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2016年9月27日火曜日

「天皇は平和主義者」?:後日独白


日本国憲法は平和憲法? - 安倍政権「万民翼賛体制」推進の危険性を考える



 「第九条の会ヒロシマ」会報91号に掲載していただいた拙論「『天皇は平和主義者』? — 71年前にもあった話のはず —」を、今月10日にこのブログで紹介させていただいた。以下はその続編とも言える、独白である。ご笑覧いただければ光栄である。



大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性

 実は、明仁を「平和主義者」と見なすことだけではなく、現行の日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶこと自体に、私は最近疑問を持つようになってきている。こんなことを言うと、「第九条の会」のメンバーの仲間からおしかりを受けそうであるが、九条そのものはあくまでも擁護すべきという意見には変わりがないし、擁護するだけではなく、実際にどのように活用すべきかを私たちは考えるべきだというのが私の持論である。それだけではなく、憲法前文は九条に勝るとも劣らないすばらしい内容であって、特に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」という一節などは、国連憲章に含まれるべき類の名文である、と私は思っている。にもかかわらず…..、なのである。

 なぜか。その理由は、現行憲法が、私たちの通念とは違って、明治憲法=大日本帝国憲法を引きづっている面がかなりあるように私には思えるからだ。周知のように、現行憲法は1946年に公布されたが、形としては旧明治憲法第73条・憲法改正条項に基づいて、天皇裕仁の名によって制定・公布された。つまり、神聖不可侵な絶対権力の象徴である天皇、しかも無数のアジア人と自国民を殺傷した最終的戦争責任者である人間が、「民主憲法」を制定、公布するという、倫理的には甚だ不条理な、と言うより本来あってはならない手続きをとっている。しかし、法的な手続き上は、現行憲法はあくまでも大日本帝国憲法の「改正」なのである

民衆の側から明治憲法廃棄運動を起こして、民衆が自主的に憲法を制定したわけではないし、それだけではなく、戦時中に民衆を徹底的に抑圧し苦しめた治安維持法や治安警察法などの廃棄要求運動を日本国民が起こした結果でもない。換言すれば、裕仁の名前で、戦前の「ファシズム体制」が戦後「民主国家」に「平和的に移行」したわけである。一方、戦争責任は、連合諸国による東京裁判でごく一部の軍人、政治家、思想家にのみ負わすことで済まされてしまい、これまた我々民衆の側から自主的に戦犯追及を迫ることはほとんどなかったとは周知のところである。



裕仁の詔勅・詔書の形式的断続性と実質的連続性

 このような形での新憲法制定・発布での「平和移行」が、果たして国家としての日本を根本的に「平和国家」に改革したと言えるのだろうか、というのが私の疑念なのである。この形式的「平和移行」は、実は裕仁が出した詔勅にもはっきりした形で現れている。ポツダム宣言を受諾することを表明するために1945815日に出された詔勅については、2015421日にこのブログに載せた「敗戦70周年を迎えるにあたって戦争責任の本質問題を考える」で、私は次のように説明した。



「神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ」(神の国である自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け)よと述べているように、敗戦によっても、日本が「神」である自分を国家元首に戴く「神州不滅の国」であることに変わりがないことを再確認している。その再確認の上に、日本社会を徹底的に破壊した自分の責任は棚に上げて、国民に対しては、「お前たちには、神の国の復興に努力する責任がある」と、一方的に要求しているのである。



 ところが、1946年の年頭の詔書(いわゆる「人間宣言」)では、「朕ハ爾(なんじ)等国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等 国民トノ間ノ紐帯(じゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」(私は諸君ら国民とともにある。常に利害を同じくして、喜びも悲しみも分かちあいたい。私と諸君ら国民との結びつきは、終始相互の信と敬愛とによって結ばれ、なる神話と伝によって生まれたものではない)と述べて、天皇と国民が一体であることを強調している。つまり、敗戦時には、いまだ「国民の義務は天皇である自分に対し引き続き忠誠心を持ち、従え」と命令しているのに対して、その後5ヶ月もたたない1946年の年頭では、自分の方から国民のレベルまで降り立って、国民にこびるような態度をみせている。もちろん、この態度の極端な変化は、戦犯裁判で訴追される可能性があることをひどく恐れていた裕仁が、生き残りをかけてとった様々な行動の一つであったことは言うまでもない。しかもこの「人間宣言」の冒頭では、明治天皇発布による「五箇条の御誓文」をあげて、日本政治はこの「出発点」に戻るべきでると主張しているのである。しかし、基本的には、憲法と同じように、ここにも「絶対主義天皇」から「民主主義的君主」への「天皇制」の「平和的な移行」が見られる。



新旧憲法に一貫して流れる「国体」観念と「万民翼賛体制」の危険性

 ところが、その「平和的な民主憲法」の1条から8条までが天皇に関する条項であり、これは明治憲法の章だてに沿って設定されていることを、私たちはすっかり忘れているのではなかろうか。明治憲法の1条から17条までが天皇関連条項であり、その1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」が、現行憲法では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位 は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と一応は大変換している。なぜ「一応」なのか。それは、考えてみれば、旧憲法下の日本社会でも天皇は「国体」=「国の形」の生きた象徴(現人神)であったのであり、この国体の下で「万民翼賛体制」が布かれた。この「国の形の象徴」は、そのまま「日本国の象徴、日本国民の象徴」に継承されていることは明らかである。ということは、現行憲法の第1条は「新しい形での<国体>体制」を基本的に謳っていると言えるのではなかろうか。

 もう一度この1条をよく読んでみよう。天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」問題は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるが、この憲法が制定される前に、実際に国民投票で「国民の総意」が問われることは全くなかった。さらに、この条項は、我々国民が天皇の地位を一方的に規定しているかのように見えるが、よく読んでみるならば、実は我々「国民」の存在もまた象徴である天皇に規定されていると見なすべきではなかろうか。つまり、逆説的に言えば、天皇の地位は国民の総意に基づいているのであるから、その総意に反対である人間は「国民」とはみなされないということになるのではないか、というのが私の理解である。それが言い過ぎであるという批判があるならば、天皇裕仁が「国体の象徴」であり続けることを認めた上で、日本の民衆は新たに「国民」になったのだ、と言い換えてもよい。

 なお、GHQが用意した憲法草案の英語版の1条は、「The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. 」(強調:田中)である。英語では「the people=人民」という言葉が使われているのに対し、日本語では「国民」となっている。微妙な違いではあるが、私にはひじょうに重要に思える。つまり、1条では、主権者であるべき「人民」一人一人の「個人」的存在が、明治憲法下と同様に、「国民」という全体的統一観念で無意識のうちに否定されているのではなかろうか、という疑念を私はどうしても拭えないのだ。それは、「天皇は国民と共にあり」=「天皇・国民は一体」という虚構の日本社会を作り出している重要な要因であり、拙論「天皇は平和主義者?」でも述べておいたように、天皇が現れる場所には、日本社会の政治社会問題をめぐるあらゆる喧騒・紛争があたかも存在しないかのような虚妄を作り出す重要な機能となっているのではなかろうか、というのが私の考えだ。

 いずれにせよ、私が言いたいのは、この1条には、明治以来の「天皇=国体」観念がその根底には流れ続けているのであり、政治状況に極端な変化があれば、再び日本社会を「万民翼賛体制」へと押しやる危険性を孕んではいないか、というのが私の懸念なのだ。それはあまりにも大げさではないかという批判があるかもしれない、しかし、事実、「万民翼賛体制」への危険性はすでに、926日の衆議院本会議であらわになっている。安倍晋三が所信表明演説で自衛隊員らを讃える拍手を合図に、自民党議員が全員一斉起立して拍手するという異常な姿は、「万民翼賛体制」下の日本社会では全く異常なことではなかった。こんなことが、今、堂々と国会議事堂内で行われ始めたのだ。憲法が改悪されて天皇が「元首」となるなら、「万民翼賛体制」への動きは急激に加速されることは日の目を見るより明らかだ。日本は、もうここまで「ひじょうに危うい」状況に落ち込んでいるというのが、私の憲法第1条との関連での想いだ。
 
