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2023年9月25日月曜日

核兵器を抱きしめて(3)

 ヒロシマを抱きよせる米国、抱きしめられたい広島と日本 ―

第3回:ヒロシマを抱きよせる米国 (その2)

姉妹公園協定が孕む欺瞞と危険性を抉り出す

 

  似而「和解」 それが姉妹公園協定で米国が抱きよせたいもの?!

  「核抑止論は破綻している」の大間違いと「平和に対する罪」追求なしでの核廃絶運動の惰弱性

  真珠湾と平和公園のシンメトリー化で「原爆攻撃」を去勢化し、「原爆のおかげで戦争が終焉した」という神話を強化する それが広島を抱き寄せる米国の戦略の一つ

  日本の首相による米国への従属を確認する場「真珠湾」詣

 

 

  似而「和解」 それが姉妹公園協定で米国が抱きよせたいもの?!

 

今年629日、東京のアメリカ大使館で、エマニュエル米大使と松井・広島市長の間で、真珠湾国立公園と広島平和公園の姉妹公園協定の調印が行われた。この調印式の挨拶で、エマニュエルは「かつて対立の場であった両公園は、今では和解の場となった」と述べた。これに対して松井も「理性をもって和解し、未来志向で平和を求めることができる象徴の存在になる」(強調:田中)と応じた。

エマニュエルは、広島の平和公園が「対立の場」であったと述べたが、一体全体どこにそんな「米日対立」が見受けられるのであろうか。情けないことには、平和公園のどこにも、また公園内の原爆資料館(正式には広島平和記念資料館)や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の展示のどこを探しても、米国が広島で原爆を使って犯したその残虐非情きわまりない罪と責任について触れている場所は、一ヶ所たりとも存在しない。どこを見ても、自分たちの被害についての情報ばかりである。それが、なぜ米国にとっては「対立の場所」なのか、私には皆目理解できない。一方、真珠湾のほうは、嘗て日本側が米国との「対立の場」としたことは全くなかった。それどころか、後述するように、日本の米国への従属を米国が確認する場として、繰り返し政治的に利用されてきた。

しかし、この米国大使の発言からは、以下のようなことが推測できるのではなかろうか。「日本軍の卑怯な真珠湾奇襲攻撃で始まった太平洋戦争を、米軍が広島・長崎への原爆攻撃でようやく終わらせた」と、長年にわたって主張続けてきた米国。その米国は、頻りに真珠湾の記憶 「日本の卑劣な騙し討ちを忘れるな」 よびさまし、ヒロシマについて語ることを嫌ってきた。その延長として、被害者側の平和公園を「対立の場」と見做し続けていたのであろう。かくして、米国側が一方的に平和公園を「対立の場」とまで見做していたとは私は知らなかったので、この表現には正直驚いた。

ところが、この数年の間に とりわけ20165月のオバマの平和公園訪問の後あたりから 米国側の「対立の場」という捉え方に変化が起きていることを、米国大使は挨拶で示唆したかったようである。つまり、米国はそれまで一方的に「対立」の場所と見ていた平和公園を、これまた一方的に「和解」の場所と看做すようになったわけである。なぜこのような変化が起きたのかについては、彼は一言も説明しておらず、「今では和解の場となった」とだけ述べた。

「和解」とは、言うまでもなく、加害者側が犯した行為の罪と責任を真摯に認め、被害者側に深く謝罪し、被害者側がその謝罪を受け入れることで、初めて成立する。ところが、米国は、自分たちが犯した原爆無差別大量殺戮という重大な犯罪の罪と責任を認めたことはないし、被爆者に対して謝罪したこともない。したがって、「和解」が成立しているはずがないのである。こんなことは、子どもですら分かることである。

 

 

奇天烈にも、被害者側代表である松井もまた、これに対して「理性をもって和解」すると応えたのである。「理性をもって」考えてみるなら、これほど「反理性的な」応答はない。端的に言うなら、「被害者」を完全に無視 ― つまりバカに ― した、「被害者不在の和解のセレモニー」であった。すなわち、この姉妹公園協定は、あまりにも拙悪な「似而和解」で成立しているのである。

さらに驚くべきことがある。この姉妹公園協定調印式から8日後の77日の記者会見で、松井は、実は、2017年に姉妹公園協定の打診がホノルル県人会からあったのであるが、これを断ったことを認めている。では「今になってなぜ米国側からの姉妹公園協定の打診を受け入れたのか」、その理由を訊かれた松井は、次のように応えている。

 

