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2023年4月24日月曜日

「禎子の折り鶴」ユネスコ申請

あまりに政治的な「和解」を危惧する

 

ご紹介するのが少々遅れましたが、「広島文学資料保全の会」の池田正彦さんが、2月に読売新聞で報じられた「禎子の折り鶴」ユネスコ申請に関する記事から、「禎子の折り鶴」ユネスコ申請が、核兵器廃絶運動とはつながらない、日米両政府による極めて浅薄な「日米和解」の政治利用となる危険性を指摘する批評を書かれています。これまたG7広島サミットと絡めた、実体が伴っていない空虚な「国際文化平和都市」広島の政治利用の一例であるように私には思えます。

 

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読売新聞(2月17日)は一面に「禎子の鶴を 世界の記憶に」・「被爆80年の登録を目指す」との記事を報じた。

その中で、登録を目指すのは「SADAKO LEGACY」と、原爆投下を命じたトルーマン米大統領(当時)の記録を保持・公開する米国の「トルーマン図書館」(禎子の折り鶴を寄贈されていると言われている)などが、折り鶴のほか、禎子さん自らの血液検査の結果を記したメモやカルテなどの資料を申請するとのことを伝えている。

審査は、2年に1回。2カ国以上の申請の場合はこの限りではない。(「朝鮮通信使」がこれにあたる)

禎子さんの親族は、トルーマン大統領の孫クリントン・トルーマン・ダニエル氏らの親交を深め、トルーマン氏の協力を得て、日・米で共同申請することになったようだ。

さらに、親族は、「禎子の平和への思いを後世に伝え、唯一の戦争被爆国としての実相を伝え、次世代の子どもたちが〈人の思いやる心〉を育むことに役立ててほしい」語っている。

とまれ、広島市は現在G7サミット開催騒動で浮かれている。2016年5月、現職の米大統領として初の広島訪問で、オバマと被爆者が抱き合ったあの出来過ぎた演出に違和感を覚えた方も多いだろう。今回の「禎子の折り鶴」申請が、「日・米和解」の政治的な舞台にならぬよう心から祈るばかりだ。(オバマが折ったと言われているあの折り鶴もこの際ユネスコに申請したらいいだろう)(親族は、広島県や広島市に協力依頼をする、とのこと)


 

 

広島市は、中央図書館のエール・エールA館移転(広島駅前商業地域)問題、さらに「はだしのゲン」の平和教材からの削除問題で大きな批判に晒され頭が痛く、広島県は、教育長の官製談合、11万冊の蔵書廃棄などで揺れている。

軍事では、いち早く「和解」し、憲法9条を持ちながら、「戦争ができる国づくり」に励んできた日本。G7サミットへの手土産なのだろうか、中国新聞(23222日)は、広島湾での自衛隊と米海軍の日米初訓練を伝える。

 そういえば、オリンピックは平和の祭典だとして強引にすすめた広島招致運動をおこなったことや、2009年4月のオバマのプラハ演説を過大評価し、オバマジョリティ音頭を踊った秋葉前広島市長が、イスラム教団体の平和賞(アハマディア・ムスリム平和賞)を受賞した、と新聞は伝え、記者会見で「被爆者・市民の立場で発言してきた」と語ったというが、虚しく響く。

市長時代,「平和」を具現とした公約「折り鶴記念館」建設は霧散したのだろうか。著書に「報復ではなく和解を」(岩波書店)があることを思い出した。

現在、私たちは「原爆文学資料のユネスコ記憶遺産」申請を行うつもりで準備している。(今回は、栗原貞子・原民喜・峠三吉文学資料に新たに大田洋子「屍の街」初稿・原稿を加える作業を粛々とすすめている)市民からの「賛同署名」を開始した。

栗原貞子資料:創作ノート「あけくれの歌」─「生ましめんかな」などの創作ノート。

峠三吉資料:「原爆詩集」最終原稿、8月6日を記録した日記など。

原民喜資料:原爆被災時の手帖。(「夏の花」の基となった)

 何れも8月6日直後の惨状を記録し、優れた文学作品として読み継がれ、「世界の記憶」に登録することは世界史・人類史的に重要なことである。

 

20230222

広島文学資料保全の会・池田正彦

 

 

 


2023年4月8日土曜日

New Publication 新刊案内

Entwined Atrocities: New Insights into the U.S.-Japan Alliance

(日本語の説明は英語説明の後をご覧ください)

My new book titled Entwined Atrocities: New Insights into the U.S.-Japan Alliance with a Foreword by John Dower was released on March 20. It is a rather thick volume, illustrated with many photos (more than 30), which makes it somewhat expensive – possibly too expensive for personal purchase, although I hope university and public libraries will acquire it.

