。コロナ感染ウイルスのいわゆる「デルタ型」と呼ばれる、感染力が強く重症化リスクの高い変異ウイルスが急速に拡大している上に、開幕直前までさまざまな「スキャンダル」が続く異常な状況の中での開幕であった。しかし、メディアが盛んに「スキャンダル」と報じた一連の事態は全て、その根本は由々しい「人権侵害」問題であるにもかかわらず、そのことを指摘するメディアや評者がほとんどいなかったことも極めて「日本的現象」と言ってよいのではないかと私は考えている。

  その「日本的現象」について議論する前に、まずは、一連の「スキャンダル」をリストアップしてみよう。

 

(1)2月3日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83歳)が、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で「女性がたくさんいる会議は長引く」という内容の性差別発言を行なった。これに対する批判のネット署名活動がSNSで急速に広まり、2月11日に森は会長を辞任する意向の表明にまで追い込まれた。その森が、日本サッカー協会相談役(元会長)の川淵三郎に後任就任要請を要請し、川淵が受諾の意向示した。ところが、「またしても80歳代の男がなぜ会長なのか」という多くの女性たちからの批判を受けた。結局、元オリンピック選手で現役参議院議員、オリンピック・パラリンピック担当大臣の橋本聖子(56歳)に会長就任の要請があり、彼女が受諾。就任前後には週刊誌が、橋本が日本スケート連盟の会長だった時、男子フィギュアスケート高橋大輔選手にキスを強制したというセクハラ疑惑を報道。就任要請は、会長としての能力があるか否かにかかわらず、ただおざなりに女性を会長職につけて世間の批判をなんとか躱そうという自民党と政府の政治的決断であったことは明らかであった。ちなみに、森への批判のほとぼりが冷めた7月23日には、JOCは森を名誉最高顧問にしたという報道が流された。このことは、JOCの委員たちが性差別に関していかに鈍感であるかを如実に示している。

 

(2)3月17日、東京五輪・パラリンピックの開会・閉会式の企画・演出で総合統括役だったクリエーティブディレクターの佐々木宏が、タレントの渡辺直美の容姿を侮辱するような演出を提案していたことを、週刊誌が報道。「豚の格好をした渡辺を『オリンピッグ』として登場させる」という案であったとのこと。この報道を受けて、翌18日、本人の渡辺は「今まで通り、太っている事だけにこだわらず『渡辺直美』として表現していきたい所存でございます。しかし、ひとりの人間として思うのは、それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、楽しく豊かな世界になれる事を心より願っております」という、極めて真っ当な見解を発表している。佐々木はJOCを通して謝罪文を公表し、橋本会長が佐々木の辞任を発表した。週刊誌が報道していなければ、この女性の容姿侮辱の事実が問題視されることはなかった可能性が極めて高い。男が、同性の容姿を侮辱することはあまりないが、女性の容姿を侮辱することには無頓着であるということ自体が性差別であるという感覚が、多くの日本の男たちに完全に欠落しているのである。

 

(3)6月7日、JOC の経理部長森谷靖が電車に飛び込んで自殺するという事件が起きた。2019年1月に仏検察当局は、2020年の東京五輪・パラリンピック招致を巡りJOCの竹田恒和会長について贈賄容疑の捜査を正式に開始したことを公表したが、経理部長の自殺はこの贈賄容疑と関連しているのではないかという疑いが、当然のごとくメディア報道でも言及された。この贈賄容疑とは、2016年5月、2013年7月と10月の2度にわたり「東京2020年五輪招致」という名目で約2億2千万円が日本の銀行から、シンガポールにあるコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」社に振り込まれたことに関する問題である。このお金がブラック・タイディングス社を介して、IOC元委員で国際陸連(IAAF)会長でもあったセネガルのラミン・ディアクと、その息子でIAAFの運営に関与していたパパマッサタ・ディアクに渡り、最終的に、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会(IOC)委員の買収工作に使われたのではないかという嫌疑がもたれている。JOCはブラック・タイディングス社を含め、海外に総額11億円を超える額を送金していることがその後明らかとなったが、J O Cは「守秘義務もあり個別の案件は非公表」としているので、送金先や内訳はいまも不明のままである。

