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2020年8月2日日曜日

異議あり ウポポイ

  私が住むメルボルンでは、7月初旬に、コロナウイルス新感染者数が一時ゼロになった日が数日続きました。数日しか経っていないのに、ロックダウン規制を大幅にゆるめたため、7月中旬から再び急上昇。毎日300〜500の新感染者が続出し、一昨日は700を超え、昨日は400近くまで下がり、今日はまた600余りまで上昇。死者も増えています。ロックダウン規制を再び強め、外出の折はマスク着用が義務づけられており、違反者は200ドル(1万6千円ほど)の罰金です。これと比較し、隣国ニュージーランドでは、最初から徹底したパンデミック撲滅をめざし、手厚い国民の生命と生活安全の保護政策をとりながら、厳しいロックダウン規制を行ったため、4月下旬に「勝利宣言」、5月中旬までにはほぼ完全に撲滅の状態となりました。

  一方、日本のコロナウイルス感染対策の状況を見ていると、「人命尊重」などという言葉があるのかと思うくらい酷いですね。ただ経済さえうまくいけばよいという場当たり的な政策のため、その経済政策も政治腐敗にまみれて汚れきっており、結局は失敗の連続。日本の「人命軽視」、「人権無視」は、「一億総玉砕」を唱え国民に「難死」を強いた戦時中と基本的には何も変わっていないのではないかと思われます。小田実は、阪神淡路大震災の被災者に対する日本政府の対応のあまりの酷さから、『これは「人間の国」か』と題する著書を出して批判しました。この日本の「人権の軽さ」 と「歪んだ日本の民主主義」の相互関連性を真剣に考えないと、「人間の国」と言える状態にはいつまでたってもできないでしょうね。

  そこで今日は、私が尊敬する、札幌にお住いの松元保昭さんが書かれたアイヌの人権問題に関する論考を、松元さんの許可をいただいて紹介させていただきます。海外での生活体験もおありの松元さんの論考は、国際的な視野にたった他国との比較分析と、日本国内の独自の政治社会構造の歴史的背景分析がみごとに組み合わされている力作だと私は思います。ご一読いただき、みなさんの市民運動のあり方を考える上で、ぜひ参考にしてください。

  その前に、いつものように、私の大好きな漫画家・詩人のマイケル・ルーニッグの風刺画「政治パンデミック」を紹介しておきます。
 

「政治腐敗、虚言、弱者いじめ」などのパンデミックという、やっかいな病原菌が、我々の世界にはあるんだ。

そりゃ、たいへんだ。

 

しかし、その病原菌に対抗するワクチンを開発できたんだよ!

そりゃ〜よかった。

 

このワクチンのおかげで、政界を健全にすることができそうだ。

そりゃ〜よかった。

 

しかし、問題はだね……、その病原菌をもっているたいていの政治家たちを覆い隠している、

ぶ厚い皮膚に刺しこめるような、強力な注射器がどうしても作れないんだよ。

そりゃ〜ひどいな。

 

 

異議あり ウポポイ

禍根のこす 権利の視点欠く日本型先住民族“管理”

 パレスチナ連帯・札幌/アイヌ政策検討市民会議会員 

松元保昭

 

はじめに

有り体に言えば、現実の日本社会にはアイヌ民族としての固有の権利など無く、わずかにアイヌ文化伝承の痕跡が残存しているに過ぎない。だから「アイヌ文化復興」の旗を振ると、それだけでアイヌの「ために」やっていると見せかけることができる。貧しいアイヌも、交付金目当てに言うことをきいて踊ってくれるだろう。それらしい法と組織と若干のカネさえ出して立派な施設をつくれば、やすやすと「日本型民族共生」というかたちだけの装いができるというものだ。

2020712日、北海道白老に「民族共生象徴空間ウポポイ」が開設された。本来は安倍内閣が定めた「主権回復の日」428日の予定であったが、コロナ禍で延期となった。428日とは、1952年サンフランシスコ条約発効で沖縄が日本国憲法から切り離され、その後20年間も米軍施政下に置かれた「屈辱の日」でもある。安倍政権は当初オリンピック開催の年に当てて、新たな日本型「民族共生」を国の内外にアピールしようという魂胆だった。

 