実は、現行憲法第1条は、裕仁の戦争責任問題を完全に棚上げし、さらには忘却させる上で極めて重要な役割を果たしたと私は考えているのだが、この問題については、いつか機会をあらためて、詳しく論じてみたい。

新旧憲法に見られるその他の連続性

 他にも、見えにくい形ではあるが、明治憲法からの「引きずり」、とりわけ「理念的引きずり」はまだまだあるが、詳しく議論している時間的な余裕が今はないので、ごく数点だけ挙げておきたい。



 明治憲法第15条「天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス」は、現行憲法第7条第7項「栄典を授与する」にほとんどそのまま継承され、勲章制度もその後復活して、栄典・勲章制度で国民のランク付けと国家忠誠心が相変わらず測られるという制度が維持されている。

 明治憲法では、居住・移転の自由、所有権の自由、信教の自由、言論・著作・集会結社の自由などが認められているが、それらの全てが、「法律に定めたる場合を除く」、あるいは「法律の範囲内」とか「安定秩序を妨げず臣民たる義務に背かざる限り」という条件付きの下である。これに対し、現行憲法第11条では、これらの「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(強調:田中)となっている。しかし、我々個々人の基本的人権は国家から「与えられる」ものではなく、個々人が本来、誰にも侵されることのない本源的な個人的権利として、最初から有しているものであると、私は信じる。国が基本的権利を上から「与える」というこの観念は、明治憲法の国家理念のイデオロギー的遺制ではなかろうか、と私は考える。こうした国家理念が安倍晋三のような全体主義的政治家や多くの公務員に今もって強く継承・維持されているのは間違いない。彼らにとっての基本的人権は、いまだに旧憲法の「法律に定めたる場合を除く」あるいは「法律の範囲内」での、「上から与える人権」なのだと思われる。そのことは自民党の「憲法改正草案」にも如実に表れている。

 現行憲法第15条では、「公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とされているが、彼らにとって「全体」とは「主権者である国民一人一人」ではなく、「国体=象徴天皇の下で統合された日本国民」=「国家」なのである。したがって、そのような国家理念をもった政治家や公務員にとって、当然のごとく「国民」は、基本的人権の保有者ではなく、「管理」の対象とみなされる。このことを明示している具体的な例は多々あるが、文部科学省の公務員による独断的教科書検定や教員の抑圧的管理政策はその典型的な一例である。

 主権者一人一人が有する厳然たる「基本的人権」という理念の、日本社会における希薄性は、日本の法曹界にも強く残っているのではないかとも私は考えている。例えば、最高裁を含む日本の裁判所が、住民の基本的人権と深く関わっている米軍基地問題、自衛隊海外派遣活動や原発設置・原発再稼働問題など、公権力の「違憲性」に関わる重大な訴訟では、ほとんどの裁判官がその「違憲性」の問題に真っ向から判断を下すことを避けて「逃げ」の姿勢をとっている(この点で、2014521日に出された大飯原発差止請求裁判の判決はまさに例外であった)。

  まだまだ述べたい事例はあるが、今はこのくらいで終わりにしておきたい。「独白」にしては長すぎた(苦笑)。ただ、最後に、新旧憲法の連続性とはあまり関係ないが、私が現行憲法上でどうしても改正すべきだと思う、もう一つの条項について一言述べておきたい。それは24条である。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する ことを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」(強調:田中)

 私は、この条項の「両性」を「両人」に改正すべきだと考えている。相手が異性であろうが同性であろうが、互いに愛し合う権利は、あくまでも二人のプライベートな問題であって、他人に、ましてや国家にとやかく言われる問題ではない。それは、あくまでも侵されてはならない基本的人権である、と私は考える。愛し合う人間が安心して平和に暮らせないところに、本当に平和な社会が構築されるはずがない。



2016年9月24日土曜日

The Second Edition of the Autobiography of a Japanese Military Sex Slave, Maria Rosa Henson


日本軍性奴隷マリア・ロサ・ヘンソンさんの英語版自伝・第2版の出版

The second edition of Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery Under the Japanese Military, the autobiography of a former Japanese Military Sex Slave, Maria Rosa Henson (1928-96) is now available. This new edition has an expanded version of my introduction as well as a new foreword by Cynthia Enloe. The new introduction contains a concise analysis of Japan’s current prime minister, Abe Shinzo’s involvement in the “comfort women bashing” since the early 1990s. I sincerely hope this little book will contribute to the international civil movement against the Japanese government’s appalling ploy to erase the so-called “comfort women issue” from historical records. I would also be grateful if you could utilize the new e-book version of this moving autobiography of one of the many victims of the Japanese military sex slave system.    



フィリッピンで日本軍性奴隷にされたマリア・ロサ・ヘンソンさん(1996年没)の自伝、Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery Under the Japanese Militaryの初版本は1999年にアメリカで出版されました。拙文ながら私が解説を担当しました(日本語版は、藤目ゆきさんが翻訳された『ある日本軍慰安婦の回想』岩波書店)。このたび、この英語原書の第2版を出すことになり、私の解説を大幅に加筆し(安部晋三批判も加えました)、さらに新しくシンシア・エンロー教授による前書きも加えました。シンシア・エンローさんは、みなさんもご存知かと思いますが、軍性暴力問題や戦争が女性にもたらす様々な影響問題に関する多くの著書のあるアメリカのフェミニスト学者です。日本では、『争の翌朝 - ポスト冷時代をジェンダーで』 、『策略 - 女性を軍事化する国際政治』が翻訳されています。元日本軍性奴隷に対する非道な攻撃と、日本軍性奴隷制度という厳然たる歴史事実の抹消をはかっている安倍晋三政権に対抗する市民の連帯運動を、世界的な規模で強化拡大させていくための一つの資料として、被害者によるこの感動的な自伝を役立てていただければ光栄です。今年末からは比較的安価なE-book 版もできましたので、おおいに活用していただければ嬉しいです。


























2016年9月14日水曜日

U.S. President Obama’s Visit to Hiroshima: a Critical Commentary through the Eyes of Hannah Arendt


Obama and Hirohito: the impact of their visits to Hiroshima

In 1964, Hannah Arendt analyzed in detail the relationship between crime and responsibility in her lecture ‘Personal Responsibility Under Dictatorship.’ Arendt’s aim was to provide a response to stormy criticism of her book Eichmann in Jerusalem, published a year before. In her talk she said:

 

There exists in our society a widespread fear of judging that has nothing to do with the biblical “Judge not, that ye be not judged,” and if this fear speaks in terms of “casting the first stone,” it takes this word in vain.



What I wish to point out …… is how deep-seated the fear of passing judgment, of naming names, and of fixing blame – especially, alas, upon people in power and high position, dead or alive – must be.



This lecture provided a brilliant discussion of the issues of state crime and responsibility. More than half a century on, on May 27, 2016, U.S. President Barack Obama visited Hiroshima. There he addressed neither the crime of indiscriminate mass killing in the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki; nor the responsibility of the U.S. state for that crime against humanity that men from the U.S. government and military forces committed 71 years ago. It was not because of fear of passing judgment that the majority of citizens of Hiroshima and of Japan eagerly welcomed Obama’s 50-minute visit to ground zero and greeted with acclaim his 17-minute speech – a speech that contained no apology whatsoever for America’s actions. Simply put, the Japanese exhibited amnesia - a complete loss of memory about the real significance and gravity of the genocidal nuclear attack on tens of thousands of defenseless civilians. It was also amazing to observe the way that, with only a few exceptions, Japan’s entire media including the main local newspaper Chugoku Shimbun praised Obama’s courage in visiting Hiroshima to articulate his “dream” for the abolition of nuclear weapons.



For this inappropriately festive event 5,600 police officers were mobilized to maintain tight security in and around Peace Park. The visit reminds us of Emperor Hirohito’s first post-war visit to Hiroshima on December 7, 1947. Then, about 50,000 civilians - including many A-Bomb survivors - enthusiastically welcomed Hirohito at ground zero, singing the national anthem in unison. In response, Hirohito made a short and simple statement:



Thank you for your warm welcome. Today I feel satisfied, having seen the progress in the reconstruction of Hiroshima City. I sympathize with the misfortune that the citizens of Hiroshima suffered. You must contribute to world peace by building a peaceful Japan so that we Japanese do not waste the lives that victims have sacrificed.



