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2017年12月19日火曜日

2017 End of Year Message


2017年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

I presume that ten or twenty years later we would look back year 2017, clearly recognizing this year as the crucial moment for the change of the fate of the Japanese people as well as many people in the world. Both Japanese Prime Minister Abe Shinzo and the U.S. President Donald Trump are recklessly driving their policies of destroying “truth” with many lies and deceptions. It is my belief that they are the worst combination of untruthful politicians in the whole history of the U.S.-Japan relationship. We ought to ask ourselves why we have failed to put a stop to such an atrocious situation and how we should tackle it. I am becoming more and more pessimistic and think that it may be too late to counteract this dreadful world trend. However, I would like at least to share with you the following words on “truth, freedom and peace” by German philosopher and psychiatrist Karl Jaspers (1883 – 1969):          

Peace is possible only through freedom, freedom only through truth. Hence, untruth is the actual evil destroying all peace: Untruth from cover-up to blind neglect, from lies to mendacity, from thoughtlessness to doctrinaire truth-fanaticism, from untruthfulness of the individual to untruthfulness of the public sphere.
The final word remains: The condition of peace is the shared responsibility of each individual’s way of life in truth and freedom. The question of peace is not primarily a question to ask of the world, but rather for each to ask of oneself.”
(From ‘Truth, Freedom and Peace’ by Karl Jaspers)

I would also like to share with you the most recent work by Michael Leunig, a poet and cartoonist living in Melbourne, who always tries to reveal the truth of human beings and nature through his genuinely warm and kind thoughts. He is one of few Australians whom I truly admire. Its title is “wish list”.
 
I end this year’s message with the following three pieces of music that I like very much.

1)St Matthew Passion (BWV 244) by J.S. Bach

Performed by the Netherland Bach Society

With Sato Yusuke (violin) and Tim Mead (alt)

https://www.youtube.com/watch?v=Zry9dpM1_n4


2)Ave Maria composed by Tõnis Kaumann
Estonian vocal ensemble Vox Clamantis, of which Kaumann is also a member.

3)Cascading Water Fall (Takiochi) anonymous
Played by Riley Lee, a shakuhachi grand master who lives in Sydney, Australia

With best wishes,
Yuki



2017年末メッセージ
今年、2017年という年は、10年〜20年後に振り返ってみるなら、日本にとっても世界にとっても、私たちの歴史的運命を決定づけた重要な年であったことに痛切に気がつくのではないかと私は思っています。虚偽と欺瞞という不真実に満ちた腐敗政治をがむしゃらに推し進める日本の首相・安倍晋三と米国大統領ドナルド・トランプ、この「不真実政治家コンビ」は、日米関係のこれまでの歴史で最悪の組み合わせです。こんなひどい状況を作り出してしまった原因を、しっかり問い詰め、対処方法を考えないといけないのですが、実はもう遅すぎるのではないかと私は恐れている今日この頃です。せめて、不真実で満ち満ちたこの今の状況を考えるために、ドイツの哲学者/精神科医カール・ヤスパース(1883〜1969年)の次のような言葉を噛みしめながら、年末を迎えたいと思っています。

「平和は自由によってのみ可能であり、自由は真実によってのみもたらされる。したがって、不真実は本的にであり、あらゆる平和の破原因である。隠蔽から盲目的無関心に至るあらゆる不真実、虚偽から不正直までのあらゆる不真実、思考しないことから狂信的原理信仰までのあらゆる不真実、個人の不真実から公的場面までのあらゆる不真実、それらの全ての不真実である。最終的に言えることは、次のようなことである。平和は、真実と自由に対する諸個人の責任を、日常生活の上でどう皆で共同して取っていくかにかかっている。平和の問題は、本来は世界の状況に関して問いかける性格のものではない。それはむしろ、各人が自分のあり方に関して問うべきものである。」(カール・ヤスパース「真実、自由と平和」1958年講演からの抜粋 拙訳)

いつも優しい心で人間と自然の真実に迫ろうとする作品を産み出している、メルボルンの詩人で漫画家 私が最も尊敬する数少ないオーストラリア人の一人マイケル・ルーニッグの最近の作品「願いごと」も紹介しておきます。
 
「願いごと

精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり
欲しいと思うなら、どれもみな簡単に手に入る大切なもの
気持ちのこもった寛容さ、耐え忍ぶ心と安らぎ
鶏、ムクドリ、アヒルとガチョウ
木々と花々、草と種
手と足と色鮮やかなビーズ玉
茶碗に入ったお茶、遠くから聞こえてくる鐘の音
山の上の浮雲、それに美味しそうな料理の匂い
庭のなかの小さな細道と、そのそばに置かれた木製の椅子
精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり」
(拙訳)

そして最後に三つの私の好きな音楽です:
1)ヨハンセバスティアンバッハ作曲「マタイ受難曲」BWV244
オランダ・バッハ協会演奏、バイオリニストは佐藤俊介
歌っているのはイギリスの男性アルト歌手ティム・ミード

2)アヴェ・マリア
エストニアの作曲家トニス・カウマンTõnis Kaumann作曲
エストニアのヴォーカル・アンサンブル、ボックス・クラマンティスVox Clamantisの合唱(カウマンもメンバーの一人)

3)瀧落(たきおち)作曲者不明
演奏者:シドニー在住の中国系アメリカ人、ライリー・リー(大師範)

静寂で平穏なクリスマスと新年をお迎えください。

2017年12月12日火曜日

「2017年広島日韓関係シンポジウム」黒田発言批判声明文


「2017年広島日韓関係シンポジウム」における黒田勝弘(元産経新聞論説委員)発言に関する批判声明文

韓国語版は下記アドレスでダウンロードできます

  2017年3月24日、広島国際会議場「ダリア」にて、韓国の世宗研究所と韓国国際交流財団が主催し、広島市立大学広島平和研究所と駐広島大韓民国総領事館の後援による、「2017年広島日韓関係シンポジウム」が開催されました。このシンポジウムには、一般市民も参加を呼びかけられ、日韓関係諸問題について市民にも問題意識を強め知識を深めてもらいたいという目的が含まれていたように思われます。そのような趣旨に応える形で、私たち「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」事務局からも、2名のメンバーが傍聴しました。

