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2020年6月27日土曜日

金鐘哲さんの訃報


韓国の評論雑誌『緑色評論』の発行者であり、気鋭の評論家である金鐘哲さんが、入院先のセブランス病院で6月25日に永眠されたという訃報を受けました。
  広島の方達はご承知のように、2018年の8・6ヒロシマ平和へのつどい」では金さんに講演をしていただき、日韓両国市民が、いかに安保論理を打破し平和共生の道に向かって進んでいくべきかについて、示唆に富むお話をしていただきました。私が最も感激した金鐘哲さんの言葉は、2018年1月に送っていただいた<少女像があるべきところ>と題した論評の中の下記の言葉でした。

「慰安婦問題」というのは国家権力が何の罪もない女性たちを強制的かつ組織的に動員し、戦場の「性奴隷」とし、その女性たちの一度だけの生涯を徹底的に踏みにじった、 極端な反人倫的蛮行に関わる問題である。したがってこれは被害当事者だけではなく、この世を人間として生きていくためにも必ず解決していかねばならぬ、我々皆の問題だといっても良い。人間らしく生きるための共同体が成立するには物理的な土台だけでは不十分なのだ。それより根本的なのは共同体の道徳的・倫理的土台である。 …… これは日韓の間の単なる外交問題でもなければ、謂わば国益に関わる問題でもない。これは韓国人、中国人、日本人を問わず人間らしく生きることが如何なるものであるかについて思考する能力を持つ全ての人間の共通の関心事でなければならない。(強調:引用者)
まだ73歳というお歳だったので、もっともっとご活躍していただけるものと期待していました。残念でなりません。日本にとって、日本市民にとってひじょうに貴重な韓国の同志の一人を私たちは失いました。ご冥福を祈ります。
合掌




  下記はこのブログに寄稿していただいた金鐘哲さんの評論です。熟読していただき、今後の活動に活かしていただければ、ご本人に対する最大の哀悼の意の表明になると信じます。

韓国の「ロウソク革命」の中にいて

安保論理を超えて平和共生の道へ

86ヒロシマ平和へのつどい2018講演を終えて
 
少女像があるべきところ
  http://yjtanaka.blogspot.com/2018/01/blog-post.html


2020年6月20日土曜日

Inspirational Music for “Black Lives Matter” & Covid-19

「ブラック・ライブズ・マター」とコロナウイルス感染防止のための2つのコンサート
日本語の説明は英語版と詩+漫画の後をご覧ください。

(1) New York Philharmonic: “We Shall Overcome,” Arranged by Jordan Millar

  This past fall the New York Philharmonic invited Jordan Millar — a 13-year-old member of the Philharmonic’s Very Young Composers Program — to arrange “We Shall Overcome” for several Young People’s Concerts on “Music as a Change Agent.” Those performances were cancelled because of COVID-19. Over the past weeks it has become clear that there is an urgent need to hear this song’s expression of determination and hope. In this performance Philharmonic musicians are joined by members of the Abyssinian Baptist Church Cathedral Choir; The Dessoff Choirs; Brooklyn College, Conservatory of Music Symphonic Choir; and viBe Theater Experience. Together, they declaim the verses Jordan has set:
We shall overcome  
We are not afraid  
The truth shall set us free

  Larissa, granddaughter of my old friend, Mark Selden, is a 10 year old cellist in the second row from the top right. The composer, Jordan Millar is a member of her composition class. It is really nice to see young girls like Larissa and Jordan contributing to this kind of activity and interacting with adult players!

(2) HAUSER: ‘Alone, Together’ from Arena Pula
  HAUSER performs a special concert in his hometown in the iconic Arena Pula, Croatia. He would like to dedicate this performance to amazing efforts of all the frontline workers around the world and pay tribute to all that is good in humanity.

Track list:
Benedictus (From The Armed Man: A Mass for Peace by Karl Jenkins)
Air on the G String (J. S. Bach)
Intermezzo from Cavalleria Rusticana (Pietro Mascagni)
Caruso (Lucio Dalla)
Nessun Dorma (G. Puccini)


人間よ(校庭で歌われるべき歌)
昔、感染病がありました
昔、戦争もありました
いたわりあい、親切にしあい
同時に、血を流し合い、残虐をきわめあい
薬を作りながら
武器も作り
愛し合いながら、憎み合い
私たちは、なんとも不思議な生き物です
(マイケル・ルーニッグ作)