 


 

https://storage.googleapis.com/flyers.peterlang.com/March_2023/978-1-4331-9953-0_normal_English.pdf

 

Synopsis

 

Why did the Japanese fail to develop a sense of collective responsibility for the wartime and colonial atrocities they committed, and why do they continue to fail to do so? Of course, a sense of responsibility is closely interlinked with a sense of justice, and the collective sense of justice is an essential factor for the idea and practice of democracy. Therefore, the Japanese inability to properly deal with its war responsibility is not simply a historical problem. Indeed, it is fundamentally a problem of Japan’s “democracy.”

 

To understand why Japan’s collective sense of justice is so feeble, it is not enough simply to consider the domestic reasons for the deficiency of a collective sense of war responsibility among the Japanese. Through detailed examination in the chapters of this book, I am going to show how the Japanese attitudes to Japan’s own war responsibility have long been and still are closely intertwined with the American attitudes to both American and Japanese war responsibilities. In my view, it is precisely this intricately interwoven relationship between the U.S. and Japan which has contorted Japan’s postwar “democracy,” and still strongly characterizes it in a specific way.

 

Repeated denial of Japan’s war atrocities by the Japanese government and the perpetual absence of a deep sense of war responsibility among the Japanese populace are the results of complex historical processes of the interrelationship between the victor and the defeated nations. Japan’s present “democracy” is founded on this basis. Historians have so far failed to examine the absence of Japan’s collective sense of war responsibility from the viewpoint of the interrelationship between Japan and the U.S.

 

The aim of this book is therefore to unravel the entangled U.S.–Japan relationship over war responsibility by closely analyzing two vital issues—first, the firebombing and atomic bombing, and second, Japan’s peace constitution—and to elucidate how these issues are historically intertwined.

 

Part I: “Fire Bombing and Atomic Bombing” investigates the bombing which took place towards the end of the Asia-Pacific war, in order to fully understand how the issue of responsibility for indiscriminate aerial bombings of Japan by the U.S. forces —serious crimes against humanity—was dealt with, or more precisely, was not dealt with. We need to examine the bombings not only from the viewpoint of the perpetrator but also from the victim’s perspective, in particular that of Japan’s wartime emperor-fascism regime. It was not only the U.S. government, but also the Japanese government, who politically exploited the immensely destructive power of fire and atomic bombings.

 

Part II: “The Peace Constitution and the Emperor System” clarifies how Emperor Hirohito’s war guilt and responsibility—and the U.S. war crimes of indiscriminate aerial bombings—were concealed by collaboration between U.S. and Japanese authorities, and how this complicity between the two nations consequently contributed to deforming the so-called postwar democracy of Japan. These questions are explored through close examinations of the process of drafting the so-called Peace Constitution and of maintaining Japan’s emperor system by making the emperor “the mere symbol of the Japanese.” Entwined factors are not just historical; the ways in which historical events are described and recorded have also been playing a critical role in formulating the official histories of the U.S. and Japan. Even these official memories are based on the entangled U.S.–Japan relationship.

 

Part III: “Memories and Symbolism of War” of this book examines how the ways of remembering events were invented and are still maintained, manipulated, and promoted by U.S. and Japanese state authorities, often in close collaboration. However, I also discuss how we as civil society should create our own ways of remembering and acknowledging the relevant historical events, in order, as Theodor Adorno recommends, to “work against a forgetfulness” and against “the justification of what has been forgotten.”

 

The book is comprised of 11 chapters including a Prologue and Epilogue, and Parts I, II and III each consists of three chapters.