黒田勝弘氏発言の問題点

  シンポジウムの第2部として行われた「ラウンド・テーブル討論」には、日韓両国側から学者やジャーナリスト数名が登壇者として招かれ、発言を行いましたが、そのうちの一名は元産経新聞論説委員の黒田勝弘氏でした。その発言内容には、以下のような2つの重大な問題があると私たちは考えました。
1)自己紹介で自分と広島とのつながりを説明する場面で、黒田氏が「女房も『現地調達』した」と発言したこと。
  その発言を聞いた途端、傍聴した私たちのメンバーは、その酷さに驚かざるをえませんでした。「自分の配偶者(そして女性一般)をモノ(道具)扱いにした」発言だと受け取りました。後日、この報告を受けた「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」事務局のメンバーも全員、黒田氏のこの発言は重大であると感じました。この「現地調達」という言葉は、アジア太平洋戦争(1931〜45年)中、日本軍が侵略戦争を展開する中で戦略上の必要から、食糧及び「慰安婦(=日本軍性奴隷)」を「現地調達=略奪/強制連行」した行為を指す軍事用語として頻繁に使われたものです。この「現地調達」は、文字通り、アジア太平洋各地で日本軍が行った非道な戦争犯罪行為であり、その最も残虐なものが主として中国の華北地域で行われた「三光(殺し、焼き、奪いつくす)作戦」でした。
  すなわち「現地調達」の過程で、しばしば住民殺害が起こり女性に対しては性暴力が振るわれたのです。いわゆる「慰安婦」と呼ばれた女性たちは、日本人や当時日本の植民地であった朝鮮半島や台湾からアジア太平洋地域に送りこまれた女性たちだけではありません。中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア、東ティモール、ニューギニアや南太平洋の島々の多くの女性たちが、文字通り「現地調達」されて日本軍によって各地に設置された「慰安所」に連行され、日本軍兵士たちの性奴隷として、自由を奪われ性の相手を強要され、反抗すると軍刀等も使った暴力を受けるという、言語に絶する苦しい経験を長期間にわたって強制されたことを考えてみてください。こうした事実に思いを馳せるならば、冗談にも「女房を現地調達した」などという表現をすることが、どれほど女性の人権を無視しており、戦争被害者を侮辱しているのかは一目瞭然です。発言者である黒田氏の恥ずべき女性観と歴史的知識の無さを明らかにしています。
  戦後日本がアジアに経済進出をしていく中で、また観光旅行の行く先々で女性を自分の性欲のはけ口として扱い、「現地妻」や「買春観光」という言葉も生まれましたが、この発言は、女性ならびに女性の性が道具として扱われていることを示すものです。特に「慰安婦」問題が討論の一つになる席での発言として、人権意識、女性の人権に対する認識のなさを披瀝するという驚くべきものでした。
  国連の女性差別撤廃条約が発効し、1995年北京で開催された世界女性会議で「女性の権利は人権です」と明言され、女性の人間としての権利の確立と女性に対する暴力や差別の撤廃に努力している国際社会だからこそ、今なお日本軍「慰安婦」問題のまっとうな解決が世界から求められ、「平和の碑(いわゆる少女像)」の建設が続いているのです。そのことを直視できないでいる日本社会の現実の一端がこの発言に如実に現れていると私たちは考えます。
  国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は、数年おきの報告書の中で毎回「慰安婦問題」をとりあげ、日本政府の対応を厳しく批判してきました。今年5月にもまた、その報告書の中で2015年末のいわゆる日本軍「慰安婦」問題に関する日韓政府間「合意」について触れ、「被害者に対する補償や名誉回復、真相解明、再発防止の約束などについては十分なものとは言えない」と指摘しています。その上で、被害者への補償と名誉回復が行われるよう日韓両国は合意を見直すべきだと述べ、事実上、合意について再度やり直すべきだと勧告しています。ところが日本政府は、「日韓合意」で10億円を払う代償に、これ以上、韓国は「慰安婦問題」には触れないこと、しかも「日韓合意」の内容には含まれていない「平和の碑」撤去まで安倍政権は韓国政府に要求しましたし、今も同じ要求を迫り続けています。これはつまり、10億円で「韓国人慰安婦」に関する記憶を抹消すること、「被害者」を私たちの記憶から抹消してしまうことを意味しており、国連拷問禁止委員会が勧告している「被害者に対する補償や名誉回復、真相解明、再発防止の約束」とは全く逆の、無責任極まりない、人道にあからさまに反する要求です。
  日本政府がこのような恥ずべき外交政策を取っていることに日本の多くの政治家や市民が疑問を呈しないという社会背景には、黒田氏のような「女性蔑視感」と「歴史認識の欠落」が異常であるとは思われていないという、日本社会独自の由々しい問題があります。したがって、黒田氏の発言は、一ジャーナリストの個人的な無知と偏見として済ませるような単純な問題ではありません。彼の発言は、現在の日本社会の様々な面に深く刻み込まれている「女性蔑視感」と「歴史認識の欠落」という、2つの重大な問題をまざまざと露呈しているものであるということ、この事実を私たちは明確に認識しておく必要があります。このような社会状況を一般市民に知ってもらい改善するように努力することも、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」の社会的責務であると、私たちは強く感じています。
  シンポジウムの登壇者が全て男性であり、しかも日韓関係史を専門とする歴史家が一人もいなかったことに、もともと問題性を感じていましたが、「現地調達」という表現を使った黒田氏に苦言を呈する人が一人もいなかったことに、私たちは強い憤りの念を禁じえません。
2)「在韓/在外被爆者が被爆者手帳を持っているのは、日本政府の支援の結果である」という内容の発言をしたこと。
  このシンポジウムでは、広島での開催ということで当然のことながら、原爆被爆の問題、特に在韓被爆者への援護の問題も話題に上がりました。黒田氏はこの問題にも触れて発言し、ここでも、厚顔無恥にも、次のように自分の決定的な「歴史的知識の欠落」を露呈しました。すなわち、「日本政府からの支援があって在韓被爆者は被爆者手帳を持っている」のであり、「日本政府や日本人、広島からの支援があったことを陜川で計画中の資料館に明記すべき」であると述べただけではなく、「韓国の関連施設や資料館は(日本政府に対して)糾弾調である」とも非難しました。つまり、在韓被爆者と韓国人は「日本に感謝すべきであって、苦情を言うな」という意味の主張をしたわけです。
  私たちが在韓被爆者問題を考える上で、決して忘れてはならない2つのことがあります。第1に、当時、なぜそれほどまで多くの朝鮮人が広島・長崎に在住していたのかということです。すなわち、日本による植民地化と統治政策の結果として土地や生活の糧を奪われたがゆえに、過酷な労働条件のもとでも日本で働かざるをえないため、朝鮮半島の多くの人たちが広島・長崎にもやってきたこと。彼らとその子どもや孫たちの多くが、米国の原爆無差別大量虐殺の被害者となったという、その歴史的背景です。さらには、犠牲者の中には軍属徴用や強制連行という形で広島・長崎に無理やり連れてこられた人たちもいました。その結果、合計4万人あまりの朝鮮人が原爆無差別殺戮の犠牲者となり、3万人ほどが被爆者となって生存し、そのうちの2万3千人ほどが戦後まもなく帰国しました。この人たちは、日本による植民地化と米国の原爆無差別大量殺傷という二重の被害者であったということを、私たちは決して忘れてはなりません。こうした歴史的背景には、当然ながら、原爆無差別大量殺戮を犯した米国政府のみならず、日本政府にも法的・倫理的責任があることは言うまでもありません。
  第2に、もともと日本政府は被爆者援護制度に様々な条件をつけ、長年にわたって国外在住者を援護策から排除してきたという事実を指摘しておく必要があります。在韓/在外被爆者が日本政府を相手にいくつもの裁判闘争を経て勝ち得た援護策は、被爆者自身のたゆまぬ努力と、彼らを長年にわたって支援してきた日本市民グループ、とくに「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の、地道な活動があってこそ実現したという事実です。そうした苦しい裁判闘争と市民運動の結果、ようやく韓国国内で被爆者手帳が申請できるようになったのは2010年からであり、医療費の支給が全面的に認められたのは2015年からでした。その間、多くの韓国人被爆者たちが病気と生活苦の中で亡くなっていかれました。「被爆者はどこにいても被爆者」という名言は、裁判を闘われた多くの韓国人の一人、郭貴勲さんの言葉です。韓国の資料館に明記すべきは、こうした厳然たる歴史事実であって、黒田氏が主張するような「虚妄の歴史」であってはなりません。
  日本による朝鮮半島の植民地支配、韓国人被爆者差別という歴史を捨象したままの日韓間の課題に関する討論は、砂上の楼閣を論ずるようなもので未来のビジョンを指し示そうという目的達成には程遠いと思います。この点からしても、黒田氏のみならず、黒田氏の発言にほとんど疑問を持たなかったその他の講師の選任にも大きな問題があったと、私たちは強く感じている次第です。同じラウンド・テーブル討論の登壇者の中には、韓国人を含む在外被爆者問題について詳細な知識を持っていてしかるべき地元の『中国新聞』の論説委員も含まれていました。ところが、この論説委員も黒田発言についてはなんの反論もしませんでした。いかに「有識者」と称される人たちであれ、関連の歴史的背景について十分な知識をもたない人たちが、上記のような歴史的背景と複雑に絡んでいる現在の日韓関係問題について、正確且つ鋭利な分析ができるはずはありません。
公開質問状とそれに対する回答について
  シンポジウムに対して私たちが持った以上のような深い疑念から、私たち「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」は、主催組織である世宗研究所と韓国国際交流財団、後援組織である広島市立大学広島平和研究所と駐広島大韓民国総領事館の全てに対して、2017年4月10日付で公開質問状を送りました。この質問状で、黒田氏がどのような考えで上記のような問題発言をされたのか、またシンポジウムを主催・後援された諸団体が、そうした発言についてどのように考えられ、その後、どのように対応をされたのか。さらには、講師選択で問題があったとは思われないのか、などについて問合せました。(ちなみに、この質問状には以下の5つの組織が賛同団体として参加しています。教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま、第九条の会ヒロシマ、ピースリンク広島・呉・岩国、Little Hands、日本基督教団西中国教区性差別問題特別委員会)
  主催組織である世宗研究所と韓国国際交流財団からは回答があり、回答に対して私たちがさらなる質問をするという形での交流がありました。その結果、主催の両団体は、黒田氏の発言に問題があり、彼を発言者として選んだことも間違っていたことを基本的には認められました。戦争被害者問題を取り扱う上で、今後、両団体が被害者の人権をあくまでも守る方針を堅持されることを祈ってやみません。

