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2018年8月8日水曜日

「8・6ヒロシマ平和へのつどい2018」講演録


1)金鐘哲氏講演録: 安保論理を超えて平和共生の道へ
2)栗原貞子「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -

安保論理を超えて平和共生の道へ
— 昨今の朝鮮半島平和ムードについて —

金鐘哲(『緑色評論』発行・編集人)
翻訳:金亨洙

.現在の南北対話の背景と韓国の民主化運動  
  本日、この「広島平和への集い」において皆様とお話できますことを大変嬉しく思っております。ご存知のように昨年まで朝鮮半島には戦争前夜の空気が漂っておりました。しかしながら、年を越してから雰囲気は急変します。北朝鮮の金正恩委員長は新年の辞にて非常に重要な発言を行います。つまり、7回に渡る核実験と大陸間長距離ミサイル開発の成功を通して北朝鮮は核武力を完成した、今後は経済建設に力を注ぐと宣言したのです。
 私はこの発言を聞いて、北朝鮮と韓国が対話再開に向けて動き出すだろうと、そして北朝鮮は韓国を通して米国との関係改善をはかることと予想しました。米国が主導し国連で決議された強力な経済制裁の圧力を北朝鮮がこれ以上耐えるのも難しいでしょうし、絶えず核兵器とミサイルの性能を発展させていっても、もはや行けるところがないことも明白な事実だからです。そして最近の北朝鮮の社会経済の状況は以前とはかなり変わっていると、私たちは聞いております。何百万人の平壌の市民は携帯電話を持っており、北朝鮮全域に500余の自由市場(ジャンマダン)経済が活気付いているということです。1990年代における非常に厳しかった飢餓の状況を、国家の助け無しにほぼ自力で乗り越えてきたのが北朝鮮の人民たちです。彼らの生活向上を求める要求に北朝鮮当局がこれ以上背を向けられなくなったのも重要な事実です。したがって、北朝鮮当局が南北間、そして米朝間の関係改善を積極的に模索するであろうということは十分に予想できたことです。
 それにタイミングよく平昌冬季オリンピックが開催されました。金正恩委員長の発言の意味を理解していた文在寅大統領は北朝鮮がオリンピックに参加するよう積極的に促し、北朝鮮もこれに快く応じました。そこで北朝鮮と韓国の交流が10年余ぶりに再開され、これを基についには427日に板門店にて歴史的な南北首脳会談が開催されました。
 日本からは板門店会談をどうご覧になったか分かりませんが、韓国の我々にとっては感激極まりない出来事でした。南北の首脳会談は、金大中や盧武鉉政権時にも行われました。しかし今回の会談は質的に異なりました。板門店で出会った両首脳からは平和の道へと進みたいという熱意が伝わってきました。文在寅大統領は対話に乗り出してきた金正恩委員長の決断と勇気を重ねて讃えましたし、北の若い指導者は南の指導者の言葉を謙虚に受け止め、終始礼儀正しい態度を見せていました。もちろん、このような言動も単なる見せかけかも知れません。しかし、独裁者には似合わない、そのような「演技」まで見せながら朝鮮半島の緊張関係を終わらせたいという自らの意思を表したのであれば、それはむしろ彼の平和に対する熱望がとても大きく、またそれが本物であることを意味するとも解釈できます。
 今回の板門店会談の特別な点は他にもあります。つまり、今度こそ朝鮮半島を囲んだ冷戦構造が真の意味において崩壊し、新しい南北関係および国際関係が築けられる兆しがかなり具体的に垣間見えたという点であります。朝鮮半島と東アジアに平和体制を構築するには様々な条件が整っていないといけません。その点、今は絶好の機会だと思われます。
 今まで朝鮮半島の諸問題の解決を妨げてきたもっとも大きな要因は、当事者である米国と北朝鮮、そして韓国の国家権力が相手の意見に耳を塞いでいたことだと言えます。ところが、現在は幸いにも南北はもちろん米国のトランプ政権もが北朝鮮の核問題の平和的解決を、実際に望んでいる状況となりました。
 周知のようにトランプ大統領は今政治的に相当厳しい状況に置かれています。それは彼が大統領に就任して以来見せてきた乱暴な言動と理性的とは言えない一連の政策の当然な結果だと言えます。しかしながら、トランプ氏も畢竟は政治的な支持基盤の拡大を通して今年の秋に行われる中間選挙での勝利と再来年の次期大統領選挙における再選を望んでいることでしょう。その彼が歴代の大統領たちは解決できなかった難題、つまり北朝鮮の核問題を解決するのであれば、彼にとって非常に大きな政治的資産になるに違いありません。
 事実、昨今の朝鮮半島の情勢は関連している当事者たちの利害関係が運良く合致してもたらされた、稀に見る状況です。単刀直入に言えば、従来の米国の北朝鮮政策は「現状維持」政策でした。北朝鮮と米国は、時には厳しい言葉を交わしながらすぐにでも戦争に突入するかのような態勢を演出してきましたが、実際において北朝鮮には米国を攻撃できる能力も、その理由もありません。そして米国も実際に戦争が勃発するのであればとてつもない被害が双方にもたらされることを重々承知しています。つまり、戦争はお互いにおいて脅迫の文言にすぎません。
 そして最も重要なことですが、朝鮮半島における緊張状態が続くことは、米国の実質的な支配勢力、即ち「軍産複合体」の利益に符合します。東アジアにおける冷戦構造がこれだけ持続してきた理由も結局はそのためだと言えるでしょう。