Hirohito, apparently unapologetic, never mentioned his own responsibility for the “misfortune” and “sacrifice” that he as the Grand Marshall of the Japanese Imperial Forces caused Japanese citizens as a consequence of the 15 year long war, conducted in his name.  



As soon as Japan surrendered to the Allied nations on August 15, 1945, the Japanese government adopted a national doctrine, “National Acknowledgement of Japanese War Guilt”, claiming that, as far as Japan’s actions during the war were concerned, the entire nation was guilty. The real purpose of this doctrine was to obscure the facts about where the guilt actually lay, allowing wartime leaders, including Hirohito, to evade personal responsibility. In addition, Hirohito was falsely presented as a peace-loving victim of war who had been politically used and manipulated by a small group of militarists. In order to enhance this myth, between February 1946 and December 1947, Hirohito visited hundreds of cities and towns – with the notable exception of Okinawa - throughout Japan, meeting millions of ordinary citizens who had been his “subjects” until Japan’s new constitution was promulgated on November 3, 1946. As a consequence of this grand tour, the Japanese people perceived Hirohito as an archetypal war victim, a national symbol of war victimhood. Hiroshima was the last destination of this nation-wide tour. For the citizens of this city, including A-Bomb survivors, Hirohito was identified as a revered symbol of the suffering of war. Consequently, a feeling that might be called the “National Sentiment of Japanese War Victimhood” soon infiltrated the country, completely replacing the concept “National Acknowledgement of Japanese War Guilt.” As a result, all other Asian victims of Japanese war atrocities were excluded from the Japanese sense of war victimhood. For a long time, even Korean A-bomb victims were unacknowledged as casualties of the bombing.



Obama’s recent stopover in Hiroshima was as effective as Hirohito’s visit to that city had been in that it badly emasculated Japan’s anti-nuclear and peace movements. It also caused serious damage to Japan’s democracy. The aim of this short essay is to provide an analysis of the adverse impact on Japan of Obama’s visit, in particular his visit to Hiroshima. I will apply Hannah Arendt’s analysis of crime and responsibility as expounded in her two lectures, ‘Personal Responsibility Under Dictatorship’ and ‘Collective Responsibility.’*



Guilt as an attribute of an individual

Arendt described the victims of the holocaust as “innocent people who were not even potentially dangerous” to the Nazis, and claimed that they were killed “not for any reason of necessity but, on the contrary, even against all military and other utility considerations.” The same arguments can be applied to the victims of the atomic bombing. Citizens of Hiroshima and Nagasaki were “not even potentially dangerous” to the U.S. at that time, even though, as citizens of the nation conducting the war of aggression, they were not entirely “innocent”.



As has been well substantiated by a number of historians, the real aim of the U.S. in employing nuclear bombs against Japan was to demonstrate to the Soviet Union the mass-destructive power of the new weapon, and thus to discourage the Russians from embarking on war against Japan. As many military leaders in the U.S. forces thought at the time, strategically, to end the Asia-Pacific War, the use of a nuclear weapon was not remotely necessary. Rather than military or other reasons, the real motivation was political. Deployment of these bombs was undoubtedly a grave criminal act that violated international laws including the Hague Convention II of 1899; Hague Convention (IX) Concerning Bombardment by Naval Forces in Time of War of 1907; the Hague Rules of Aerial Warfare of 1923; and the 1925 Geneva Protocol. Of course, this indiscriminate mass killing of civilians was a crime against humanity.



The people who committed these appalling crimes were unquestionably “criminals.”  Among them were U.S. President Harry Truman, War Secretary Henry Stimson, Secretary of State James Byrnes, General Leslie Groves, and Dr. Robert Oppenheimer as well as many other bureaucrats, military leaders and scientists. They participated in the decision to use the bombs and the selection of targets, knowing that tens of thousands of people would be killed as a result. According to the judgment of the International Peoples’ Tribunal on the Atomic Bombing of Hiroshima and Nagasaki held in Hiroshima between 2006 and 2007, these people were guilty of conspiracy to the committal of war crimes and crimes against humanity.** Although they committed these crimes as a group, they were individually guilty of criminal acts. This is because, as Arendt explained, “there is no such thing as collective guilt or collective innocence; guilt and innocence make sense only if applied to individuals.” The criminal court is therefore the place “where not systems or trends or original sin are judged, but men of flesh and blood like you and me, whose deeds are of course still human deeds but who appear before a tribunal because they have broken some law whose maintenance we regard as essential for the integrity of our common humanity.”



Arendt elaborated further on this point:



Legal and moral standards have one very important thing in common – they always relate to the person and what the person has done; if the person happened to be involved in a common undertaking as in the case of organized crime, what is to be judged is still this very person, the degree of his participation, his specific role, and so on, and not the group.



The judges (of the Eichmann trial) took great pains to point out explicitly, in a courtroom there is no system on trial, no History or historical trend, no ism, anti-Semitism for instance, but a person, and if the defendant happens to be a functionary, he stands accused precisely because even a functionary is still a human being, and it is in this capacity that he stands trial.



Equally, the crime of indiscriminate mass killing committed by Truman, Stimson, Byrnes and others should be judged as the deeds of people in their capacity as individual human beings, not in their roles as functionaries - U.S. President, War Secretary, Secretary of State and the like. Those who, on August 6 and 9, 1945, indiscriminately killed by bombing Hiroshima and Nagasaki over 210,000 people, mostly civilians, including 40,000 Koreans , were human beings and not a national government or a military force. And, like the terrible deeds committed by the Nazis, the crime that was the deployment of atomic bombs was “not committed by outlaws, monsters, or raving sadists, but by the most respected members of respectable society.”



Clearly, the issue of responsibility cannot be addressed without an acknowledgement that crimes have been committed. Oblivion about crime directly leads to oblivion about responsibility. Conversely, oblivion about responsibility connects directly with concealment of crime.



Justification of crimes by means of the theory of reason-of-state

The problem is, however, that serious war crimes such as the holocaust and the atomic bombing committed during the war, in particular those committed by a victor nation, are hardly ever punished by law. Regarding this phenomenon, Arendt argued:



The theory behind the formula of acts of state claims that sovereign governments may under extraordinary circumstances be forced to use criminal means because their very existence or the maintenance of their power depends on it; the reason-of-state, thus the argument runs, cannot be bound by legal limitations or moral considerations, which are valid for private citizens who live within its boundaries, because the state as a whole, and hence the existence of everything that goes on inside it, is at stake. In this theory, the act of state is tacitly likened to the “crime” an individual may be forced to commit in self-defense, that is, to an act which also is permitted to go unpunished because of extraordinary circumstances, where survival as such is threatened.



Yet Arendt found this argument inapplicable to the crimes committed by the Nazis because such “crimes were in no way promoted by necessity of one form or another; on the contrary, one could argue with considerable force that, for instance, the Nazi government would have been able to survive, even perhaps to win the war, if it had not committed its well-known crimes.” Likewise, as discussed earlier, the crime of the deployment of atomic bombs was “not prompted by necessity.” By August 1945, it was clear to anyone’s eyes that there was no threat to the existence of the U.S. as a nation, and that the U.S. would be able to win the war against Japan, even without resorting to atomic bombs.



President Truman justified the criminal act of instant and indiscriminate killing of 70-80,000 citizens of Hiroshima with the ironic excuse that it was “to avoid, insofar as possible, the killing of civilians.” It is well known in the United States that this justification for the atomic bomb attacks was subsequently further inflated with the 1947 claim that using the bomb had saved the lives of one million people, and the claim that the war would not otherwise have ended. Even today, this assumption is deeply rooted in the beliefs of most Americans. This American justification of the indiscriminate mass killing cannot be supported even by the theory of the reason-of-state. Thus it is nothing but a myth unsupported by any convincing evidence or logical argument whatsoever. 

