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2021年5月28日金曜日

「イスラエルのパレスチナ人虐殺」と「歴史の大嘘」について

今日は、私が尊敬するお二人の市民活動家の御論考を、ご本人からの許可をいただいて、ここに紹介させていただきます。

 

一つ目は、札幌にお住まいの松元保昭さんが、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの無差別攻撃に抗議するデモを今月22日に札幌市中心部で行われたことのご報告に合わせて執筆されたものです。イスラエルによるパレスチナ民族差別を、日本政府による沖縄民衆、アイヌ民族や朝鮮民族の差別と重ね合わせながら鋭く批判されています。歴史家としての私自身の関心は、ホロコーストという大虐殺の被害を受けた民族が、なぜゆえにパレスチナ人を5〜6年毎に虐殺する蛮行を平気で犯すことができるのか、という疑問にあります。この疑問に対する私自身の考えは、別の機会に述べさせていただきます。

 

二つ目は、ベルリン在住の梶村太一郎さんが、日本の国家主義や天皇イデオロギーを、ナチスドイツのゲルマン民族至上主義とそれと表裏一体の反ユダヤ主義とを比較しながら、人種差別という普遍的な問題について考えることを私たちに問いかけておられます。ひじょうに興味深いことに、今、ドイツではこの「人種」という概念が非科学的で差別的な用語であり、それゆえ憲法からもこの用語を削除すべきだという主張をめぐって議論が起きているとのこと。差別に敏感なドイツらしい、ひじょうにユニークな議論だと思います。

 

《札幌からデモの報告とアピール》

ナクバを生き続けるパレスチナ人―イスラエル抗議とメディアへの訴え

                                         2021522

パレスチナ連帯・札幌:松元保昭

 

今回の発端は、東エルサレムのシェイク・ジャッラーフ48家族立ち退き命令、イスラエル右翼のヘイトスピーチ、抗議に連帯したダマスカス・ゲート数百人を襲ったイスラエル治安部隊の暴力、ハラム・アッシャリーフのアルアクサ・モスク内での治安部隊の銃撃、という一連の抵抗運動への弾圧・懲罰に対して、10日のエルサレム・デイ(1967年に占領したイスラエルが名付けたエルサレムの日)にハマースがロケット弾を発射したことに始まりました。

 

21日早朝の「停戦合意」なるもので11日間の「戦闘」は終了しましたが、はたして「終わった」のでしょうか?

 

73年前の1948年、ユダヤ極右シオニスト組織が虐殺・強姦・家屋破壊などの見せしめと脅迫で80万人ものパレスチナ人を追放し難民にした(ナクバ)。その後、人口31%のユダヤ人が6割もの土地を奪い、イスラエル国家を「建設」したシオニストたちは2年後不在者財産法をつくって「帰還権」を与え追放されたパレスチナ人の土地や家屋を欧米からのユダヤ人に売却した。ところが追放され逃れたパレスチナ人には「帰還権」は今もない(国連決議194の不履行)。今回のシェイク・ジャッラーフの家族も現イスラエル領のハイファやヤーファから逃れてきた人々だ。たとえ自分の土地であっても、宗教的・考古学的「理由」をもちだして最高裁でもパレスチナ人の訴えは退けられる。抵抗すると今回のような懲罰=空爆・虐殺が繰り返される。だから、パレスチナ人はいまもナクバ(大破局)という民族浄化を生き続けていることになる

 

イスラエル軍の空爆で破壊されたガザ地区

 

 

悲嘆にくれるガザ地区住民

 

同じ東エルサレムのシルワーンでは、1970年代から今に至るまでこうした土地強奪が繰り返されパレスチナ内に巨大入植地が各地につくられてきた。イスラエルと結ぶ幹線道路、分離壁、水源にいたるまで土地を奪われてきたあげく日常的な軍事支配によって管理されているのがパレスチナだ。「大エルサレム計画」「エルサレム首都」「聖地(神殿の丘)管理権奪取」という「ユダヤ化」拡大の野望をもつイスラエルは、こうして東エルサレムの土地を奪い続けている。73年もの軍事占領下、こんなに長い植民地支配を許容しているのが、アメリカ、EU、国連という「国際社会」だ。