「もう4期目に入りましたしね。私自身とすれば、自分で今の気持ちを多くの方に伝えてきて、条件を整える努力をしてきたと判断してやった …… そのタイミングをどこにするかということでやり続け、和解の精神というものが培われたというタイミングでというふうに、自分のその主張の歴史からすれば、3期目、4期目に入りましたから、その間、努力をしてきた一定の成果を踏まえてやるタイミングじゃないかなと思った」(強調:田中)

 

つまり、自分が長く市長を務めて努力してきて和解の雰囲気も高まったようなので、このへんで姉妹公園協定を受け入れても良いと考えたと述べているのである。ここでも、犠牲者である被爆者を完全に無視して、自分の市長の任期を判断基準に「和解」すると決めた、と言うのである。再度述べておくが、こんな無節操で恣意的、身勝手な判断にもかかわらず、市長本人にとっては「理性をもって和解」した結果が、姉妹公園協定だったのである。

ちなみに、この記者会見に出席していた記者たちの中で、市長のこの支離滅裂な発言に対して、批判的質問を投げかけた者は一人もいなかったようである。昨今の日本のジャーナリズムのレベルは、本当に嘆かわしいとしか言いようがない。記者諸君よ、君たちの弛みたるんで半分眠っている眼瞼をしっかり開けて、ダボハゼ政治家を睨みつけ、鋭い質問で攻めたててみよ!

  広島市の姉妹公園協定調印の理由説明には、もう一つ決定的な矛盾がある。調印理由の一つに挙げられているのが、5月に開催されたG7広島サミットの声明「広島ビジョン」実現の第一歩となるから、というもの。ところが、この「広島ビジョン」は、すでに、このブログの連続記事「核兵器を抱きしめて」第1回:「広島ビジョン」批判(814日)でも詳しく検討しておいたように、内容は「核廃絶」どころか「核抑止力維持」の宣言であった。つまり、姉妹公園協定は「核抑止力維持」に役立つと、遠回しに言っているのである。

一方、広島市は毎年86日に市長が読み上げる平和宣言の内容について、今年も被爆者や学識経験者から意見を聞く懇談会の最終会合を711日に開いた。この会合の冒頭で松井市長は、被爆者団体などが「(日本政府は)核抑止論を肯定している」と批判していることに触れて、今年の平和宣言では核抑止論を批判することを約束。事実、86日の平和宣言には、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」、という一文が挿入されている。

  畢竟、松井は、一方では629日に姉妹公園協定は<G7広島サミットの声明「広島ビジョン」実現の第一歩となる>と、暗に米国の「核抑止論」を支持して米日両政府に媚を売って起きながら、他方、711日には被爆者をはじめ広島市民に対して、平和宣言には「核抑止論は破綻している」という表現を入れると約束して、ご機嫌取りをやっているのである。これまた、相手によって自分の主張をいとも簡単に変えてしまう、支離滅裂なダボハゼ発言を続けているのである。確固たる倫理的政治理念に基づいて、政策目標を達するために自己の言動・行動を律していこうなどとは、思いもつかないようである。

 

  「核抑止論は破綻している」の大間違いと「平和に対する罪」追求なしでの核廃絶運動の惰弱性

 

ちなみに核による威嚇を行う為政者がいる」という表現は明らかにロシア大統領プーチンを示唆しているわけであるが、この表現を入れることで、プーチンの核使用威嚇が世界を恐怖におとしめていることを強調し、これが「核抑止論が破綻している」証拠であると述べた。

プーチンの脅しは、核抑止論が破綻している証拠どころではない。彼の核抑止論が強烈な脅しであるからこそ、米国をはじめとするNATO加盟国はウクライナへの武器支援の面でも、最新鋭の戦闘機やミサイル、ドローン爆撃機、高性能戦車などの提供では二の足を踏む態度をとり続けている。ウクライナにやらせている代理戦争をNATOが全面的に支援するならば、プーチンの核使用威嚇が東西間の核戦争へと急展開する危険性が、にわかに高まったからである。その結果、米国をはじめ英仏の核保有国もまた、自分たちの核抑止力を維持・強化する戦略をG7広島サミットで再確認したのである。いったい、どこに「核抑止論は破綻している」などという主張の根拠があるというのだろうか。

問題は、核兵器という最大の大量破壊兵器が存在するからこそ核抑止論が幅を効かせるのであり、核抑止力が大手を振って世界を脅かし続けるのである。抑止力を持っている兵器は核兵器だけではないが、一旦使用されるならば、我々の想像を絶する、世界終末的な地球破壊にまでつながる危険性を内包しているという点で、核兵器は極めて特異な兵器である。それほど恐ろしい核兵器であるからこそ、核抑止力が仮想敵国に対する威嚇として畏怖され、いつまでも無くならないのである。よって、核兵器があるところに、核抑止力は常にあるのであって、この二つは「二身一体」なのである。