 JOCは、経理部長は自殺ではなく事故死であり、贈賄容疑とは全く無関係だと主張しているが、警察は自殺であることは現場のセキュリティー・カメラの記録から確実であるとしている。

 

(4)7月14日、JOCは開会・閉会式の「式典コンセプト」なるものを発表し、開会式のための作曲者4名の名前も明らかにした。この4名の中に小山田圭吾が入っており、翌日にそのことが報道されるや、小山田が小中学校時代に同級生や障害者に対して残忍ないじめを繰り返していたことを1990年代になって複数の雑誌のインタヴューで笑い話の如く話していたことが問題視された。同級生に「排泄物を食べさせ」たり「自慰行為を強要」したこと、同級生の障害者生徒を「段ボール箱や跳び箱などに閉じ込める」、「マットレスでぐるぐる巻にする」などのいじめや暴行に関与していたことを、半ば自慢げに笑いながら「けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)」と述べているのである。以前にも、小山田のこれらのインタヴュー記事に対して繰り返しネット上で批判の声が上がっていたのであるが、小山田自身が公的な場で謝罪したことはなかったとのこと。

2日後の7月16日、小山田は Twitter で謝罪文を発表したため、JCOは翌17日にこの謝罪を受け入れて「現在は高い倫理観を持っている」として、続投させると表明。ところが、障害者団体から声明が発表されるなど批判の声はその後も止まなかった。にもかかわらず、19日の午前中の段階でもまだJCOは小山田の「高い倫理観」を理由に続投させるという方針を変えなかった。しかし午後になって小山田が辞任を表明したので、その夜にJCOが辞任を受け入れたという形で決着がつけられた。

この「スキャンダル」で明瞭になるのは、障害者はもちろん、他者に対する上記のような陰惨ないじめが由々しい人権侵害問題であるという認識が、小山田本人のみならず、JCOの委員たちにも全く欠落しているという事実である。小山田の倫理観を「高い」とみなすなら、JOC委員たちの倫理観はよほど低劣なのであろう。

 

(5)7月20日、障害者いじめの小山田圭吾批判が飛び火する形で、東京オリンピックパラリンピック文化プロジェクトのメンバーとなっていた絵本作家「のぶみ」が自伝で、これまた誇らしげに書いていた「教師いじめ」に対する批判がSNSやネットで拡散された。その自伝よると、中学生の時に黒板消しのクリーナーの後ろに3か月間隠して腐った牛乳を教師に飲ませたことや、専門学校時代に授業の進め方が気に入らないと女性教員を恫喝したことが、堂々と書かれているとのこと。さらには、かつて自分が「池袋連合」という名前の暴走族軍団の総長を務め、複数回警察に逮捕された経歴があることも自慢げに書いているらしい。この批判に煽られる形で、のぶみの不倫の対象となり性的搾取を受けたという複数の女性たちの批判もネット上で拡散。こうした状況に直面して21日には、のぶみは辞退を表明せざるをえなくなったが、実際には官邸からJOCに“のぶみ処分”の指示が発せられたというのが実情らしい。

 

(6)7月21日、ホロコースト関連の資料記録保存や反ユダヤ主義的活動の監視を行う米国のNGOであるサイモン・ウィーゼンタール・センターが、東京オリンピック・パラリンピック開会・閉会式のショー・ディレクターである元お笑い芸人の小林賢太郎が、ユダヤ人大量虐殺をネタにしたコントを1998年に発表し、「悪意に満ちた反ユダヤ的なジョークを飛ばした」ことに対して抗議を表明した。このコントとは、NHKの教育番組『できるかな』をパロディ化したもので、1998月発売のVHS『ネタde笑辞典ライブ Vol.』に収録されたコントであるとのこと。この中には、「あ〜、あの『ユダヤ人大量惨殺ごっこ』やろうって言った時のな」という小林の発言が含まれているとのこと。サイモン・ウィーゼンタール・センターは「どんな人間にも、どれだけ創造的な人にも、ナチスのジェノサイド(民族大量虐殺)の犠牲者をあざ笑う権利はなく」、「この人物が東京オリンピックに関わることは、6百万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになる」と強く抗議し、差別反対を掲げるオリンピック憲章に抵触する可能性があると指摘している。この件に関する元々の情報源は、コントの存在についての情報を7月21日の夜に流した、日本のある芸能情報サイトであったとのこと。