  

Debates on the question of whether the atomic bombing was right or wrong tend to be focused on the issue of the historical “necessity” of using the bomb to end the Asia Pacific War. Such debates about circumstantial conditions evade the most important issue – the criminality of indiscriminate mass killing with nuclear weapons.



Collective responsibility vs. personal guilt

As Arendt rightly argued, guilt “always singles out; it is strictly personal,” and “it refers to an act, not to intentions or potentialities.” On the other hand, there are two kinds of responsibility – personal and collective. When an individual acts, personal responsibility is ascribed to the person concerned. Yet Arendt emphasized the importance of collective responsibility, contrasting it with moral and /or legal (personal) guilt. She defined collective responsibility as follows:   



Two conditions have to be present for collective responsibility: I must be held responsible for something I have not done, and the reason for my responsibility must be my membership in a group (collective) which no voluntary act of mine can be dissolve, that is, a membership which is utterly unlike a business partnership which I can dissolve at will. …… This kind of responsibility in my opinion is always political, whether it appears in the older form, when a whole community takes it upon itself to be responsible for whatever one of its members has done, or whether a community is being held responsible for what has been done in its name. The latter case is of course of greater interest for us because it applies, for better and worse, to all political communities and not only to representative government. Every government assumes responsibility for the deeds and misdeeds of its predecessors and every nation for the deeds and misdeeds of the past. This is even true for revolutionary governments which may deny liability for contractual agreements their predecessors have entered into.



“Personal Responsibility.” This term must be understood in contrast to political responsibility which every government assumes for the deeds and misdeeds of its predecessor and every nation for the deeds and misdeeds of the past. …… And as for the nation, it is obvious that every generation, by virtue of being born into a historical continuum, is burdened by the sins of the fathers as it is blessed with the deeds of the ancestors.



Here, Arendt was undoubtedly imagining German national responsibility for various atrocities that the Nazis committed during the war.



But these ideas can be applied to any nation including Japan and the U.S. We, who were too young to be involved in World War II or were born after the war ended, are of course not guilty for our ancestors’ misdeeds, either morally or legally; yet, because we reap the rewards of those acts, we are held responsible for them. The question is: why must we be held responsible for acts in which we have had no part, simply because we are citizens of the same nation as our forebears?



This is Arendt’s answer to this question:



This vicarious responsibility for things we have not done, this taking upon ourselves the consequences for things we are entirely innocent of, is the price we pay for the fact that we live our lives not by ourselves but among our fellow men, and that the faculty of action, which, after all, is the political faculty par excellence, can be actualized only in one of the many and manifold forms of human community.



For different communities to co-exist, each must be held responsible for misdeeds or criminal acts committed in their name by members of their own community against members of other communities, whether those acts were perpetrated recently or in the more distant past. Without subjecting such misdeeds to judicial process, there can be no peaceful co-existence. Therefore, in order to establish and maintain peaceful international relations, we must closely and constantly examine our own conduct. This is why we need to address in particular our own war responsibility. Many civilians of other nations were victimized as a result of gross misconduct committed by our fathers and our past governments.



Unfortunately both Japan and the U.S. have so far failed to fulfill their respective “collective responsibility” in this sense. Moreover, Japan’s failure in this matter has created a vicious cycle of irresponsibility. As a nation Japan does not openly recognize either the criminality of the many brutal acts it has committed against other Asian peoples, or its own national responsibility for those acts. Because of this, it denies the illegality of similar crimes that the U.S. perpetrated against the Japanese people. Many in Japan are caught in this vicious cycle. Precisely because they do not thoroughly interrogate the criminality of the brutal acts the U.S. committed against them or pursue U.S. responsibility for those acts, they are incapable of considering the pain suffered by the victims of their own crimes (Asian peoples and Allied POWs) or the gravity of their responsibility for these crimes. This mentality on the part of the Japanese can be called a “sense of war victimhood” with the victimizers unidentified. This is the reason why Japan has willingly subordinated itself to U.S. military control, although at the same time it has never been trusted by neighboring Asian nations, and cannot establish peaceful relationships with them.



Obama and Abe’s complicity in the denial of war responsibility

In Hiroshima, Obama spent less than ten minutes visiting the A-bomb Museum: it was as though he was just passing through. For this brief occasion the Hiroshima City Council temporarily halted excavation work that it had been conducting since November 2015 in front of the Museum building. The Council had been excavating to collect personal items such as fountain pens, watches and children’s toys from the time of the bombing as well as paving stones and stone walls destroyed by the bomb. Nine days before Obama’s visit, the excavation pit was filled in and the area was paved with asphalt. This was not because Obama was expected to walk on it but, according to the City Council, simply for cosmetic reasons. On March 18, 1945, when Hirohito inspected damage caused by the intense fire-bombing of Tokyo by the U.S. forces eight days earlier, all the burnt corpses were removed from the area he was to visit and dumped in ditches. Hirohito never actually saw any dead bodies, despite the fact that about 100,000 people had been incinerated in six hours of horrendous fire storms caused by 237,000 napalm bombs dropped on downtown Tokyo.          



After “visiting” the A-bomb Museum, Obama spoke for 17 minutes to a small audience of A-bomb survivors selected by the Japanese government. All of these survivors had long been requesting a visit by a U.S. President to Hiroshima but had never demanded an official apology. No Korean survivors were included in this group of officially chosen representatives.



Obama began his speech with the following remarks:



Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

He described the atomic bombing as if it were a natural calamity that had no identified human agency. In other words, at the very beginning of his speech, in front of a group of victims of the Hiroshima war crime, he refused to acknowledge the most vital issue of the atomic bombing - the issue of the crime itself. He declined to identify those who were actually personally responsible for the horrific deed and the reason they committed it. By declaring in the second sentence that “mankind possessed the means to destroy itself,” Obama implied that all mankind was guilty. With this sentence, he refused to acknowledge the national responsibility of the United States for the terrible war crime that, together with other prominent Americans, one of his predecessors committed. In other words, he refused to admit his own responsibility as well as that of the U.S. President at the time.

On this historic occasion, in the first paragraph of his speech, given as the first U.S. President to visit Hiroshima, Obama completely failed to admit the two most vital issues – “crime” and “responsibility.” Given this, the inanity of the rest of his speech was no surprise. The speech was utterly pointless not only from the ethical viewpoint but also in that it failed to identify concrete strategies for the abolition of nuclear weapons. Obama confined himself to general comments to the effect that any war is terrible, and that the goal of abolishing nuclear weapons may not be achieved in his lifetime. He noted also that “persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.” Shortly before coming to Japan, in May 2016, Obama visited Vietnam. There too he failed to say a word concerning U.S. responsibility for the heavy and persistent indiscriminate bombings that U.S. forces conducted in Vietnam utilizing napalm bombs, cluster bombs and other types of bombs, as well as Agent Orange.

On the “collective guilt of mankind,” as quoted earlier, Arendt pointed out that “there is no such thing as collective guilt or collective innocence; guilt and innocence make sense only if applied to individuals.” She condemned such spontaneous admission of collective guilt, because the result of this action is always a “whitewash of those who had done something.” She asserted that where all are guilty no one actually is.



As we have already discussed, Japanese political and military leaders also utilized the deceptive concept of collective guilt immediately after Hirohito officially surrendered to the Allied nations on August 15, 1945. The national doctrine of “National Acknowledgement of Japanese War Guilt” whitewashed the guilt and personal responsibility of many of Japan’s wartime leaders, including Hirohito, the Grand Marshall of the Japanese Imperial Forces – guilt and responsibility for killing and injuring millions of Asians as well as more than three million Japanese. Yet the current prime minister of Japan, Abe Shinzo, does not even use this misleading doctrine of collective guilt in order to evade Japan’s national war responsibility. He shamelessly denies the historical facts of numerous war crimes and atrocities that the Japanese committed against Asians, for example, the Nanjing Massacre and the phenomenon of military sex slaves. 