(1) ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラ「勝利を我らに」
   ジョーダン・ミラー編曲
  ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラには、「若年作曲家養成プログラム」と称する、子供たちのための音楽教育プログラムがあります。この「若年作曲家養成プログラム」は幾つかのコンサートを計画していましたが、コロナウイルス感染拡大のために中止せざるをえなくなりました。そこに、アフリカ系アメリカ人の人種差別反対運動「ブラック・ライブズ・マター」の急速な高揚が見られるようになったため、中止になったコンサートで演奏される予定だった、13歳のジョーダン・ミラーが編曲した「勝利を我らに」を、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの楽団員や、ニューヨークの幾つかの合唱団が加わって、急遽、オンラインで演奏しました。その演奏が下記のユーチューブで鑑賞できます。歌詞がジョーダン・ミラーによって、以下のように変えられています(赤字部分)
「勝利を私たちに
私たちは恐れない
真実が私たちを自由にする

  画面右上の2段目でチェロを演奏している10歳の女子は、ニューヨークに住んでいる私の長年の友人のマーク・セルデン(中国史・中国社会研究)のお孫さんで、「若年作曲家養成プログラム」でジョーダン・ミラーと同じクラスに入っているとのこと。10歳代の女子が、大人の音楽家たちと一緒にこのような音楽活動に参加できる機会があることは、本当に素晴らしいです!演奏前に、ジョーダン・ミラーが、このネット演奏会について短く説明しています。

(2)ハウザー独奏会「一人、でもみんなと一緒」
  私の大好きなチェロ奏者の一人、ステファン・ハウザーが、生まれ故郷のクロアチアのプーラにある古代競技場遺跡で、コロナウイルス感染者を救助するために闘っている世界中の人たちに感謝し、その人間性あふれる努力を讃えるために、独奏会をユーチューブで、連続で開いています。その第1回目の独奏会です。
演奏曲
ベネディクトス(カール・ジェンキンズ作曲「武装した男:平和のためのミサ曲」より)
G線上のアリア(J.S.バッハ作曲)
オペラカヴァレリアルスティカーナ』の間奏曲(ピエトロ・マスカーニ作曲)
カルーソ (ルチオ・ダッラ作曲) 
誰もてはならぬ(プッチーニ作曲『トゥーラン・ドット』のアリア)

2020年6月13日土曜日

パンデミック終息?


パンデミック終息後の「良き社会」はいかにしたら作れるのだろうか

  ニュージーランドはすでに「パンデミック終息宣言」を行い、オーストラリアの感染者数もひじょうに少なくなった今日この頃。しかし、米国や英国ではいまだ感染者数は極めて多く、一方、中南米・アフリカ・東南アジア・中近東の各地では感染拡大が止まないどころか急増中で、これらの地域ではこれからもっと深刻な状況になる危険性が憂慮されます。しかも、感染がおさまってきている諸国でも、今後、経済不況による企業倒産・失業などから、貧困や差別、抑圧、家庭内暴力(いわゆるDV)、自死などの様々な社会問題=ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」と呼んだ現象が激化することが心配されます。
しりあがり寿作「太陽(コロナ)から見た地球
  アメリカでの警察官によるアフリカ系米国人の殺害を起因とする激しい人種差別抗議運動も、「構造的暴力」に日頃から苦しめられている弱者の不満がパンデミックによって高まっているところに、殺害事件という「直接的暴力」によって火がつけられた状態になったと言えるでしょう。しかも、アフリカ系米国人に限らず、日常的に「構造的暴力」の被害者となっている多くの他の人種系や白人系米国人(とくに若者)も、この抗議運動に触発されてトランプ政府批判運動を強めているのが現状です。
  日本でも、「構造的暴力」によって苦しめられている多くの社会的弱者(とりわけ女性)に深く配慮する政策を、いまこそ迅速に実施していく必要がありますが、腐敗しきった「霞が関ヤクザ集団」の(GoToを「強盗」と国会で自称のごとく読んだ)安倍晋三親分とその子分たちには、「社会的弱者」がどれほど苦境にたたされているのか、その実態がさっぱり分かっていないようです。
  パンデミックが終息した後の社会を、パンデミック以前の社会とは違った「良き社会」にしようというカケ声がチラホラ聞かれますが、果たしてそれがそんなに容易なことでないことは、現状をみてみれば誰の眼にも明らかです。問題は、パンデミック以前からある「構造的暴力」を作り出している「社会構造」=「歪んだ民主主義社会」をいかに革新するか、という「民主主義」のあり方そのものの問題だと私は常に考えています。パンデミックが「歪んだ民主主義社会」を襲えば、もともとある「構造的暴力」が激化する、というのが私の主張です。もともと存在するこの「構造的暴力」の問題を忘れて、「パンデミックが終息したら、<良き社会>を」という考えそのものが浅はかです。同じような考えを、私の大好きなオーストラリアの漫画家で詩人のマイケル・ルーニッグが、以下のような風刺漫画にしていますので、紹介しておきます。
「ああ〜やっと、コロナウイルスの暗い穴から、人間性が蘇ってくる。」
「私たちは変わったのだ、いまやずっと良い人間に。そうだ、新しくて良い世界を作ろうではないか。」
「貪欲、腐敗、不正、残忍、妬み、恨み、虚栄心よ、おさらばだ。」
「愚行・・・とも、おさら・・・・ば・・・・(と言いながら、暗穴に再び落ち込む)」