 ところで、そのような米国政府がなぜ態度を変えたのでしょうか。明確に説明することはできません。しかし、二つほど重要な理由を挙げられます。まず一つ目は、トランプ大統領が軍産複合体とあまり関わりのない人物であるという点です。米国優先主義を主張するという点において、トランプ氏もアメリカの他のエリート政治家たちと変わらないのですが、不動産業で富を得た彼は主流既得権層の支援を受けることなく大統領に当選されました。したがって、軍産複合体の利益を優先的に考慮する理由がない、例外的な政治家だと言えます。もう一つの要因は米朝首脳会談の必要性をトランプ大統領に切実に説明し、ついにはその説得に成功した文在寅大統領の仲裁者としての役割です。
 実は、私は文在寅大統領がとってきた姿勢と役割こそ最も大事であったと申し上げたいです。彼が、北朝鮮を対話の場に導き出し、また米国の大統領を説得するのに成功したのは、平和に対する彼の切実な思いがあったためでもあるでしょうけれども、朝鮮半島の将来に対する彼の堅実で、また現実的なビジョンのためでもありました。例えば彼はとある公の場で「南北が共に暮らすかどうかはともかく、お互いに干渉せず被害を与えることなく共に繁栄し、平和に暮らせるようにしなければいけない」と発言したことがあります。この言葉には所謂「吸収統一論」を排除する立場が表明されています。思うに、文在寅大統領のこの発言は北朝鮮を対話路線へと転換させた大きな力となっていたのではないでしょうか。
 文在寅大統領のこの発言は、観念的で非現実的な主張ばかりを繰り返しても、それは現実的には状況をより難しくするだけだと、痛感した結果だと思われます。そしてそれだけ分断体制と冷戦構造を乗り越えていこうという思いが切実であることを意味するでしょう。
 この70年間の分断体制が朝鮮半島の住民たちにとって如何なる鎖となり、また束縛であったか、日々痛いほど痛感しながら生きてきた当事者でなければ、平和を願う想いというのを実感するのも、理解するのも難しいでしょう。その上、朝鮮戦争以降の停戦体制のなかで銃声は止んだにしろ、お互いこれ以上ない仇敵のように銃を向け合い、終わりの見えない敵対関係のなかで生きるしかない、険しい状況が続いてきました。それで韓国と北朝鮮には長らく非常体制が維持されてきたのです。非常体制のなかでは人間らしい自由な暮らしは根本から否定されます。独裁支配体制の世襲を固く守ってきた北朝鮮は言うまでもなく、韓国においても長らく独裁政治と軍事政権による暴圧政治が繰り返されましたし、市民の権利と人権が根本から抑圧されてきました。
 大韓民国の憲法はこの国が民主共和国であると宣言しており、全ての権力が国民から生ずると明示しています。にもかかわらず、実際において1948年大韓民国政府が樹立して以来韓国を実質的に統治してきたのは憲法ではなく国家保安法でした。この国家保安法というのは思想、言論、表現、結社の自由を抑圧する目的でつくられた、日本の植民地時代の治安維持法を受け継いだ悪法です。もちろんこれは韓国で共産主義を取り締まるための法律です。したがって、国家保安法は反国家団体(北朝鮮)に対する協力はもちろん、好意的、肯定的な意見表明も禁止しました。そしてそれに違反すると重刑に処されました。結果、歴代の独裁政権はこの法律を、政権に批判的な人々や、また反対勢力の弾圧に積極的に活用しました。それで数多い良心的な知識人たちや学生、労働者、市民、海外の同胞に北朝鮮の工作員という嫌疑をかけ、無慈悲に人権を蹂躙してきたわけです。絶対的な権力が思うがままに人々を逮捕し、拷問し、また殺害までしてもこの全ての国家的暴力と悪行が国家保安法違反といった論理で正当化されてしまう状況の中、人は結局奴隷として生きるしかありません。事情を知らない外国の方は、分断というと少し不便で不安な状況だと思うかもしれません。しかし、分断された朝鮮半島の住民にとって、それは口では言い難いほどに苦しい抑圧と恐怖、そして極端に不合理で不条理な生活を体系的に強要されるシステムとして作動してきました。
 「ロウソク革命」を通して誕生した新政権の文在寅大統領は人権弁護士出身です。だからこそ彼は国家保安法の弊害を誰よりも良く解っています。それで彼は国家保安法という一つの法律の改廃よりもこの国家保安法の根本的な存立根拠、つまり敵対的な南北関係の解消が必要だと思っているのかもしれません。大統領に就任してすぐに直面した北朝鮮の核危機状況のなかでも、以前の保守派政権のように安保体制の強化のみを強調するのではなく、北朝鮮が対話に応じるように繰り返し訴えたのはそのためであるでしょう。
 ここで私が特に強調したいのは、文在寅大統領のこのような対話路線は、戦争の恐怖はもちろん奴隷的な生活を強いる「安保論理」からも逃れることを熱望している多数市民の絶対的な支持を基盤にしているという点です。つまり、今ようやく朝鮮半島に訪れてきた平和ムードは、多数の市民がロウソクを持って広場に集い、民主主義を求めた結果だと言えます。
 2016年の冬から2017年の春まで続いた韓国の大規模のロウソクデモは、無能で腐敗した政権の崩壊だけをもたらしたのではありません。ひいては朝鮮半島の冷戦構造を終わらせ、平和体制をつくりあげる起爆剤になったと言えるでしょう。これは非常に重要な事実です。つまり、市民が心を一つにして能動的に行動するときに民主主義は蘇り、その結果自らの運命を根本から改善できる可能性が生じてくるという真理を、我々はもう一度確認できます。