 
Because the U.S. president evaded his national responsibility in Hiroshima for the atomic bombing by laying guilt and responsibility at the feet of all mankind, the U.S. is tacitly resonant with Abe’s denial of Japan’s war responsibility. Obama and Abe stood together in Hiroshima Peace Park. But in reality this scene was a celebration of their mutual acceptance of denial of their respective war responsibilities. Of course this ceremony had also served as another hidden mutual verification - confirmation of the rightness of the U.S. nuclear deterrent strategy and the U.S.-Japan military alliance. This is clearly substantiated by the fact that, shortly before coming to Hiroshima, Obama spent a few hours at the U.S. military base in Iwakuni, where he addressed 3,000 people, mostly U.S. marines and their families as well as members of the Japanese Self Defense Forces stationed there. In this speech Obama emphasized the importance of U.S.-Japan military cooperation. 



Conclusion

In conclusion, I would like to identify a further problem: the Hiroshima City Council itself shares the illusion of collective guilt with the U.S. and Japanese governments. This fact is visibly reflected in the epitaph carved on the memorial cenotaph located near the center of the Peace Park. The inscription reads, Yasurakani nemutte kudasai[,]ayamachi wa kurikaeshimasenu kara,” which means “Please rest in peace, for [we] shall not repeat the error.” In Japanese, the subject of a sentence is often intentionally omitted as a form of politeness, making the subject ambiguous, as is the case with the epitaph sentence. Nevertheless, the sentence can be interpreted as “We, the Japanese, shall not repeat the error,” or “We, as human beings, shall not repeat the error.” On the face of it, the epitaph presents a message for the international community, promoting universal humanitarian principles. But it does not indicate who made the error, or how to avoid repeating it. By implying that we all share responsibility for this “error,” the epitaph also deflects any responsibility for the crimes committed by the United States. In fact, on its official website, the city council provides its own interpretation of this inscription in the following way: “The error in this case does not indicate any specific individual or nation, but acts of war in general and the use of nuclear weapons by mankind in general.”



The city that was the victim of an atomic bomb for the first time in the history of mankind refuses unambiguously to draw attention to the crime of indiscriminate mass killing with nuclear weapons and to identify who bore responsibility for it. How could that city lead the popular movement against nuclear weapons? Indeed, if justification for indiscriminate mass killing, denial of its criminality and failure to allocate responsibility for it are not acts that damage democracy, how should we describe them?



* ‘Personal Responsibility Under Dictatorship’ and ‘Collective Responsibility’ in Responsibility and Judgment by Hannah Arendt, edited and with introduction by Jerome Kohn (Schoken Books, New York 2005)  




Yuki Tanaka   

2016年9月10日土曜日

オバマ広島訪問再考


I.「8・6」から「8・15」へ液状化する広島
II. 罪と責任:ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問

オバマ広島訪問の意味をもう一度再考し、広島の反戦平和活動のあり方について活発な議論が起きることを望んで、二つの論考を公開します。一つは、私が尊敬する広島の市民活動家・池田正彦さんによる、「詩人会議」11月号掲載予定の、今年の8月の広島の状況の報告。もう一つは、ハンナ・アレントのナチス・ホロコースト問題をめぐっての「罪と責任」の議論を、オバマ・安倍の二人による広島訪問の批判に応用した拙論です。読者のみなさんの忌憚のないご意見を聞かせていただければ幸いです。

I.「8・6」から「8・15」へ
液状化する広島
広島文学資料保全の会事務局長 池田正彦

 毎年恒例化した広島の八月六日は終わった。今年は、五月二七日のオバマ大統領広島訪問直後の「8・6」であり、内外から注目された。
 今まで、広島市長の「平和宣言」は、「核兵器の製造と使用を全面的に禁止する国際協定の成立に努力を傾注し、もって人類を滅亡の危機から救わなければならない」(一九五八年、平和宣言・渡辺忠雄市長)の流れを踏襲し、政治的立場はどうであれ、反核の立場を明確に示しつづけてきた。
 その背景に、一九五五年第一回原水爆禁止世界大会が開催されるなど、世界中で高まりつつあった反核運動・世論が後押しした。
 では現在、広島はどのような状況になっているのだろう。
 八時一五分黙祷後、松井広島市長の平和宣言は、予想通り「アメリカの核の傘」にまったく言及しない空疎な内容に終始した。
 それはそうであろう。オバマ訪問時「広島に来てもらうだけでも……」と無邪気な歓迎気分を演出した張本人の一人でもあるから。それに広島の一部の平和団体も相乗りし、この雰囲気に同調しない意見はかき消された感がある。原爆報道の雄といわれた某新聞社も「悲願が達成された」と書き(少しでも広島を理解してほしいとの願望はわかるが……いつ悲願となったのであろうか)オバマ歓迎ムードを煽った。
 とまれ、革新市長といわれた秋葉市長時代、あの「プラハ演説」を都合良く解釈し、オバマジョリティなどの造語までつくり(Tシャツやオバマジョリティ音頭までつくった)浮かれ騒いだ前歴をついつい思い出してしまった。(某テレビ局から、「オバマジョリティ音頭は何処で演るのでしょうか」と筆者に問い合わせがあった私は思わず苦笑した)
 これだけではない。原爆ドーム東側のビルは、地上一四階にリニュアール(おりづるタワーと命名)。一四階から原爆ドームを見下ろすという趣向で、入館するのに1700円かかるという。そこから鶴を折り、下に投げ入れるのに500円。一階は広島の観光土産が並び、オープンカフェで飲食が提供される。
 ドームのすぐ近くの元安橋のたもとでは、一部市民の反対にもかかわらず「かき船」(移動可能な船との触れ込みだが、とても移動できる工作物ではない)が営業し、ドーム東側一帯を「おりづる通り」の愛称が付けられたと新聞は伝える。
 少し考えてほしい。同じ世界遺産・アウシュビッツ博物館の前にこのようなモノが出現したなら、世界の人々から嘲笑されるであろう。
 こんな実態と「広島の世界化」はどのように帳合いをとるのであろう。(市民の中から議論が起きないのも寂しい)
 いま広島は「平和」を売りにする観光の街に形骸化している。オバマ歓迎もその一環としてとらえれば、他愛のない商業主義と片付ければいいのだが、「核兵器なき世界」もオバマが折ったといわれる折鶴に収斂させ、「積極的平和主義」を標榜する安倍政権にとって大骨・小骨も抜く広島での実験は成功しつつある。友人は、この現象に皮肉を込めて「広島の液状化」と称した。
 このような中で、私たち広島文学資料保全の会は、二〇〇二年から「もう一度8月15日に思いを寄せよう」と、「反戦・原爆詩の朗読会」を行ってきた。今年は8月14日「原爆文学資料を世界記憶遺産に」と題して朗読会を行った。広島女学院大学グループは栗原貞子、広島花幻忌の会は原民喜、朗読ボランティア中心グループは峠三吉、記憶遺産申請予定三人の作家の作品を朗読した。
 特に、日本の戦争とアジアをとらえた「ヒロシマというとき」(栗原貞子・作)の朗読は注目された。
 席数一三〇の会場に一五〇人を超える市民が集まった。それが多いか少ないか。ちなみに、「平和」を冠した催しは、私の知るところこの一件だけであった。
 改めて栗原貞子の言葉を思い出す。「アメリカの原爆使用は絶対容認できない。でも原爆の悲惨を訴えるだけではアジア・太平洋の人々の共感を得ることはできない。日本が過去の過ちを反省し、再び戦争をしないという決意を示したとき、広島の訴えが届く」
 8月15日あの戦争に向き合う広島であってほしい。そう思うのは私たちだけではないはずである。
 広島の夏が、8月6日で完結する見慣れた風景の中で、広島の「平和度」が今問われている。