 当然な抗議声明である。NHKの教育番組をパロディ化したものの中でこれほど無神経な発言をしていたのであれば、本来ならば、NHKが98年8月の段階ですぐさま厳しい批判と抗議文を出しておくのが当然なのである。しかし、NHKがそうした対応を取ったという話は聞かない。もしも同じように「南京虐殺ごっこ」や「広島・長崎原爆無差別殺戮ごっこ」をコント扱いするならば、中国や日本国内からは猛烈な反発が即座に出てくるであろうことは間違いない。日本の歴史教育のみならず、人間教育、とりわけ人権教育の貧困性がモロに露呈された「スキャンダル」であった。

 JOC は急遽21日深夜から22日朝にかけて対応を協議し、開会式前日の22日午前という直前になって、小林を解任し同時に謝罪のコメントを出した。

 

(7)日時は前後するが、7月15日、韓国のテレビ放送局JTBCとの非公開の昼食懇談会の席で、在韓日本大使館の相馬弘尚総括公使が韓国政府の対日外交政策を評して、「文在寅大統領はマスターベーション(自慰行為)をしている」と発言。おそらく、文大統領の「慰安婦問題」や「徴用工」問題での日本政府に対する厳しい批判的対応を「一方的で勝手な要求である」と非難する意味で、このような下品極まりない表現をしたのであろう。いつまでたっても日本が犯した由々しい「人道に対する罪」のその重要性を深く認識することはせず、加害国である自国政府の責任を棚上げにしておきながら、こともあろうに、被害国政府の大統領を卑劣な表現で罵倒したのである。外交官としてのみならず、人間として恥ずべき、あまりにも野卑で低劣な言動である。JTBSはこのことを翌日に報道。これを受けて17日に、相星孝一大使は、書面で「対話の途中で報道のような表現を使ったのは事実だが、これは決して文在寅大統領に対する発言ではなく、相馬公使が懇談会の相手である記者にその場で不適切な発言だったと撤回したという説明を聞いた」、「外交官として極めて不適切であり遺憾だ。報告を受けて厳重注意した」と釈明した。

  しかし、この下品な発言は、韓国の政界のみならず市民をも憤慨させ、19日には市民団体「積弊清算連帯」が、相馬総括公使を侮辱罪および名誉毀損罪の疑いで国家捜査本部に告発した。外交官には免責特権があるため、果たしてどこまで相馬を追求できるかは疑問であるが、韓国側の怒りを明確に海外諸国に示す行為となっていることは間違いない。

 文大統領は早い時期から東京オリンピック開幕式に出席する意向を示していたが、19日になって「訪日見送り」を決定。その理由の一つについて韓国政府は、以下のような説明を行なった。「国民がとても受け入れられないような状況が起きた。決定的な契機とは言えないまでも、国民の情緒を無視できないという部分が作用した」と。

 

(8)オリンピック開会式が終わった後でも、まだ「スキャンダル」報道は続く。それは開会式で使われた楽曲の一つが、作曲家「すぎやまこういち」によるものであったからだという。7月26日のYahoo Japan ニュースは、週刊誌『女性自身』掲載の記事を紹介しているが、その記事には次のように述べられている。

 

すぎやま氏は15年6月に公開されたYouTubeの番組『日いづる国より』で、自民党・杉田水脈議員(54)と共演。彼女が「生産性がない同性愛の人達に皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか」と話すと、すぎやま氏は同意。さらに同性愛の子どもは、そうでない子どもに比べて自殺率が6倍高いとの話で笑っていたのだ。番組最後には、「男性が言いにくいことを言ってくださると助かります。正論です」と、杉田氏の主張を全面的に肯定さえしていた。

 

