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2020年12月19日土曜日

2020 End of Year Message

2020年 年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

 

Throughout the world this year people have experienced extraordinary difficulties associated with deep fear, millions of deaths, poverty, violence, political oppression and racism. Yet, many political leaders, particularly in the US, Japan and here in Australia too, are behaving like corrupt mafia, neglecting their duties as politicians. Most of the problems heightened by the pandemic are man-made ones – problems that the Norwegian sociologist, Johan Galtung calls “structural violence.” These problems cannot be solved without the consolidated effort of people across the world. We are also facing another kind of pandemic - global warming. Tackling this also requires our combined endeavors. 

I hope the following poem illustrated by Michael Leunig and some music I have chosen will provide you with tranquility and enable you to ponder the peaceful and environmentally sound world we should aim to create.

    This year we lost a great Italian music composer, Ennio Morricone (1928- 2020), who composed more than 500 pieces of music, mostly sound track music for feature films between the late 1950s and 2016. Among them, one of my favorite pieces is “Gabriel’s Oboe” composed for the film “Mission” produced in 1986.     

“Mission” performed by RAI National Symphony Orchestra, Italian symphony radio orchestra based in Turin, conducted by Ennio Morricone at a Christmas Concert held at the Basilica of San Francesco at Assisi, Italy in 2012.  

https://www.youtube.com/watch?v=9TN4BPZI7ek

 

In October this year, celloist Stjepan Hauser created a Youtube program entitled “HAUSER plays Morricone” as his dedication to Morricone. He plays eight pieces Morricone composed. As always his performance is superb.

https://www.youtube.com/watch?v=KYlHiACHGiU

 

It is not widely known that Morricone was politically quite progressive and a staunch supporter of the Italian Socialist Party (later Social Democratic Party). It is not surprising, therefore, that, in 1972, he composed music for the song “Here is To You” for the film “Sacco and Vanzetti” – about two Italian anarchist migrants in the US, who became the victims of a false accusation of robbery and murder, and were executed by the electric chair in 1920. The lyrics of this song were written and sung by Joan Baez. It became one of the most popular songs repeatedly sung in the human rights movement in the 1970s not only in the US but also throughout the world.

https://www.youtube.com/watch?v=gcgYwTnBIIQ

Sacco and Vanzetti (End scene of the film)

https://www.youtube.com/watch?v=Dg5c6Ehhxho

 

Another song, which became immensely popular in the 1970s, was “Bridge Over Troubled Water” by Simon & Garfunkel. The lyrics of this song of intimate friendship appealed to many students, who were involved in the anti-war and peace movements of the 1970s. I think this was because of the difficult human relationships we were facing in political movements at the time and our strong desire to establish close friendship with other students as a result. I believe this song again appeals to many people now due to the difficulties we are facing due to the pandemic.  

https://www.youtube.com/watch?v=xC5gFakHeMk

 

The last piece is for shakuhachi, entitled “Tsuki (Moon.)” It is composed and played by the Australian shakuhachi master Bronwyn Kirkpatrick. Bronwyn used to be a clarinet player, but changed her career after becoming fascinated with the sound of the shakuhachi.    

https://www.youtube.com/watch?v=GaypYhiSRBg

 

With best wishes for a Merry Christmas and a Happy & Safe New Year!

 

 

2020年 年末メッセージ

 

これまでに体験したことのない異常な生活不安と驚愕的な数の死亡者、貧困、暴力、人種差別、政治的抑圧パンデミックのゆえに世界中で急速に悪化したいわゆる「構造的暴力」のこの1年。その上に、私たちはもう一つ別のパンデミック地球温暖化 -という、これまた困難な問題と直面しています。そんな絶望的な状況を前にしながらも、権力・権益の私物化だけに頭をめぐらせているヤクザ政治屋たち。こんな酷い人災の「パンデミック危機」を悪化させている政治マフィヤたちとは、闘うより他に救いの道はありませんが、ひとときでも心に安らかさを取り戻せるよう、マイケル・ルーニッグの絵と詩、数曲の音楽を今年も送ります。