For your information, I have listed links to Peter Lang and Amazon below.

https://www.peterlang.com/document/1285367

https://www.amazon.com/Entwined-Atrocities-Insights-U-S-Japan-Alliance/dp/143319953X/ref=sr_1_1?crid=UQ74NYE2CAZP&keywords=Entwined+Atrocities&qid=1668179658&sprefix=entwined+atrocities%2Caps%2C243&sr=8-1

I hope this will be of interest.

Best wishes,

Yuki Tanaka

 

拙著出版案内

Entwined Atrocities: New Insights into the U.S.-Japan Alliance

出版社 Peter Lang 2023320

 

私は20195月に、『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)を上梓した。しかし、周知のように、日本では今や自国の戦争責任を厳しく追求するような内容の出版物の売れ行きはひじょうに悪い。天皇裕仁の戦争責任を真正面から問う議論を含む拙著のような本は、なおさら売れない。よって、本の値段の点からも、一定のページ数を超えないような本に限定しなければならなかった。

2020年の歳明けから、私はこの日本語の拙著をもとにしながらも、自分が長年考えてきた日本の戦争責任問題に関するさまざまな問題点を、出来るだけ詳細に分析、叙述する英語の著書の執筆に取りかかった。幸か不幸か、パンデミックのためにほとんど自宅に閉じこもり状態になった2年間を執筆に専念することができ、2022年の2月ごろまでに原稿を書き終えたが、原稿の長さからすれば、日本語著書の原稿の倍近くになってしまった。本書は序章と結論を含めて全部で11章から構成されており、序章と結論以外は3部に分かれており、各部がそれぞれ3章から成っている。第1部は「焼夷弾と原爆」、第2部は「平和憲法と天皇制」、第3部は「戦争の記憶と象徴(表現)」となっている。

出来上がった原稿を米国と英国いくつかの学術専門書の出版社に送った。本の内容には問題がないのであるが、別の問題があった。それは、最近英語圏では中国関連の研究書籍には需要が多いが、それとは対照的に日本関連の書籍の出版に対する需要が急速に減少したため、部厚い本で高額になる日本関連の著書の出版は、出版社もあまり乗り気でないこと。とくに、漫画研究のようなポピュラー・カルチャー分野の研究書なら別だが、戦争責任問題は英語圏でも長文の研究書は敬遠されるようで、どこの出版社も大幅な原稿カットを要求してきた。

そこで、長年、個人的な交流を通して多くの助言をいただいてきたジョン・ダワー教授に原稿を送り相談した。その結果、本の題名をEntwined Atrocities (絡み合った残虐行為)という題名にするようにとの助言を受けた。私がこの著書で最も主張したかったのは、日本人の戦争加害責任意識の希薄性は、米国が日本に対して犯した焼夷弾・原爆無差別殺戮という戦争犯罪に対する独特の被害者意識と複雑に絡み合っているのであり、その絡み合いを解きほぐさなければ、日本人の戦争責任問題は解決できないというものであるので、この本のタイトルはまさにその本の内容を象徴的に表している。したがって、この題名を一目して、これは素晴らしいと大いに感謝。さすが は「Embracing Defeat 敗北を抱きしめて」という見事な題名を自分の著書のために考えだすダワー教授だと、感嘆した次第である。

その上、ダワー教授は、とても親切なことに、出版社向けに拙著の推薦状まで書いてくれ、これを自由に使って出版社を見つけるようにと、とてもありがたい力添えをいただいた。そこで、スイスに本部を置き、米英欧州の主要諸都市に事務所を開き、英独仏の3カ国語で人文・社会科学分野の学術書を広く出版している Peter Lang に、ダワー教授の推薦状を添えて送った。原稿が2人の専門家の査読の結果、全くカットなしで、全文をそのまま出版するという嬉しい結果となり、出版社を見つけるのに少々時間はかかったが、なんとか出版にまで漕ぎつけることができた。当初は今年1月末に発売予定であったが、校正原稿の完成版作成の段階での出版社編集部の手違いから、実際には3月20となった。