一、  主体はアイヌ民族か

「民族共生象徴空間ウポポイ」とは、国立アイヌ博物館を中心に盗掘したアイヌ遺骨を集約する慰霊施設とアイヌチセのある国立民族共生公園であり、アイヌ語、口承文芸、衣服、音楽、民具、芸能、儀礼などのアイヌ伝承文化を実演・展示する一大テーマパークとなるものだ。「ウポポイ」とは「みんなで歌おう」というアイヌ語のようだ。この裏付けとなる「アイヌ施策推進法」(以下、施策推進法)では、「アイヌ文化を復興・発展させる拠点」「ナショナルセンター」と位置付ける国立観光事業であり、小中高生の修学旅行見学も大いに期待されている。近隣のアイヌにとっては実演アトラクションの担い手として、アイヌ伝承を語り、謡い、踊り、生活の糧となる場でもあろう。アイヌが「私たちの文化」「私たちの歴史」と展示し実演する演出がなされているのだから、観光に来る人にとってはアイヌが主体となった実演テーマパークのように映るだろう。


 
ウポポイ内の国立民族アイヌ博物館

ところが、これら施設の関連整備法でもある「施策推進法」によれば、内閣にアイヌ政策推進本部が置かれ本部長は内閣官房長官、副本部長および本部員は国務大臣があたる。「国立アイヌ博物館」は、国交省・文科省両大臣が指定・認可・監理・監督する「公益財団法人アイヌ民族文化財団」が事業計画を運営する。財団の理事長は有識者懇メンバーとして、これまで政権に「権利」ではなく「文化だけ」に特化した「日本型先住民政策」を入れ知恵してきた元北海道大学アイヌ・先住民研究センター長の常本照樹氏である。一部アイヌが参画しているとはいえ、非アイヌの和人が中枢に居座っていて組織的にもアイヌが主体とはいえない。

北海道アイヌ協会のメンバーが理事や評議員に名を連ねてはいるが、同協会はせいぜい3000名足らずの会員で全国各地域アイヌの代表機関でもなければ、各地域アイヌの協議によって参画している団体でもない。先の文化振興法、今回の施策推進法も有識者懇のころから、政権の同伴者として遺骨の慰霊施設集約に逸早く賛同するなど、もはやアイヌ民族全体の権利要求を目指すというより、ときの行政権力に取り込まれお墨付きを与える機関に堕落してしまったようだ。ある古老は、「アイヌ民族の名義を貸した覚えはない」と同協会に抗議する。

榎森進氏は、このたびのアイヌ施策の性格は、政府の国会対策、野党対策、労働運動対策などと同じで、「政府のアイヌ対策」であると指摘している。(1)首根っこを、総理大臣・官房長官・学者をはじめすべて非アイヌの和人が牛耳っているのも当然だ。

 

二、アイヌ民族の闘い

しかしながら、アイヌ民族は唯々諾々と差別され虐げられてきただけではない。コシャマイン(1457)、シャクシャイン(1669)、クナシリ・メナシ(1789)の歴史的蜂起をはじめ、天皇の「御下問」(1869)ひとつで大地(アイヌモシリ)を奪われ窮民に貧した明治以降にも、各地の強制移住に反対・歎願・陳情など連綿と和人権力に抵抗し民族の自立を希求して闘ってきた伝統がある。

違星北斗のような煮えたぎる抵抗精神とともに、北海道に強制連行された朝鮮人を和人から匿い助け結ばれてきたアイヌのように、民族も国境も超える普遍的兄弟愛を生み出してもいた。(2)バチェラーや金田一京助、知里真志保・幸恵らのユーカラ・アイヌ伝承もこうした闘いの土壌で生まれたことを忘れてはならない。

戦後になると闘いの結束はただちに北海道アイヌ協会を設立(1946)、各地域にアイヌ協会支部がつくられ学校や地域にアイヌ差別を訴える集会が広がり、「全国アイヌ語る会」(1972)につながって、いくつかの地域にはアイヌ民族解放運動も生まれた。こうした新憲法下のアイヌ民族の権利要求は、当時の北海道ウタリ協会総会の「アイヌ新法」(1984)に結実した。