  『週刊金曜日』編集部からの依頼で書いた、5月22日号掲載の記事「新型コロナに<勝利宣言>したニュージーランド:パンデミックに対抗する民主主義の強さ」と、来週金曜日6月19日号に掲載予定の「社会的弱者を襲うパンデミック:新型コロナが誘因する<構造的暴力>」は、上記のような「民主主義と構造的暴力」という視点から書いてみたもので、もともとは単一の記事として書いたものでした。
  字数が極めて限定されていたため、十分に持論が展開できていないと自分では不満足なのですが、5月25日に私のこのブログに載せた記事「安倍の嘘とパンデミック:社会的弱者=<構造的暴力>被害者の痛みと怒りの連帯を、安倍政権打倒の市民運動につなげよう!」と合わせてご笑覧いただければ光栄です。

『週刊金曜日』の次号予告をご覧ください


2020年6月6日土曜日

憎悪から進歩は生まれない

(1)トム・ユレーンの想い出
(2)チェロ奏者 スザーンヌ・ビーアを悼む

(1)- トム・ユレーンの想い出
日本には、日本軍がアジア太平洋戦争中に連合軍捕虜に対して犯した様々な残虐行為について研究すると同時に、日本の責任を明確に認め、元捕虜の人たちやその遺族の方々に謝罪し、交流を深めるという活動を長年続けておられるPOW(戦争捕虜)研究会があります。活動内容については下記のホームページをご覧ください。
この会の会報に寄稿を依頼されて書いた原稿を、会のご許可をいただき、ここに紹介させていただきます。


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トム・ユレーン(1921〜2015年)の略歴:
  青年時代、港湾労働者からプロのボクサーになる。1941年に豪州陸軍に入隊。太平洋戦争開始に伴い所属部隊がチモール島に派遣されるが、日本軍の捕虜となり、シンガポールのチャンギ捕虜収容所に送られる。その後、日本軍の泰緬鉄道建設に駆り出され、劣悪な環境下で強制労働に従事。鉄道建設完了後に、九州の筑豊炭鉱に送られ、そこでも重労働を課され、終戦を筑豊で迎える。戦後、1958年に労働党(左派)から豪州連邦議会下院議員として初当選し、1990年に退職するまで連続当選。その間、1975〜77年のウィトラム政権で都市・地域開発担当大臣、1983〜87年にはホーク政権でも社会開発・地域問題担当大臣などの閣僚を務める。下院議員として、元捕虜のための特別健康医療保険制度設置にも大きく貢献した。ベトナム戦争やイラク戦争反対運動でも活躍。退職後も、環境保護市民運動で活動を続けた。
  ちなみに、泰緬鉄道建設での重労働に駆り出された豪州兵の総数は1万3千人ほどで、そのうち死者は2800人、死亡率22%であった。英・豪・蘭・米の連合軍捕虜総数では6万2千人で、うち死者1万3千人近く、死亡率20%だった。そのうえにミヤンマー人、マレーシア人、インドネシア人など30万人以上にのぼる多くの東南アジアの人たちも「労務者」として駆り出され、そのうちの多くが亡くなった。
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  太平洋戦争中、泰緬鉄道建設で重労働をかせられた多くの連合軍捕虜の一人、豪州のトム・ユレーンに私が初めて会ったのは1990年の7月頃だったと思う。当時、メルボルン大学で教員をしていた私は日本軍が豪州軍将兵に対して犯した戦争犯罪について研究をすすめていた。私は、それまでほとんど知られていなかった戦争犯罪ケースに焦点を当てていたので、泰緬鉄道強制労働については意図的に研究テーマから外していた。しかし、元捕虜の中でも、豪州政府の閣僚まで務め、一時は労働党副党首にまでなった極めてユニークな存在であったトムには、いつかぜひとも会って話を聴きたいと願っていた。
  当時、急速に右傾化していた労働党政権に嫌気がさし、トムは1987年には閣僚を辞任、90年には政界から引退してしまった。彼の引退を知った私は、トムには時間があるはずなので会ってくれるのではないかと期待して、シドニーの自宅に電話をしたところ、「喜んで会う」という返答であった。早速シドニーまで飛んでいき、シドニー郊外のバルメインの自宅を訪ねた。丘の斜面に建てられたすばらしい木造の大きな3階建の家で、目の前にシドニー湾の複雑に入りくんだとても綺麗な小さな入江の一つが広がっている。3階建とはいえ、1階は車庫と物置になっている。