 

この間、「暴力の応酬」「報復の連鎖」を叫び続けてきた世界中のメディアは、「停戦合意」を歓迎した。バイデン大統領はネタニヤフの決断を「称賛」した。イスラエルには「自衛権」があると支持する米国政府は、パレスチナ人の自衛権=抵抗権については何も語らない。メディアはハマースを「テロ組織」と強調するが、もともとガザのパレスチナ人民が自らの抵抗のために民主的に選んだ組織だ。勝手に「テロ組織」と名指したのはイスラエルと米欧政府だ。「暴力・衝突・報復」と言ってハマースをやり玉にあげることで、イスラエルの懲罰・弾圧を覆い隠す。パレスチナ人が日々被っているヘイトクライム、家屋破壊、土地強奪、アパルトヘイトへの抵抗をかき消す、これが世界中のメディアの常套手段だ。これが「自由と民主主義」を標榜する西側米欧日のダブルスタンダード効果というものだ。

 

問題の根は、パレスチナ人に対する日常的な差別(例えば、イスラエルや入植地の少年がパレスチナ人の家に石を投げても逮捕されないが、パレスチナの子どもが石を投げると逮捕され殴られときに殺される)、挑発、脅迫、抑圧、弾圧、集団懲罰の構造的暴力と軍事占領支配だ。対立はまったく非対称であって、国家と国家の戦争ではない。背景もその根も報道しないで「暴力の応酬」「報復の連鎖」を連呼するのは、問題を覆い隠すイスラエルに共犯していると疑われても仕方がない。こういうときにこそ、ジャーナリズムの真価を発揮してほしいものだ。

 

さらに安倍・菅自公政権は、ことあるごとに「インド太平洋構想」を喧伝している。じつは日本が、インドからさらにイスラエル、NATOへと結んで中国・ロシア包囲網つまり米欧覇権の先兵になろうという魂胆だ。尖閣問題をテコに先島諸島の軍事化をすすめ一日10億円の軍事演習を強行し「敵基地攻撃能力」を高めようと軍事力優先の国づくりにすっかり舵を切っている。原発に失敗しコロナに襲われた財界も軍事を渇望し、政権を糺す学術会議を亡き者にしようとしている。憲法前文の「公正と信義、決意と誓い」は風前の灯だ。

 

私たちが考えなければならないのは、いまも「アラブ人をガス室に、火の中に」とか「アラブ人を駆除」とかいうナチまがいの戦争・植民国家イスラエルを免責・温存・容認してきたのは誰なのか、73年前の民族浄化を裁かなかった、裁けなかった、「米国」「国際社会」「国連」を、さらに自らを裁こうとしなかった「イスラエル国家」を考えることだ。

 

同時に、「裁かれない加害」は日本国そのものの問題でもある。土地強奪・家屋破壊・強制移住はかつてアイヌ民族が体験したことである。いまだに謝罪はない。「捨て石」となった20万人の血潮は沖縄の地に染みつき、「無期限貸与」(昭和天皇)の米軍基地は76年間も居座り続け本土の「国民」は知らんフーナ。朝鮮半島の36年間の植民地化にはまっとうな謝罪・補償はなく「分断」を逆利用してきた日本、イスラエル建国の年1948年の朝鮮学校閉鎖令はいまも朝鮮学校差別につながる。自ら正義を実現できない国家・民族は何をしでかすかわからない…。

 

2008年、2012年、2014年、そして今回虐殺されたパレスチナ人、とくにその半数の女性と子どもを追悼しつつ、こんなことを考えながら20名でメモリアル・サイレント・マーチをやりました。)

 

 

歴史の大嘘について

 

梶村太一郎(在ベルリン、ジャーナリスト)