  しかしながら、後援組織の一つである駐広島大韓民国総領事館からは、「質問状にどのように対応すべきかとまどっている」という内容の電話応答があったのみで、その正式な回答をいまだ受け取っていません。韓国人の戦争被害者の人権に関わる問題に関する私たちの真摯な質問に関して、自国の戦争被害者の人権を守る義務がある韓国政府の駐広島大韓民国総領事館が、その正式な姿勢を1日も早く表明されることを私たちは切望いたしております。

  もう一つの後援組織である広島市立大学広島平和研究所からは、質問状に対する回答への私たちからの再度の要求にもかかわらず、全く応答がありません。後援組織とはいえ、シンポジウムでは研究所准教授の孫賢鎮氏が総合司会及び進行役を務め、第一部の司会を研究所所長である吉川元氏が務めるという形で深く関わった広島平和研究所が、このような重大な発言内容に関する質問状を無視し続けていることに対して、私たちは極めて遺憾に思っています。

  あらためて言うまでもなく、日本における「日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)」問題や「韓国人被爆者」問題の取り扱い方は、いまや国際的な注目を集めており、国連人権関連諸委員会や海外の多くの人権団体が注目していることは周知のとおりです。平和研究・教育方針を強く国内外で強調している広島平和研究所が関わったシンポジウムで、この2つの問題に関して重大な発言があり、それに関して質問状を受け取っているにもかかわらず、無視し続けていることは、広島平和研究所ならびにその母体である広島市立大学の国際的信頼性そのものを崩壊させることにつながるであろうと私たちは深く懸念します。広島平和研究所が、「日本軍性奴隷(『慰安婦』)」と「韓国人被爆者」という戦争被害者の人権を守るために、また、正義と公正の実現を求めて活動を続ける市民のために、平和と正義への堅固な信念と勇気をもってこの問題の処置に当たられることを私たちは強く望みます。 

2017年12月10日

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク
共同代表 足立修一 田中利幸 土井桂子
連絡先住所:730-0036 広島市中区袋町6-36
合人社ウェンディひと・まちプラザフリースペース気付メールボックス132
FAX:082-923-6318(土井)


<賛同団体>
アイ女性会議広島県本部
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク 
川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会
韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部
教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま
日本コリア協会・広島
在日の慰安婦裁判を支える会
市民運動交流センター(ふくやま)
スクラムユニオン・ひろしま
ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)・広島
戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会
「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC
第九条の会ヒロシマ
多摩ほうせんか
東北アジア情報センター
南京大虐殺60ヵ年広島県連絡会
日本キリスト教団日本軍「慰安婦」問題の解決をめざすプロジェクトチーム
日本キリスト教団北海教区性差別問題担当委員会
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会
日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める奈良ネット
日本軍「慰安婦」問題を考える会・福山
念仏者九条の会
ピースリンク広島・呉・岩国
広島県教職員組合
広島宗教者平和協議会
ひろしま女性学研究所
フィリピン人元「従軍慰安婦」を支援する会
フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩 (略称 ロラネット)
みどり福山
Little Hands

(2017年12月10日現在 34団体)

2017年11月26日日曜日

International Day for the Elimination of Violence Against Women and the Bird Girls Exhibition


「女性に対する暴力撤廃国際デー」と『<鳥と女性>展覧会』
 (日本語の説明は英語説明の後をご覧ください)

Last Saturday, November 25, was International Day for the Elimination of Violence Against Women (http://www.un.org/en/events/endviolenceday/ ), and various events on the theme “violence against women” are now under way all over the world until December 10. For example, a large gathering of people holding candlesticks was held in Seoul on the evening of November 25, commemorating the Korean victims of Japanese military sex slavery. Concurrently similar events were also conducted in Tokyo, Hiroshima, and many other places in Japan.     

Needless to say, “violence against women” is not just a problem of the past: it is still happening, literally every day, in many places in the world. It is my belief that the recent upsurge of violence against women in our so-called civilized daily life is deeply inter-related to the current ongoing armed conflicts and terrorist attacks happening in many parts of the world.  

Recently in Japan, a horrific crime was revealed: within the short period of three months between August and October this year, a 27 year old man murdered eight young women and a boy, who was believed to be a boyfriend of one of those female victims. He dissected the bodies of all his victims and kept them in coolers in his apartment. This shocking series of events reminds us of one of Grimm’s gruesome Fairy Tales, Bluebeard, originally written by Charles Perrault. In this story a rich man nicknamed “Bluebeard” married many times, killing his wife each time in order to remarry. He kept the dead bodies of those women in a small room in the basement of his mansion. When a newly-wed young woman discovered what he had done he tried to kill her too. She released a homing pigeon with a message, asking her brother for help. Her brother immediately came to rescue her and saved her just as Bluebeard was about to murder her. (There are a few different versions of this story, and in some of the other versions she screamed, instead of using a pigeon, to call for help.)

In Australia, 73 women were officially recorded as the victims killed by violence against women in 2016. In 2015 the number was 86. The actual number of victims might well be far beyond those official statistics. In Australia the Victorian State Government has been vigorously campaigning against violence against women, and it now has a Minister for the Prevention of Family Violence. The Victoria State Government is now supporting various events commemorating the International Day for the Elimination of Violence Against Women. On the evening of November 25 “Bird Girls,” an art exhibition that is one of those events, opened in Melbourne. Its theme is taken from the story Bluebeard. It is held in the Foyer of Hamer Hall at the Melbourne Art Centre and will remain open until December 10.

The exhibition consists of 74 drawings of women with birds, representing 73 officially recorded victims of violence and one woman who symbolizes other unofficially recognized victims. Faceless women seem to symbolize the dehumanization of the victims of male violence, many cases of which are sexual violence.   

The artist is Alisa Noe Tanaka-King, who happens to be our younger daughter. (With her middle name, Noe, Alisa is named after Ito Noe, a Japanese anarchist, social critic, author and feminist, who was very active during the so-called Taisho Democracy period between the early 1910s and ’20s.)

Alisa’s Speech at the Opening of the Exhibition
Detailed information on Alisa’s ‘The Bird Girls’ project is available at the following blog.                    



 

「女性に対する暴力撤廃国際デー」と『<鳥と女性>展覧会』

先日、11月25日は「女性に対する暴力撤廃国際デー」で、12月10日まで世界各地で関連イベントが催されます。韓国のソウルの清渓広場では大規模なキャンドル集会が開かれ、すでに亡くなられている被害者も含め、全ての日本軍性奴隷被害者に女性人権賞が授与されたとのこと。広島でも、昨夕、原爆ドーム東側で日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークが主催するキャンドル・アクションと呼ぶ集会が開かれました。

あらためて言うまでもなく、男による「女性に対する暴力」は過去の問題ではなく、今も文字通り毎日、世界各地で起きています。世界各地で軍事紛争とテロ攻撃が止まない現状と、日常生活における「女性に対する暴力」がますます増加している状況とは、実は深いところで密接に関連しているのではないでしょうか。

日本では、つい最近、27歳の青年が3ヶ月ほどの間に9人(うち8人が若い女性で、もう1人は、それらの女性のうちの1人のボーイフレンド?)を殺害し、解体した屍体をクール・ボックスに入れてアパートに置いていたというショッキングなニュースが報道されました。実は、これに似たような「青髭」と題する、原作はシャルル・ペローによる話が、グリム童話の中にも一時含まれていたことがあります(あまりにもおぞましい話なので、グリム童話集から取り除かれたようですが)。金持ちの「青髭」の男は、何度も結婚していたのですが、その妻たちはみな行方不明。実際には、彼は妻を殺して、死骸を全部、屋敷の地下の小部屋に隠していたのです。そのことを知った新妻も殺されそうになりますが、鳩を飛ばして兄に救いを求めることで助かったというお話です(鳩を飛ばさずに、叫んで救いを求めたとか、この話にはいろいろなバージョンがあるようですが)。