アイヌ民族が頭をつき合わせ自主的自立的に考えた権利法制案であり、このエネルギーが、その後の北大遺骨返還訴訟(198320122018)をはじめ、国連先住民年(1992)、萱野茂参議院議員当選(1994)を経て、二風谷ダム訴訟(1997)、共有財産裁判(19992006)、沙流川水害訴訟(2012)、さらに紋別、浦幌、平取、旭川など各地の遺骨返還訴訟が闘われるエネルギーへと繋がった。二風谷ダム訴訟では国家がアイヌ民族を先住民族と認め、彼らの権利獲得の闘いは国際舞台と連携するようになり、2007年の国連先住民族権利宣言に結実するのである。

しかし、現実的で自主的民主的な先住民族の権利法制案である「アイヌ新法」も、和人行政権力に懐柔され捻じ曲げられ実現の数歩手前で阻まれてしまった。アイヌたちが長年廃止を要求してきた「旧土人保護法」に替わる「アイヌ文化振興法」で逆手をとって文化偏重の方向性がつくられ、今回の「アイヌ施策推進法」で固定化されようとしている。

こうした生活に根差した先住民族の権利獲得の闘いの伝統は、行政権力に懐柔され歩調を合わすだけの北海道アイヌ協会から離脱し反旗を翻して和人と共に闘い活躍するアイヌおよび幾つかの地域アイヌ協会に確かに受け継がれている。闘うアイヌたちはこの「象徴空間」について早くから、200億円の箱モノでは、アイヌの生活と権利に何の役にも立たないと訴えていた。

 

三、植民地主義・人種主義との闘い

2007年の「国連先住民族権利宣言(UNDRIP)」は、近代国家がその植民地主義によって先住民族の土地、資源を収奪し、文化、言語を禁止し、強制移住、強制同化による差別と抑圧、社会的零落、民族離散を招来させたという歴史認識に立ち、しかも根本的な是正をせずにきた歴史的不正義、すなわち国家の植民地主義・人種主義を反省し、心底、謝罪することが大前提となっている。宣言の核心はここにある。

ついで、こうした歴史的不正義にまみれている国民国家の諸制度を是正(redress)しかつ賠償、補償するための、先住民族と国家との対等な協働関係の基本的枠組みづくりを提案し、先住民族の具体的諸権利と国家の義務を国際標準として謳ったものであった。

この宣言に先立つ6年前、先住民族の権利から貧困撲滅など219項目にわたる幅広い分野の人種差別に関するダーバン宣言(2001)が発せられた。人類社会の普遍的課題を包括的に可視化したものであり、21世紀の初頭を飾るにふさわしい人権宣言であった。上記の先住民族権利宣言は、この「ダーバン宣言及び行動計画」の成果でもある。

しかし、911事件の3日前に終わったダーバン会議では、奴隷制の謝罪・補償問題とパレスチナ問題にかかわるイスラエル非難で紛糾し、米・イスラエルが本会議を欠席したものの最終的には採択されたという、いわくつきの会議でもあった。国際法に反して「建国」を許しジェノサイド続行中の不法なイスラエル「国家」の存在が大きいが、植民地主義・人種主義から訣別できない、したくない旧宗主国すなわち欧米先進諸国の思惑はその後のダーバンレヴュー会議(2009)でも続いた。

それから20年、あからさまに国際法を蹴飛ばすトランプを先頭にかつての宗主国は、植民地主義清算のサボタージュを決め込んできた。コロンブス像を引き倒すにいたる今般のBLM Black Lives Matter)運動の世界的拡がりは、制度化された人種差別と白人支配の持続という岩盤プレートが何ら変わっていないことを露わにしている。

 

四、欧米世界覇権を隠れ蓑に生きる日本

じつは日本国は、この欧米の世界覇権を隠れ蓑に戦後を生きてきた。帝国主義=植民地主義・人種主義を地で行く戦前と、戦後新憲法下の民主主義と、この二重の時代を併せ持った社会/たとえば戦前治安維持法下で特高らを指揮した黒幕たち数十人もが戦後憲法下で国会議員に返り咲くという/戦前戦後抱き合わせ社会を時の政権は曖昧なヒロヒト象徴天皇を蝶番(ちょうつがい)として民衆支配に使い分けてきた。

都合の悪い文書や歴史は隠蔽し捏造したい安倍政権が典型だがマスメディアも同様、日米同盟を後ろ盾・前盾に、辺野古強行沖縄基地再強化、米製兵器爆買い軍備急増、先島諸島軍事要塞化、敵基地攻撃能力、朝鮮半島分断固定化画策、公安警察の旧内務省化、国民宣撫の電通システム等々、「戦後民主主義・平和主義」はなし崩しに空文化されている。

