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2017年4月10日月曜日

安倍晋三の言動に見るファシズムの要素


- 反知性主義の安倍政権打倒のためには何をしたらよいのか

「ファシズム(全体主義)」をどう定義するかは人によって様々ですが、例えば、ロバート・パックストン(コロンビア大学歴史学部名誉教授)は自著The Anatomy of Fascism (邦訳は2012年に『ファシズムの解剖』として出版されているようです) の中で、ファシズム思想の特徴として以下のような要素をとりあげています。現在の自分たちの(国家)共同体が衰退状況にあるという強迫観念と被害妄想にとりつかれており、そうした衰退に対する屈辱感を克服するために、愛国主義、純血主義、伝統主義を唱え民族統一を目指すこと。そのためには民主主義・自由主義を破棄し、自分たちを縛るような都合の悪い倫理観や法律による行動制約をできるだけ無くし、同時に暴力を積極的に評価し使うことで、共同体内の民族浄化をすすめる一方、共同体外への進出を拡大することを目指す、というものです。また、ファシズムの特徴の一つとして「男性支配主義」を挙げる学者もいます。

これらを安倍晋三の言動に当てはめてみると、次のようなことが明らかとなります。

日本の国力が衰えてきているので、アベノミックスという新経済政策で「強い日本を取り戻す」と主張。ほとんど誰も読んでいないであろう安倍の(おそらくゴースト・ライターによる)駄作、『新しい国へ 美しい国へ』は、まさに、日本衰退という現実への強迫観念的な反応そのもの。しかし、アベノミクスの実態は、膨大な額の公的資金(郵便貯金、簡易保険、国民年金など)をつぎ込んで、株価の維持というギャンブル的手法だけで見せかけの経済繁栄を一時的に作り出しているだけ。この「見せかけ」メッキも今や剥げかかっていることは周知の通り。そのため、今度はカジノという文字通りのギャンブル産業を取り入れて、カジノミクスで経済刺激をというお粗末な政策。アベノミクスはギャンブルミクスと名称を変えたほうがよいでしょう。アベノミクスが導入されてから、日本経済はすでに5回もマイナス成長。1千兆円という気が遠くなるような借金額をかかえた世界一の借金国では、安倍のようなギャンブル的政策でどうヤリクリしても、財政破綻が近い将来起きることは間違いなし。市民生活に容赦なく襲いかかるという点で、財政破綻は大地震(とりわけその結果としての原子力大事故)と同じくらい恐ろしいことですが、安倍政権には、そのどちらに対しても全く危機感がないのが、これまた本当に恐ろしい。

その一方で、「日本は侵略戦争をした責任がある」という中国や韓国の批判には全く根拠がないのであり、我々は不当な批判をいつも受けていると被害妄想にとりつかれている。その屈辱感を克服すために、例えば、韓国には10億円という金で「慰安婦問題」で黙らせ、「少女像」を取り除けと、倫理観のかけらもないような強要をしておきながら、全く恥ずかしいとも思わない。「慰安婦は売春婦だったのだということは、朝日新聞の誤報でも明らかなところなのだ」と世界に向けて主張する、「男性支配主義=女性蔑視主義」の自分の醜さを醜いとすら感じない、その精神的な野卑ぶり。国内では、時代錯誤もはなはだしい「教育勅語」を幼稚園児にまで暗唱させ、愛国主義を叩き込む学校をいろいろな形で応援・支援。そんな時代錯誤的教育のために、安倍から100万円を寄付してもらったと国会証言した籠池には、実質的にはなんの反論もできないでいるのが現実。同時に、妄想にすぎない「民族統一」のためには、(「日本は天皇を国家元首とする平和的・調和的国家」だとする)天皇制を徹底的に政治利用する。明仁がこれに対して「生前退位希望」という形で反発しましたが、ほとんどなんの効果もなし。もともと効果を期待するほうがおかしいのです。効果を本当に期待するならば、明仁は天皇を辞め、天皇制を廃止することを訴えるべきです。

安倍は、さらに、議会制民主主義をなし崩しにし、法律や憲法は、さまざまな嘘と欺瞞を駆使して自分の都合の良いように曲解しながら、実際には法律違反、憲法違反を堂々と犯し、これについても恥ずかしいと思うような政治倫理的な罪意識はさらさら感じない。それどころか、「暴力=軍事力の積極的利用」を、「積極的平和主義」という言葉でまで誤魔化すその厚顔無恥ぶり。さらに構造的暴力とも呼べるような政治圧力と警察力を使っての、沖縄住民の基地反対運動の押しつぶし。そんな強権的な政府に批判的な言動をとる人間は、「共同謀議罪」で逮捕してしまおうと画策中。つまり、上記のファシズムの特徴的要素がすべて安倍晋三という人間には当てはまるのです。