ダワー教授の推薦状は拙著の内容を、著者自身がとても書けないような、素晴らしく簡潔な文章で纏めているので、たいへん僭越ながら、その推薦状の一部を和訳して紹介させていただく。

Yuki Tanaka(田中利幸)の今回の著書は、これまでの彼の研究にとって重要な要素であったいくつかの枢要な問題を密接に関連づけるという点で、真に独創的である。一つは、日本の残虐行為と戦争犯罪である。もう一つは、米国の戦略的核攻撃による民間人殺害の犯罪性である。第三は、天皇の戦争責任に関する戦後直後の日米両国による隠蔽工作(そしてこれがアメリカの空爆の非道な性質の隠蔽工作とどのように結びついているか)である。第四に、この二重の隠蔽体質が、いわゆる平和憲法(1947年施行)に固有の矛盾を生み出し、それが現在も改正されずに残っている。最後に、このダイナミックな連関を理解することで、現在の日本の民主主義の欠陥と失敗をよりよく理解することができるという点に焦点を当てる。このような複雑かつ密接な比較分析は、現代の日米研究において前例がない。これは間違いなく、真剣に耳を傾けるに値する。」

この推薦状の全文を拙著の「前書き」として使用することにもダワー教授に快く承諾していただき、感謝に絶えない。

さらに、本の裏表紙には、ガヴァン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)とローラ・ヘイン(ノースウェスタン大学歴史学部教授)のお二人の、日本近現代史を専門とする傑出した歴史学者からも過分のお褒めをいただき、正直なところ少々恥ずかしい次第であるが、ここに和訳を紹介させていただく。

「日本史研究者の田中利幸は、ライフワークとして取り組んできた、日本の戦争責任、日米関係、日米の戦争犯罪、天皇制という壮大なテーマについて、研究成果を本書の中で紹介している。綿密な史料調査と個人的・政治的主張を組み合わせ、現在の日本の国家構造と日米国家間の協力システムには、70 年にわたる誤魔化し、隠蔽、操作の企てという根本的な欠陥があるとして、それらに立ち向かうよう日米の市民社会に呼びかけている。しかも、状況はますます不安定になっていると彼は主張している。田中の先鋭的で、様々な問題に言及する論考は、一読に値する。」ガヴァン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)

「本書は、名目上民主的であるはずの日本が、なぜ今日、自滅的な外交政策に陥っているのかについて、数十年にわたって慎重に検討してきた成果をまとめた興味深い書物である。著者は、この現象を説明するために、戦後の日米政府の協力関係に焦点を当て、皮肉にも、日本が第二次世界大戦中に敵対していた米軍による日本民間人への爆撃の米国の責任回避に、日本がいかに協力したかという問題の考察も含めている。戦後日本の政治体制における天皇の位置づけ、1945 年の降伏決定、日本の帝国史、戦後日本における核兵器の政治学など、ほとんど知られていない研究成果に基づいた、多くの示唆に富む論考である。」ローラ・ヘイン(ノースウェスタン大学歴史学部教授)

最後になったが、本書の表紙の絵について簡単に説明しておきたい。この絵の作者は、近年ひじょうに注目が高まっている四國五郎氏(1924-2014年)の作品で、実は山口勇子 原作/沼田曜 語り文/四國五郎 絵 『おこりじぞう』(金の星社 1979年)の絵本に使われている絵である。実際にスケッチしたものではなく、四國五郎氏の想像に基づいて描かれており、右端下に描かれている野花は、完全に破壊され全てが瓦礫となった広島に植物が再生しているという状態に、あらゆる生命の復活への望みが象徴的に表現されている。この絵を拙著の表紙にぜひ使用したいという私の強い希望に対して、四國五郎氏の御子息と御息女である四國光、松浦美絵のご両人からの許可をいただき、さらに金の星社からも寛大なご配慮をいただき、使わせていただいた次第である。心から感謝を申し上げる次第である。

 


 

このブログの読者の方たちの中に、英語圏で拙著に興味のあるような人をご存知であれば、情報を拡散していただければたいへんありがたい。また大学関係者の方には、大学図書館で購入していただくようなご配慮をいただければ光栄である。値段が高い(米ドル $114.95)ので個人購入を著者は期待していないが、ぜひ図書館で入手していただければと願っている。