その基本戦略は、植民地支配の歴史的責任を認めず賠償・補償をほお被りすることである[日韓請求権・経済協力協定を含む日韓基本条約 1965]。アイヌにも朝鮮人にもゼッタイ謝罪しない根源はこの戦略にある。かつ日本の潜在的な盟主意識の後ろ盾に「白人支配の岩盤」すなわち欧米中心主義がある。

戦後一貫してこの路線を踏襲してきた日本政府は、さきの国連宣言批准の採択直後に、「独立・分離権」および「集団的権利としての人権」を認めず、「財産権は公共の利益との調和を優先」という三点の解釈宣言をして留保条件を付け加えた。翌年の「国会決議」でも、「先住民族として認める」ことはしても、日本社会における「権利」については一言も触れられていない。

もっとはっきり言えば、国連権利宣言は第1条から第46条まで逐条的に具体的な権利条項をあげて「先住民族は~の権利を有する」と明記し、その半数の条項では常にそれらの権利に照合して国家の具体的な措置・協力・支援・実行の義務を命じている。

しかし日本のアイヌ民族が認められているのは「先住民族である」という口先だけで、どの条項を取っても日本国家に認められているものはいまだない。民族の自立、自己決定権を軸とした国家との根本的な関係修復・是正は上記宣言を批准したにもかかわらず、日本政府はいまだ着手したことがない。このたびの安倍政権の「アイヌ対策」、「民族共生」の建前は、国連宣言の精神と具体的権利を無視し踏みにじるものである。

 

五、「法なくして犯罪なし」の岩盤を打ち破れるか

もうひとつ、日本を含めた植民地支配責任否認の基本戦略を下支えする法解釈がある。力を誇示するレーガンやニクソンやトランプが事あるごとに「法と秩序」を持ち出すのは、「法なくして犯罪なし」の論拠である。罪刑法定主義、つまり過去のその時点では法が無かったものを罪とすることはできない。また法令不遡及の原則、過去にさかのぼって法を適用してはならない。

こうして「過去の不正義」に蓋をするだけでなく、目前の権利要求にも無視を決め込む。これでは、過去の奴隷制や現在の黒人差別を克服することは出来ない。遺骨盗掘に各大学が謝罪しない根はここにある。植民地主義・人種主義はどの地域でも、過去の「連累(implication)」であり、日本におけるアイヌ差別も同様である。ダーバン会議で紛糾したテーマでもあり、「過去の不正義」に対する世界市民と国家権力との綱引き、せめぎ合いは続く。

しかし、人権の歴史はまだ日が浅い。十字軍とレコンキスタからイスラーム包囲網を企図し資本蓄積した大航海時代、コロンブスの「新大陸発見」(1492)にはじまるインディオ・黒人の奴隷プランテーションと奴隷貿易による近代奴隷制からフランス人権宣言まで300年、アパルトヘイト廃絶までさらに200年、公民権運動を経てもなお吹き荒れたことしのBLM運動まですでに530年を閲した。地球上の奴隷制が完全に廃止されて80年足らず、マンデラからまだ30年である。

黒人だけではない。南北アメリカ大陸およびオセアニア・太平洋諸島の多様な先住民族から人類にもたらされた食と農産物の革命からも、「合州国憲法と連邦制」の範となり「国際連盟」「国際連合」その後の「欧州連合(EU)」に引き継がれたアメリカ先住民族の「イロクォイ連邦」の知恵からもまだ学んでいない。さらに、米国、カナダ、オーストラリア、ロシア、中国、サハラ、太平洋諸島の先住民族の土地、海域、資源を略奪し彼らの生活と権利を踏み倒して核兵器と原発の核開発競争がなされたという事実も、いまだ顧みられない。(3

日本で human rights が「人の理」「道理」「通義」「人の権」「人権」などと訳されたのは幕末だが、民権運動もけっきょく国権すなわち天皇絶対主義の「帝国臣民」に回収され、戦後憲法下でも国家に対峙する「独立した市民社会」からほど遠く、深く浸透した戦前の国家主義を乗り越えられないままだ。日本人の人権との付き合いはせいぜい100数十年、戦後から75年だというのに日本軍慰安婦とした性奴隷制さえ解決されていない。