したがって、核抑止論が破綻するときは、核兵器が廃絶されるときでしかない。平和宣言のスピーチ原稿を作成するにあたっては、おそらく核問題の専門家と称する低劣な曲学阿世の「学術専門家」が意見を述べた結果、核抑止論は破綻している」と聞こえは良いが、実際には全くこれまた支離滅裂な論調が採用されたのであろう。

ちなみに、G7広島サミット開催が近づくにつれて、被爆者団体や反核市民運動組織が「(拡大)核抑止力の否認」を強く訴えるようになった。それ自体はもちろん歓迎すべき動きであるが、私が繰り返し述べているように、核抑止力は、明らかに、ニュールンベルグ法に定められた「平和に対する罪」という重大な犯罪であることを忘れないで欲しい。よって、反核運動に関わる私たちは、常に核抑止力の犯罪性を強調し、その核抑止力と「二身一体」になっている核兵器存在そのものが「平和に対する罪」であることを主張し続けることが重要である、と私は考える。また、「平和に対する罪」は「人道に対する罪」とも密接に繋がりあっている。よって、核保有諸国と、それらの国々の核抑止力を支持して拡大核抑止論を自国にも応用している日本のような国々 すなわち「平和に対する罪」を、直接・間接的に犯し続けている国々 に犯罪行為をやめさせることは、世界市民の責任であると私は思う。

「平和に対する罪」は単に現在の問題ではない。米軍の広島・長崎原爆無差別大量殺戮は、「人道に対する罪」であったと同時に、「平和に対する罪」の最も悪虐非道なケースでもあった。よって、私たちは、現在の「平和に対する罪」を追求する運動=核廃絶要求運動と、米軍が広島・長崎で犯した過去の「平和に対する罪」を追求する活動 それはもちろんその「責任」追求とも重なる活動 を一貫したものと捉え、常に同時に展開していく必要がある。なぜなら、過去の「平和に対する罪」と「責任」を追求しないままにしておきながら、現在の「平和に対する罪」と「責任」の追求に成功するはずがないからである。姉妹公園協定をめぐる似而「和解」が発生する根源は、まさにここにある。過去の責任否定から未来への責任展望は、決して生まれては来ない。

すでに見たように、米国側は自分たちが犯した「平和に対する罪」と「責任」を全く顧みることはなく、逆にその犯罪行為の正当化と欺瞞的な「和解」を、姉妹公園協定を介して企て、その欺瞞行為で広島を抱き寄せることで核抑止力の維持・強化を謀ろうとしている。一方、広島市 同時に日本政府も もまた米国が犯した「平和に対する罪」と「責任」に全く目を閉じたまま、米国が差し出した似而「和解」を意欲的に受け入れ、米国に抱き寄せられることを喜んでいるのである。

921日、広島市の市民局長・村上慎一郎が、市議会での一議員の「姉妹公園協定は原爆を投下したアメリカの責任を不問、免罪にするものか」という一般質問に対する答弁で、「原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点では棚上げして、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図っていく」と述べた。新聞報道によると、<米国の原爆投下の議論をめぐり、市側が議会答弁で「棚上げ」との表現を使うのは初めて>とのこと。

すでに述べたように、平和公園や原爆資料館の展示で、米国の罪と責任に触れている記念碑や展示物は皆無であり、市当局がこれまでに米国の責任問題に触れたことはほとんどない。「棚上げ」というのは、現在議論されている問題に対して、結論を出すことを一時的に先延ばすことを意味する。市当局が全く議論したこともない問題を、したがって、「棚上げ」できるはずがないのである ― 「棚上げ」しようにも、「棚上げ」するものを最初から持っていないのであるから。村上のような答弁を、よって通常は「愚の骨頂」と言う。しかも答弁の内容が、過去の否定から未来への展望が生まれてくるかのような、出たらめな説明である。

しかし、あえて私はここで述べておくが、米国の過去の「平和に対する罪」と「責任」を追求してこなかったのは、市当局をはじめ歴代の広島市長 平岡敬のような例外はあるが や歴代の首相をはじめとする大多数の日本の政治家たちだけではない。多くの被爆者や一部の反核活動家たちもまた、同じ過誤を犯してきた。彼らは、米国の罪も責任も一切問うことなく、「謝罪してもらわなくても良いから、広島(平和公園)を訪れて欲しい」、「憎悪ではなく和解を」などという発言を繰り返し行なってきた。