「朝露館 関谷興仁陶板彫刻美術館」 発行『朝露館たより』2021年9号掲載

 

「人間は万物の霊長である」と言われて久しい。京都大学に霊長類研究所ができたのは戦後のことでこの言葉はすっかり定着している。ここでの霊長類とは分類学での「サル目」の「ヒト科」のことで、オランウータンやゴリラの研究で有名だ。しかし飼っていた頭の良いオランウータンに檻の施錠をはずされ逃げ出されて裁判沙汰になったり、最近では研究費の不正会計処理で研究所長が懲戒解雇されたりしているところを見ると、ここの霊長たるホモ・サピエンス(「知恵のあるヒト」の意)の知恵もそれなりのもののようだ。

 

ところで、日本語の霊長という言葉の典拠は古い秦の時代の『経書・秦誓』からとされている。鴎外晩年の『元号考』によれば日本の元号の多くもこの古書からの出典で、また昭和や平成もそうである。この事実が安倍晋三首相はどうやら気にいらないらしく、彼は令和改元の際に「歴史上初めて、国書である万葉集を典拠とする元号を決定しました」と満足そうに述べ、NHKを先頭にメディアも呆れるほど「初めて国書から」と囃し立てた。

 

 ところがこの万葉集の記述「初春令月気淑風和」が、これも多くの元号の典拠である『文選』の後漢は張衡の詩「帰田賦」の句「仲春令月時和気清」であると指摘されている。安倍氏には日本は漢字文化圏ではないらしい。そもそも漢字だけで書かれた万葉仮名なしには古事記以来の国書が成立せず、さらに元号そのものが前漢の武帝から始められた制度であったことも眼中にない。噴飯ものの日本の国家主義者の浅知恵の言動の一つである。

 

ただ、ここでも恐ろしいのは史実の無視である。日本の明治維新以来の国家主義のお家芸とは、森善朗の総理時代の発言にある「日本は天皇を中心にした神の国」であるとして、史実を無視、あるいは改ざんした嘘の糸を紡ぎ、その繭に閉じこもり自己満足するところにある。近年は中国の台頭に恐れをなしてこの傾向が強まっているのは恐ろしいことだ。再び八紘一宇に似た大嘘の繭が復活しかねない。「国書元号」はその兆候ではないのか。

 

ところで近代史の大嘘の雄はナチスドイツのゲルマン民族至上主義と、それと表裏一体の反ユダヤ主義であろう。これにより人類史上最悪の民族絶滅犯罪が行われた。朝露館でもSHOAHの犠牲者の声が刻まれた関谷氏の追悼作品が見られる。

 

この苦い体験を繰り返さないために戦後のドイツ憲法第三条には何人も、その性別、門地、人種、言語、出身地および血統、信仰または宗教的もしくは政治的意見のために、差別され、または優遇されてはならない。何人も、障害を理由として差別されてはならないとある。これは国連憲章などにも見られる戦後世界の共通した認識でもある。

 

ところが、昨年の連邦議会本会議でこの項にある「人種」を削除ないしは改正すべきだという論議が本格的に始まっている。その理由は驚くほど単純で、学問的に「人種」というものは存在しないからである。きっかけとなったのは一昨年九月にイエナ大学の学長と動物学進化論研究所が出した声明である。その要旨は「生物学ではダーウィンの進化論以来、人類にも人種があると主張されてきたが、遺伝子学では人類全ての遺伝子には違いは全くないことが証明されている。皮膚の色は生活環境に適応して変化したにすぎない。五千年前は北欧の人間も褐色であった。人種があるから人種主義があるのではなく、近代の植民地主の人種主義が人種を作ったのである。したがって誠実な科学では在りもしない人種を不使用とすべきである」というものだ。イエナ大学はナチ時代の悪名高い優生学の中心であった。

 

進化論を唱えたダーウィン

 

 