購入は下のリンクから:

Peter Lang

https://storage.googleapis.com/flyers.peterlang.com/March_2023/978-1-4331-9953-0_normal_English.pdf

https://www.peterlang.com/document/1285367

 

Amazon

https://www.amazon.com/Entwined-Atrocities-Insights-U-S-Japan-Alliance/dp/143319953X/ref=sr_1_1?crid=UQ74NYE2CAZP&keywords=Entwined+Atrocities&qid=1668179658&sprefix=entwined+atrocities%2Caps%2C243&sr=8-1

 

 

 


2023年4月6日木曜日

(1) 続・漫画「はだしのゲン」削除問題を考える

(1)続・漫画「はだしのゲン」削除問題を考える

(2)坂本龍一の死から「小泉文夫の仕事」、そして「他大学への盗講」を思い起こす

 

 

(1)続・漫画「はだしのゲン」削除問題を考える

広島市の平和教育プログラムの教材『ひろしま平和ノート』からの漫画「はだしのゲン」削除問題について、314日のこのブログで、「広島文学資料保全の会」の池田正彦さんの鋭い批判を紹介させていただきました。これを読まれた池田さんの親友であられる笹岡敏紀さんが、東京新聞のコラム「ぎろんの森」の編集部宛に317日に送られた書簡を、笹岡さんご本人のご了承をいただき、ここに掲載させていただきます(東京新聞は、この書簡を掲載してはいないようです)。

笹岡さんは、学校用学習教材や教職員向けの教育書を出版している明治図書出版に勤めておられた経歴をお持ちで、原爆関連の文芸についても深い見識をお持ちの方です。土屋時子・八木良広共編『ヒロシマの「河」――劇作家・土屋清の青春群像劇』(藤原書店 2019年)にも「今、私の中に蘇る『河』――労働者として生きた時代と重ねて」と題した素晴らしい論考を寄稿しておられます。笹岡さんも、「中国新聞」37日付の3人の紙上討論が、「はだしのゲン」が世界各地でいかに広く受け入れられているのかという「現代的かつ歴史的意味」について全く議論していないことを厳しく批判されています。私も全く同感です。

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 「東京新聞・ぎろんの森」欄・編集部御中


                                      笹岡 敏紀

 

 前略 

 取り急ぎ、お手紙を差し上げます。

 

 この度は、貴紙の311日付「川柳」欄に掲載された1首の「川柳」から考えたことを、お便りとして差し上げます。

 その1首とは

 どの面でゲンを追い出しG7

というものです。

 この1首の意味するところは、広島市の教育委員会が「平和教育・教材」に長年採用されていた「はだしのゲン」を他のものに差し替えることの背景には、この5月に開催されるG7のことがあり、広島教委の忖度か何らかの圧力かが存在するのだろうと皮肉ったものですね。

 なぜ、「はだしのゲン」の削除とG7がかかわるのでしょうか。私はこのことを考える途上、あるブログを読む機会がありました。同封させていただいた資料1です。

 私は、このブログに書かれている分析が、基本的問題を鋭く指摘していると思いました。そして、冒頭紹介した川柳の持つ意味を、端的に解説しているのではないか考えたのです。

 そして、このブログの最後には、「はだしのゲン」削除問題についての論考を紹介するとして、資料2が載せられていました。

 この論考の筆者の池田正彦さんは、「広島文学資料保全の会」の事務局長として長年活動している人であり、私の長年の友人でもあります。上記の田中利幸氏は、池田さんのことを「広島文学関連資料の生き字引」と言っています。なお、「広島文学資料保全の会」が今進めている活動の一つに同封の資料3のようなものがあります。また、最近では資料4のような取り組みが地元の「中国新聞」(毎日新聞・広島版でも)で報道されています。

 

 さて、私がこのたび、「はだしのゲン」の問題でお手紙を差し上げようと考えたのは、貴紙「東京新聞」37日付夕刊に掲載された「『はだしのゲン』問題の本質とは」という川口隆行氏の寄稿文を読んだことによります。