土地と言語という基本的生産手段・交通手段を奪われた地球上の黒人や先住民族は、現在もなお、社会的経済的心理的格差を温存した「構造的差別」の只中に置かれており、人権と民主主義の人類史的課題の中心であり続けている。植民地主義・人種主義を反省できない米欧日宗主国の「人権と自由と民主主義」の底の浅さは隠しようがない、というより、内外への横領・略奪資本主義の母胎はそのままと言うべきか。

 

六、変わらぬ同化政策

さて「象徴空間」であるが、これまで闘うアイヌ民族自身が頭を寄せ合い権利要求してきた、民族自立化基金もなく、国有地などの資源利用の権限もなく、漁業権や採取権など伝統的な生活圏の場を承認・創出しようともせず、民族議会枠も考えず、積年の歴史的不正義に謝罪も賠償もせずに、言葉だけの「民族共生」を騙ってアイヌを謡い踊らせることは、さらなる不正義を重ねることになるのではないか。

権利こそ切実だ。昨年、紋別アイヌ協会のアイヌ民族が、数匹の鮭を捕って鮭を迎える伝統儀式カムイチェプノミをした廉で北海道警察の捜査・聴取を受け不起訴処分ながら猶予という「犯罪者」扱いになった。先住民族権利宣言の第1112条その他で明確に伝統儀式の権利を有すると明記されており、いちいちお上にお伺いを立てるのでは「権利」ではない。

このような「権利」なき日本国のアイヌ施策とは、明治以来の和人の「アイヌ対策」の延長であり、「文化復興」を名目としたウポポイの展示と実演は、じつは和人が指導監督し一部アイヌに交付金で収入を得させる国立観光事業の一環であっても、けっしてアイヌ民族の自立へ至る謡や踊りではない。和人が管理する見せ物「伝承」文化を、真の民族文化の復興と言えるだろうか。和人のつくった「民族共生」の装いにアイヌが利用されることは、あらたな先住民族管理であり構造的差別の固定化ではないのか。こうした政権の目論見全体をテッサ・モーリス・スズキ氏は法案成立の半年前に、「演出された民族共生」と称して根本的に批判していた。

テッサさんは、次のように警告している。《この「象徴空間」の完成によってあたかも日本の先住民族に関する問題は解決され、民族の和解が達成されたかのような、ある種の勝利宣言のような、あるいは終着点のようなものとして、「象徴空間」がつくられ、もしくはそのような表象や呈示がされるなら、「象徴空間」に演出されるさまざまなイヴェントは、先住権にとって大きな後退および障害となってしまいます。》(4

 かつて日本人は、アイヌに滅びゆく民の烙印を押し付け、沖縄に「皇民化」を押し付け、台湾や朝鮮半島の人々に天皇の「臣民」を押し付け、大東亜「共栄」圏をアジア・太平洋地域に押し付け2000万人もの人々を殺してきた。いままた反省も謝罪もなく、実態なき「民族共生」という押し付けをやろうとしている。戦後も一貫して、沖縄に米軍基地を押し付け、在日朝鮮人の国籍を剥奪して「非国民」を押し付け、こんどはアイヌに手のひらを返したように「共生」を押し付ける。交付金というカネで踊らせ盗掘した骨や衣服を飾ってそれを共生と言うのだろうか?

共生を確認し承認するのはアイヌであってけっして和人ではない。和解や問題解決を確認し承認するのは、沖縄の人々であり、慰安婦であり、在日朝鮮人および朝鮮半島の人々であって、けっして日本人ではない。謝罪もしない和人・日本人が「共生や和解」と言うとは、盗人猛々しい。

しかし安倍政権やマスメディアを見ていると、日常的な誤魔化しが常態化し、慰安婦問題に法的責任も取らず「最終的不可逆的解決」などと植民者根性・帝国主義的心性を平気で繰り返す日本人の行く末が恐ろしい。軍艦島の世界遺産登録展示をめぐって韓国から異議申し立てがなされているが、恥ずかしい。

アイヌの歴史展示もそうだが、こういうのは文化理解の問題というより、きわめて今日的なレイシズムの問題だ。先住民族を見せ物アトラクションに利用し、和人の都合に合わせて「文化だけ」をつまみ食いするのは「共生」ではない。かつての学術人類館(1903)の幻がよぎる。こういう誤魔化しが「日本型管理」を生み出す狡さであって、和人の変わらないレイシズム、自民族中心の同化政策の今日的形態と言ってもいい。