. 朝鮮半島冷戦構造の終息が持つ世界史的意義
  冷戦構造が清算され、それで人々の生活を根本から縛り付ける安保論理の支配から逃れることができたら、朝鮮半島の南と北には、たとえ統一は遠い未来のことだとしても人間らしい生活に対する新しい模索と実験が自由に行われるに違いありません。しかし考えてみれば、これは朝鮮半島の住民たちだけに重要なことではありません。朝鮮半島の緊張状態が解消されるのであれば、それは今日残っている最後の冷戦地域の一つが消滅することを意味します。ならば、今まで世界を支配してきた安保論理は著しく弱体化するだろうと充分に予想できます。
 私が思うに、複合的な危機に直面している今日、最も必要なのは平和な共生の思想とその実践です。ところが、この平和な共生への道を妨げる最も大きい障害は、政治・社会的体制と理念の違いを認めようとしない冷戦的思考、そしてそれと一対になっている安保論理だと言えます。その点、朝鮮半島の冷戦構造の終息は世界史的にも非常に大きな意義があります。
 振り返ってみればこの70年間米国が世界の覇権国家として君臨できたのはその膨大な経済力と軍事力だけのためではありませんでした。何よりも第2次世界大戦において米国が最大の勝者となり、そしてソ連という新しい「敵」を作り出し、その敵に対抗するための安保体制を集中的に構築したことによって可能になったと言えます。そしてこの安保体制の強化に決定的に寄与したのが朝鮮戦争でした。世界大戦が終結され、米国の政府と支配層としては国民に巨額の安保及び国防関連予算の必要性を納得させるための名分がなくなりました。その時、都合よく朝鮮戦争が勃発したのは、米国の国務長官ディーン・アチソンが言ったように、「天佑神助」でした。その結果朝鮮戦争はこんにち米国の安保体制を構成する核心的な機関、即ち国家安保会議(NSC)やCIA、ペンタゴン等の新設ないし強化に重要な口実となり、延いてはその後米国と世界を実質的に統治することになる「影の支配者」、軍産複合体の形成にも決定的な影響を与えました。
 そしてその朝鮮戦争が終結することなく長らく停戦状態が続いたのは、米国の覇権的世界支配と軍産複合体の温存や拡大にも大きく役立ったと言えます。そればかりではありません。1990年代の初め頃ソビエト社会主義圏が崩壊するにつれ突然「敵」を失ってしまった軍産複合体からすれば、朝鮮半島の緊張状態や中近東地域における不安な情勢が変わらず持続しないといけませんでした。この両地域における戦争、あるいは準戦時状況が終息に向かえば軍産複合体の存立根拠が消滅してしまうからです。
 皆様もお分かりだと思いますが、この数ヶ月間の朝鮮半島の平和ムードについて世界の主要メディアが見せた反応は非常に否定的なものでした。保守、リベラルを問わず世界の大概のメディアがそうでありました。その中でも日本のメディアは特異でした。日本の主要メディアは最近の朝鮮半島の情勢の変化が如何に重大な歴史的意味を持つことであるかを完全に無視して、ほとんど例外なく「拉致問題」ばかりを集中的に取り上げていました。私にはこのような日本のメディアの態度は情けないというよりは、あまりにも安易でまた愚かにしか見えません。
 ところで、メディアがこのような態度を見せてくるのはなぜでしょうか。彼らは今まで北朝鮮の核問題の解決に失敗してきたのは北朝鮮側の騙しのせいだと断定し、今度も北朝鮮の「時間を稼ぐための術策」だと主張しています。しかし、このような論調は言論の基本的な責務である「事実確認」さえもない単なる主張にすぎません。これについてここで詳細に説明する余裕はありません。但し、長い間北朝鮮の核問題に実務的に携わってきたジョン・メリル国務省情報調査局元北東アジア室長の話に耳を傾ける必要があります。彼は52日付の『京郷(ギョンヒャン)新聞』とのインタビューにおいて、北朝鮮の核問題が解決に至らなかった責任は北朝鮮側にもあるが、米国と韓国側にもあると明確に指摘しています。つまり、米国と韓国も北朝鮮との間に交わした約束を破ってきたということです。
 それなのになぜ世界の主流メディアはまるで北朝鮮がペテン師でもあるかのように一方的に決め付けながら、せっかくの対話と交渉の努力に水をさそうとするのでしょうか。様々な理由があるでしょうが、結局のところ彼らは従来の安保論理を基にした世界秩序の変更を望まないからではないでしょうか。それに彼らには朝鮮半島の住民たちが感じる平和に対する切実さや強い思いもあるはずがありません。万が一朝鮮半島で戦争が勃発したとしてもそれは彼らにとっては「他人事」であり、せいぜい対岸の火事に過ぎないからです。
 有力なメディアが既存の秩序の変更を望んでいない理由を推察するのは難しいことではありません。今日大きな影響力を持つメディアはほとんど例外なく商業的論理に忠実なコーポレートメディアです。したがって、彼らの利害関係は世界秩序を実質的に支配している「軍産複合体」と直接乃至間接的に関わっているはずです。そのため軍産複合体の顕著な弱体化をもたらす可能性の高い朝鮮半島冷戦構造の終息を、彼らが歓迎するはずもありません。