 じつは、この川口氏は同じ37日に「中国新聞」にも2人の論者とともに、「はだしのゲン」の問題について寄稿しています。資料5がそれです。

 資料2の池田正彦さんの論考は、この「中国新聞」の3人の論者への批判です。

 私は、この3人の論者の意見を、不思議な思いで読みました。それは、「はだしのゲン」という作品の大切さについての考察がなされていないことです。「はだしのゲン」という作品が、日本国内のみならず、世界の「核廃絶」をめざす人びとにいかなる意味をもって受け止められているかという、現代的かつ歴史的意味をきちんと書かないまま、ただの「教材論」をいかように論じても意味はないと思ったからです。

 なお、「はだしのゲン」だけでなく、中学校の教材から「第五福竜丸」のことも削除するということは、まさにこの川柳が言っていることなのでしょう。

 なお、けっしてついでで申し上げるのではなく、池田正彦氏からのメールでは「先日亡くなったなった大江健三郎氏が『広島文学資料保全の会』の代表である土屋時子氏宛ての書簡(20149月)の中で、『広島文学資料』(に限らないのですが)の保存に触れ、「大事な資料は、公的な場所に登録した上で、パブリックな場所で公開されるべき」という趣旨のことを述べられていたそうです。

「広島文学資料保全の会」は、これまで機会あるごとに「広島に文学資料館を」と行政に要請しています。とりわけ、「原爆文学とその関連資料」は、日本だけでなく世界の遺産でもあるでしょう。それが、資料3にある運動の基底にある思いだと思います。

今回の「はだしのゲン」の問題は、ほんとうにさまざまなことを考えさせてくれます。

 

取り急ぎ、広島教委の「平和教育教材」からの「はだしのゲン」外しについての、私見を申し上げました。

草々

 2023317

 

資料 1 田中利幸氏のブログ(314日)

資料 2 池田正彦氏の論考

資料 3 広島の被爆作家の被爆直後の資料を「世界の記憶遺産登録に」を応援する署名

資料 4 「広島文学資料保全の会」の最近の取り組み(新聞記事峠三吉の「碑前祭」<毎日新聞・広島版 202338日付「平和を願い問うた詩 峠三吉 今何思う>

資料 5 「中国新聞」37日付 3人の紙上討論

 


 

 

 

(2)坂本龍一の死から「小泉文夫の仕事」、そして「他大学への盗講」を思い起こす

 

4月2日に亡くなった坂本龍一の生涯に関する「文春オンライン」の4月2日付の記事に次のような説明があるのを見つけた。

 

「藝大に入学した坂本龍一は音楽学部の雰囲気に猛烈な違和感を感じたそうだ。とくにクラシックを学ぶ同級生たちは品の良いお嬢さん、お坊ちゃん的な空気を纏まとう学生が多く、自分のようなタイプの人間はそこでは異質な存在と思えた。

<学校の外の路上では連日何十万人規模のデモ隊と機動隊がぶつかりあっているのに、音楽学部の中はお花畑のようで、安穏とした雰囲気の中でお互いごきげんようなんて挨拶している世界(笑)。なるべく近づかないようにしていました>

三善晃や小泉文夫など魅力的な教官とその授業はあったものの、坂本龍一の足は次第に音楽学部から遠のき、道を一本隔てたところにある美術学部のキャンパスに入り浸るようになっていった。………

授業はさぼりがちだったが、小泉文夫の民族音楽の授業、三善晃の授業はときに履修資格もないのに熱心に受けた。」(強調:田中)

 

この文章から、すっかり忘れていた小泉文夫(1927-1983)のことをマザマザと思い起こし、この数日、私も当時を懐かしく回想している。私は坂本とは2年ほど歳上だが、ほぼ同じ時期に学生生活をおくっている。私もほとんど授業には出ずに、学生運動にのめり込んでいたが、音楽が子どもの頃から大好きだったので、ラジオでは音楽関連の番組によく耳を傾けていた。