米国の「平和に対する罪」と「責任」を追求するためには、「広島(平和公園)を訪れて、謝罪し責任を自覚してもらいたい」と言うのが本筋なのである。「憎悪ではなく和解を」というのは、耳触りの良い、いかにも高尚な言い回しに聞こえる。しかし、被害者の「憎悪する、しない」という個人的感情は、「和解」ができるか、できないかによる。すでに述べたように、被害者と加害者が真に「和解」するためには、加害者が自分の罪と責任を深く自覚して被害者に謝罪する必要がある。そのプロセスがないままの欺瞞的な「和解」では、「憎悪」を解消することなどできない。よって、「憎悪ではなく和解を」ではなくて、「憎悪を解消するために真の和解を」でなくてはならないのだ。立てるべき論理が、最初から全く逆さまになっている。

と同時に、米国の「平和に対する罪」と「責任」を追求する運動は、単に遺族、被爆者や被爆二世などの家族だけのためではない。前回にも書いたように、加害者はもちろんだが、加害者・被害者に関わらず、核兵器を二度と使わせないことは、同じような過ちを誰にも再び犯させない、誰をも被害者にしない、という未来に向けての我々の人間としての「責任行為」だからである。かくして、「責任をとる」ということは、単に一回謝罪するだけで果たせることではないし、加害者だけに要求されることでもない。未来永劫に「責任をとる」=「同じ過ちを誰にも犯させない」ことが、本当の「謝罪」であり、しかるべき「責任」の取り方であると私は考える。

したがって、核を廃絶し、米国はもとより、どこの国も核兵器を再び使うことがないように永久に努力することが、米国が原爆問題でとるべき責任の、あるべき形なのである。広島の反核運動は、米国にそのような責任を取らせることを最も重要な課題とすべきなのである。

さらには、「人道に対する罪」、「平和に対する罪」と「責任」を追求する運動は、米国だけを相手にすれば良いものではない。我々の父母や祖父母の世代の日本人が海外や国内で犯した、とりわけ他民族に対して犯した、様々な非人道的で残虐な行為の追求とその責任追求も同時に行なわなければ、真の意味での「人道に対する罪」、「平和に対する罪」と「責任」の追求にはならない。なぜなら、「人権」も「平和」も、単に日本人だけのためにあるのではなく、国籍・民族・年齢・性別を問わず、すべての人間に保証されているべきものであるから。日本は戦争加害国として、とりわけ韓国・朝鮮、中国をはじめアジア太平洋諸国の大勢の人たちの人権と平和を侵してきた責任がある。

これもあえて言っておくが、被爆者団体、とりわけ広島の被爆者団体や一部の反核運動組織は、もっぱら広島が原爆で受けた被害だけを訴え、日本がアジア太平洋地域で展開した(15年戦争だけではなく日清・日露戦争も含む)侵略戦争、ならびに朝鮮・台湾の植民地支配で犯した様々な残虐行為に対しては、ほとんど目を向けようとしない。そのような被爆者の中にあって、栗原貞子と沼田鈴子は凛然とした、素晴らしい例外的な存在であった。原爆資料館には、この二人の思想と活動を詳しく紹介するコーナーがあるべきなのだ

くどいようだが、前回の論考の結論部分で述べておいたことを、再度ここに記しておく。

 

自分たち自身が被害者となった米国の原爆無差別大量殺戮という犯罪の加害責任を厳しく問うことをしてこなかったゆえに、われわれ日本人がアジア太平洋各地の民衆に対して犯したさまざまな残虐な戦争犯罪の加害責任も厳しく追及しない。自分たちの加害責任と真剣に向き合わないため、米国が自分たちに対して犯した由々しい戦争犯罪の加害責任についても追及することができないという、二重に無責任な姿勢の悪循環を産み出し続けてきた。

 

こうした悪循環のゆえにこそ、日本では確固たる「人権意識」がいつまでたっても人々の内面に深く根ざすことがなく、民族差別、性/性的少数者差別、身体障がい者差別、被爆者差別、国籍差別など様々な差別が横行している。つまり、「人権」と「平和」の問題を真剣に考えずに長年蔑ろにしてきたからこそ、戦後80年近く経つ今も、日本の民主主義は形骸化しきっているだけではなく、ますます機能しなくなってきている。つまり、戦争責任問題は、まさに私たちの日々の生活の根幹ともいえる民主主義の本質の問題であることを、私たち一人ひとりが認識しなおす必要があるのだ。

 