オーストラリアでも、昨年1年間で、公式統計上、73人の女性が男性の暴力の犠牲になって亡くなっています。一昨年は、その数は86名でした。しかし、公式統計に含まれていない犠牲者も多くいますので、実際の犠牲者数はこれよりはるかに多いと思われます。オーストラリアのビクトリア州政府(メルボルンが州都)も、最近は「女性に対する暴力」問題解決のためのキャンペーンにひじょうに力を入れており、州政府には「家庭内暴力担当大臣」もいます。ビクトリア州政府は、「女性に対する暴力撤廃国際デー」のための企画行事の一つとして、一昨夕、The Bird Girls<鳥と女性>展覧会』の開会式を行いました。

この展覧会では、メルボルン市内の芸術センターのヘイマー・コンサート・ホールのロビーに74枚の<鳥と女性>の絵が飾られています。テーマは上記の「青髭」の話からとったもので、73人の女性犠牲者と、その他の不明の犠牲者たちを総合的に象徴する1名の女性、合計74名の女性と、それらの女性に寄り添う様々な鳥が描かれています。ただし、女性には「顔」がありません。(性)暴力の被害女性は、人間的個性を剥奪された存在であるということを意味しているようです。女性の髪型も、昔風なものからパンク調のものまで様々で、時代と階層を超えた「犠牲者」の多様性を表現しているようです。

この絵の作家の名前は Alisa Tanaka-King (田中キング 愛利然)で(ちなみに彼女のミドル・ネームは「Noe (野枝)」で、彼女の父親が「伊藤野枝」からもらってつけました)で、偶然にもその父親とはこの私です(笑)。メルボルンまでこれらの絵を見に来ていただければ本人にとってはとても光栄なことと思いますが、それは無理ですので、お時間があるときにでも彼女のこのプロジェクトのブログを観ていただければ、決して無関係でない私としても嬉しいです。
The Bird Girls







2017年11月19日日曜日

Publications 出版報告


1)Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II  Second Edition
日本軍が主として南西太平洋各地で犯した戦争犯罪諸例を分析した1996年出版の拙著 Hidden Horrors の改訂増補版。ジョン・ダワーによる「前書き」も一新。 
2)拙訳 ジョン・ダワー著『アメリカ 暴力の世紀:第二次大戦以降の戦争とテロ』(岩波書店) Japanese edition of John Dower’s new book The Violent American Century: War and Terror Since World War II (Dispatch Books)

1) Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II  Second Edition
with Foreword by John Dower.


https://rowman.com/ISBN/9781538102701/Hidden-Horrors-Japanese-War-Crimes-in-World-War-II-Second-Edition
This landmark book documents little-known wartime Japanese atrocities during World War II. Yuki Tanaka’s case studies, still remarkably original and significant, include cannibalism; the slaughter and starvation of prisoners of war; the rape, enforced prostitution, and murder of noncombatants; and biological warfare experiments. The author describes how desperate Japanese soldiers consumed the flesh of their own comrades killed in fighting as well as that of Australians, Pakistanis, and Indians. He traces the fate of sixty-five shipwrecked Australian nurses and British soldiers who were shot or stabbed to death by their captors. Another thirty-two nurses were captured and sent to Sumatra to become “comfort women”—sex slaves for Japanese soldiers. Tanaka recounts how thousands of Australian and British POWs were massacred in the infamous Sandakan camp in the Borneo jungle in 1945, while those who survived were forced to endure a tortuous 160-mile march on which anyone who dropped out of line was immediately shot. This new edition also includes a powerful chapter on the island of Nauru, where thirty-nine leprosy patients were killed and thousands of Naurans were ill-treated and forced to leave their homes. Without denying individual and national responsibility, the author explores individual atrocities in their broader social, psychological, and institutional milieu and places Japanese behavior during the war in the broader context of the dehumanization of men at war. In his substantially revised conclusion, Tanaka brings in significant new interpretations to explain why Japanese imperial forces were so brutal, tracing the historical processes that created such a unique military structure and ideology. Finally, he investigates why a strong awareness of their collective responsibility for wartime atrocities has been and still is lacking among the Japanese.

2)拙訳 ジョン・ダワー著『アメリカ 暴力の世紀:第二次大戦以降の戦争とテロ』(岩波書店)
本書の内容

第二次大および冷の覇者、アメリカ.そのアメリカは、どのような緯で現在の世界の混沌を生み出してしまったのか。敗北を抱きしめての著者があらたに取り組む、アメリカの暴力の歴史・軍事をめぐる歴史とテロなどの不安定の連鎖大の現について、簡潔に、かつ深く洞察した待望の書。トランプ時代を危惧する日本語版序文を付す。

「訳者後書き」からの抜粋

ここで描かれているのは、戦後これまでの70年以上にわたる「パックス・アメリカーナ(アメリカの支配による平和)」の追求が、実は、「平和の破壊」をもたらす連続であったということ。すなわち、「暴力的支配」が産み出す「平和の破壊」を、「支配による平和」に変えようとさらなる「暴力」で対処することによって、皮肉にも、「暴力」の強化と拡大を「戦争文化国家」である米国が、世界中で、繰り返し、悪循環的に産み続けてきたという事実である。現在のひじょうに不安定な世界状況が、いかなる過程を経て発生し、発展してきているのかが簡潔明瞭に理解できる分析となっている。

日本は、このようなアメリカに自国を軍事的にますます従属させるために、このわずか数年の間に、特定秘密保護法の導入、集団的自衛権行使容認閣議決定、明らかに憲法違反である新安保法制導入、沖縄米軍辺野古新基地の強権的な建設、原子力空母ロナルド・レーガンを中心とする第5空母航空団の岩国への移転、戦前・ 戦中の「治安維持法」なみの悪法である「共謀罪法」の制定などを、次々と推し進めてきた。さらには、北朝鮮攻撃を視野に入れた巡航ミサイル導入の計画や、最終的には憲法九条破棄を目指すスケジュールをも今や具体的に進めつつある。かくして、日本市民は米国の「グローバル・テロ戦争」へとますます深く引きずり込まれつつあり、日本社会もまた「戦争文化国家」への道を急速に進みつつある。このような危機的な時期であるからこそ、ダワーのこの著書『アメリカ 暴力の世紀』を、我々自身を見つめる鏡として熟読すべきであろう。

2017年9月19日火曜日

「ヤマザキ、天皇を撃て!」:奥崎謙三の「憲法第1章無効論」再考


反天皇制運動連絡会のニュースレター『Alert』9月号に寄稿した論考です。ご笑覧、ご批評いただければ幸いです。

九州の炭鉱労働者で秀れた作家でもあった上野英信(1923〜87年)は、「天皇制の『業担き』として」と題した短いエッセイの中で、次のような話を紹介している。

  1944年、わたしが旧満州国に君臨する関東軍の山砲兵であった当時のこと。わたしたちの起居する兵舎のかたわらに、夜になると幽霊が出るといわれる厠があった。古参兵の話によれば、一人の兵卒が歩哨として営内をまわっている途中、その厠に入って首を吊って死んだのだという。おそらくひどい腹痛か下痢のために我慢ができなかったのであろう。その兵士は軍律違反とは知りながらも厠にとびこんだのである。
  銃を厠の中にもって入ってさえいれば、たぶん彼は死ななくてすんだであろう。しかし、不幸にして、彼はそんな忠誠心のない兵隊ではなかった。彼は、畏くも大元帥陛下から授かった菊の紋章入りの銃を、厠の中にもちこむことはできなかった。彼は銃を厠の戸口に立てかけ、自分だけが中に入った。出てきてみれば、すでに銃は見当たらなかった。彼が厠に入っているあいだいに巡察の将校がきて、その銃をもちさってしまったのだという。
  哀れな兵士は、やがて彼の身に襲いかかるであろう冷酷な運命をしりつくしていた。彼はふたたび厠の中に入っていった。そして帯革をはずして梁にかけ、みずからの若い生命を断った。それ以来、彼が首を吊った厠の中から、夜ごと「銃を返してください……」「銃を返してください……」という、たましいをふりしぼるような声がきこえてくるようになったということである。