この記事によると、18年8月に「LGBTは生産性がない」と述べた杉田が国内外から猛烈な批判を浴びた後、すぎやまも批判されることを恐れてか、自分のサイトで「LGBTの問題は人類の歴史の最初からあっただろう」、「性に対する考え方は十人十色で、他人がとやかくいうことではないだろう」などと投稿しているとのことである。

 

2021年4月16日朝日新聞青森版に掲載された漫画家・山井教雄氏の作品

 

 

 

結論:

 

 冒頭で述べたように、上記のオリンピックをめぐる一連の「スキャンダル」事件は、各事件について熟思してみれば、個人が起こした単なる「スキャンダル」としてすませるようなものではない。全てに根本的に共通しているのは、それぞれの問題の発生源に「他者の人権に対する配慮が決定的に欠如している」という要因があることである。したがって、これは事件を起こした個人だけの問題ではなく、そのような「希薄な人権意識」をもった無数の人間を産み出している日本社会全体の問題なのである。

ところが、メディアの報道のあり方を見ていると、メディア自体も、また多くの評論家たちも、こうした「希薄な人権意識」を「日本社会全体のあり方」とつなげて考えてみようという思考に欠けていると言わざるをえない。冒頭で私が述べた特異な「日本的現象」とは、このことを指している。問われなければならないのは、「なぜゆえに日本社会では、確固たる“人権尊重意識”がしっかりと諸個人の間に根づかないのか」ということである。私自身は、その決定的な理由の一つは、アジア太平洋戦争で無数の人たちを殺傷した日本が、戦後、その自分たちの責任を徹底的に自己追求することなく、逆に日本が犯した様々な残虐行為を嘘で隠避することによって、戦争被害者の人権を長年にわたって無視してきたことと密接に関連していると確信している。

とにかく、「人権尊重」の観点から現在進行中のオリンピックを見てみるならば、パンデミックで多くの国民が苦難に直面し、健康を害し、死に追いやられているにもかかわらず、なにがなんでもオリンピックを強行するという政府とJOC(その背後にいるIOC)もまた「希薄な人権意識」という点では同じである。いや、「希薄な人権意識」しか持っていない政府とJOCIOCであるからこそ、そのことが、オリンピックに関わっている個々人に様々な「スキャンダル」事件を起こさせている、と言うべきであろう。

感染者が急増し、医療崩壊がさけばれている今、小池都知事も菅首相も「オリンピックを成功させるために、(感染者を増やさないように)不要不急の外出は極力避けてほしい」と繰り返し呼びかけている。これは「人間の命の大切さ」という観点からするなら、全く本末転倒である。「パンデミック克服を成功させ、人間の健康と命を守るためには、オリンピックを中止しよう」というのが本来とるべき方針なのである。このままでは、五輪サーカスに命をとられてしまう市民の数はますます増えるであろう。

 

 


追悼 那須正幹さん

去る7月22日、山口県防府市にお住まいの児童文学作家、那須正幹(なすまさもと)さんが逝去されました。慎んで哀悼の意を表します。79歳でお元気そうでしたので、まだまだ創作活動を続けられるだろうと期待していましたから、本当に残念です。

 

周知のように、那須さんの代表作品はもちろん『それいけズッコケ三人組』シリーズとその続編シリーズ『ズッコケ中年三人組』です。1978年2月の第1作目から始まった『それいけズッコケ三人組』は、2004年12月までの26年にわたる長期シリーズで全50巻。その子ども三人組が中年になったという設定での『ズッコケ中年三人組』は、2005年から2015年までの11巻のシリーズ。この2つのシリーズは、子どもはもちろん、大人の読者をも多いに楽しませてくれました。那須さんの作品には、その他にも『コロッケ探偵団』や女の子を主人公にした『りぼんちゃんは〜い』シリーズなど、たくさんあることもあらためて説明するまでもないかと思います。

 