 
驚いたことには、そのとき妻も亡くなり子供たちもすでに独立していた70歳のトムは、この物置に住んでいたのである。というのも、政界を引退する数年前に新築したこの家は貸家にしてあり、まだその契約が切れていなかったので、上階には他人が住んでいたからだ。豪州の7月は真冬で、日本のように雪が降るような寒さでないとはいえ、かなり冷え込む。その寒い物置に、所狭しとベッドや家具が置かれ、小さな電気ストーブで彼は暖をとっていた。物置の端に置かれた机にはキャンプ用の電気コンロが置いてあり、これで熱いお茶を作ってくれ、互いに膝に毛布を一枚かけて、長時間いろいろな話をしてくれた。
  壁には、豪州でひじょうに有名な画家で当時はまだ存命だった(その年の10月に亡くなった)クリフトン・ピューが描いた、トムの肖像画がかけられていた。この絵一枚だけでも高額の価値がある作品であるので(現在、この絵はキャンベラの国立肖像画美術館の所蔵となっている)、それが物置に飾られていること自体に私はびっくり。あとでトムから聞いた話によると、ピューとは親友で、ピューが亡くなった折には、彼の作品を多数トムが遺産相続したとのこと。しかしトムは、一枚残らず、美術館に寄贈してしまった。
  私が、失礼ながら「よくこんな狭くて寒い所に住んでいられますね」と言ったところ、にっこり笑いながら「捕虜収容所と比較すれば天国だよ、しかももう2ヶ月ほどの我慢だ」という答え。実は、彼が物置住まいをしていたわけは、このとき彼は大きな裁判闘争を抱えており、その裁判費用のために多額の出費を強いられていたので、仮住まいの家を借りる余裕がないことを正直に話してくれた。その裁判とは、豪州の大金持ちで超右翼のケリー・パッカーが、自分が所有する新聞に、トムが「ソ連のスパイである」という全く虚の新聞記事を大々的に載せたことに対して、トムが名誉毀損でパッカーを訴えていたのである。相手が大金持ちなので、裁判が長年にわたって引き伸ばされ、トムがその結果、出費を続けることを余儀なくされていたというわけである。もちろん、最終的にトムは勝訴したが、この裁判はパッカーのような独占企業家を痛烈に批判していたトムに対する、個人攻撃を目指した「いやがらせ裁判」であったことは間違いない。(ちなみに、今はパッカーの息子が事業を引き継いでおり、カジノ事業にまで手を広げている。)
そんな酷い話を、笑いながら説明してくれるとても明るい人柄と、自分が思っていることをなんら隠すことなく率直に述べる彼の態度に、私はひじょうに感銘し、一度会っただけで、彼を大好きになってしまった。
  これがきっかけで、彼とはとても親しくなり、シドニーを訪れるたびに私は彼に会いにいき、彼もメルボルンに来る機会があるとしばしば私を訪ねてくれた。我家に泊まって、ゆっくり一晩、私の妻も交えて話し合うということもあった。私が担当していた日本政治史の講座で、捕虜体験と戦後の政治家体験について学生に話してもらったこともあり、学生には大人気であった。シドニーの街中を彼と一緒に歩いていると、必ず、あちこちで「こんにちはトム、元気ですか」と幾人もの人が呼びかけてくる。ほとんどがトムも見知らぬ人たちであるが、このことからも、彼がどれほど政治家として市民のことを考え、市民生活に有益ないろいろな政策を打ち出し、実行に移していたかが伺えたのである。また、彼は親しい人とひさしぶりに会うたびに、握手の代わりに、にっこり笑いながら、あの大きな身体で相手をしっかり抱き込むのが習慣であった。
  はっきりいつだったのか私は憶えていないのだが、1992年頃だったかと思う。彼が「日本に行ってみたいな」と常に言っていたので、私は日本の市民運動の仲間たちに連絡をして、トムが、福岡、広島、京都、東京などを訪問し、各地で市民交流ができるよう協力を求めた。皆さんのおかげで、トムはとても楽しい旅行ができたようで、その後、会うたびに日本旅行中にいろいろ考えたことを私に話してくれた。その一つとして、日本人がすばらしい盆栽や日本庭園を作り、自然を大切にしているように見える一方で、自然破壊をあちこちで平気でやっている現実との矛盾について、幾度も痛烈に批判していたことが私の記憶には今も残っている。彼は、晩年は自然保護運動にひじょうに力を入れて、労働党ではなく緑の党の支援表明をあからさまに行ったため、労働党員たちは面目をつぶされる苦い思いを味わった。
  ここで、トムが建てたすばらしい自宅についても、簡単に説明しておきたい。自然環境を大切にしていたことから、退職後に自分が住む家もできるだけ環境にやさしい家をと考え、自然環境を重視する建物の設計を専門にしている、リチャード・ルプラストリエ(現在81歳)というシドニー在住の建築家に設計を依頼した。ルプラストリエは、シドニー大学建築科を卒業後すぐに、当時、シドニー・オペラハウスを設計したデンマーク人のヨーン・ウツソンがその建築工事のためにシドニーに在住していたため、ウツソンの下で1964〜66年の2年間働いた。そのあと、京都大学に留学して日本建築を勉強し、東京の丹下健三・建築事務所でも働いた。オーストラリアに戻った1970年から、自分の建築事務所を開設。ウツソンや丹下のような巨大ビルを設計した事務所で働いたにもかかわらず、京都の古い木造建築家屋に深く影響されたようで、彼の設計する家はほとんど木造で、なるべく冷暖房機を設置せずに、夏には風通しが良く、冬には太陽光をたくさん受けることができるように、大きな窓やドアを多く備えた建物が多い。
  トムの家も全て木造で天井が高く、夏には海からとても心地よいやさしい風が入ってくるし、冬には家全体に陽光が注ぎ、本当に気持ちがよい。トムもこの家がたいへん自慢であった。この家を建ててからトムはルプラストリエともひじょうに親しくなり、交流を深めていた。
 