.東アジア共同体構築への展望
 しかし既得権勢力のありとあらゆる妨害にもかかわらず、私は最近の朝鮮半島の平和ムードが逆行することはないだろうと思っております。関連する当事者たち、つまり現在の米国、北朝鮮、韓国の当事者たちが自らの必要のためにも平和を強く望んでいるからであります。
 もちろん韓国にも平和を歓迎しない既得権勢力が存在します。彼らは70年間朝鮮半島の分断と安保体制を利用して特権を享受し私的利益ばかりを追求してきた集団です。しかしロウソク革命を経て彼らの力は著しく弱化されました。これは去る6月に行われた地方選挙において明白に証明されました。守旧勢力を政治的に代弁している「自由韓国党」は、その存立が危うくなるほどまで完敗しました。
 いま最も懸念すべきは米国エリート層の動向です。現在トランプ大統領は「ロシアゲート」で政治的に追い込まれており、対外的にも伝統の友邦または同盟国とあまり良い関係を築けておりません。そういった中で、欧米のメディアによって長年悪魔のように描写されてきた北朝鮮と、協議を行うのは容易なことではないでしょう。しかしトランプ氏は従来の政治的慣行にとらわれない人ですから、彼が歴代の大統領たちにできなかったことを成し遂げる可能性が高いということもまた事実です。
 トランプ氏は米国が世界を指導しなければいけないとか、世界警察の役割を担う責任があるといったような観念など特に持っていないように見えます。実際彼に重要なのは実質的な利益であって、観念的イデオロギーや思想、信条などではないことは明白です。この点において彼は今までのエリート政治家たちと確然と区別されます。彼は伝統的な同盟である西欧の諸国を他の「外国」と変わらない態度で接しており、西欧の防衛になぜ米国が費用を払うのかと、一見乱暴にも聞こえますが、考えてみれば非常に正当な主張をしています。東アジアの現代史に精通しているブルース・カミングズ教授の言葉をお借りして言うならば、トランプ氏のこのような言動は彼が固定観念にとらわれず、イノセントアイズ(innocent eyes)で今日の世界を見ているからかもしれません。実際、世界に変化をもたらすためには利害関係や固定観念に縛り付けられない、イノセントアイズが必要だと言えます。そのような点において、トランプ氏は私たちが人間的には尊敬できない人物ではありながらも、彼の非主流的かつ異端的性格のために世界の変革に大きく寄与する人物になれるかもしれません。問題は、それが人類を希望と救済に導く変革か、それとも混沌と絶望に追い込む変革かということです。気候変化を無視し、難民や移民に対する彼の乱暴な態度を見ると先を楽観するにはまだ躊躇があります。
 しかしながら、612日のシンガポール米朝首脳会談直後の記者会見で、「米韓合同軍事訓練は北朝鮮の立場から見れば非常に脅威的である」といった、相手を思いやる発言を行い、その訓練の暫定的中断を宣言する姿などを見ると、トランプ氏はこの北朝鮮核問題だけは何が何でも解決したいと思っているに違いありません。だからこそ、我々はこの貴重な機会を活用し、今度こそ朝鮮半島及び東アジアの平和共存体制を実現していかなければなりません。
 朝鮮半島の冷戦構造が崩壊され平和体制が構築されれば、東アジア全域の雰囲気も根本から変わってくることでしょう。考えてみれば、互いに相手を思いやりながら相手の生存権利を認めるのであれば、個人や国家が相互間において敵対する理由はありません。にもかかわらず、韓・中・日をはじめとする東アジアの国々はあまりにも長い間敵対ないし嫌悪の関係から抜け出せずにいます。
 このような状況に対する最も大きい責任は、大東亜共栄圏という虚妄な目標の下、東アジア全域をとてつもない災いに陥れた日本が、戦後70年もの歳月が経っても自らの歴史的過ちを虚心坦懐に認め、謝罪する努力を見せてくれないことにあると言わざるを得ません。日本のこのような態度はもっぱら米国との関係ばかりが重要であり、アジア人との関係はどうなっても構わないという、非常に無責任でまた愚かな心理が働いてきたためだと思われます。近代初期の脱亜入欧の論理、つまりアジアに対する蔑視と西洋に対する崇拝の思想は未だ払拭されず日本社会に深く根付いているのではないかと思います。