  真珠湾と平和公園のシンメトリー化で「原爆攻撃」を去勢化し、「原爆のおかげで戦争が終焉した」という神話を強化する それが広島を抱き寄せる米国の戦略の一つ

 

上に見たように、真珠湾国立公園と広島平和公園の姉妹公園協定の裏に隠されている米国の意図は、欺瞞的「和解」を信じ込ませることを通じて、原爆無差別大量虐殺の正当化と核抑止力の受け入れを、広島市民はもとより日本国民全般に、無意識のうちに浸透させてしまおうというものである。

そのための具体的な画策方法の一つが、姉妹公園協定を通して、真珠湾攻撃と原爆無差別大量虐殺が、あたかもシンメトリー(相称的)なもの、つまり二つの軍事攻撃がまるで均衡しているかのような幻想を世界中に拡散し、大勢の人たちに信じ込ませてしまおうというものである そのことに、私たちは深く注意しなければならない。全く異なった二つの軍事攻撃のシンメトリー化は、「太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まり、原爆投下で終焉した」という、姉妹公園協定調停式で使われたレトリック=飾り言葉からも明らかとなる。

  真珠湾攻撃の目標は、ハワイのオアフ島の真珠湾に置かれていた米海軍太平洋艦隊と基地に限定されたものであった。その結果、停泊中の戦艦アリゾナやオクラホマなど戦艦4隻を沈没させ、多くの駆逐艦、巡洋艦などを損傷させた。さらには戦闘機や爆撃機など300機以上を破壊。死傷者は3,500名ほどであったが、そのほとんどは米軍戦闘員で、日本軍の攻撃によって巻き添えになって すなわち意図的に攻撃目標とされた者ではなくて 死亡した民間人の死亡者は68名、負傷者35名であった。他にも民間人の死傷者が少数いたが、その人たちは、ホノルル市街地に降り落ちた米軍の対空砲火の弾片の被害者であった。

真珠湾攻撃は宣戦布告なしの奇襲攻撃という点で、当時の「開戦に関する条約」に照らせば、厳密に言えば国際法違反と言えるであろうが、批准国も少なく、国際慣習法として広く実践されていなかった。したがって戦後の東京裁判でも、真珠湾攻撃が国際法違反であるとして裁かれている者は誰もいない。奇襲攻撃が国際法違反であったかどうかは別としても、日本軍による攻撃自体は、軍事目標に限定したものであって、ホノルル市街地などの民間施設や家屋を無差別に爆撃はしていない。なぜなら、日本軍は、市街地や非戦闘地域の攻撃と非武装の民間人の攻撃を禁止する命令を厳重に言い渡されていたからである。

ちなみに、これと比較して、日本軍による中国諸都市への空爆は最初から無差別爆撃であり、193777日の「盧溝橋事件」以降、日本軍の中国での行動が急速に拡大するに伴って、南京、武漢、広東、重慶といった都市住民が次々と無差別爆撃の目標となった。1937815日から始まった日本軍の南京爆撃は、軍事施設だけではなく、人口が密集する民間住宅地、病院や図書館を含む公共施設を繰り返し攻撃目標とし、同年9下旬に行われた空爆では600名近い市民に死傷者が出た。19382月から2年半にわたり200回以上行われた重慶爆撃は文字通りの絨毯爆撃=無差別爆撃であって、1939年だけでも28,000人もの被害者を出したが、そのほとんどが民間人であった。

真珠湾攻撃は、奇襲攻撃という点で道義的には確かに卑怯な行動と批判されても仕方がないが、攻撃内容はあくまでも軍事関連施設だけを攻撃目標とする厳密な意味での戦闘行為であって、無差別大量殺戮爆撃というような、明らかに国際法に違反する戦争犯罪では全くなかった ただし、戦略的には米国と戦争をすることは全く無謀且つ愚昧で、遅かれ早かれ国家破滅に終わることは自明であったが。

一方、広島・長崎に対する原爆攻撃は、あらためて説明するまでもなく、徹底した大量無差別殺戮を最初から狙って、緻密に計画が立てられ、模擬原子爆弾をいくつかの都市に投下するという予行演習まで行って、準備が周到に進められた。しかも、原爆開発のためのマンハッタン計画に参加した科学者や軍人、爆撃を実施したB29爆撃機エノラ・ゲイやボックス・カーの搭乗員などはもとより、トルーマン大統領、スティムソン陸軍長官など米国政府の要人など、軍と政府のトップの戦争指導者たちは、原爆攻撃にさらされる日本の都市が壊滅状態になり、無数の民間人死傷者が出ることをはっきりと知っていたのである。