もっとも、侵略帝国主義「明治150年」を礼賛し教育勅語を復活させて「国民は権利など考えずに国家のことだけを考えろ」という安倍政権が、先住民族には固有の権利があるなどとは思いもよらないだろうが、こうした政権を許しておくと、「今だけ、カネだけ、国家だけ」という人心支配まであと一歩だ。

 

七、囚われの文化

とくにひどいのは、付属の慰霊施設だ。死に方、弔い方こそ民族固有の文化だ。盗掘した異民族の遺骨や副葬品を謝罪もなしに勝手に国立慰霊施設を造って埋葬陳列?すること自体アイヌの宗教を冒涜することであり、憲法の政教分離に反する。とくに、日本人類学会、日本考古学協会、日本文化人類学会が、それぞれの学会としての歴史的不正義を公的に反省・謝罪することなしに「研究倫理指針」とはおこがましい。植民地主義・人種主義の継続を実践して恥じない和人政権と御用学者たち。琉球人・奄美人遺骨返還闘争(5)とアイヌが連帯することによって、列島の北と南で行われた国家と学問による卑劣の所業(6)を暴き突き付けなければならない。

とりわけ歴史展示がどうなるか大いに疑問だ。教科書のように巧妙に加害主体を隠すのは日本人の常套手段だからだ。

征夷大将軍坂上田村麻呂が阿弓流為(アテルイ)を謀殺した古代から、アイヌは、エミシ・蝦夷・夷狄・まつろわぬ民として和人・大和民族が排外差別してきたことは事実だ。「ほろびゆく民」と名指しし貶めてきたのは和人であり大和民族である。「天皇だ!」、「戦争だ!」、「金儲けだ!」と言っては脅し、押さえつけ、虐げ、和人の子どもたちまでもがアイヌをいじめ差別してきたのは事実だ。

こうした苛烈な同化政策による歴史的不正義と普遍的人権侵害の実態が、果たして隠蔽されずに加害者が明示され、和人の歴史的謝罪とともに歴史展示されるのであろうか?

すでに述べたように、日本の政権はアイヌ民族の「集団の権利」を認めず、かわりに「文化を復興する」という。どうしてこんな手品が可能なのか。文化とは何であるか。

ある民族集団が、一定の歴史段階で、生活・生業・生産・交易などを共にし、/自然、神々と災厄の神話、所作と儀礼、民具と衣装、敵・仲間の習俗、聖・俗の芸能、時間編成、言語などの/共通の認識と価値観と規範意識を育てたとしよう。とくに言語・神話・所作・衣装・儀礼を中心に象徴的集合行為としての謡や踊りが生まれる。遊びあり、喜び哀しみあり、祈願あり、祭りあり、抵抗あり、弔いがあるであろう。それらの総称がアイヌ文化である。そもそも集団の生活と認識世界の集合的象徴的行為の場がなければ生まれることも育つこともない。文化を継承しようにも再生しようにも、集団の根がなければ枯れる。

現実には、150年の長きにわたって集団の根は略奪・剥奪され分断・分離されアイヌ文化は根こぎにされた。かろうじて残滓として残る謡や踊りが文字通り博物館で演じられるアトラクションに成り下がってしまった。本当に「文化を復興」しようと思えば、この根から育てなければならない。文化が、耕作・栽培から陶冶・教養という含意がある以上、民族集団を「育てる」ことが眼目でなければならない。

民族の未来を託すのは子どもの教育だ。かつて言語風習を野蛮だと禁じアイヌ文化を削ぎ落して帝国臣民に躾けるため、あからさまに「土人学校」を設置した日本国家は、せめて民族の未来を担う子どもたちの自文化習得教育システム形成と小中高等教育については完全無償で補償する義務と責任がある。/同断で、国家による在日朝鮮人への教育差別も許されず、外国人教育実習生の言語教育にも国家の責任がある。/文化を継承し再生する主体的民族集団の自主的権利こそが育てられねばならない。