議会では改憲に必要な両院の三分の二の賛同は間違いないのだが、「人種」を削除しても、いまだに猖獗を極める「人種主義」に対処すべき具体的な表現をどうすべきかの難しい議論が続けられている。

 

折から、生物科学者は、新コロナウイルスという人類よりはるかに古い存在に挑戦され苦戦の最中である。そろそろ人間も「万物の霊長である」という思い上がった大嘘から脱却すべきであろう。

 

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「朝露館 関谷興仁陶板彫刻美術館」は栃木県益子の陶芸家・関谷興仁さんが運営されている小さな、しかし素晴らしい反戦平和美術館です。詳細は下記のYoutube とウェッブサイトをご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=_n2xAHwSpEY

http://chorogan.org/

 

 

 

 


2021年5月5日水曜日

バンカ島虐殺事件説明に関して豪州で起きている議論

遺族と戦争博物館の間での論争

 

前回の4月20日のこのブログで、5月15日に予定されているZOOM勉強会「バンカ島虐殺事件勉強会:戦争責任と#MeToo運動の関連」の案内をさせていただきました。偶然に、その6日後の4月26日のオーストラリアの新聞『キャンベラ・タイムズ』に、この虐殺事件の取扱い方に関して現在オーストラリアで起きている議論についての記事が出ました。そこで、この記事全文を和訳して下に紹介いたします。ご参考になれば幸いです。

 なお、新聞のオリジナルの英文記事は下記のアドレスで読むことができます。

https://www.canberratimes.com.au/story/7220425/what-vivian-bullwinkel-wanted-calls-to-change-official-wwii-bangka-massacre-account/?src=rss

 

「ヴィヴィアン・ブルヴィンケルが望んだこと:第2次世界大戦に起きたバンカ島虐殺事件説明に対する変更要求」

『キャンベラ・タイムズ』2021年4月26日掲載記事

 

この80年近く、キャンベラに住むメアリー・ナピアさんは、彼女の叔母が第2次世界大戦中にインドネシアの島で起きた日本兵による虐殺事件で悲惨にも銃殺されたと言われてきた。

叔母の写真を抱えるメアリー・ナピアさん
  

1942年、バンカ島で負傷した英豪両軍兵士たちの看護にあたっていた21名の豪州陸軍看護師たちが殺害された話はそのように伝えられてきたのである。

ラジー海岸におけるこの虐殺は、唯一の生存者で、虐殺の後で(日本軍に)捕えられ捕虜となったヴィヴィアン・ブルヴィンケルによって、戦後、そのように説明されてきた。

しかし、数年前に新しい証拠に光が与えられることによって、本当はそれまでの説明よりもっとおぞましいことが起きていたという話になってきた。

ネピアさんによれば、この虐殺事件については、何十年もの間、家族によっても公式発表によっても繰り返し述べられてきたが、実は看護師たちが機関銃で虐殺される前に強姦されたという、もっと痛ましい詳しい話が明らかとなってきた。

ネピアさんは、叔母のイレイネ・バルファー・オグリヴィ看護師についての話が、80年もの間、本当は事実が隠されてきた可能性があることに気づかされた(2017年の)その時のことを思い出すと言う。

「妹から電話があって、<これまで言われてきた話とは大きく違った話になって、(殺害された遺族の)中には、そんな話は聞きたくもないと言っている人たちがいる>と言うのです」。「なぜ今頃になって、自分の親族が強姦されたことを明らかにすることが遺族に敬意を表することになるのか、私には理解できなかったのです」。

叔母のイレイネ・オグリヴィさんの写真

 

 

真実を話すこともつらいこと

 

  1942年2月、65名の豪州陸軍看護師は、日本軍がシンガポールを攻略する3日前に、シンガポールから退避するために船に乗った。

  その船は、スマトラ島沖海岸で日本軍の攻撃を受け、乗船客のうちの100名ほどの生存者がバンカ島のラジー海岸にたどり着いた。公式な説明によると、ブルヴィンケルやオグリヴィ看護師を含む22名の豪州看護師は負傷した英豪両軍兵士たちの看護にあたっていたが、そのとき20名の日本軍兵と対面することになった。

