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2021年5月5日水曜日

バンカ島虐殺事件説明に関して豪州で起きている議論

遺族と戦争博物館の間での論争

 

前回の4月20日のこのブログで、5月15日に予定されているZOOM勉強会「バンカ島虐殺事件勉強会:戦争責任と#MeToo運動の関連」の案内をさせていただきました。偶然に、その6日後の4月26日のオーストラリアの新聞『キャンベラ・タイムズ』に、この虐殺事件の取扱い方に関して現在オーストラリアで起きている議論についての記事が出ました。そこで、この記事全文を和訳して下に紹介いたします。ご参考になれば幸いです。

 なお、新聞のオリジナルの英文記事は下記のアドレスで読むことができます。

https://www.canberratimes.com.au/story/7220425/what-vivian-bullwinkel-wanted-calls-to-change-official-wwii-bangka-massacre-account/?src=rss

 

「ヴィヴィアン・ブルヴィンケルが望んだこと:第2次世界大戦に起きたバンカ島虐殺事件説明に対する変更要求」

『キャンベラ・タイムズ』2021年4月26日掲載記事

 

この80年近く、キャンベラに住むメアリー・ナピアさんは、彼女の叔母が第2次世界大戦中にインドネシアの島で起きた日本兵による虐殺事件で悲惨にも銃殺されたと言われてきた。

叔母の写真を抱えるメアリー・ナピアさん
  

1942年、バンカ島で負傷した英豪両軍兵士たちの看護にあたっていた21名の豪州陸軍看護師たちが殺害された話はそのように伝えられてきたのである。

ラジー海岸におけるこの虐殺は、唯一の生存者で、虐殺の後で(日本軍に)捕えられ捕虜となったヴィヴィアン・ブルヴィンケルによって、戦後、そのように説明されてきた。

しかし、数年前に新しい証拠に光が与えられることによって、本当はそれまでの説明よりもっとおぞましいことが起きていたという話になってきた。

ネピアさんによれば、この虐殺事件については、何十年もの間、家族によっても公式発表によっても繰り返し述べられてきたが、実は看護師たちが機関銃で虐殺される前に強姦されたという、もっと痛ましい詳しい話が明らかとなってきた。

ネピアさんは、叔母のイレイネ・バルファー・オグリヴィ看護師についての話が、80年もの間、本当は事実が隠されてきた可能性があることに気づかされた(2017年の)その時のことを思い出すと言う。

「妹から電話があって、<これまで言われてきた話とは大きく違った話になって、(殺害された遺族の)中には、そんな話は聞きたくもないと言っている人たちがいる>と言うのです」。「なぜ今頃になって、自分の親族が強姦されたことを明らかにすることが遺族に敬意を表することになるのか、私には理解できなかったのです」。

叔母のイレイネ・オグリヴィさんの写真

 

 

真実を話すこともつらいこと

 

  1942年2月、65名の豪州陸軍看護師は、日本軍がシンガポールを攻略する3日前に、シンガポールから退避するために船に乗った。

  その船は、スマトラ島沖海岸で日本軍の攻撃を受け、乗船客のうちの100名ほどの生存者がバンカ島のラジー海岸にたどり着いた。公式な説明によると、ブルヴィンケルやオグリヴィ看護師を含む22名の豪州看護師は負傷した英豪両軍兵士たちの看護にあたっていたが、そのとき20名の日本軍兵と対面することになった。

  日本軍兵は負傷していた英豪軍兵士を殺害し、伝えられるところでは、その後で看護師たちに海に向かって歩くように命令し、機関銃で彼女たちを銃撃したと言われている。ブルヴィンケルが唯一の生存者だった。

しかし、強姦という痛恨と汚名から犠牲者の家族を守るために、長年の間政府が詳細を隠してきたという主張がなされるようになって、現在、この説明の一部の真偽が、議論のマトになっている。

看護師たちが強姦されたという新しい説は、ブルヴィンケルが2,000年に亡くなる直前に彼女にインタヴューした、テス・ローレンス氏の報告によって2017年に出された。

このインタヴューで、ブルヴィンケルは看護師たちが虐殺される前に「犯された」ことをローレンス氏に認めており、政府の上級官僚と軍将校によってその事実について公言しないように言われたのであり、そのためブルヴィンケルはその後幾十年もの間苦しんだという事実も語ったとのこと。

  戦争史家であるリネッテ・シルバー氏と伝記作家バーバラ・エンジェル氏の二人は、長年の間に破棄されてしまった、この恐ろしい事実があったことを示唆する証拠の収集につながっている証言を集めてきた。

  虐殺事件に関するこの新しい情報は、幾十年も嘘を言われてきた、現在80歳であるナピアさんに精神的に大きい打撃を与えた。ナピアさんは言う、「これほどまでに恐ろしい事件であったとは最近まで全く知らなかったのです。ずいぶん昔に起きたことだから、その話に慣れてしまうべきだったと彼らは思っているのでしょう。そんなことが起きたと聞くことは本当におぞましいことです、とりわけ看護師たちはその当時、いまの私の孫娘と同じような年齢だったことを考えると」。

  ナピアさんは叔母バルファー・オグリヴィ看護師についての記憶は全くないが、負傷した兵たちを看護しながらも悲劇的に亡くなった女性であることを誇りに思う家族の間で伝えられてきた話を聞いて育った。「叔母は私たちにとって常に英雄だったのです。とても若くて美しい叔母は、野獣の手によって死んだのです」とナピアさんは言う。