上野は、この話を単なる「天皇制の犠牲」の一例として紹介したわけではない。「その犠牲者の痛恨をわがこととしてとらえる苦悩と悲哀がなければ、けっして死霊を目のあたりにすることはありえない」という、彼の極めて個人的な想いからであり、この話の背後には、日本人だけではなくアジア諸民族の「言葉につくせないほど陰惨な死が」無数にあったという絶望的な痛恨からであった。しかも、その「痛恨」には、自分自身もまた戦争責任、すなわち天皇制の「罪と罰」を担っているという強烈な意識が含まれていた。彼は、この意識を、天皇制の「業担(ごうか)き」(北九州地方の言葉で、「バチカブリ」あるいは、「さらにどろどろした、重い呪咀を担う」という意味)と称した。つまり天皇裕仁と戦争に駆り出された自分たちは、「犬死」した無数の「死霊の呪咀」を受けとめ、それを担って生きてゆくほかには道がないのだという、壮絶な叫びであった。

1969年1月2日朝の新年一般参賀で、皇居長和殿東庭側ベランダに立った裕仁を狙って、25.6メートルの距離から、ニューギニア戦線での生き残り兵であった奥崎謙三がパチンコ玉3発をまとめて発射、続いてもう1発を「おい、ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と大声で叫びながら投射。裕仁には1発も当たらなかったが、奥崎はその場で即座に逮捕された。なぜ「ヤマザキ」なのか?おそらく、その「ヤマザキ」は、ニューギニアでほとんどが餓死した独立工兵第36連隊の自分の仲間の一人であったのであろう。奥崎は、前日の1月1日に上京し、ニューギニア戦の戦友の一人に会って、「自分なりの方法で戦友に対する慰霊祭を行うために上京した」と述べている。奥崎のこの奇抜な行動は、まさに上野が称した「業担き」であったと私は考えている。(因みに、当時はバルコニーに防弾ガラスが入っていなかったのであるが、この事件以降から入れるようになったとのこと。)真面目であればある人間ほど、「業担き」から精神的に逃れきれず、死者の怨念にとらわれていったと言えるのではなかろうか。(実は、このパチンコ玉発射事件の2時間後には、同じく天皇制反対行動として2人が皇居内で発煙筒をたくという事件が起きているが、二つの事件は全く無関係で、偶然に同日に起きたものである。)

奥崎謙三のパチンコ玉事件については、ニューギニアでの日本軍隊内部での(とりわけ人肉食をめぐる)犯罪行為を徹底的に追求する彼の行動を追ったドキュメンタリー映画、『ゆきゆきて、神軍』(1987年公開)の中でも取り上げられ、周知のところである。ところが、パチンコ事件で逮捕された奥崎が、法廷でいかなる弁護主張を展開したかについては、残念ながら、ほとんど知られていない。

奥崎は身柄拘束のまま起訴され、1970年6月8日の東京地方裁判所の一審で、暴行罪を定めた刑法102条違反として、懲役1年6ヶ月の有罪判決を受けたが、奥崎側も検察側も控訴した。二審は、東京高等裁判所で行われ、1970年10月7日に、一審と同じ懲役1年6ヶ月の有罪判決を受けた。しかし、二審では、一審の未決勾留日数の算定方法と意見が食い違ったため、二審判決は、形の上では「原判決破棄」の上で新しく出された判決となり、その結果、即日釈放された。暴行罪の法定最高限は懲役2年であるのに対して、1年6ヶ月という重い実刑判決内容だっただけではなく、逮捕されてから1年6ヶ月(604日)の間、一度も保釈されずに身柄を拘束され続けたのも、通例の暴行事件と比較しても異例なことであった。しかも、一審中では、被告人の申請を受け入れて、裁判所が保釈許可の決定を下したにもかかわらず、高裁の決定で却下されたため、保釈はされなかったのである。これは暴力行為の対象が、通常の市民ではなく、「日本国の象徴」の「天皇」裕仁であったことからの特別の処置であり、その意味では憲法第14条に抵触していたのではないかと考えられる。

この点を東京地方裁判所の裁判官・西村法も憂慮してか、暴力行為そのものについては「天皇に対し敢行された周到に準備された計画的な犯行でありその犯行の態度からみて、実害発生の危険性がかなり高いものであることからいえば、被告人の刑事責任が相当重い」としながらも、「被告人のようないわば確信犯については、刑に予防拘禁的な機能を含ませてしまうことを保し難いといわなければならないのであって、被告人の本件犯行の動機・経緯及び態様等の本件犯行に直結する情状にかんがみ、なお憲法第14条の趣意をも参酌すると、前示累犯前科の点を考慮しても本件について検察官主張のような刑法第208条の法廷刑を超える刑を量定することは適当ではなく……主文掲記の刑を量定した」(強調:引用者)と述べた。ところが、「憲法第14条の趣意をも参酌すると」という意味が、具体的にはいったい何を意味しているのかについてはなんの説明もされていないのである。

しかも、一方で「天皇」に対する暴力行為の「刑事責任が相当重い」とも主張しているのであるから、この場合の「憲法14条の趣意」とは、「法の下の平等の趣意」から「天皇も一般国民と同様に扱うべきであり、特別な法的保護を与えるべきではない」ということを意味しているのではなさそうである。そうではなく、むしろ「被告人が天皇と天皇制に対して反対意見をもっているからといって、それ自体を問題にしてはならず、一般市民に対する暴行罪と同様に扱うべきである」と主張しているように思われる。

ところが、二審判決は、明らかに憲法第14条に抵触する内容となっているだけではなく、奥崎の行動は憲法第1条に対する「犯罪行為」であるとまで厳しく断罪し、裁判長・栗本一夫は次のように述べたのである。「検察官の主張をみるに、所論がその理由の第一として、本件が日本国憲法によって、日本国の象徴日本国民統合の象徴としての地位を有する天皇に対する犯行であって、極めて悪質であり、社会的影響も甚大であるとする点に対しては、もとより同調する……(強調:引用者)。戦前戦中の「不敬罪」を想起させるような内容の判決文である。ところが、ここでも一審判決同様に、検察側の控訴要求は「暴力事件としては余りにも重きに過ぎる」として、同じ懲役1年6ヶ月の判決内容を量定した。つまり、明らかに判決内容に矛盾がみられるのである。天皇の存在には一般国民とは決定的に異なった特別の法的地位があり、したがって奥崎の行動が憲法第1条に対する由々しい犯罪行為であったと主張するなら、簡単に「一暴力事件」として処理することができないはずである。逆説的に言えば、奥崎の行動を一般国民に対する「一暴力事件」として取り扱うのであれば、天皇の存在に特別の法的地位を認めること自体に論理性がなくなるはずである。かくして、二審の判決では、一審判決が触れた憲法第14条には全く触れずに、この問題については意図的に言及を避けたように思われるのである。

ところが、私が最も重要だと思うのは、この二審判決を受けて奥崎が最高裁への上告のために準備した趣意書の内容である。それは、「極めて悪質であり、社会的影響も甚大な」、天皇に対する「犯罪」という二審判決に真っ向から挑戦した、見事な論理性をもった格調高い主張となっている。その主張の趣旨は、憲法第1章「天皇の規定」は、憲法前文の「人類普遍の原理」からして違憲無効の存在であるというものである。「人類普遍の原理」に言及する憲法前文の部分は、以下のような文章である。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(強調:引用者)
いまさら説明するまでもないが、この前文を持つ現行憲法は、1946年10月29日に「修正帝国憲法改正案」として枢密院本会議で可決され、同日に裕仁が裁可し、11月3日に公布された。しかも、この公布日の11月3日には、裕仁が「日本国憲法の勅語」なるものを発表しているのである。つまり、憲法前文ではっきりと、「人類普遍の原理」に「反するいっさいの憲法、法令及び詔勅を排除する」と書かれた新憲法を発布するにあたって、この前文の内容を文字通り、あからさまに侵害する「詔勅」を裕仁が発表していたという、驚くべき事態があったことを我々はもう一度想起すべきであろう。
しかし、奥崎が上告趣意書で問題にしたのは「詔勅」ではなく、もっと根本的な「人類普遍の原理」と「天皇制」の関係である。奥崎いわく、