トム(右)とルプラストリエ
  
  トムとの交流で学んだ多くのことを詳しくここで書いている余裕はないが、彼が常にモットーとしていたことは「憎悪から進歩は生まれない」ということであった。これを彼は言葉で表現するだけではなく、実際の生活で実践していた。それは、彼が捕虜体験から学んだことであることは言うまでもない。私のような凡人には、これを頭では理解できていても、ついつい他人を憎んでしまい、なかなか実践できない。
  私は1996年に出版し、2018年にその改訂・増補版を出した英文著書、Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Rowman & Littelfield, 2018)の表紙見開きで、この言葉を引用して、拙著をトムに捧げている。彼の笑顔とあの暖かい抱擁が、とても懐かしい。

田中利幸

(2)チェロ奏者 スザーンヌ・ビーアを悼む

私の好きなチェロ奏者の一人で、ドイツ生まれで、英国で活躍していたスザーンヌ・ビーアのホームページを久しぶりに覗いてみたら、昨年末に癌で亡くなっていたことを、昨日初めて知りました。まだ52歳という若さだったので、本当に残念です。彼女は才能豊かな演奏家であると同時に、スズキ・メソッドを使って多くの子供たちに教える素晴らしい先生でもありました。日本でも演奏したことがあります。ご冥福を祈りつつ、彼女の演奏を幾つか紹介させていただきます。

*「ガブリエルのオーボエ」
この曲は1986年の映画『The Mission』のサウンド・トラックとして作曲されたものですが、もの哀しくもひじょうに美しいメロディであるため、オーボエはもちろん、トランペット、チェロ、バイオリンなどの、多くのクラシック奏者もしばしば演奏します。
なお映画『The Mission』は、18世紀半ば、スペインとポルトガルの南米植民地化をめぐる政治的な妥協のために、キリスト教宣教師と先住民であるインディアンが殺戮されるという、史実に基づいた悲しい映画です。一見の価値ありです。Youtube で全部観れますが、日本語字幕はついていません。

*バッハ作曲 「アリオーソカンタータ BWV156

*ビバルディ作曲 「Allegro from Concerto in G Minor for Two Cellos