  この性暴行について詳しく論じている2019年出版の本 Angels of Mercy (『慈悲の天使たち』)の著者であるシルバー氏は、陰惨な事件の内容を隠すという決断は、当時の時代的な状況に基づく選択であったと言う。

  1940年代、50年代には、性暴行をめぐる汚名と恥辱は被害者である女性と家族に大きな打撃を与えた。この時代には、性暴行が「死にまさる悪い運命」と言われていたことを思い出すと言う。

  政府内の男たちは、22名の看護師たちに実際に起きた陰惨な事実を隠すことが彼女たちの名誉を保つことであると考えていたのだろうとシルバー氏は述べる。

  「彼らが話のその(強姦)部分を隠し、それが漏れないようにすることで被害者の親族の感情と感受性を守っていると考えていたのだと思う」とシルバー氏は言う。「家父長主義的な態度からなされた決断だったと思います。今から考えればなぜそうしたのか理解はできますが、現在事実を知っている私たちから見れば、たいへんまずい決断だったと言えます。私たちが<そうです、彼女たちは強姦されたのです。これは実際に起きたことなのです>と今や言えるに十分な証拠が集まるまでには、長年かかったのです」というのが彼女の意見である。

 

戦争のおぞましい説明を変える

 

  最初は苦しみを感じたナピアさんも、全ての事実を明かさないままで数十年もの間行われてきた説明に、現在怒りを感じている。

  彼女の叔母とブルビンケルを含む21名の看護師たちが、国を守るために強いられた残虐行為の犠牲になったという事実を反映するように公的説明を変えて欲しいと、彼女はいまや主張する。その変更は、まずはオーストラリア戦争博物館から始まらなくてはならない。「オーストラリア戦争博物館を私は信用していない」とナピアさんは言う。「私は(博物館に)新しい話が真実なのかどうか質問しました。答えは分からないということで、近いうちにお答えするという返事でしたが、その後全く連絡はありません。毎年、大勢の子供たちが歴史を学びにやってくるのですが、間違った歴史を習っているのです。」

  ブルヴィンケルの告白を別としても、他にもこの新しい説を裏付けるような状況証拠も存在する。

  その状況証拠の一つは、生存者ブルヴィンケルが銃撃されたときに着ていた制服であるが、その制服のボタンがとれていることや銃弾でできた穴の場所に疑問があることである。この制服の状態から、制服が無理矢理に開けられて身体から垂れ下がっており、その状態で銃撃を受けたと考えられるのである。

  もう一つの状況証拠は、殺害された看護師たちの海岸に横たわっていた死体が「半裸状態」であったという証言があること。

  しかし、これらの状況証拠は、オーストラリア戦争博物館のウエッブサイトや展示説明を変更するには十分なものであるとは考えられていない。博物館の館長であるマット・アンダーソン氏は、これまでの説明それ自体が「恐ろしい」事件であったことを示しているが、性暴行が行われたという証拠が博物館に提供されるならば、それらを考慮するにやぶさかではないと述べている。

  「ブルヴィンケルや彼女の同僚たちが日本軍から受けたとりあつかいは、恐ろしい戦争犯罪であり、現在の我々には理解しがたい犯罪である」とアンダーソン氏は述べる。しかし「いったい何が起きたのかという、全体像を明らかにするような記録を我々は現在持ち合わせていない。そうした記録があるならば、記録の所有者と博物館は交渉したいし、博物館の歴史専門家と話し合ってもらうことも歓迎する。さらに、我々としては、それらの記録やインタヴューを博物館に寄贈してもらえれば、あらゆる研究者やオーストラリアの市民に自由に利用してもらえるだろう。この問題の議論の特質から考えて、いかなる新しい情報も適確に検証され、深い配慮を払って研究されることがひじょうに重要である」とアンダーソン館長は言う。

 

男によって語られ、男によって隠される歴史

 

  この虐殺事件をめぐる葛藤の原因の一つは、誰が説明を書くのか 女性の事件が男によって監修され語られる という問題である。男は、証拠があっても、当時の人たちを守るために年代記の中に特定の情報を入れないという選択をとったかもしれない。

 シルバー氏は、当時、女性が歴史記録を行う立場にあったならば事態は違っていたかもしれないと主張する。「女性は戦争について男とは違った書き方をします。男が戦争について書き、戦争時の人間について書くときは、一般的に、部隊や小隊の行動、武器がどれほどあったのか、戦闘方法や戦略のほうに興味があり、女性については興味がありません。私たち女性の観点からすれば、実際の出来事よりは人間のことが重要です。」

過去を変えることはできない。しかし歴史をどう反映させるかは、私たちにできる。したがって、この事件について注意深く考え、実際に看護師たちに何が起きたのか、その真実を語ることはシルバー氏の言うように決定的に重要である。

シルバー氏は言う。「それは起きたのです。そのことによって苦しんだ人がおり、それを語り、それを強調し、公にすることを拒否すると言うことは、その人たちの苦しみがいかほどのものであったのかを知ってもらいたいという権利を拒否することなのです。私たちが看護師たちに負っている責任は事実を公にすることです。それが本当に残酷な犯罪であったことを世界に知らしめることが必要なのです。」

ナピアさんと彼女の家族にとって、実現したいことは簡単なことである。それは、死を前にブルヴィンケルが望んだ、事実を知ってもらいたいという望みをかなえることである。「戦争博物館は事実を説明展示すべき場所のはずですが、事実を述べないなら、それは歴史を歪曲していることになります。事実を述べることこと、それをブルヴィンケルは望んでいたのです」とナピアさんは言う。

 

 


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