しかし、その一方で那須さんの多数の作品の中には、数は少ないですが、戦争・平和問題にテーマを絞った初期の1975年の作品『屋根裏の遠い旅』や、1984年の『折り鶴の子どもたち』、1992年の絵本『ねんどの神様』(絵・武田美穂)などもあることはそれほど広くは知られていないように思えます。戦争・平和問題をテーマにした他の作者による子ども向けの作品は、「太平洋戦争では私たちは大変な被害を受けました。ですから戦争のない今の平和を大切にしましょう」という主として「戦争被害体験」だけを伝える内容のものがほとんどです。それに対して、詳しくは述べませんが、『屋根裏の遠い旅』は、日本が米軍基地支援という形で介入していた当時のベトナム戦争も視野に入れ、「現在進行中の戦争と未来に起きる戦争に、今なにもしなければ、あなたたちも巻き込まれる危険性があるのですよ」という警告のメッセージを子どもたちに強く訴える内容になっている力作だと私は考えています。

 

那須さんが戦争・平和問題に強い関心を持っておられた理由には、ご自分が3歳の時に広島で(母親の背におぶされて)被爆されているという個人的体験と、原爆で親を亡くした同級生が小中学校時代には多くおり、白血病で亡くなった同級生もいたことなどがあると考えられます。しかし『それいけズッコケ三人組』を読んで育った多くの読者のほとんどは、那須さんが被爆者であったことを知らなかったのではないでしょうか。那須さんは憲法擁護運動にも深く関与され、「防府九条の会」の結成者の一人で、同会の代表世話人も務めておられました。ときたま「第九条の会ヒロシマ」が主催した広島市内での講演会(例えば2005年の<大江健三郎・澤地久枝・鶴見俊輔>講演会)にも、わざわざ防府から出てこられ、幾度か会場で私もお会いして挨拶を交わしたこともありました。

 

そんな那須さんは、原爆無差別殺戮50周年にあたる1995年に、『絵で見る日本の歴史』などの作品のある絵本作家・西村繁男さんと協力されて、絵本『絵で読む広島の原爆』を福音館書店から出版されました。この本を出版されるにあたっては、那須さんは解説を書かれるために、原爆開発の歴史、核爆発の物理学的な原理や放射能が人体に及ぼす医学的影響など多くのことを勉強されました。一方、西村さんは広島に長期間住み込んで、戦前の広島の街並みや市民の生活状態をよく知っている人たち、原爆によって破壊された広島の惨状と被爆者の実相をまざまざと記憶されている被爆者の人たちから詳しく聞き取りをされて、それらの情報をもとに多くの下絵を描くという作業をされました。この絵本は、子どもの読者を対象にはしていますが、原爆無差別殺戮の歴史解説、核と放射能の科学的・医学的解説、戦後の核開発競争の詳細な歴史年表などが含まれているため、大人にとってもひじょうに勉強になります。しかもその解説が、誰が読んでも分かりやすい簡明な説明になっており、それが絵でも理解しやすいようになっています。ひじょうによく考えられて作られている、見事な内容の本です。

 

『絵で読む広島の原爆』を机の上に置く那須正幹さん

 

 

1995年末、当時メルボルン大学で教員をしていた私は、(オーストラリアの)夏休みを利用して家族全員で日本に一時帰国し、その折に本屋でこの『絵で読む広島の原爆』に出会いました。一見して「これは素晴らしい絵本だ」と思い、(当時まだ幼かった)二人の娘たちのためにも買っておこうと考えてすぐに購入しました。日本滞在中に幾度も読み直しているうちに、「これは英語に翻訳して出版する価値が十分ある」と思うようになりました。そこで、福音館書店編集部に手紙を送り、「英語版を出すことを考えておられるようなら、ぜひ翻訳の仕事をさせて欲しい」という旨の希望を伝えました。ところが、数ヶ月後にようやくメルボルンの自宅に返信があり、「現在のところその予定はありません」とのこと。

 

ところが1996年末になって福音館書店編集部から再び連絡あり、「実はこの絵本が日本でひじょうに好評で、期待以上の売れ行きとなりました。そこで、編集部では、少々赤字となっても英語版を出してみようではないかという話になりました」という内容のメッセージを受けとりました。「少々赤字でも」という表現に思わず苦笑してしまいましたが、「赤字どころか黒字になって大喜びさせて、驚かせてあげよう」と思いながら(笑)、97年2月頃から仕事に取りかかりました。