II. 罪と責任:ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問
田中利幸

「罪」と「責任」の忘却
 「わたしたちの社会には、裁くことに対する恐れが広まっている ……. 悲しいことに、生きているか死んでいるかを問わず、権力と高い地位をえている人々の罪を問うことにたいする恐怖はとくに強い」。これはハンナ・アレントが、彼女の著書『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)に向けられた猛烈な批判への応答として、1964年に著した論考「独裁体制のもとでの個人の責任」の中で述べた言葉である。
 それから半世紀以上を経た20165月、被爆者を含む大半の広島市民と日本国民は、「権力と高い地位をえている人々の罪を問うこと」はすっかり忘れているため、「恐怖」を感じるどころか、人類史上最も重大な犯罪の一つである原爆無差別大量殺戮に対して71年過ぎてもその加害責任を認めようとしない米国大統領を、被害国のペテン師的な首相の肝入りで大歓迎するという愚行をおかした。さらに悲壮的なのは、その愚行を、地元の中国新聞をはじめ、これまた日本の大半のメディアがこぞって褒めたたえたことである。これを「愚行」と呼ばなければ、なんと表現すべきなのか、私には他に言葉が見つからない。
 オバマ広島訪問は、我々が決して忘れてはならない重大な戦争犯罪の「罪」と「責任」の問題をすっかり忘却させるという、決定的な思考的打撃=精神的麻痺を広島市民と日本国民に与えたという意味で、「被爆地・広島」の今後の「反核運動」にとって深刻な禍根となる歴史的な出来事であった。この打撃の深刻さが歴史的に見ていかに重要であるかに大半の広島市民と日本国民が気がついていないこと自体、実は日本の民主主義にとってはさらに深刻な事態なのであるが。私は、このオバマ訪問と、同じく広島市民が熱狂的に歓迎した194712月の天皇裕仁の広島訪問の二つは、広島の反戦反核運動を決定的に骨抜きにし、日本の民主主義そのものにも致命傷的悪影響を与えたと考えている。

「罪」とは「個人の犯罪行為」の問題
 この場合の「罪」とは何か。言うまでもなく、それは一瞬にして数十万の、米国に「危険をもたらす可能性もない人々を、何らかの必要性のためではなく、反対にすべての軍事的な配慮やその他の功利的な配慮に反してまでも、殺害」した犯罪行為のことである。ちなみに、上記括弧内の引用文はアレントが上述の論考でユダヤ人虐殺という犯罪について解説した言葉であるが、それはそのまま原爆無差別大量殺戮にも当てはまる。アメリカ政府が広島・長崎への原爆攻撃を決行した理由は、もっぱら、ソ連に対して核兵器の破壊力を誇示するという政治的理由のためであって、戦略的には全く必要がなかったことは、今や研究者の間では明確に証拠づけられた歴史的事実である。しかも、いかなる理由があったにせよ、この無差別大量殺戮行為は、明らかにハーグ条約に違反する戦争犯罪行為であり、且つ「人道に対する罪」でもあることはあらためて説明するまでもないことである。
 ではそのような重大な犯罪を犯した「犯罪人」は誰なのか。これまたあらためて述べるまでもなく、トルーマン大統領をはじめスティムソン陸軍長官やバーンズ国務長官などの当時の軍指導者や米国政府閣僚たちと、グローブズ少将や科学者オッペンハイマーなどマンハッタン計画の重鎮など、多数の人間である。広島・長崎原爆無差別大量殺戮は、これらの複数の人間が共同で犯した重大犯罪である。共同で犯した犯罪ではあるが、その「罪」はそれら複数の人間一人ひとりが犯した個人的行為のことである。なぜなら、アレントが、これまたナチスのユダヤ人虐殺との関連で主張しているように、裁かれなくてはならない「罪」とは、その一人ひとりの「人間の行為」なのであって、「すべての人に共通する人間性の健全さを維持するために不可欠とみなされている法に違反した行為が裁かれる」のである。
 つまり、「罪は責任とは違って、つねに単独の個人を対象」とするものであり、「どこまでも個人の問題」、「罪とは意図や潜在的な可能性ではなく、行為にかかわるもの」なのである。アレントは、(アイヒマン裁判で)「判事たちが大きな努力を払って明らかにしたことは、法廷で裁かれるのはシステムではなく、大文字の歴史でもなく歴史的な傾向でもなく、何とか主義(たとえば反ユダヤ主義)でもなく、一人の人間なのだということであった。もしも被告が役人であったとしても、役人としてではなく、一人の人間として裁かれるのである。役人としての地位においてではなく、人間としての能力において裁かれる」と述べた。同じように、原爆無差別大量殺戮の「罪」とは、大統領、陸軍長官、国務長官等々などの「地位」とは関係なく、その人間がそれぞれとった行動=殺戮犯罪行為のことであり、それ以外のなにものでもない。彼らは「大量無差別殺人者」という「犯罪人」であったというこの明白な事実を、我々は決して忘れてはならない。しかも、ユダヤ人虐殺も原爆無差別大量殺戮も、「無法者、怪物、狂乱したサディストが実行したのではなく、尊敬すべき社会で、もっとも尊敬されていた人々が手を下した」のであった。「責任」問題は、この「罪」の明確な確認なくして議論できないことは明らかである。言うまでもなく、「罪」を忘却することは、したがって必然的に「責任」の忘却に直結する。また逆に、「責任」の忘却は「罪」の隠蔽に直結している。

国家理性による犯罪正当化
 問題は、こうした重大犯罪行為が、戦時、国家という名の下に行われた場合、とりわけ戦勝国によって行われた場合には、全く法的制約を受けないということである。つまり、アレントも説明しているように、国家の行為という弁明の背後にある理論=国家理性(レゾンデタ)論は、主権国家の存続または維持が左右されるというような異例な状況にあっては、犯罪的な手段を利用せざるをえない、あるいは利用することが許されるという主張である。国家の存続が危険にさらされる場合には、その危険を排除するために使われる手段はいかなるものにも制約されないと主張する一方で、法的な制約や道徳的な配慮は国家の成員である市民には厳しく要求されるわけである。しかし、アレントが適確に指摘しているように、ユダヤ人虐殺という犯罪は「なんらかの必然性のために犯されたものではない」し、「ナチス政府はこうした周知の犯罪を犯さなくても存続できた」のである。同様に原爆無差別大量殺戮もまた、必然性があって犯されたものではないし、米国政府はそのような重大な犯罪を犯さなくても存続できたし、戦争にも勝利できたことは誰の目にも明らかである。
 したがって、原爆が使われていなければさらに百万人という死亡者を出したであろうし、戦争は終結していなかったであろうという米国の原爆攻撃正当化論は、犯罪隠蔽のために常に利用される国家理性論から観ても成り立たない、文字通りの「神話」である。原爆使用の是非をめぐる議論は、いつも、それが必要であったかなかったかといった「歴史的状況判断論」にばかり集中する傾向があるが、そのことによって原爆無差別大量殺戮に関する議論の本質である「犯罪性」の問題が実はぼやかされてしまうということも我々は強く注意しておくべきである。つまり、「状況判断論」で、「犯罪性」の問題がごまかされないようにしなくてはならない。

政治責任である集団責任
 かくして「罪と無実の概念は、個人に適用されなければ意味をなさない」のに対し、責任には、「行為」の結果として必然的に発生する「個人的責任」と、「国家責任」のような集団責任がある。集団責任とは、個人行為に関する法的な表現とは明確に区別されなければならない政治的な表現のことである。戦争犯罪のように国家の名において私の父や先祖が犯した犯罪、すなわち自分が実行していない行為について責任を問われること、その責任を私が負うべき理由は、私がその国家集団に所属しているからであり、「共同体の名において実行されたことにたいして、共同体が責任を問われること…… 善きにせよ悪しきにせよ、この責任は共同体を代表する政府だけではなく、すべての政治的な共同体にかかわるから」である。すなわち、「すべての政府は、それ以前の政権の行為と過失の責任をひきうけるのであり、すべての国は過去の行為と過失をひきうける」義務がある、とアレントは主張する。
 なぜなら、「わたしたちが実行していない事柄に<身代わりの>責任をひきうけ、わたしたちがまったく無辜である事柄の帰結をひきうけるということは、わたしたちが自分たちだけで生きているのではなく、同じ時代の人々とともに生きているという事実に対して支払わなければならない代価である。なによりも政治的な能力である行動の能力は、多数で多様な形態のもとにある人間のコミュニティのうちでしか実現できない」(強調:田中)からである、とアレントは説明する。
 つまり、異なった共同体の成員である我々が、「ともに生きていく」ためには、自己の所属する共同体成員がその共同体の名前で他の共同体の成員に対して犯した過失や犯罪行為について、共同体としての集団責任をとるという正義を果たさなければ、共生共存は不可能なのである。自己の所属する共同体の(現在と過去の両方の)行為を厳しく自己検証することは、したがって、共同体間関係=国際関係の平和構築には不可欠な行為なのである。

