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2017年1月18日水曜日

追悼:ウィーラマントリー判事


核兵器と原発の「人道に対する罪」」を訴えた続けた国際判事


2017年1月5日、元国際司法裁判所次長、国際反核法律家協会・会長のクリストファー・ウィーラマントリー判事が90歳で亡くなられました。慎んで哀悼の意を表します。

私がウィーラマントリー判事のことを初めて知ったのは、1996年7月に国際司法裁判所の「核兵器の使用と威嚇の適法性に関する」勧告的意見、すなわち「核兵器の使用と威嚇は一般的には国際法違反であるが、自衛のためには許される」という内容の意見が出されたときでした。この勧告的意見に対し、このとき判事の一人であったウィーラマントリー判事が「核兵器の使用と威嚇はいかなるときでも違法である」という長文の個別意見(=反対意見)を発表され、様々な観点からその違法性を明確に、鋭く指摘されたのを読んで、私はいたく感激しました。私は当時、メルボルン大学政治学部で教えていましたが、1972年から91年まで、ウィーラマントリー判事がメルボルンの別の大学、モナシュ大学法学部の教授であられたことを、恥ずかしながら、そのときは全く知りませんでした。後年、ウィーラマントリー判事と知り合ってから、国際司法裁判所判事を務めておられたときも、まだメルボルンにご自宅があり、しばしばメルボルンに帰っておられたことをお聞きして、そのときお会いしなかったことを残念に思った記憶があります。

私がウィーラマントリー判事と直接お会いしたのは、はっきりいつだったのか憶えていないのですが、おそらく2005年か2006年頃だったかと思います。2000年には国際司法裁判所判事の職を辞され、生まれ故郷のスリランカに戻られ、平和ウィーラマントリー国際平和教育研究センター」の設置に努力されました。私がお会いしたのは、ウィーラマントリー判事がそのセンター設置のための資金集めのために日本を訪問されていたときで、その折、広島にも訪問され、当時まだ市内にあった広島平和研究所の私の研究室にまで足を延ばしていただいたことに本当に光栄に感じました。

ちょうどそのとき、私は、広島の反核平和活動家仲間たちと「原爆投下を裁く国際民衆法廷」の2007年7月開廷を準備していた真っ最中だったので、これは好機と思い、ウィーラマントリー判事にこの民衆法廷の計画をご説明して、「民衆法廷で裁判長を務めていただけませんか」とお願いしてみました。「もちろん、喜んで」という即答をいただけるものとばかり思っていたのですが、実際の反応はきわめて否定的でした。「民衆法廷」の意義について、ウィーラマントリー判事がきわめて懐疑的であることを説明されるのを聞いて、スリランカの最高裁判所判事や国際司法裁判所判事というポストを務められた人には、「民衆法廷」が実定法に及ぼす効果が極めて弱いという思いが強かったのだろうと思います。私たちは、「民衆法廷」の意義を「市民の反核意識と戦争犯罪責任に対する問題意識の高揚」に主たる目的をおいており、実定法に及ぼす効果についてはあまり考えていませんでしたし、今も、この考えに間違いがあるとは私は思っていません。

少し話はそれますが、当時、核兵器使用と威嚇の「違法性」ということを明確に主張する国際法専門家はひじょうに少なく、とりわけ「威嚇」、すなわち「核抑止力」の違法性を主張する国際人道法専門家は稀でしたし、今も、そういう専門家はひじょうに少ないです。その稀な存在の一人が米国のフランシス・ボイル教授で、彼は2002年に The Criminality of Nuclear Deterrence(『核抑止力の犯罪性』) という著書を出しています。私は国際法の専門家ではないのですが、戦争犯罪について自分なりに長年勉強してきたため、ニュールンベルグ法を「核抑止力」に当てはめれば、これは「核兵器の使用=人道に対する罪」を犯すことを準備しているという点で、明らかに「平和に対する罪」だという主張をあちこちでしてきましたが、まさに同じことを、もっと詳細に国際法の観点から論述したのがこのボイル教授でした。このボイル教授やウィーラマントリー判事の論述を翻訳して、積極的に日本で紹介される努力をされてきたのが浦田賢治先生で、2012年には、浦田先生ご自身の論考やボイル教授、ウィーラマントリー判事の論考を集めた『核と原発の犯罪性国際法・憲法・刑事法を読み解く』(日本評論社)というすばらしい編著を出されています。実は、ウィーラマントリー判事に「原爆民衆法廷」の裁判長になっていただくことができなかったので、そのあと、ボイル教授に打診しましたが、残念ながら、その時点ですでに2007年のスケジュールが決まっていて、広島には行けないないというお返事でした。