 

しかし、やり始めてみたら、核爆発の物理学的な解説と放射能汚染が人体に及ぼす医学的な説明の部分の英訳には、やはり専門的な英語の知識が必要で、まずはこの勉強をしないでは正確な翻訳は難しいことに気がつきました。その上に、本の最後に付けられている1945年から1994年までの核兵器と原子力関連の歴史的出来事の詳細な歴史年表は、取り扱う項目が多いため、各ページの限られたスペースを考慮して、英語の翻訳が長くならないように、極力短い翻訳にしなくてはなりませんでした。また出版後の1995年から97年に起きた関連事項については、翻訳者の責任で付記しなければなりませんでした。それやこれやで、当時大学で教えていた私が、授業の準備や研究の上に、一人でこの翻訳の仕事をしていてはかなりの時間がかかってしまうことに気がつき、連れ合いに助けを求めました。当時、メルボルン大学で非常勤で日本語を教えていた私の連れ合いは、幸にして快く引き受けてくれ、主として歴史年表部分を担当してくれました。本当に助かりました。9月末頃までには初稿が出来上がり、年末までには最終稿の完成となり、翌1998年の確か春には出版されて、大手の本屋の英語図書の書棚や広島・長崎の原爆資料館内の販売店に並べられたはずです。

 

私の連れ合いと私の共訳によるこの『絵で読む広島の原爆』の英語版の題名を、私たちはHiroshima: A Tragedy Never To Be Repeated (ヒロシマ:繰り返されてはならない悲劇)としました。1998年からこの23年間、この英語版は重刷を繰り返して毎年コンスタントに売れ続けており、福音館書店にとっては確実に「黒字」となっているはずです(笑)。広島には、広島を訪れる海外からの政治家や著名人にこの英語版を贈呈することを平和活動の一つとしておられる女性のグループもあります。

 

英語版『絵で読む広島の原爆』

 

 

また、かなり前から、英語版の歴史年表を97年から現在まで加筆したいと思っていたのですが、そのためには本のデザインを大幅に変更しなくてはならず、技術的な面からそう容易ではないことを福音館書店から知らされていました。そこで、一昨年9月に、1990〜2019年までの核兵器問題に関する世界の動向について簡略に解説する英文を英語版の本の末尾につけることを出版社に提案し、受け入れてもらいました。したがって、現在、原爆資料館などで販売されている英語版には、この解説文が付けられています。

 

那須さんの反核平和の強い想いが込められているこの『絵で読む広島の原爆』と英語版Hiroshima: A Tragedy Never To Be Repeated が、これからも末永く、世界中の多くの人たちに読み継がれることを願いつつ、那須さんのご冥福を祈ります。

 

合掌

 


2021年7月2日金曜日

映画『コリーニ事件』を観て

被害者遺族の「心の痛み」にどう応えたらよいのか

 

ほぼ1年前の2020年6月初め、私は、ドイツの作家フェルディナント・フォン・シーラッハの「小説『コリーニ事件』を読む」というごく短い読後感想をこのブログに載せておきました。この小説は2019年に映画化されており、機会があればぜひ映画も観てみたいと思っていました。つい先日、偶然、この映画をAmazon Prime Video (英語字幕付き) で無料で観ることができることを知ったので、早速観てみました(日本語字幕付きでもあることが分かりましたが500円払わなくてはならないので、吝嗇な奴だと思われるかもしれませんが、英語字幕の方を選びました<笑>。ただし、無料だけあって、途中で何回も色々な広告が入ります)。素晴らしい映画作品になっていると思います。その感想を記す前に、1年前にブログに書いた読書感想を再度下に貼り付けておきます。

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2020年6月1日

小説『コリーニ事件』を読む

 