  日本軍兵は負傷していた英豪軍兵士を殺害し、伝えられるところでは、その後で看護師たちに海に向かって歩くように命令し、機関銃で彼女たちを銃撃したと言われている。ブルヴィンケルが唯一の生存者だった。

しかし、強姦という痛恨と汚名から犠牲者の家族を守るために、長年の間政府が詳細を隠してきたという主張がなされるようになって、現在、この説明の一部の真偽が、議論のマトになっている。

看護師たちが強姦されたという新しい説は、ブルヴィンケルが2,000年に亡くなる直前に彼女にインタヴューした、テス・ローレンス氏の報告によって2017年に出された。

このインタヴューで、ブルヴィンケルは看護師たちが虐殺される前に「犯された」ことをローレンス氏に認めており、政府の上級官僚と軍将校によってその事実について公言しないように言われたのであり、そのためブルヴィンケルはその後幾十年もの間苦しんだという事実も語ったとのこと。

  戦争史家であるリネッテ・シルバー氏と伝記作家バーバラ・エンジェル氏の二人は、長年の間に破棄されてしまった、この恐ろしい事実があったことを示唆する証拠の収集につながっている証言を集めてきた。

  虐殺事件に関するこの新しい情報は、幾十年も嘘を言われてきた、現在80歳であるナピアさんに精神的に大きい打撃を与えた。ナピアさんは言う、「これほどまでに恐ろしい事件であったとは最近まで全く知らなかったのです。ずいぶん昔に起きたことだから、その話に慣れてしまうべきだったと彼らは思っているのでしょう。そんなことが起きたと聞くことは本当におぞましいことです、とりわけ看護師たちはその当時、いまの私の孫娘と同じような年齢だったことを考えると」。

  ナピアさんは叔母バルファー・オグリヴィ看護師についての記憶は全くないが、負傷した兵たちを看護しながらも悲劇的に亡くなった女性であることを誇りに思う家族の間で伝えられてきた話を聞いて育った。「叔母は私たちにとって常に英雄だったのです。とても若くて美しい叔母は、野獣の手によって死んだのです」とナピアさんは言う。

  この性暴行について詳しく論じている2019年出版の本 Angels of Mercy (『慈悲の天使たち』)の著者であるシルバー氏は、陰惨な事件の内容を隠すという決断は、当時の時代的な状況に基づく選択であったと言う。

  1940年代、50年代には、性暴行をめぐる汚名と恥辱は被害者である女性と家族に大きな打撃を与えた。この時代には、性暴行が「死にまさる悪い運命」と言われていたことを思い出すと言う。

  政府内の男たちは、22名の看護師たちに実際に起きた陰惨な事実を隠すことが彼女たちの名誉を保つことであると考えていたのだろうとシルバー氏は述べる。

  「彼らが話のその(強姦)部分を隠し、それが漏れないようにすることで被害者の親族の感情と感受性を守っていると考えていたのだと思う」とシルバー氏は言う。「家父長主義的な態度からなされた決断だったと思います。今から考えればなぜそうしたのか理解はできますが、現在事実を知っている私たちから見れば、たいへんまずい決断だったと言えます。私たちが<そうです、彼女たちは強姦されたのです。これは実際に起きたことなのです>と今や言えるに十分な証拠が集まるまでには、長年かかったのです」というのが彼女の意見である。

 

戦争のおぞましい説明を変える

 

  最初は苦しみを感じたナピアさんも、全ての事実を明かさないままで数十年もの間行われてきた説明に、現在怒りを感じている。

  彼女の叔母とブルビンケルを含む21名の看護師たちが、国を守るために強いられた残虐行為の犠牲になったという事実を反映するように公的説明を変えて欲しいと、彼女はいまや主張する。その変更は、まずはオーストラリア戦争博物館から始まらなくてはならない。「オーストラリア戦争博物館を私は信用していない」とナピアさんは言う。「私は(博物館に)新しい話が真実なのかどうか質問しました。答えは分からないということで、近いうちにお答えするという返事でしたが、その後全く連絡はありません。毎年、大勢の子供たちが歴史を学びにやってくるのですが、間違った歴史を習っているのです。」