話をウィーラマントリー判事に戻します。2回目にお会いしたのは、2010年5月のニューヨークの国連ビルで開かれたNPT再検討会議のためのNPO会議ででした。その会議の企画の一つとして、ウィーラマントリー判事を含む数人の法律家が、核兵器の使用と威嚇の違法性に関する考えをどのように市民に広げていくか、そのアイデアを述べられるワークショップが持たれました。私もそのワークショップを傍聴し、質問時間に、「核兵器だけではなく、劣化ウラ弾や通常爆弾による市民無差別攻撃も<人道に対する罪>であるので、核兵器であろうと通常爆弾であろうと<無差別爆撃>自体を違法化することが必要なのではないか。それをとりあえず最も早く達成するためには、ジュネーブ協定追議定書を修正して、「追加議定書」の第4部に、「いかなる状況においても、核兵器・ウラン兵器などの放射能兵器、化学・生物兵器、焼夷弾など、市民を危険にさらし環境を破壊する可能性のある全ての大量破壊兵器・無差別殺傷兵器の使用を禁止する」という内容の一条項を追加することではないのだろうか。「いかなる状況においても」という表現を入れる理由は、現行の追加議定書では、軍事目標攻撃の際に、故意でなければ(つまり非意図的であれば)市民に死傷者を出すことが許されているので、これも許さないというように修正すべきだからだと考えるからです。この意見に関して、ウィーラマントリー判事はどのように考えられますか、という内容の質問をさせていただいた。(ちなみに、この私見は、2010年NPT討会議に向けて - 廃絶をめざすヒロシマの会HANWAからの提言 - http://www.e-hanwa.org/announce/2010/81 として発表されました。)

しかし、そのほかにもいろいろと質問が出ていたため、ウィーラマントリー判事が私の質問にお答えになられる前に、私は人に会う約束時間が迫っていたので、会議場を出てしまい、そのお答えを聞き損ねてしまいました。後日メールでお訊ねしようかと思いつつも、質問をしておきながら会議場を途中で離れたことがたいへん失礼だと思い、結局、聞きそこねてしまいました。

その翌年2011年の東日本大震災の3日後の3月14日に、ウィーラマントリー判事からメールをいただきました。その内容は「日本においての原子炉の惨劇 - 世界の環境 担当大臣に向けた公開書簡 -」というもので、反核反原発運動に関わっている世界中の多くの人たちに送られたものでした。 書簡の内容は、原子炉運転と拡散が「将来の世代に対する犯罪」であり、「人道法、国際法、環境法、ならびに国際的な持続可能な発展に関する法のすべての原則に反する」というもので、世界各国の環境担当大臣に即刻原子炉を停止し、代替エネルギー・システムの開発に努力すべきであると呼びかけられたもので、いつものウィーラマントリー判事の明快で感動的な文章で、私も大いに刺激を受けました。ちなみに、ボイル教授も、福島原発事故の直後に、原発産業そのものが「人道に対する罪」であるという、ウィーラマントリー判事と同じような主張を展開されました。このお二人の論考は、すでに紹介した浦田先生の編著の第1部「ヒロシマからフクシマへ」の第1、2章として含まれていますので、ぜひお読みください。
同じ2011年6月に、オランダのハーグにある出版社から出版された、2人の国際人道法学者の私の友人と私の3人での共同編著Beyond Victor's Justice? The Tokyo War Crimes Trial Revisited の出版記念会がハーグで開かれました(日本語版『再論東京裁判何を裁き何を裁かなかったのか』大月書店2013年)。おそらく、ウィーラマントリー判事に出席していただくのは無理だろうとは思いつつ、ただ本の出版をお知らせしたくて、一応、出版記念会への招待状を数ヶ月前に出しておきました。ところがウィーラマントリー判事が出版記念会の会場に実際に顔を出されたのには、私もびっくりしました。奇しくも、ちょうどその出版記念会の数日前にポーランドで国際反核法律家協会の会議が開かれ、会長をされていたウィーラマントリー判事がその会議に出席され、その帰国途中にハーグまで来ていただいたのです。もちろん、ハーグにはウィーラマントリー判事の知人がたくさんおられるので、出版記念会の出席だけが目的で来られたわけではないでしょうが、それでもたいへん光栄に感じました。そのときは、ウィーラマントリー判事は「福島原発事故」の問題ばかりを話題にされ、差し上げた本の内容については全く触れられませんでした(笑)。反原発運動でしっかりやりなさいと叱咤激励をさかんに受けました。とてもお元気そうで、これがお目にかかる最後になるとは、そのときは予想もしていませんでした。

前田朗さんの呼びかけで、2102年2月から「原発民衆法廷」を東京、大阪、郡山、福島、四日市、熊本、札幌などで開き、私も前田さん、鵜飼哲さん、岡野八代さんと一緒に判事団の一員を務めました。同年7月には広島でも法廷を開廷しましたが、そのとき、判事のみなさんと相談して、ウィーラマントリー判事を広島に証言者としてご招待し、講演していただくという案を私が出しました。みなさん賛成されたので、ウィーラマントリー判事に打診のメールを出したのですが、「原爆投下を裁く国際民衆法廷」のときと同じように、良いお応えはいただけませんでした。出席できない理由については、スケジュールが合わないというような簡単な説明だけで、はっきり書かれてはいませんでした。

したがって、ハーグ以来お会いできなかったのは残念ですが、原発民衆法廷の広島法廷での決定(=判決文)執筆を担当した私は、ウィーラマントリー判事の核兵器と原発に関するご意見をおおいに参考にさせていただきました。この判決文は、「自滅に向かう原発大国日本原発・核兵器政策による国民殺傷行為をいかに阻止すべきか」①②(『広島ジャーナリスト』18号、19号、2014年)として発表しましたので、ご笑覧いただければ光栄です。

そのようなわけで、ウィーラマントリー判事との個人的な交流はそれほど深くはありませんでしたが、私は彼の著書や論考からひじょうに多くのことを学ばせていただきましたことを、再度ここに記して、心から感謝を申し上げますと同時に、ご冥福をお祈りいたします。

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