広島への原爆攻撃の2ヶ月ほど前の6月初旬に、スティムソンがトルーマン大統領に、大量破棄兵器である原爆を使うことで、「米国がヒットラーの残虐行為を上回る悪評を世界中から受けないことを願っている」と不安を吐露していたことからも、原爆がどれほどの巨大な破壊力を有しているかをはっきりと彼らは認識していたし、その破壊力で、幼児・子ども・老人を含む、どれほど多くの民間人が犠牲になるかも容易に想像できたはずである。すなわち、原爆による都市空爆は、必然的に無差別大量殺戮という重大な戦争犯罪行為にならざるをえないことを、米国の戦争指導者層は明らかに察知していたのである。

しかも、原爆を使わなくとも、日本の降伏は時間の問題であることも彼らは、はっきりと分かっていた。ところが、ソ連が対日戦を開始する前に、原爆の威力をソ連に見せつける形で戦争を終わらせたいという、もっぱら政治的な理由でのみ原爆の使用を決定したのである(原爆使用の決定理由の詳細については、詳しくここで述べている時間がないので、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』三一書房 第2章を参照されたし)。

結局、広島と長崎への無差別大量殺戮爆撃で、1945年末までに広島では推定16万人、長崎では7万人、合計23万人(うち4万人が朝鮮人) ― そのほとんどが民間人 ― が死亡。その後も、毎年、多くの被爆者が放射能による癌や白血病など、様々な疾患で亡くなり続けている。

この由々しい戦争犯罪が犯罪として認知されなかったのは、戦争に勝利した連合諸国が行った戦後の戦犯裁判 ―「勝者の裁判」 ― では日本軍の戦争犯罪だけが裁かれ、連合軍側が犯した戦争犯罪については一切審理されなかったからであった。その結果、広島・長崎への原爆攻撃だけではなく、米軍が日本全土の市町村400ヶ所ほどに対して行った ― その多くが焼夷弾(ナパーム弾)で民間人を焼き殺すという残忍な 無差別空爆の犯罪性も、完全に無視されてしまった。

片や、軍事施設と艦船・戦闘機などの兵器と戦闘員だけを攻撃目標とした ― 国際法にはなんら抵触しない方法での ― 軍事攻撃で、死傷者数は約3,500名、そのほとんどが兵員であった、日本軍による真珠湾攻撃。他方、最初から大都市を住民もろとも丸ごと破壊することを目的に、強烈な破壊力を持った核爆弾で広島を壊滅させ、16万人もの命を奪った ― 本来ならば「人道に対する罪」と「平和に対する罪」で責任者が裁かれるべきであった ― 米軍による無差別大量殺戮=ジェノサイド。

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉妹公園協定は、あまりにも不釣り合いなこの2つを、「太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まり、原爆投下で終焉した」というレトリックだけで繋げて、真珠湾と広島を一括りにしてしまう。かくして、2つの軍事攻撃があたかも均衡しているかのような幻想を創り出す。その幻想がもたらす問題には、少なくとも以下の4つがあると私は考える。

 

(1)         規模が大きかったとはいえ、一戦闘=奇襲攻撃と、原爆無差別大量虐殺が平衡した「軍事攻撃」として並列に提示されることで、原爆の巨大な破壊・殺傷力が去勢化されてしまう。その結果、無意識のうちに「原爆は、単に大規模な爆弾だった」という印象を人々に植えつける危険性がある。

(2)         原爆による無差別大量虐殺=ジェノサイドが、国際法に抵触しない一戦闘=奇襲攻撃と均衡並列に置かれることで、原爆攻撃が「人道に対する罪」であり「平和に対する罪」という由々しい戦争犯罪行為であったことが隠蔽されてしまう危険性が非常に高い。よって、その結果、現在も「責任」について問われることが極めて少ない広島では、さらにより一層「責任」問題は忘却される危険性が高まる。

(3)         「太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まり、原爆投下で終焉した」というレトリックで、あたかも「原爆投下で終焉した」ことが歴史事実であったかのような神話 ― この神話はすでに広く世界中に浸透してしまっている ― がますます拡散し、その結果、「原爆のおかげで戦争が終焉した」という考えもより広く共有される。かくして、原爆攻撃が正当化され、その「罪」と「責任」がさらに忘却される。同時に、この神話を覆し、「原爆投下で戦争が終焉した」というのは米日両国にとって都合の良い神話=虚妄であることを、世界の人々に知らしめる機会がますます失われる。