ところが日本政府は、表向き国際標準に合わせる「寛容さ」を装い、アイヌ文化を「多様な日本文化」の一部だと剽窃して売り出す魂胆だ。自文化「日本」を自慢してやまない和人が、かつて服属させ生活と文化を根こぎにしたアイヌに対して、こんどはまるで日本文化の一部であるかのように「いかさま共生」の宣伝に利用するのが実体であろう。アイヌ文化は、日本文化に囚われてしまったのか。

こうした「文化政策」のウラに手品がありそうだ。アイヌ「文化偏重」のウラに権利への目隠しがあるように、やたら自画自賛したがる日本「文化偏重」のウラに現実の生活破壊と国家権力横暴への目隠しがありそうだ。安倍政権がやってきたことは、絶えず「人権・自由・民主主義」を誤魔化し逆手に取り踏み倒す、外国人実習生・非正規雇用急増・トリクルダウン・文書改竄・責任隠蔽の汚職・汚物レガシーの積み重ね、カネで民衆を愚弄するフクシマ《復興》五輪とアイヌ文化《復興》ウポポイとIRカジノ、万博のエンタメ(娯楽)目くらまし政策、どれも生身に生きる人間の権限確立と人類の歴史形成に逆行する低劣・野蛮な「対策」の連続だった。貧困格差を拡大しカネ儲けに走らせ、日本人をあさましくしただけだ。

私たちが求めているものは、北海道各地のコタンで地域ごとに異なる時間・空間と異なる伝承・風習に生きる、生きたアイヌ文化に触れさせていただくことだ。観光アトラクションの国立レジャー産業にアイヌ文化を封じ込めることではない。各地域コタンの再生を希ってやまない。

戦後、全国各地につくられた数十もの観光テーマパークは、どれもほぼ数年で飽きられ閉鎖に追い込まれてきた現実がある。観光地であるウポポイも飽きられる時が来る。そのとき、謡い踊っていたアイヌの哀しみはどこへ行ってしまうのだろう?

 

八、謝罪から和解へ、そして多民族響和へ

「シャモがシャモであるかぎりアイヌはさすらう」と佐々木昌雄(7)が嘆いたように、和人が変わらなければアイヌも変われない。いまも「まつろわぬ者」へのヘイトが後を絶たないように、アイヌは和人の不正義と常に格闘を余儀なくされてきた。新しい若いアイヌ、幾万というサイレントアイヌが自分と民族の「可能性」を探っている。こうした不平等極まりない世界から、和人もアイヌも訣別できる機会がいかにしたら到来するのか。世界人権宣言、国際人権規約、人種差別撤廃条約、ダーバン宣言、そして先住民族権利宣言があるこの時代において、1300年もの長きにわたって人権無きこの日本列島に、人権を柱にした真の多民族響和の社会をつくる好機を共に出来るのであれば、その時こそ本当に「民族共生」を慶びたい。

コタンで自由に歌ったり踊ったり、鮭を捕ったり鹿を獲ったり鯨を捕ったり山菜を採ったりする「権利」こそアイヌ民族に必要不可欠な権利であった。しかしいまコタンは滅ぼされたが、彼ら彼女らの民族再生の一挙手一投足がコタン再生の夢を実現するかもしれない。同時に、土地から山から川から海から言葉から、生業と文化の権利まですべてを奪ってきた和人の連累の罪を償い、歴史的な和解の扉を開くべきだ。

ここ数年、各地のアイヌ協会が遺骨返還訴訟で「和解」を勝ち取り各コタンへ遺骨を取り戻し再埋葬したものの、国家および各大学の責任ある謝罪はなかった。「謝罪なき和解」は国連宣言の核心を認めないという姑息な日本の国家戦略だ。この歴史的不正義を隠蔽する国家戦略を覆す必要がある。そのためにまずもって、アイヌをはじめ、沖縄の人々、在日朝鮮人、在日アジア人、そして隣国に対しても、歴史的・国民的謝罪が欠かせない。

アイヌに生活と文化の居場所をつくることこそ和人が真人間になる道である。しかしアイヌに必要なことは、国民国家の成員としての「自由」では足らない。先住民族の原自由は、あらゆる点で国民国家の枠組みを飛び越えることを承認しなければ、実現されることはない。先住民族の民族的・文化的アイデンティティーは、近代の「国民国家」の枠内には収まらず、まったくの独自性をもつことを覚悟し前提にしなければならない。これまでやってきたことは、強制にせよ自由意思にせよ、同化による時間空間の等質な「国民」への編成である。まさに「アイヌ系日本人」だ。同化主義、植民地主義からの脱却という課題は、そこから異質な制度を編み出し許容することにほかならない。この鍵は、複数民族の権利の実現である。