 もちろん日本社会やその文化の底流には素晴らしい平和思想、共生思想が流れています。明治維新直後の岩倉使節団が帰国した後芽生え、192030年代に平和主義者であり、またジャーナリストでもある石橋湛山に受け継がれた「小日本主義」思想はその代表例だと言えます。そしてこの小日本主義の思想的伝統は戦前あるいは戦後において平和と民主主義を信奉する多くの人々の思想の中核を成してきました。問題はこの思想的伝統が一般市民の基本的教養となり、更には政治、経済、社会的性格を規定する原理にならないといけないという点です。そうなってきた際、かつて鳩山由紀夫元総理が唱えた「友愛を土台にした東アジア共同体」の実現は時間の問題になることでしょう。
 振り返ってみれば、鳩山元総理が提唱した「友愛を土台にした東アジア共同体」という概念はこの間東アジア地域に登場した政治哲学の中でも最も新鮮で貴重な政治哲学として評価されるべきでした。しかし鳩山元総理の尊い理想が実現するには当時の東アジアを巡る情勢があまりにも殺伐としていて、またそれは何よりも米国の支配層の利害関係と衝突するものでした。その上鳩山元総理の構想には具体的な方法論が欠如していました。また彼の在任期間も短かったため、今日鳩山元総理の政治哲学を記憶している東アジア人はあまりいないと思います。しかし私は、私の考えている「平和で共生する東アジア体制」と、鳩山元総理の「東アジア友愛の共同体」とが本質的に変わらないと思います。名称は何であれ、このような共同体の実現のために我々が民族や国家の境を越えて協力しない限り、我々に未来は開かないと思います。
 昨年の10月、19次中国共産党大会において習近平主席が唱えた中国の未来像も、結局は似ているものでした。習近平主席は、中国は小康(シャオカン)社会を目指しながら世界が共通に直面している様々な難題を解決すべく他の諸国と緊密に協力することを約束し、殊に美麗社会と生態文明を強調しました。つまり現在東アジアにおいて日本の安倍政権を除けば、東アジアが目指すべき方向についての根本的な認識は共有されていると言えます。
 この認識は今後北朝鮮が進むべき方向に関しても一つの指針になれます。北朝鮮には今後かなりの時間を費やし基本的な生活問題を解決するための産業開発やインフラ構築が必要となるでしょう。そしてその過程において世界資本主義システムへの編入は避けられないはずです。しかしその開発が共同体の崩壊や乱開発、極度の環境破壊、そして不正腐敗の蔓延といったもう一つの怪物社会の出現をもたらすのであれば、その影響は北朝鮮のみならず東アジア全域に及ぶことでしょう。北朝鮮の開発、発展が生態的かつ人間的に如何に健全に行われていくかという問題は北朝鮮社会に限った問題ではありません。
 如何なる視座から見ても今東アジアはお互い反目し、葛藤や紛争に囚われている時ではありません。絶えず北朝鮮と中国の脅威ばかりを強調しながら、人種主義的かつ民族主義的感情を煽る既得権勢力にこれ以上籠絡されてはいけません。ご存知のように今世界は政治的、経済的、社会的、そして環境的に非常に危うい状況におかれています。そういったなか東アジアの国々がお互い敵対し、葛藤することに時間を浪費しているのはナンセンスだと思います。
 朝鮮半島を中心に展開されている最近の情勢の変化は単なる地政学的変化に留まる事態では決してありません。それは我々が自ら閉じこもっている自閉的な枠組みを破り、国家と民族の境界を越え、真の平和な共生を構築できる新たな機会を与えてくれています。この、滅多にない機会を生かすためには東アジアの市民の間の活発な対話と協力が不可欠であると、改めて強調したいと思います。ご静聴ありがとうございました。