  ブルヴィンケルの告白を別としても、他にもこの新しい説を裏付けるような状況証拠も存在する。

  その状況証拠の一つは、生存者ブルヴィンケルが銃撃されたときに着ていた制服であるが、その制服のボタンがとれていることや銃弾でできた穴の場所に疑問があることである。この制服の状態から、制服が無理矢理に開けられて身体から垂れ下がっており、その状態で銃撃を受けたと考えられるのである。

  もう一つの状況証拠は、殺害された看護師たちの海岸に横たわっていた死体が「半裸状態」であったという証言があること。

  しかし、これらの状況証拠は、オーストラリア戦争博物館のウエッブサイトや展示説明を変更するには十分なものであるとは考えられていない。博物館の館長であるマット・アンダーソン氏は、これまでの説明それ自体が「恐ろしい」事件であったことを示しているが、性暴行が行われたという証拠が博物館に提供されるならば、それらを考慮するにやぶさかではないと述べている。

  「ブルヴィンケルや彼女の同僚たちが日本軍から受けたとりあつかいは、恐ろしい戦争犯罪であり、現在の我々には理解しがたい犯罪である」とアンダーソン氏は述べる。しかし「いったい何が起きたのかという、全体像を明らかにするような記録を我々は現在持ち合わせていない。そうした記録があるならば、記録の所有者と博物館は交渉したいし、博物館の歴史専門家と話し合ってもらうことも歓迎する。さらに、我々としては、それらの記録やインタヴューを博物館に寄贈してもらえれば、あらゆる研究者やオーストラリアの市民に自由に利用してもらえるだろう。この問題の議論の特質から考えて、いかなる新しい情報も適確に検証され、深い配慮を払って研究されることがひじょうに重要である」とアンダーソン館長は言う。

 

男によって語られ、男によって隠される歴史

 

  この虐殺事件をめぐる葛藤の原因の一つは、誰が説明を書くのか 女性の事件が男によって監修され語られる という問題である。男は、証拠があっても、当時の人たちを守るために年代記の中に特定の情報を入れないという選択をとったかもしれない。

 シルバー氏は、当時、女性が歴史記録を行う立場にあったならば事態は違っていたかもしれないと主張する。「女性は戦争について男とは違った書き方をします。男が戦争について書き、戦争時の人間について書くときは、一般的に、部隊や小隊の行動、武器がどれほどあったのか、戦闘方法や戦略のほうに興味があり、女性については興味がありません。私たち女性の観点からすれば、実際の出来事よりは人間のことが重要です。」

過去を変えることはできない。しかし歴史をどう反映させるかは、私たちにできる。したがって、この事件について注意深く考え、実際に看護師たちに何が起きたのか、その真実を語ることはシルバー氏の言うように決定的に重要である。

シルバー氏は言う。「それは起きたのです。そのことによって苦しんだ人がおり、それを語り、それを強調し、公にすることを拒否すると言うことは、その人たちの苦しみがいかほどのものであったのかを知ってもらいたいという権利を拒否することなのです。私たちが看護師たちに負っている責任は事実を公にすることです。それが本当に残酷な犯罪であったことを世界に知らしめることが必要なのです。」

ナピアさんと彼女の家族にとって、実現したいことは簡単なことである。それは、死を前にブルヴィンケルが望んだ、事実を知ってもらいたいという望みをかなえることである。「戦争博物館は事実を説明展示すべき場所のはずですが、事実を述べないなら、それは歴史を歪曲していることになります。事実を述べることこと、それをブルヴィンケルは望んでいたのです」とナピアさんは言う。