  一、二審の判決と求刑をした裁判官、検察官は、本件の被害者と称する人物を『天皇』であると認めているが、現行の日本国憲法の前文によると、「人類普遍の原理に反する憲法は無効である」と規定しており、『天皇』なる存在は「人類普遍の原理に反する存在であることは自明の常識であり、『天皇』の権威、価値、正当性、生命は、一時的、部分的、相対的、主観的にすぎないものであり、したがってその本質は絶対的、客観的、全体的、永久的に『悪』であるゆえに、『天皇』の存在を是認する現行の日本国憲法第一条及至第八条の規定は完全に無効であり、正常なる判断力と精神を持った人間にとっては、ナンセンス、陳腐愚劣きわまるものである。…… (強調:原文)
この奥崎の見事な喝破に反論するのは、ほとんど不可能のように思える。したがって、最高裁の上告棄却の反論が、全く反論の体をなしておらず、なんの論理性もない誤魔化しに終わっていることも全く不思議ではない。上告棄却は下記のようなごく短いものである。
被告人本人の上告趣意のうち、憲法一条違反をいう点は、被告人の本件所為が暴行罪にあたるとした第一審判決を是認した原判決の結論に影響がないことの明らかな違憲の主張であり、同法十四条、三七条違反をいう点は、実質は単なる法令違反事実誤認の主張であり、その余は、同法一条ないし八条の無効をいうものであって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
つまり、憲法第1条と暴行罪は無関係であり、14条違反やその他の点に関する主張も、単なる「事実誤認」だと述べ、なぜ事実誤認なのかについての説明も一切しない。なぜなら、説明のしようがないコジツケだからである。
現行憲法の成立過程を見てみれば、憲法第9条は憲法第1章(1条から8条)で天皇制を守り維持するという、GHQと日本政府の共通の目的のために設置されたという当時の政治的背景があったことは否定できない。したがって、「人類の普遍原理」に基づく「憲法の理念」、それをある意味で具現化した「憲法9条」、それらと憲法第1章との間に根本的な矛盾があるのは当然なのである。この決定的矛盾を暴露するには、裕仁個人と(明仁を含む)天皇制自体の戦争責任をあくまでも追及する、市民の広範な「業担き」が不可欠であると私は強く信じてやまない。
田中利幸(歴史家、「8・6ヒロシマ平和へのつどい」代表)

2017年9月11日月曜日

民主主義は民衆の絶え間ない運動によって勝ち取り、維持していくもの


韓国からのメッセージ

9月1日は関東大震災から94年目にあたり、例年どおり東京墨田区の横網町公園では、震災直後に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式が開かれた。ところが、今年は毎年行われてきた都知事と墨田区長の追悼文読み上げが行われなかったことは、すでにメディアでも広く取り上げられた。東京都知事・小池百合子は、追悼文を送らなかった理由について、この事件については「さまざまな見方があり」、虐殺の事実については「歴史家がひもとくもの」と述べて、結局は虐殺否定論を支持していることを暗示した。朝鮮人虐殺の事実は、日本政府中央防災会議報告書や司法省の「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」ではっきりと確認されており、東京では約300人、神奈川県で約180名、埼玉県での166名を含む合計800人以上の犠牲者がいたことが判明している。したがって、こうした厳然たる事実について「さまざまな意見」があったとしても、決してその事実を否定するような意見があってはならないことであり、歴史家たちはこの事実をとっくの昔に「ひもといて」いる。そのひもといた事実に蓋をして「ひもで縛る」ような犯罪的行為を小池が恥ずかしくもなくやっているのが現状なのである。同時に情けないのは、墨田区長である。こういう場合、本来なら、区長本人が出席して追悼文を読み上げると同時に、その場で堂々と知事批判をすべきなのである。
統一ドイツの初代大統領となったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーのあの有名な演説の中の一節、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び(非人間的な行為に)汚染される危険に陥りやすいのである」という言葉を、小池や墨田区長に送りつけたいと思うくらい情けない。事実を否定することによって、自分たちの人間性そのものが疑われるのであるということに、なぜこの政治家の連中は気がつかないのか、なぜこんな単純明快なことに気がつかないのか、私には不思議でならない。そのくらい鉄面皮で愚鈍でないと政治家にはなれないというのであれば、そんな日本の状況を黙認してしまうのはあまりにも哀しいではないか。
ちなみに、関東大震災直後に虐殺された朝鮮人の一グループに関する事実をフォークソングにしている、中川五郎のトーキング烏山神社の椎の木ブルースは感動的である。

ところで、今年23〜24日、「小田実没後10年の集い」が大阪と神戸で開かれ、多くの市民が参加した。私も日連続で参加させていただき、2日目に「今、小田実の目で天皇制問題と民主主義を考える」というテーマで報告させていただいた。第1日目の報告の中に、小田さんと親交の深かった韓国の詩人で評論家の金鐘哲氏のすばらしい評論があった。ご本人は体調をくずされて出席されなかったが、日本語がひじょうに流暢なご子息の金亨洙氏が原稿を日本語に翻訳され、それをご尊父に代わって会場で読み上げられた。私はひじょうに感動したので、金亨洙氏を通して金鐘哲氏のご承諾をえて、ここにその全文を紹介する。

この論考を読んで分かることは、韓国の人たちは、日本による植民地化に抵抗する「東学農民戦争」や「3・1独立運動」、また1960年の「4・19革命」での李承晩独裁政権打倒1980年の「光州抗争」、1987年の6・29「民主化宣言」による軍部独裁政権打倒など、長年にわたって植民地支配や独裁政権に対する民衆の抵抗運動をすすめる中で地道に民主化思想を培い、民主化運動を粘り強く推進してきたことである。今回の「ロウソク革命」も、そうした長い韓国の民主化運動の歴史の流れの中で理解しないと、その本当の意味が理解できないということ。これとは対照的に、金鐘哲氏が極めて厳しく、しかし的確に述べておられるように、「近代以降今日に至るまで日本は下からの民衆抗争によって政府を転覆させたことも、政権をかえた経験もない国です。……日本における民主主義は基本的に民衆の蜂起によるものではなく、敗戦後米軍の占領政策によって成立、制度化したのみならず、その後一度も市民の抵抗、闘争をもって政権をかえたことがないという事実は非常に重要です。

日本政治の「民主化」、日本における「民主主義の構築」ということを考えるとき、私たちは、隣国である韓国から学ぶべきことが多々あることをあまりにも知らなさすぎるのではないだろうか。また韓国の憲法の前文が、「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して」という言葉で始まっているように、日本による植民地支配や独裁政権に対する民衆の抵抗運動を支えた思想が、憲法の基本理念でもある。私たちは、現行憲法の九条の重要性を強調しこれを堅持する運動ももちろん重要だが、隣国韓国のこの憲法理念からも何を学ぶべきか、大いに議論してみるべきではなかろうか。

韓国の「ロウソク革命」の中にいて
金鐘哲
(金亨洙 訳)