2)栗原貞子「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -

集会の最後の挨拶代わりに、私(田中利幸)が、太平洋戦争46年後の1991年9月22日に栗原貞子が謳った詩「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -」を朗読させていただきました。

「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -

前の三十六年は
皇国臣民の誓いを誓わされ
一視同仁の天皇の赤子で
東方遥拝をさせられ
アマテラスを拝まされた

戦争が始まると百万人が徴募され
けがれを知らぬ少女たちは
天皇の軍隊の慰安婦にさせられた
男たちは強制連行されたあげく
ヒロシマ ナガサキでは
原爆に焼かれて 黒い死体になり
カラスに眼球を啄まれた

戦争が終わると祖国は
二つに分断され
分断された胴体から今も
おびただしい血が流れている
ひとつの国として
解放される筈だったのに
天皇制護持のため
おそすぎた 終戦の詔書

民族の胴体をたちきられ
裂かれた半身を 互いに呼びあいながら
生きてきた四十六年
北の半身は 主体思想をかかげて
外国の支配を斥け
白頭山の下で 新しい国を育ててきた
南の半身は千の核兵器をのせられ
若ものは光州で血を流し
ソウルで焼身自殺をして
自由と民主を求めて闘った

併合の三十六年間と
戦後の四十六年間と
朝鮮半島を血の海で溺らせ
朝鮮戦争では 神武景気で
肥え太り 経済大国となって
何の痛みも感じることなく
謝罪せず 拒みつづけて来た
アジアの国々への血債にも
口をぬぐい
その手は未だ血塗られたまま
国際貢献の名の下に
再び戦場を夢見る世界第三位の
軍事大国

北と南の被爆者と 日本の被爆者が手を結び
分断の壁に風穴をあけよう
核のないひとつの朝鮮をとりもどそう
沖縄や本土の核基地を
撤退させよう その時、
非核自由アジアは実現するのだ

どんな堅固な壁も
民衆の意志のあるところ
崩れぬ壁はないことを
ベルリンの壁は教えている
世界の三つの壁の
さいごの壁が
崩れる日は遠くない

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