「人種」としてのアイヌであっても、「民族」としてのアイヌであっても、「状況」としてのアイヌであっても、さらに「可能性」としてのアイヌであっても、選択的に「交渉主体」となれるよう条件整備・制度設計すべきである。アイヌ個々人と集団が、未来に向けて選択的に自己実現する場、権利回復する手がかりを制度的に備えることが差し当たっての支配民族「和人」の義務である。このための枢要な課題は、資本主義と近代国家が前提とする「等質な時間と空間」にいかにして「異質な時間と空間」を嵌め込むか、ということに尽きるのではないか。そのヒントは、すでに違う時間を生きる幼児、老人、障がい者、LGBTから、そして国際人権諸規定から与えられている。じつは、人間はみな本来的に違う時間を生きている。自然権たる人権の根はここにある。同質を強制することなく異なる人間たちの公共圏が待たれる。

 そのうえで、さしあたり「象徴空間ウポポイ」およびポロト湖畔周辺地域全体をアイヌ民族だけの民族自治圏として、管理・運営・展示のすべてを「アイヌ民族ウポポイ協議会(仮)」に委ねてみてはどうか。とうぜん新たな分断、格差をもたらす市町村等への「交付金」のいっさいの管理権もこの協議会が掌握する。「アイヌ文化復興のナショナルセンター」ではなく、「自立のためのアイヌ民族センター」と位置づけ、国はカネは出すが口は出さない。

そのさい、国連先住民族権利宣言など国際人権規約を徹底的に詳細に参照し、日本人とアイヌ民族双方の修復的正義を目指して、北海道アイヌ協会メンバーおよび全国に散在するアイヌにも協議会に参画してもらい、かつて白老イオル構想もあったようにアイヌ民族の権利と自立を探るコタン再生の試行実験自治区にすることが望ましいのではないか。必要なのは、管理ではなく権利だ。

 

おわりに

日本人も、(ずっと前からの課題とはいえ)このあたりで維新以降に配下に収め隷属させた、アイヌ民族、在日朝鮮人、沖縄人との関係修復を、自分自身の変化のためにも考えたほうがいい。日本人の歴史と心性に根深い諸悪の根源、植民地主義・人種主義からいかに脱却するか。小手先でお飾りのように多文化共生とか民族共生などというのはやめて、列島の主人という夜郎自大な「お山の大将」もやめて(ここでは天皇はいらない、国民はpeopleでいい)、どうしたら帝国主義的心性・植民者根性をなくし他者を尊厳ある他者と遇することができるのか、主人面しないで友であることはいかに可能か、どうしたら自然と共に生きる知恵と複数民族の権利に折り合いをつけられるのか、神とカムイ(大自然)の前に共に列島の客人として対等平等に棲む、深刻に、長い時間をかけてその道を探ることが、おそらく未来の子どもたちへの大切な贈りものになるのではないだろうか。それはまた黒人やパレスチナ人、世界中で闘う被差別民族とのささやかなしかし確かな連帯と正義の礎ともなろう。

 

 

<註>

 1、榎森進 「アイヌ施策推進法」の概要と同法の制定過程に内在する諸問題 2019

 2、石純姫 『朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり―帝国の先住民・植民地支配の重層性』 

寿郎社 2017

 3、上村英明 『先住民族の「近代史」―植民地主義を超えるために』 平凡社 2001

 4、北大開示文書研究会編 『アイヌの権利とは何か―新法・象徴空間・東京五輪と先住民族』  かもがわ出版 20207

 5、松島泰勝・木村朗編著 『大学による盗骨―研究利用され続ける琉球人・アイヌ遺骨』 耕文社 2019

 6、植木哲也 『新版 学問の暴力―アイヌ墓地はなぜ暴かれたか』 春風社 2017

 7、佐々木昌雄 『幻視する<アイヌ>』 草風館 2008所収、初出『アヌタリアイヌ―われら人間』第2号所収「<シャモ>が<シャモ>である限り」1974 

 

    本稿は「ウポポイ」開設後、726日にランダムに配信したものに加筆訂正したものである。



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