皆様にまず、お詫びを申し上げなければなりません。この度、小田実先生の没後10年の記念行事に健康上の理由により参席できませんでした。改めまして、お詫び申し上げます。今日は主催側のご配慮をいただき、このようにメッセージを送らせていただくことになりました。つきましては、おそらく日本の皆様にとって、この頃もっともご興味をお持ちであろう最近の韓国の情勢について簡単な説明を申し上げたいと思います。
日韓の両国は地理的にも最も近く、歴史的にも非常に密接な関係を結んできた仲にもかかわらず、残念ながら相互間の理解においては非常に乏しいのが今日の実情ではないか、と考えております。一般の市民はもちろん、知識人においても事情はさほど変わらないと思います。
卑近な例としては、太平洋戦争期に行われた代表的な人権蹂躙の事例ともいえる日本軍慰安婦問題がそうであります。慰安婦問題は単なる人権問題であるだけでなく、日本という国が戦争と植民地支配といった歴史的な過ちを清算し、平和を目指す国として、アジアの隣人諸国と友好的な関係を築いていくためには必ず解決しておかなければならない、重大な問題です。しかしながら、日本の支配層や保守的なメディアは言うまでもなく、所謂リベラルな立場にある知識人やメディアもこの慰安婦問題に関しては、私のような韓国人の立場からみますと、非常に安易な姿勢で臨んでいるように見えます。一昨年前に安倍政権と韓国の朴槿恵政権が「不可逆的」に妥結されたと発表した慰安婦問題に関する合意に対して多くの韓国人は憤りを覚えました。なぜならば、両国の政府が、慰安婦問題の当事者でありながら今もなお生存している高齢のハルモニ(おばあさん) たちの意思を確認することもなく、この問題をもっぱら政治的打算だけに基づいて妥結させたからであります。実際、韓国政府は日本側が払うと決まった10億円というお金が「謝罪金」なのか、それとも人道的な援助金なのかについて明確に説明できませんでした。両国間の合意が発表された後、日本政府が示した態度を見ますと、あのお金は謝罪金でも賠償金でもないということがはっきりしました。日本政府と日本の支配層には慰安婦問題に対する真摯な責任の意識も、そしてお詫びの意思も全くないということを彼ら自ら露わにしたのです。彼らは慰安婦強制動員の証拠はないという、古びた主張に未だに固執しています。ところで、驚くべきなのは日本の保守既得権勢力はともかくも、なぜ日本の良心的勢力、つまり民主主義を信念とする知識人さえもが、この当事者が完全に無視され行われた慰安婦問題処理について根本的な問題提起をせず、だいたいにおいて受容するような態度を見せているのかという点です。この事実から見ても私は日韓の間における相互理解はまだ程遠いと感じざるを得ません。
それはまた最近展開された韓国の大規模のロウソクデモの経過と成果に対する日本のメディアが示した反応からも窺えます。今韓国の市民の大多数は、昨年の10月から今年の春にかけて行われた「ロウソクデモ」を通して現職の大統領を罷免(弾劾)し、新しい民主政府を誕生させたことについて相当な自負心を持っております。しかし、今回の「ロウソク革命」について日本の極右あるいは保守的なメディアの概ねの論調は民主主義後進国で起きた「混乱事態」として見なす傾向が見られました。それは、私に言わせれば、意図的であるかどうかは分かりませんが、状況を根本的に誤読している、とんでもない論調であります。
我々皆がよく理解しているように民主主義は自然に与えられるものではありません。この上ないような険しい闘争を経て初めて味わえるのが民主主義という果実です。民主主義は血を吸って育つという言葉は万古不易の真理と言えるでしょう。
韓国の私たちから見ますと近代以降今日に至るまで日本は下からの民衆抗争によって政府を転覆させたことも、政権をかえた経験もない国です。そのため日本の民主主義はその実体が非常に貧弱している民主主義だと言えるかもしれません。日本の戦前や戦後において民主主義のために戦った数多くの運動があった事実を否定するわけではありません。しかし日本における民主主義は基本的に民衆の蜂起によるものではなく、敗戦後米軍の占領政策によって成立、制度化したのみならず、その後一度も市民の抵抗、闘争をもって政権をかえたことがないという事実は非常に重要です。
定期的に選挙を行い、政党政治と議会制を維持することで自ずと民主主義が実現する訳ではありません。政党政治と代議制民主主義という形式をとりながらもその実際の内容は事実上の独裁体制あるいは少数既得権支配層による寡頭支配体制であるというのは決して珍しいことではありません。韓国の歴代軍事独裁政権も定期的に選挙を行い、形式上の議会を維持していました。日本を長期間に渡って支配してきた自民党政権や現在の安倍政権もそうであり、そしてアメリカの政治も選挙と議会政治のもとでますます民主主義から遠ざかっていく実態を、我々は今目撃しています。
このような政府の特徴は民主主義を標榜しながらも実際には平凡な市民たちの要求を無視し、 国家を私的利益の追求手段とし、既得権支配層の利益ばかりのためにのみ働くということです。 しかし民主主義とは本来自己統治の原理に基づいて動く政治システムです。要するに民衆が主権者としての権限を実際に行使することができてこそそれを民主主義と呼べるのです。ところが、世の中はほとんどの場合豊かで権力を持つ少数の強者と、貧しく力のない多数の弱者に分かれています。そのような状況のなか、既得権者と権力者たちが、その富と権力、そして特権的な地位を自ら譲歩することは滅多にありません。ですから、民主主義を実現していく過程というのは至難な闘争の連続になるしかありません。形式的で手続き上の民主的制度が施行されているからといって安堵していては、富と権力を独占している支配層がいつの間にか独裁ないし権威主義的な体制を作り上げ、多数の民衆を事実上の奴隷にすることさえあり得るのが冷静な現実です。従って、労働運動、人権運動、反戦平和運動、環境運動は言うまでもなく、市民たちの自発的な集会やデモ行為は民主主義を守り、また死にかけている民主主義をよみがえらせるための不可欠な要素だと言えます。
このようなことについて韓国人は歴史的経験を通じて誰よりもよく分かっています。普段はあら ゆる苦痛や不満があってもそれに耐えますが、決定的な瞬間には躊躇なく抵抗的行動に打って出るのが韓国近代の民衆運動の歴史において大きな特徴となっています。そうしない限り、支配勢力はちっとも譲歩しないし、奴隷的な生を強要される状況は少しも変わらないという事実を、韓国人は長年にわたった植民地と独裁の時代を通して痛感してきました。李承晩独裁政権に抵抗した 19604月の経験、1980年の光州抗争、そして軍部独裁政権の終焉をもたらした19876月の闘争はそのような抵抗運動の大きな流れを成してきた代表的な事例です。この度のロウソク革命も結局その流れの延長において展開された闘争だったと言えます。
ところで、今回の闘争の大きな特徴は、終始一貫してロウソクを持つだけで、きわめて平和的に行われたという点です。デモに参加した市民たちは一つのスローガンを集中的に叫びました。それは、「大韓民国は民主共和国だ」という叫びでした。数多くの人々が参加した集会、デモでしたので各々の生活上の苦痛や不満を吐き出す様々なスローガンが叫ばれてもおかしくない状況でしたが、はじめから終わりまで、市民たちは大韓民国の主権は国民に有り、全ての権力は国民から生ずるという憲法第1条をひたすら叫ぶことに集中したのです。
近年、世界経済が停滞し、また経済成長も落ち込むなかで、その影響は世界の様々な国に及んでおります。その中でも貿易に対する依存度が非常に高い韓国経済は世界資本主義経済のなかでも特に脆弱だと言えます。その結果将来に対する希望を失ってしまった青年世代は自らの運命を呪い、今日の韓国の状況を「ヘル朝鮮」(地獄のような朝鮮)と呼び、自嘲してきました。当然、 彼らがロウソクを持ち、街に出てきた際には彼らにとって最も切実な問題、つまり学費問題や雇用問題等、彼ら自身の苦しい生活や将来への展望にかかわった要求を主張するであろうと思えたのですが、彼らはそうはしませんでした。また、今日における韓国の低賃金労働の実態は大変悲惨であり、非正規労働者数は全体の労働人口のほぼ半分を占めています。それにも拘わらず、最低賃金の引き上げの要求や労働運動の自由を唱える代わりに、「大韓民国は民主共和国である」というスローガンばかりが聞こえました。これは非常に大事な事実です。
青年たちや労働者を含むデモに参加した市民は、自ら抱えている問題が如何に切実であろうと、 その全ては民主的な政府が成立しない限り解決の糸口さえもつかめないということを、よく理解していたのです。それで彼らは、名実ともに民主政府を成立させることより急務はないと認識し、その認識を「大韓民国は民主共和国である」というスローガンに込めていました。