しかし、私は、ファシズムには、これだけではなく、「権力の私物化」と「反知性主義」という要素もあると考えています。

世界の歴史上の独裁者を見てみれば明らかなように、独裁者は必ず「国家権力を私物化」しています。安倍による「国家権力の私物化」傾向も、これまで様々な局面で明らかとなってきました。例えば、壊憲を目指す様々なこれまでの動きなども、つきつめて言えば、A級戦犯容疑者として逮捕された「お爺ちゃん」岸信介の汚名をなんとしてもぬぐいたいという、彼のきわめて個人的、独善的な思いから発生していることは間違いありません。しかし、今回の森友学園事件をきっかけに明らかとなった、安倍の妻・安倍昭恵が行く先々に、なんと選挙応援にまで、国家公務員を「秘書」として同行させていたという事実、これは明らかに、「公私混同」という言葉ですませるような単純な性質のものではなく、まさに安倍夫婦による「国家権力の私物化」です。これについても安倍自身や安倍の太鼓持ちの菅義偉が、「夫人の活動は私的行為で、政府職員が同行したのは連絡調整などのサポートが目的」であるという内容の説明で誤魔化そうとし、その政府職員が明恵の要請で財務省の役人と連絡をとっていたことが分かると、「秘書が勝手にやったこと」と、これまた明らかに虚言と思われる説明。よくまあ恥ずかしくもなく、次々とこんなめちゃくちゃな説明ができるとものだと、驚きます。こんな説明を「ああ、そうですか」と受け入れるほど、国民は馬鹿だとでも彼らは考えているのでしょうか。

ここで気がつくのは、彼らの「知性のなさ」です。ただし、これを「反知性主義」と称してよいのかどうか分かりませんが。なぜなら「反知性主義」の定義にもいろいろあって、そう簡単には使えないからです。しかし、ここで私が言いたいのは、いろいろ議論されている学問的な意味での「反知性主義」ということではなく、「客観的事実とその事実の背後にある歴史事実を理性的に分析・判断し、その判断に基づいて適確な自己の対応を考える知力」を持たない、あるいはそうした知力を嫌い、拒否する言動のこと(はやく言えば、単に「馬鹿」ということですが<笑>)。この単純な意味での「反知性主義」は、安倍内閣の複数の閣僚たちの、これまで問題になった様々な言動からも明らかであることは、あらためて述べるまでもないでしょう。その中でも極めつきは、麻生太郎、高市早苗、稲田朋美でしょう。そしてつい先日、「自己避難は自己責任、裁判でもなんでも勝手にやったらいい」と逆ギレで本音を言ってしまった復興大臣の今村雅弘も、この単純「反知性主義」者の典型です。ちなみに、今村は、2006〜2009年に、キャバクラやバーで使った多額の飲食代も「組織活動費」や「政治活動費」の名目で何回も計上していたことが暴露されたことを思い出してください。「知性」のある人間がとるべき判断でないことは明らかです。

先日、安倍はこの単純「反知性主義」者の閣僚を伴って福島に行き、「私からも率直におわびを申し上げたい。…… 全力で復興に力を入れていく」と述べたとか。ところが、今村も安倍も、「自己避難は自己責任」ということについて間違っていた、とは一言も述べてはいませんし、「自己避難している人たちの生活を財政支援していく」とも述べてはいません。それどころか、「自己避難」を単に「自主判断」と言い換え、「自主判断にも責任はある」と主張。つまり、「謝罪」と言いながら、なにも主張は変えておらず、実質的には「謝罪」などしていないのです。おそらく、今村も安倍も、お互いに、「いい加減な言葉で、ごまかしておけばいいのだ」と陰では言っているに違いありません。つまり、あいかわらずの欺瞞と嘘だらけ。首相にも閣僚にも、品格のある「知性」が全く感じられないのです。

しかし、問題は、このような反知性主義者の人間の集まりが、反知性主義の親玉である安倍の膝元にかしずき、「国家権力の私物化」を許しているだけではなく、自らも閣僚として「国家権力の私物化」のおこぼれにあずかって、自分が権力者になったかのように喜んでいるという実態。このファシズム的傾向を強くもっている反知性主義の安倍政権をいかにしたら打倒できるのか。これを、今、真剣に考え行動しないと、日本社会はますますファシズム化の度合いを強め、市民社会崩壊への墓穴に落ち込んでいく加速度を強めていくことでしょう。

状況が悪いことには、日本政府が全面的に依拠するアメリカもまた、同じような反知性主義者の大統領の下でファシズム化傾向を強めており、つい最近のシリアへのミサイル攻撃のように、複雑な国際関係問題をミサイル攻撃という愚鈍な軍事力誇示で解決しようとし、結局はますます国際関係を悪化させているという状況です。このままいくと、世界は本当に危ないです、東北アジアも含めて。

こうした状況を考えると、私たちの前途は実に多難な状態にあります。地球温暖化と環境破壊、長引く中近東とアフリカの武力紛争による大量の難民、拡散して止まないテロによる無差別殺傷など、人類史上これまで私たちが直面したことのないような困難な問題が幾つも目の前に横たわっているにもかかわらず、なんら有効な処置をうちだそうとはしない、あるいは、できない各国政府と国連組織。この状況に対し、私たち市民社会にある者としては、何をなすべきでしょうか。ご意見をうかがわせていただければありがたいです。

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