  私は昨晩、ドイツの作家、フェルディナント・フォン・シーラッハが2011年に出版した小説『コリーニ事件』(邦訳2013年出版)を一挙に読みました。それほど長くない小説ですので数時間で読めましたが、内容はひじょうに重厚です。(5年ほど前から、私は、小説はほとんどベッドで、重い本を抱えなくてもすむように、タブレットのkindleで読んでいますのでとても楽です。ベッド・サイド・テーブルに冷酒があればもっと嬉しいのですが、連れ合いが許さないです<笑>)作者は1964年生まれで、1994年からベルリンで刑事事件専門の弁護士を務めているとのこと。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫という、ユニークな背景をもった人物です。

  この小説は、弁護士になったばかりの若いライネンが国選弁護士として引き受けさせられた初めての事件についてです。それは、イタリア出身の自動車組立工、コリーニが、奇しくもライネンを幼少時代から可愛がってくれていたマイヤー機械工業の元社長であるハンス・マイヤーを、ひじょうに惨たらしいやり方で殺害した事件でした。黙秘権を使って何も言おうとしないコリーニの殺人動機を、ライネンが苦心して探し出すと、ナチの戦争犯罪の問題に行き着く、という筋書きです。

  ひじょうに興味深いのは、法廷での「戦争犯罪」をめぐっての議論の展開です。現職の弁護士らしい、とてもドイツの関連法に詳しい議論の展開です。しかし、そうした議論にもかかわらず、結局、法とは関係なく、「戦争犯罪に対する責任とは何か」を深く考えさせられる小説になっています。

  日本では、残念ながら、自分たちの父や祖父の世代が犯した戦争犯罪をテーマにした小説で、「人間としての責任」を深く考えさせる感動的な作品にはほとんど行き当たりません。自分たちがいかにひどい被害者にさせられたかという話で、お涙頂戴というものがほとんどです。例えば、2018年に刊行された伊藤潤『真実の航跡』は、最近にはめずらしい、戦犯問題を取り扱っていますが、戦犯追求をなんとか逃れようとする話で、「責任問題」などほとんど考えてもいない、私に言わせれば駄作です。

  しかし、私は常に思うのですが、戦争責任問題を考えるには、歴史教育も大切ですが、やはり人々の心深くに沁み入るような、被害者の「痛み」と加害者の「罪の苦しみ」を象徴的に表現する人物を通して、私たち自身の「人間としての責任」について考えさせるような芸術作品(文学、演劇、能楽、彫刻・絵画など)をできるだけ活用することが必要だと思います。『コリーニ事件』を読んで、改めてこの考えを再確認したところです。

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さて、映画のほうですが、監督は、2006年のドイツ映画『みえない雲』(グレゴール・シュニッツラー監督)の脚本を手がけたマルコ・クロイツパイントナーです。ちなみに『みえない雲』は、グードルン・パウゼヴァング作の架空の原発事故をテーマにした同名の小説(日本語版は小学館文庫)を映画化した作品です。小説は1986年のチェルノブイリ原発事故を題材にして書かれ、1987年に発表されて多くの文学賞を受賞しました。こちらの小説と映画も鑑賞する価値が大いにあります。

映画『コリーニ事件』は、小説を題材にした他の多くの映画同様、もちろん小説に忠実に沿ってシナリオは書かれてはおらず、いろいろなところで脚本家による独自のアイデアが入っています。例えば、小説を読んでいる限り、新米弁護士のカスパー・ライネンCaspar Leinen という名前から、この人物は生粋のドイツ人と読者は当然考えてしまうでしょう。私もそう思いました。作者自身がそういう想定で書いたものと思われます。

ところが映画では、ライネンはドイツ人の父とトルコ人移民の母との間に生まれた混血児で、父母は離婚しているという想定になっています。周知のように、ドイツには多くのトルコ人移民がドイツ市民権をとって暮らしています。ライネンが単に新米弁護士だからという理由だけではなく、「移民の子が有能な弁護士になれるのか」という、おそらく一般の多くのドイツ人が持っている差別的な先入観を暗に批判するような意味も映画に込める意図で、もともと小説では想定されていない、ドイツとトルコの混血児にしたのではないでしょうか。