考えてみれば、真の意味での民主政府を立てようとする韓国人の戦いには100年を超える歴史があります。その歴史は1894年勃発した東学農民戦争からはじまったと言えます。朝鮮王朝の末期、無能で腐敗していた王朝とまた外国からの侵略に抵抗し、農民たちが中心となり蜂起したのですが、この民衆の蜂起は結局愚かな支配層と外国の軍隊、特に日本軍によって徹底的に潰され挫折に至りました。しかし、当時の抵抗の精神は日帝植民地時代、そして解放後の分断時代の独裁政権の下でも力強く持続してきました。
現在韓国の憲法前文には大韓民国は1919年の31運動の精神を継承し、また31運動の直後独立運動家たちが中国の上海にて設立した大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐと明示されています。 そこで注目すべきは、19194月に成立した臨時政府がその憲法において大韓民国を民主共和国として規定しているところです。当時臨時政府に集った独立運動家たちはほとんどが高いレベルの教育を受けた知識人でした。従って彼らは朝鮮王朝時代の儒学精神をある程度以上身につけており、また朝鮮王朝時代に恵まれた階級であった両班階級の出身でした。それでも彼らは王朝体制の復元ではなく、完全なる近代国民主権国家、即ち民主主義と共和主義の原理に基づいた新しい国を構想したのです。これは31運動というのが、外国の圧制からの解放を求める単なる民族独立運動という枠を超えて、多数の民衆が奴隷ではない、主体的な人間として生きていける社会のための戦い、つまり、全面的な民衆解放を目指した闘争であったからです。そしてこの点はまた31運動が基本的に1894年の東学農民戦争の精神を継承した運動であったことを強力に示唆しています。東学農民戦争を率いたチョン・ボンジュン将軍は本来は儒学者だったのが東学の地域指導者になった人物ですが、後に官憲に逮捕され尋問を受けた記録を見ますと、彼が目指していたのは地方における自治と中央政府においては合意制を基盤とした一種の共和主義政治体制であったことが明らかになります。
ここまで皆様のご理解のため、韓国近代史における重要な流れ、その中でも民衆抵抗の歴史を簡単に述べましたが、この流れを念頭に置かないと今韓国でなぜ「ロウソク革命」といった用語が用いられているのかについて理解することが難しくなるかと思います。今日に至るまで植民地支配や独裁政権に対する抵抗運動は時折相当な成果をあげたこともありましたが、その過程において民衆は残酷に虐殺されることもあり、またその運動の後遺症としてより強力な反動的支配体制が成立することもありました。しかしながら、今回ばかりは異なりました。一滴の血も流すことなく現職の大統領を法律が定めた厳格な手続きに従って罷免(弾劾)し、またその犯罪行為をもって拘束し、現在は裁判が行われています。それのみならず、また現状において最も民主主義的価値に充実な人物を新しい大統領として選出することに成功したわけです。新政府の文在寅大統領は元々人権弁護士として活躍してきた人物で、また民主的政府であった盧武鉉政府にて大統領の最側近として実際の国家運営を経験した人物でもあります。彼は大統領に就任する際に、自らが権力者では なく、ただ大統領の職を任された国民の一員であることを、決して忘れまいと強調しました。これは自身が如何にして、またなぜ大統領として選ばれたかを誰よりもよく理解していることを示しています。就任してから3ヶ月が経とうとしていますが、この間が一貫して見せた行動を見ますと、私的利益の追求のために国家権力を使ってきた前任者とは全く異なる、共和主義に徹している様子です。彼は側近にあたる人々を権力から排除し、有能な適任者を選び組閣しようとする努力を見せておりました。また国家のもっとも重要な役割は社会的弱者を労ることだと、はっきりと理解している人こそが行える言動を見せ続けています。
それで彼は就任後まず解決すべき課題として若者たちのための仕事を作ると公言し、同時に数多くの非正規労働者の正規雇用のための様々な取り組みを提案、また実行に移しています。先日には 国会内外の既得権勢力と保守メディアの頑強な抵抗と反対を押し切って、労働者最低賃金の大幅引き上げを断行する勇気も見せてくれました。
ところで、文在寅政府の新たな政策や提案を取り上げるより重要なことがあります。それは長年頭痛の種となっていた懸案である老朽化した原発--古里原発1号機--を閉鎖するとの決定を下し、またそれに続いて現在建設中の新しい原発の建設工事を一時中断させ、その工事再開は市民の決定に委ねると宣言したことです。興味深いのはその具体的なシナリオです。従来、国家の重大事はほとんど例外なく権力者や官僚、いわば専門家によって決められてきましたが、今回はそれを市民たちが主体となった市民陪審員団を構成し、そこでの充分な熟議や討議を経た決定に政府が従うとしたのです。
市民陪審員団は実質的に熟議や討議ができる小規模の会を指します。そしてこの会は一般の市民から無作為のくじ引きで選ばれた人々で構成されるとなっています。これは注目すべき点です。実はこの市民陪審員団というのは世界各国で既存の代議民主主義が持つ欠陥や限界を補うために実行されている「熟議民主主義」の一つの形です。例えばデンマークでは大分前から市民合意会議という名称のもとで、科学技術に関連する重要な問題をこのような方式をもって議論し、決定してきており、アイルランドやアイスランドでは近年、憲法改正について市民議会を構成し議論する仕組みを作り上げ、実行してきました。つまり、市民議会、市民合意会議、また市民陪審員団制はその名称こそ異なりますが、その内容は同様であり、これら全ては無作為の抽選方式を用いて平凡な市民たちが主体的に参加し、国家や地方自治体の重大事を決めるように設計された制度である、という特徴を持っています。実際にアメリカの法廷にて長らく行われてきた陪審制や近年日本と韓国でも導入、実行している裁判員制度、あるいは国民参与裁判制度も根本的には同じ原理に基づいた制度であります。
このように国家の重大事を抽選で選ばれた市民代表の主体的な決定に委ねるというのは古代ギリシャにおける民主主義の精神と原理を現代の状況に応じて復活させようとする試みだと言えるでしょう。ご存じのように古代アテネでは戦争の指揮官や財政官など特殊な能力や技術を必要とする職責以外の全ての行政官や裁判官を抽選方式で選びました。少数のエリートによる支配を防ぐためでした。選挙ではどうしても有名な人物や富裕層など、社会的特権層が当選されやすいため、そのような選挙制度が維持されるとエリートたちだけが権力を独占するシステムが膠着してしまい、結果として平凡な民衆の政治的発言の権利は必ず縮小してしまうと、古代のアテネ人たちは分かっていたのです。そしてアテネの人々は権力を手にした人間はほとんどの場合その権力を独占的かつ永久的に享受したいという誘惑に陥りがちであるという事実についてもよく理解していました。そのため彼らは特別な境遇を除いては全ての公職を平凡な市民のなかから抽選で選んだのです。あのアリストテレスも選挙は貴族政を維持する制度である反面抽選は民主政を維持する制度であると言ったわけです。
この頃、世界的に民主主義が衰退し、極右ファシストや権力欲のあるポピュリストが民衆を扇動し政治的指導者として登場する例が多く見られるようになりました。これは既成のエリート中心の政治に大衆が幻滅を覚えるようになったことと、選挙制度が本来有する限界とが相まって起こる現象とも理解できます。その意味において、民主主義を蘇らせるには、一挙に、また全面的に導入するのは難しいとしても、漸進的でまた部分的であっても上に述べた抽選制度を用いることが必要ではないかと思っております。
このようなアイディアは、もちろんかつてから多くの学者、知識人、思想家たちが既に提示してきたものですが、その代表例として私たちは小田実先生を挙げなければなりません。小田先生は 平和と民主主義のために尽くしたご自身の思想の出発点が古代ギリシャの民主主義であると考えておられました。小田先生が最後に残してくださった著作のタイトルが『オリジンから考える』となっているのは決して偶然ではないでしょう。
民主主義は複雑な理論を必要とする思想ではありません。民衆が自らの運命と暮らしを自らの力で決めていく、即ち自己統治の原理を具現するのが民主主義です。今日の世界は政治経済的にも、環境的にも、倫理的にも多大な危機的状況に置かれており、核戦争の可能性も今なお存在しています。この危機的状況を打開していくためには強力な指導者が必要だとファシストたちは主張しますが、実際に最も必要なのは真の民主主義の実践であることは明白な事実です。この点を考えても、今韓国で「ロウソク革命」の成果として民主政府が成立し、これまで積み重なってきた様々な弊害を一掃し、民主的価値と制度を蘇らせるために進めている多様な実験は、日本の皆様が関心を持ち、また注目してくださるに充分に値する価値があることだと私は思っております。ご清聴ありがとうございました。(2017722)