「罪」も「責任」も認めないオバマと安部の共犯性
 2016527日、オバマは、「謝罪」を求めない少人数の被爆者(しかも韓国人被爆者は一人も含まない)だけを集めた広島平和公園で「所感発表」を行った。その冒頭の発言は次のようなものであった。「71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界がわった。閃光と炎の壁がこの街を破し、人類が自分自身を破する手段を手に入れたことを示した。」
 原爆攻撃を、「空から死が降ってきて …… 閃光と炎の壁がこの街を破した」とあたかも天災のごとく描写した。まずこの冒頭の表現で、原爆無差別大量殺戮問題にとって最も重要な問題、つまり「罪」の問題を取り上げることを彼は拒否した。いったい誰が、どんな理由で、どれほど残虐な殺戮破壊行為を犯したのかを確認し、言明することを被害者の前で拒否したのである。そして次の文言、「人類が自分自身を破する手段を手に入れた」という表現で、今度はその「罪」を「人類」全体に負わせてしまい、そのことによって自国の責任、とりわけ責任を最も強く継承しているはずの米国政府の首長である大統領としての自己の責任を認めることを拒否した。つまり、最初の一言で、原爆無差別大量虐殺という犯罪にとって決定的に重要な二つの問題、すなわち「罪」と「責任」について、認識することを完全に拒否したのである。したがって、「所感」のその後の内容が、いかに空虚で無意味なものとなるかは、もはや聞くまでもなく想像できたことであった。ちなみに、オバマは広島を訪問する直前に訪れたベトナムでも、米国のベトナム侵略戦争(大々的な空爆と枯葉剤散布による無差別大量殺傷を含む)のその「罪」と「責任」については一言も触れなかった。
 人類全てに「罪」があるならば、誰にも「罪」はないということになり、よってその「責任」も誰もとらなくてもよいということになる。これは、1945815日に日本が敗戦した折に日本政府が唱えた「一億総懺悔」と全く同じマヤカシ論法である。敗戦(「侵略戦争」ではない)には国民全員に責任があるという「一億総懺悔」を国民に強いることで、日本帝国陸海軍大元帥である裕仁と軍指導者、政治家、高級官僚たちが無数の自国民とアジア人を殺傷したその「罪」と「責任」が、結局はウヤムヤにされしまった。安倍晋三は、このマヤカシ論法すらとらず、日本軍による侵略戦争とアジア太平洋各地で犯した様々な戦争犯罪という「罪」そのものがあたかも最初から存在しなかったような虚偽論法で、「罪」と「責任」問題を否定している。
 このような安部にとっては、米国大統領が広島で自国の原爆無差別殺戮の「罪」と「責任」を「人類全般」に負わせてウヤムヤにすることは、安部が自国の「罪」と「責任」問題の存在そのものを否認することに米国が暗黙のうちに共感し、支持していることを意味していた。オバマと安部の二人が広島の平和公園に並んで立ったことは、まさに、日米両国の「罪」と「責任」の否認を相互に認め合う儀式であったのだ。この儀式のために、「ヒロシマ」という場所と「被爆者」という戦争被害者が政治的に利用されたのである。そして「罪」と「責任」の否認の日米相互確認は、もちろん米国の「核抑止力体制」と日米軍事同盟の相互確認と表裏一体となっているものであった。
この日米の「罪と責任の否認」という共犯性を如実に表しているのが、原爆死者慰碑の碑文、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」である。なぜなら、この碑文は、原爆無差別大量殺戮という重大な「人道に対する罪」を犯した米国の大統領トルーマンをはじめ、それに加担した多くの米国の政治家、軍人、科学者の「罪」と「個人的責任」を追求することもなく、そのような重大犯罪を犯した米国の国家責任も追求しない。さらには、アジア太平洋戦争という侵略戦争を開始し、結局は原爆無差別大量殺戮を招いた、その日本の国家元首・裕仁や軍指導者、政治家たちの「罪」ならびに「個人的責任」、さらには日本の「国家責任」もウヤムヤにしてしまっている。その「責任ウヤムヤ」は、もちろん、「唯一の原爆被害国」と言いながら、米国の核抑止力を強力に支持するだけではなく、自国の核兵器製造能力を原発再稼働で維持し続けている日本政府の「無責任」と表裏一体になっている。
 そんな状況を隠しておいて、「過ちとは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した争や核兵器使用などを指しています」という、オバマの「所感」と同内容の広島市役所による碑文説明は、重大犯罪の「罪」も「責任」もウヤムヤにしているのであり、これがマヤカシでなければ、何と称するのか。国家による「大量殺戮」を正当化し、その「罪」も「責任」も否定することが、民主主義破壊行為でなければ一体何であろうか。再度述べておくが、そんな行為を平気で行う大統領や首相を褒めたたえることが低劣極まりない「愚行」でなければ、何と表現すればよいのか。
 アレントは、ナチスのユダヤ人虐殺命令に従うことを拒否した人間を次のように描写している。「殺人に手をそめることを拒んだ人は、『汝殺すなかれ』という古い掟をしっかりと守ったからではなく、殺人者である自分とともに生きることができないと考えたからなのだ」。私はもちろん「殺人者である自分とともに生きたくない」が、父親世代が犯した「国家殺人」を正当化し、その「罪」も「責任」も否認するような自分とともにも決して生きたくはない。



「天皇は平和主義者」? — 71年前にもあった話のはず —

  

明仁の「玉音放送」について思うこと

この短い論考は「第九条の会ヒロシマ」よりの依頼で、会報の最新号91号に寄稿した原稿に少々修正・加筆したものです。

問題にすべきは制度そのもの

 今年88日の「玉音放送」=ビデオ・メッセージによる天皇明仁の「生前退位」意向発表の趣旨については、いろいろな憶測がとびかっている。最も有力な憶測の一つは、安部内閣の「壊憲」を懸念する明仁が、明治憲法のごとく「天皇を国家元首」に戻そうという自民党壊憲草案に先手を打つ形で、「象徴天皇制」を維持するための有効な手段として「生前退位」を国民に提案したというもの。つまり明仁と妻の美智子は、きわめて民主主義的な思想をもつ善意の人柄で、安倍晋三などよりはるかに「平和憲法」を深く理解している根っからの「平和主義者」である、という解釈である。「玉音放送」の目的が何であったにせよ、明仁・美智子夫婦が「平和憲法」擁護主義者であるという判断については、間違いないと私自身も考える。しかし、私たちが問題にすべき最も重要なことは、この二人の個人的な考えや人柄ではなく、「日本民主主義体制」の中での「天皇制」という問題なのである。この二つを混同させてはならない。なぜなら、将来、「強権政治思想」や「軍国主義思想」をもった人間が天皇の地位に着く危険性が出てくる可能性がないとは絶対に言い切れないので、天皇個人の考えに我々が一喜一憂したり感傷に浸ったりしても、なんの問題解決策にもならないからである。
天皇は平和主義者というとらえかた
 ちなみに、「天皇はおやさしい平和主義者」という「解釈」は、なにも今に始まったことではない。1945815日の敗戦を迎えるやいなや、天皇裕仁は一部軍指導者たちに利用された<かわいそうな人>=「戦争被害者」であるという主張が政府によってなされ、「一億総被害者」のシンボルである「平和主義者」とされた。いや、「平和主義者」という点では、裕仁は、実は、アジア太平洋戦争以前からそうだったのである。彼は、「大東亜共栄圏の確立」=「アジア太平洋地域での平和構築」のために戦争をやむなく始めた「平和主義者」だったという当時の「公式解釈」を、私たちは忘れてはならない。つまり、「天皇=平和主義者」という公式解釈は、戦前・戦中・戦後、一貫して変わっていないのである。問題は、天皇個人がどのような考えを持っていようと、制度としての天皇制が、「平和主義」というタテマエの下に、いかに国家体制の存在(その形態が「ファシズム」であろうと「民主主義」であろうと)そのものを時の状況に応じて規定し続けているかという事実である。(「平和主義」というタテマエは安倍晋三ですらとっており、彼は自称「積極的平和主義者」である。)