そんな番組の中で NHK-FM が放送していた長期連続番組の小泉文夫の「世界の民族音楽」は、私が毎回最も楽しみにしていた番組であった。私が聴き始めたのは大学紛争タケナワの1970年代初めであるが、この番組は1960年代から始まり、私が日本を離れ英国に留学した1976年にもまだこの番組は続いていたので、おそらく彼が56歳でなくなる1983年まで続いていたのではないかと推測する。

 

 

フィールド・ワークで録音中の小泉文夫(小泉文夫記念資料室)

 

とにかく、日本各地はもとより世界各地、とりわけアジアや中近東、アフリカと様々な地域をフィールドワークで直に訪れ、地元の人たちが歌い奏でる音楽の音を録音して日本に持ち帰り、それを紹介しながら、音楽の素人である私たちにもとても分かりやすく且つ興味を常にそそる解説で視聴者を魅惑した、素晴らしい番組であった。後年、オーストラリアに移住して日本に一時帰国した1994年、彼の著書の一つ『日本の音:世界の中の日本音楽』を買い求めて一気に読み通したことを思い出し、昨日、本棚の奥から取り出してまたあちこちを読み返している。ページのいたるところに赤線が引いてあったり、鉛筆でコメントが記してあるのを読み直してみると、当時、自分がどんなことを考えていたのかを知ることができて面白い。

それはともかく、坂本と同様に実は私も、藝大にモグリで小泉文夫の講義を盗講に行こうかと思ったほど、彼の番組の解説は面白かった。現在の学生たちの中に、自分が在籍しない他学科あるいは他大学に、有名な先生がやっている興味深い講義を、いかにもその学科またはその大学の学生であるかのように装って(つまり「モグリ」で)聴きに行くということをやる学生はいるのだろうか……

私は当時、とりわけ大学紛争が終息した後、多くの大学での授業が落ち着きを取り戻したときには、「他大学にモグリで盗講」を繰り返し行っていた常習犯であった。そんな幾つもの盗講授業の中で最も衝撃的だったのが、当時、国際基督教大学で西洋経済史を週一回教えていた大塚久雄(東大名誉教授)の授業であった。彼の名著『社会科学の方法:ヴェーバーとマルクス』を読んで、彼の授業を聴かなくてはと、新学期の初めての彼の授業に、こともあろうに堂々と教室の一番前の列に座って(苦笑)、彼の登場を待ち受けた。

そこに羽織袴姿で松葉杖をついた、凛とした老人が静に現れたその美しい姿に私はビックリ。若い頃に片足を病気で切断されたことは知っていたが、羽織袴姿とは想像すらしなかった。確かに、羽織袴姿だと片足切断ということが見えにくい。大塚が壇上の椅子に座ると、秘書のような大学院生が大塚久雄著作集(岩波書店)の一冊を机の上に置いた。しかし、大塚はその本を開けようともせず、90分間を滔々とよどみなく、しかしゆっくりと、学生に話しかけるかのように、その日のテーマに関わる様々な重要な問題に縦横無尽に触れて、詳しく解説していく。ときには例えば、講義とは全く関係のないような山本周五郎の小説の話になるのであるが、実は、講義の最後にはそれがその日のテーマと密接に関連していることに驚かされるということもあった。

 

 


 

私はこの最初の講義で、これはよほど勉強しないとついていけないと、完全に精神的に打ちのめされてしまった。しかも、毎回がこの調子で、大塚は机上の自著を一回も開けないし、講義ノートも全くない。常に直接話かけるように学生の顔を見つめている。そんなわけで、結局、大塚の講義を盗講するために、私は1年間、国際基督教大学に通い、同じ講義に出ていた本物の学生(笑)たちともすっかり仲良くなってしまった。それだけではなく、数ヶ月もすると、大塚に向かって堂々と質問までするようになった。今考えてみると、よくも恥ずかしくもなくやったと思うが……。彼も私がモグリだと気がついたようだが、何も問わずに、とても親切に質問に応えてくれた。

この1年の大塚史学へのノメリコミが、私の人生を文字通り変えてしまったのである。後年、大塚史学には決定的な弱点があることに気がつき、その弱点を自分の思考の弱点と重ねる形で克服することに努めたが、詳しくは、機会があれば詳しく述べてみたい。