「空中泳ぎは心の安らぎ」

どんな暗闇の中にも、癒しの喜びを見つけることはでき

どんなに幸せなときでも、失望させられることはあります

男の子、女の子にかかわらず、一人ひとりの希望にも

癒しと失望はつきもの

心を空中に泳がせることは、痛みをやわらげる芳香の薬

小さな飛ぶ生き物、それはみな、つつましやかなちっぽけな命

翼のある生き物の、気まぐれで、自由奔放な動きは

傷んだ心に清らかさを運んできて

天使を涙させたり、微笑えませたり、歌わせたりするのです

 

マイケル・ルーニッグ

 

映画音楽の巨匠、イタリア人のエンニオ・モリコーネ(1928〜2020年)が、今年7月に91歳で亡くなりました。彼は1950年代末から映画音楽の作曲を始め、2016年までに500本以上の音楽を作曲しました。1960年代に主としてクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」などのマカロニ・ウエスタンのための主題曲を作曲して有名になりました。私自身は彼のマカロニ・ウエスタンの主題曲は好みではありませんが、70年代に入ってから彼の作曲する音楽の中に魅力を感じるものが増え出し、80年代になってからはすっかりファンになりました。とりわけ好きな曲は、1984年の「Once Upon a Time in America」、1988年の「Nuovo Cinema Paradiso」ですが、しかし最も好きな曲は1986年の映画「ミッション」の主題曲「ガブリエルのオーボエ」です。

 

  最初に紹介するのは、その「ミッション」の主題曲を、モリコーネ自身が指揮する、イタリアのトリノに本拠地をおくRAI国立交響楽団が、アッシジのフランチェスコ大聖堂で2012年のクリスマスに演奏したものです。この映画自体が、なかなかの名作だと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=9TN4BPZI7ek

 

私の好きなチェロ奏者ハウザーも、モリコーネの霊に捧げるユーチュウーブを10月に立ち上げ、モリコーネ作曲の8曲を演奏しています。相変わらず、とてもしなやかで美しい演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=KYlHiACHGiU

 

あまりよく知られていないようですが、モリコーネは一貫してイタリア社会党(のちに社会民主党)支持者で、政治的にはかなり進歩的な人物だったようです。したがって、1920年にアメリカ、マサチューセッツで起きた2人のアナーキストの冤罪事件、「サッコ・バンゼッティ事件」をテーマにした1971年の映画、「死刑台のメロディ」、のための主題歌「Here is To You (二人の受難者に捧げる哀歌)」を作曲しているのも不思議ではありません。作詞と歌手は、反戦歌手として有名なジョーン・バエズです。この歌は70年代に欧米の人権運動集会で盛んに歌われましたが、日本では事件の背景がよく知られていなかったせいか、ほとんど歌われていなかったと思います。

私は学生時代にこの映画を観て、証拠もなく証言もいいかげんなものであるにもかかわらず、アナーキストというだけの理由でイタリア人移民の2人を強盗殺人事件の犯人にでっちあげて死刑にしてしまった実際にあった事件を初めて知って、深い怒りを感じると同時に、哀しいメロディに感動したことを今も思い出します。しかし、私が不満に思ったのは、そのとき誰がこの歌詞を日本語に訳したのか知りませんが、題名を「勝利の賛歌」としたこと、また歌詞そのものの翻訳にも感心しなかったことです。「勝利の讃歌」よりは「二人の受難者に捧げる哀歌」のほうが良いと私は思いますし、歌詞も私なりに下のように訳しておきます。

 