 

戦争責任表明を欠いた慰霊の旅

  その具体的な現在の一例を見てみよう。明仁が「平和主義者」であるというイメージは、この数年間、とりわけ彼が妻同伴で行っている「戦没者慰霊の旅」で国民に強く印象づけられてきた。沖縄を含む日本国内のみならず太平洋の島々にまで足をのばし、「戦没者の霊を慰める」というこの「慰霊の旅」は、明仁夫婦のみならず、二人を見習う皇室一族の「慈悲深さ」を表すものとして、メディアで絶賛され続けている。同時にほとんどの日本国民が、そうした報道をなんの疑問も感ぜず全面的に受け入れ、明仁と美智子を深く尊敬し、二人の仁慈行為をいたくありがたがっているのが現状である。明仁は、各地への慰霊の旅でしばしば「このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べる。しかし、「慰霊」の対象は、ほとんどが戦地に送られ戦死させられた日本兵と、戦闘の巻き添えになった日本人市民である。日本人だけではなく、犠牲になった数多くのアジア人や太平洋諸島民のことを記憶に留め、同じような歴史を繰り替えさないようにするために不可欠なことは、戦争犠牲者たちは「なぜゆえに、このような悲しい歴史を歩まなければならなかったのか」、「そのような悲しい歴史を作り出した罪と責任は誰にあるのか」という問いである。ところが、明仁の「ありがたいお言葉」には、「悲しい歴史」を作り出した「原因=罪」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも常に完全に抜け落ちている。最も重大な責任者であった彼の父親、裕仁の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は父親の罪と責任を曖昧にすることで、国家責任をも曖昧にしているのである。つまり、換言すれば、明仁と美智子の「慰霊の旅」は、裕仁と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスなのであるが、この本質を指摘するメディア報道は文字通り皆無である。それどころか、日本国家には戦争責任があるという明確な意見を持っている進歩的知識人と呼ばれる者たちの中にさえ、こと明仁の「慰霊の旅」については、この本質を見落とし、明仁尊敬の念を表明する人間が少なくないことに、私は少なからぬ驚きを覚える。

 明仁夫妻のこのパフォーマンスは、戦争責任を認めたくない日本政府、とりわけ現在の安倍晋三政権にとっては、きわめて都合がよいのである。なぜなら、このソフトなパフォーマンスで、安倍のハードな戦争責任否定言動が近隣諸国に及ぼしている悪影響を柔らげるという作用を多少なりとも果たしているからである。明仁自身は、もちろん、自分は真摯に「慰霊の旅」を続けており、政治的パフォーマンスなどはしていないと思っていることは間違いないであろう。しかし、本人の思いがどうであれ、この問題に関しては天皇の言動が政治的に利用されていることは明らかである。
 ちなみに、皇室一家による災害被害者への「お見舞い」と「復興の祈り」の旅でもまた、災害の原因と責任については一切問わないことは、その最も典型的な例である「福島原発事故」の被災者への「お見舞い」を見ても明白である。つまり、彼らが原発事故被災者=政府に見捨てられた棄民を見舞い(「たいへんですね」、「頑張ってください」と声をかけるだけだが)、放射能除染作業を見学する(天皇が見学するそのことだけで除染作業に効果があるものと正当化されてしまう)ことで、原発事故に対する電力会社と日本政府の責任を曖昧にしてしまう。それは、天野恵一氏が自著『災後論』で的確に描写しているように、「責任を曖昧にし、国家(国策としての「原発」)の無責任を実感させなくさせるという『逆転』をつくりだすための政治的パフォーマンス」なのである。その意味では、「被災者見舞い」も、被害者を作り出す原因とその責任を隠蔽してしまうという点で「慰霊の旅」と根本的には同質のものであることを、我々は明確に認識しておく必要がある。(ちなみに、神戸、新潟、東北、熊本など大地震の被災者をくまなく明仁夫婦やその他の皇室メンバーが「お見舞い」に訪れているが、在日韓国人・朝鮮人や知的障害者の被災者を見舞ったという話は聞かない。)

 つまり、「被災者に寄り添うおやさしい天皇様と皇后様」を、「国民の象徴」すなわち「民主主義国家日本の象徴」という形で、「人にやさしい民主主義」というイメージにダブらせる作用が常にある。したがって、天皇が現れるところには「現実の民主主義」が抱えている様々な政治的問題や社会的矛盾が結局は隠されてしまうのである。保守政治家、とりわけ安倍のような右翼政治家が天皇制を政治的に利用しようとする理由の一つは、まさに天皇制が持つこの「幻想民主主義創作」機能にある。本来、天皇制という(とくに血筋と家柄、それに男性による特権を基礎とする)身分・階級・差別制度は(誰もが自由で平等という)民主主義とは相容れない制度なのである。ところが今や日本では民主主義国家に天皇がいてあたりまえであり、「平和主義者、民主主義者の天皇がいるから、安倍のような右翼への拮抗力になっている」などという見解が喜んで拡散される。いや、事態は「日本の民主主義にとって天皇制は不可欠」という摩訶不思議な状況になりつつある。

 天皇制を含む君主制度ほど実際には反民主主義的な制度はないのであるから、「天皇や王様が平和主義者で民主的人物だからよい」という主張ほど矛盾したものはない。明仁がそれほど平和主義者で民主的な人物であるならば、「生前退位」の希望を国民に述べる代わりに、「天皇を廃業し、一市民になりたい」という希望を述べるべきなのである。再度強調しておくが、民主主義社会には反民主的な天皇制はいらない。そのことは、天皇個人の思いや考えとは関係のないことである。「民主主義」が天皇制を必要とするということは、その「民主主義」そのものがマガイモノなのである。

天皇制と民主主義の根本的矛盾

 天皇制と民主主義の矛盾は、実は、日本国憲法にも明瞭に表れている。周知のように憲法1条から8条までは、すべて天皇制に関する条項である。ところが14条の第1項では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記されている。さらに第2項では、「華族その他の貴族制度は、これを認めない」とも記されている。東京のど真中の広大な敷地に建てられた豪奢な御殿に、数多くの従僕をはべらせて暮らしている天皇をはじめ皇室一家は、様々な「特権」を享受している。それは、「社会的身分又は門地」且つ「政治的、経済的又は社会的関係」における「(差別的)特権」である。しかも、その「特権」は「世襲」で、皇室メンバー以外の者は誰も享受できない。それだけではなく、天皇は「男」でなくてはならず、その意味では「性差別」制度でもある。確かに「貴族」階級はもはや存在しないが、天皇制は「貴族制度」の頂点にたつ制度として成立したという背景を持っている。その歴史的背景と上記の「特権」という両方の点で、天皇制は差別的な貴族制度そのものである。
 「主権が国民に在することを宣言」する日本国憲法は、1946113日、そうした非民主的で差別的な天皇制の頂点にある天皇、無数の自国民とアジア太平洋地域住民を15年という長い期間にわたって続けた戦争で犠牲者にしたことに対する責任を一切とらない天皇、その天皇裕仁の名前で発布された。しかも、「主権が国民に在することを宣言」したにもかかわらず、1条から8条まで全てが天皇に関わる条項である。この1条から8条までは、9条の絶対平和主義の精神と、条文の文面上はともかく、思想的・哲学的な意味では深く矛盾していると私は考える。
 民主主義と天皇制が根本的に相反する制度であること、しかも、その矛盾が実は憲法にも内在していることを、いかに私たちの憲法9条擁護運動において伝えていくべきなのか。これは、現在の日本の政治状況を考えるとひじょうに難しい課題である。しかし、この矛盾を解決することなしに、日本に真の民主主義を根づかせることできないと私は思う。

田中利幸
86ヒロシマ平和への集い」代表