(4)         戦争が「真珠湾攻撃で始まり、原爆投下で終焉した」というレトリックで、戦争は実際には19319月の満州事変から始まり、終焉したのも満州に侵攻したソ連軍と闘った日本軍が最終的に武装解除された19459月であったことが隠蔽される。1945815日で戦争は終わっていない。すなわち、いわゆる15年戦争=アジア太平洋戦争を包括的に捉えなければ ― つまり、太平洋戦争の期間だけに注目しても ― なぜゆえに東京大空襲をはじめ日本全土が空襲にさらされ、広島・長崎が原爆攻撃を受けたのか、その歴史的経緯が分からなくなる。また、日本軍が15年にわたってアジア太平洋各地で犯した様々な残虐行為=戦争犯罪に対する責任問題も問われなくなる。

 

上記4点のうち、読者の中には(3)の<「原爆投下で戦争が終焉した」というのは米日両国にとって都合の良い神話=虚妄>であるという私の説明が理解できないと言われる人たちがおられるであろう。ここで、この疑問に詳細に応えている時間的な余裕がないので、詳しくは、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)第2章をぜひ読んでいただきたい。

しかし、原爆投下で戦争が終わらなかった事実は、以下の文章(上記拙著127頁)からも明らかである。「(89日の長崎への原爆攻撃の後)米軍は、810日も熊本、宮崎、酒田、11日には久留米、佐賀、松山、13日には長野、松本、上田、大月を空爆した。14日には、秋田、高崎、熊谷、伊勢崎、小田原、岩国などが空爆され、大阪には150機のB29から7百個もの1トン爆弾を落とし、8百名ほどが犠牲になっている。」ちなみに、故・小田実は、この814日の大阪空襲を体験している。

 

  日本の首相による米国への従属を確認する場「真珠湾」詣

 

冒頭で述べておいたように、戦後、日本側が真珠湾を米国との「対立の場」としたことは全くなかった。これまで真珠湾を正式に訪問した日本の首相が、訪問でどのような政治的メッセージを米国側に伝えようとしたのか、それを考えてみれば、真珠湾が、日本の米国への従属と忠誠 ― それは常に日米(軍事)同盟という形をとる ― を米国が確認する場として利用されてきたことは明瞭である。

戦後の歴代の首相の中で、吉田茂は19519月、鳩山一郎は5610月、安倍晋三の祖父である岸信介は5710月に真珠湾を正式訪問している。攻撃で沈没した戦艦の真上にある慰霊施設「アリゾナ記念館」は1962年に建てられたので、当時はまだなかった。したがって、彼らは真珠湾近くにある米国立太平洋記念墓地で戦没者の慰霊を行っており、その際、鳩山や岸は「礼砲の歓迎」を受けている。安倍晋三は、201612月に、同年5月に広島を訪れたオバマへの返礼として真珠湾を訪問し、オバマ大統領の歓迎を現地で受けた。

吉田が真珠湾を訪れたのは、サンフランシスコ平和条約と日米安保条約の署名を終え帰国途中のハワイ滞在中であった。岸が真珠湾を訪れたのは、19572月に首相になったばかりの彼が、ワシントンでの首脳会談で日米安保条約改定の検討をアイゼンハワー政権に約束させた直後のことであり、いわばその返礼とも称せる行動であった。このように、日本国首相の真珠湾訪問は、日米安保体制の確認・強化と常に密接に絡まっており、安保体制でしっかりと米国に従属・忠誠を誓うことを、身をもって示すという、極めて政治的なパフォーマンスとして行われてきたのである。鳩山の場合は、日ソ国交回復を成し遂げ政界引退する直前の言わば「花道旅行」であったが、それでも日米関係強化のためのパフォーマンスという意味が込められていたことは明らかである。

安倍の真珠湾訪問の目的も、明らかに、彼が主張する「和解と平和」のセレモニーを真珠湾という太平洋戦争を象徴する一大遺跡でやることで、日米両国での彼の人気を一挙に押し上げ、日米軍事同盟をさらに強化し、憲法九条廃止という彼の政治目的を達成するための動きをさらに推進しようというものであった。あらためて言うまでもないことだが、米国政府もそれを明らかに承知し、安倍を援護するために、このセレモニー案を受け入れ、オバマ大統領が現地で安倍を迎えるという特別な配慮を示した。

 


 

しかし、「和解と平和」と言いながら、オバマ同様、安倍の演説もまた、何の感動も与えないレトリックで飾られているだけのもの 「哀悼の誠をささげる」という表現だけで、「謝罪」もなく、日本の「戦争責任」にも全く触れなかった。

 

オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界のさまざまな国の皆さん。私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、ここから始まった戦いが奪ったすべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった数知れぬ無辜の民の魂に、永劫の哀悼の誠をささげます。……… 憎悪を消し去り、共通の価値のもと、友情と信頼を育てた日米は、いま、いまこそ寛容の大切さと、和解の力を世界に向かって訴え続けていく任務を帯びています。日本と米国の同盟は、だからこそ「希望の同盟」なのです。

 

「いまこそ寛容の大切さと、和解の力を世界に向かって訴え続けていく」と言いながら、生存中に安倍は、いや安倍だけではなく、吉田、鳩山、岸の誰もが、それどころか戦後の歴代首相の誰一人として、在職中に、中国や韓国、シンガポールに、それぞれの国の戦争犠牲者を慰霊し、謝罪するために訪れたことはない。「希望の同盟」は、米国の戦争に駆り出される多くの人間の「死亡の同盟」となるであろう。

20165月、オバマは、謝罪なき広島訪問でのスピーチで、原爆無差別大量殺戮の自国の罪と責任には一切触れず、人類全てに責任があると主張した。人類全てに「罪」があるならば、誰にも「罪」はないということになり、よってその「責任」も誰もとらなくてもよいということになる、という批判はすでに前回の論考で述べておいた。

実は、これは、1945815日に日本が敗戦した折に日本政府が唱えた「一億総懺悔」と全く同じマヤカシ論法である。敗戦(「侵略戦争」ではない)には国民全員に責任があるという「一億総懺悔」を国民に強いることで、日本帝国陸海軍大元帥である天皇裕仁と軍指導者、政治家、高級官僚たちが無数の自国民とアジア人を殺傷したその「罪」と「責任」が、結局はウヤムヤにされしまった。

安倍晋三は、このマヤカシ論法すらとらず、日本軍による侵略戦争とアジア太平洋各地で犯した様々な戦争犯罪という「罪」そのものがあたかも最初から存在しなかったような虚偽論法 ― 南京虐殺はデッチアゲ、「慰安婦」は金銭的見返りを受けた「売春婦」等々 ― で、「罪」と「責任」問題を完全に否定した。

このような安倍にとっては、米国大統領が広島で自国の原爆無差別殺戮の「罪」と「責任」を「人類全般」に負わせてウヤムヤにすることは、安倍が自国の「罪」と「責任」問題の存在そのものを否認することに米国が暗黙のうちに共感し、支持していることを意味していた。オバマと安倍の二人が広島の平和公園に並んで立ったことは、まさに、日米両国の「罪」と「責任」の否認を相互に認め合う儀式であったのだ。この儀式のために、「ヒロシマ」という場所と「被爆者」という戦争被害者が政治的に利用されたのである。そして「罪」と「責任」の否認の日米相互確認は、もちろん米国の「核抑止力体制」と日米軍事同盟の相互確認と表裏一体となっているものであった。オバマの広島訪問と安倍の真珠湾訪問 すでにこの時点で、米国による「ヒロシマの抱き寄せ作戦」は大きく進展していたのである。

自国が犯した重大な戦争犯罪の罪も責任も問わずに、ただ犠牲者の慰霊を行うというパフォーマンスで、あたかも強く平和を祈念しているかごとくの印象を相手の国民のみならず自国民にも与えるという政治的な欺瞞行為は、自国の罪と責任を隠蔽こそすれ、決して明らかにはしない。

したがって、オバマの広島訪問とその答礼としての安倍の真珠湾訪問の目的の一つは、日米軍事同盟の原点にある、日米両国による、それぞれの国が犯した戦争犯罪の「罪」と「責任」の否認の日米相互確認であるという事実を、我々はもう一度ここで深く考えてみなければならない。両国が犯した戦争犯罪の「罪」と「責任」の否認の相互確認が、日米軍事同盟 ― 現実にはそれは米国による日本の支配=属国化 ― の原点なのである。

  真珠湾国立公園と広島平和公園の姉妹公園協定によって、日米両国が犯した戦争犯罪のこうした形での「罪」と「責任」の否認の相互確認の機会が、おそらく、今後ますます増えるであろう。私たちは、この問題にどう対処すべきか、それを真剣に考えることを迫られている。

  米国のひじょうに進歩的な記者として有名だったI・F・ストーン(1907-1989)は、「すべての政府は噓つきである」と言った(2016年には<All Governments Lie>と題する彼の仕事に関するドキュメンタリー・フィルムが発表されている)。明治以来の日本政府も、むろん、例外ではない。政府の嘘にだまされないようにするには、自分たちで事実を抉り出していくよりほかはない。

<次回  核兵器を抱きしめて ()に続く>