小説では、コリーニの殺人動機を証明する決定的証拠を見つけるために、ライネンが、ドイツ南部のシュトゥットガルトにあるルートヴィヒスブルクという街を訪れます。小説では、ライネンがこの街にある公文書館のような所で証拠資料を5日間にわたって探すことになっていますが、その公文書館がどんな公文書館なのか、その名称についてもなんの説明もありません。実は、人口9万人ほどの小さなこの古い城下町には「国家社会主義犯罪調査のための国家司法行政中央事務所」、別名「ナチ犯罪訴追センター」が置かれており、その関係から、ナチズム犯罪司法追求や第2次世界大戦中の戦死者情報に関する資料などを所蔵するドイツ連邦公文書館の支部もここに置かれています。ライネンが訪れたのはこの連邦公文書館だったのですが、小説ではその説明が最後になって初めて明かされます。

ところが、映画では、コリーニの殺人動機を証明する決定的証拠を見つけるために、ライネンは、コリーニの生まれ故郷であるイタリア北西部の都市ジェノヴァに近いコリーダ村を訪ねます。通訳には、ライネンの事務所兼自宅に近いピザ屋でゲストワーカーとして働くイタリア人の若い女性を雇います。ここにも、ドイツで働く多くのゲストワーカーの現状を映画にも反映しようという意図がうかがえます。ちなみに、小説では1943年末にコリーダ村で起きた事件についての詳細な描写にかなりのスペースが割かれていますが、映画では、ドラマチックではありますが極めて簡潔な描写になっています。

この小説での法廷における論争の最も重要な点は、実際にナチス犯罪者訴追の「法の抜け穴」となった1968年10月1日発布の「秩序違反法に関する施行法」についてです。こんな悪法の草案を誰がどのような過程で作り、なぜ議会を通過してしまったのかについて詳しい説明証言が法廷で行われます。私は自分が戦争犯罪・戦犯裁判の専門家なので、小説とはいえ、こうした法廷での議論にひじょうに興味があり、この小説だけではなく、裁判ものの小説にはいつも読んでいて熱が入ってしまい、「なにやってるんだ、その点をもっと法理論的に追求しろ」とか、「よし、よくやった、その議論でいいぞ」とか思いながら読んでしまいます(笑)。映画では、そんな細かい専門的な議論をやっても観客はダラけるだけでしょうから、ごくごく要点だけの議論にして結論に入ります。

それはともかく、戦争責任意識を強くもったヴィーリー・ブラントが1969年に西ドイツの政権の座についてから、いわゆる「過去の克服」政策が堅固にかつ地道に続けられてきたドイツですが、その直前にはこうした悪法が発布され、「過去の克服」政策の裏でそのまま維持されてきたという事実を、作者のシーラッハは小説という形で見事に暴露し批判したわけです。したがって、この小説と映画がきっかけとなって、2012年にドイツ連邦法務省が「ナチの過去再検討委員会」を立ち上げたのも不思議ではありません。

ネタバレになって申し訳ないですが、少年時代に目前で父親を銃殺される場をマイヤーに強制的に見せつけられるという残酷きわまりない体験をさせられた寡黙で孤独なコリーニの役を、イタリアの名優フランコ・ネロが、重厚な演技で演じています。年老いても決して忘れることのできない戦争体験の「心の痛み」、その「痛み」に耐えながら生き続けてきた人間であるということを観客にひしひしと感じさせる名演技だと思います。「コリーニ事件」は実話ではありませんが、戦争被害者の遺族の心の痛み、言葉では決し表現できない痛みを、言葉ではなく身体で強烈に表現しています。

 

父親が銃殺される現場を見せつけられる少年時代のコリーニ

 

殺人罪を犯した老齢のコリーニ

つい先日、このブログで「バンカ島虐殺事件」のご遺族の方のスピーチを紹介いたしました。彼女たちは犠牲者本人から2世代あとの親族ですが、それでも彼女たちの「心の痛み」がスピーチから強く伝わってきます。

「痛みの共有」とは何か、どうすれば「痛みの共有」ができるのか、「痛みを共有」して、そこから私たちはどこに向けて歩むべきか……。そんなことを深く強く考えさせられる映画でした。