Here’s to you, Nicola and Bart    ニコラとバートの二人にこの哀歌を捧げます

Rest forever here in our hearts    私たちの心に永遠の安らぎがありますように

The last and final moment is yours 最後の、最後の瞬間はあなたたちのものです

That agony is your triumph    あなたたちの受難が勝利となるべきときだから

 

https://www.youtube.com/watch?v=gcgYwTnBIIQ

この映画の最終シーンが下記のユーチューブで観れます。

https://www.youtube.com/watch?v=Dg5c6Ehhxho

 

同じ1970年代に、学生運動ではあまり歌われなかったものの、若者を多いに魅力した歌の一つに、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」がありました。学生運動で人間関係が荒んでいたこの時期、強い友情を約束するこの歌は、心を洗ってくれるような感動を与えてくれました。最初の二節だけを紹介しておきます。

 

When you're weary             もし君が疲れ果てて

Feeling small                 ちっぽけに感じたり

When tears are in your eyes       涙が溢れてくるときは

I will dry them all               僕が拭い去ってあげよう

 

I'm on your side               僕は君の味方さ

When times get rough           つらいときが来て

And friends just can't be found     友だちがいなくなってしまった時も

Like a bridge over troubled water    困難の上に架ける橋のように

I will lay me down              僕がこの身を捧げよう

Like a bridge over troubled water    困難の上に架ける橋のように

I will lay me down              僕がこの身を捧げよう

 

パンデミックが私たちを襲っている今、この歌を聴くと、信頼できて支え合うことができる人がいることが、どれほど大切なことかを痛感させられます。

https://www.youtube.com/watch?v=xC5gFakHeMk

 

最後に、オーストラリアの尺八奏者(師範)、ブロムイン・カークパトリックが作曲し演奏している「月」という曲です。ブロムインは、元々はクラリネット奏者でしたが、尺八の音色に魅惑させられ、尺八の古典本曲を勉強。古典本曲の知識を基にとても綺麗な曲を自分で作曲しています。これはそんな自作の曲の一つです。私も、彼女の曲を時々練習して楽しませてもらっています。

https://www.youtube.com/watch?v=GaypYhiSRBg

 

全く余談ですが、最近、米原万里の『愛の法則』を読みました。その第1章で彼女は、ヒトの男が女と比較していかに劣っている生物であるかを、ひじょうに面白く、しかも機知に富んだ表現で喝破しています。大いに笑えます、一読の価値ありです。こんな楽しい、しかし考えさせることのできるエッセーをたくさん書いていた女性にこそ、もっと長生きしてもらいたかったですね。この本を読みながら、全く違ったタイプの作家・詩人ですが、米国の黒人女性マヤ・アンジェロウのことを、なぜか思い出しました。きっと、元気いっぱいで機知に溢れているという点で、二人には共通点があったからでしょうね。

 

では、くれぐれも健康に気をつけられ、安全に良い年末と新年を迎えられますよう。

 

2020年12月6日日曜日

日本人の「責任感」の特徴と「抵抗権観念」欠如の問題

-      「桜を観る会」、「森友学園問題」から考える

 

日本人の「責任感」は「正義感」ではなく「服従意識」と絡み合っている

 

映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家と才能豊かな人物であった伊丹万作(1900〜1946年)が、亡くなる5ヶ月ほど前の1946年4月に執筆し、同年8月の雑誌『映画春秋』創刊号に掲載された論考「戦争責任者の問題」は、今も頻繁にあちこちで引用されている秀作であるので、ご存知の方たちも多いはず。とくに下記の部分は、何度読んでも考えさせられる文章である。少し長くなるが、引用しておきたい。

 

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。…… たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまつている。……

  そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

  そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。それは少なくとも個人の尊厳の冒瀆、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。

(強調:引用者)


 

敗戦後8ヶ月しか経っていないときの執筆なので、戦争責任に対する深い思いが込められた文章となっている。これと実に対照的な興味深い声明文を、占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が、同じ年の9月2日に出しているが、それは、戦艦ミズーリー号艦上での日本降伏調印式1周年を記念するものであった。この声明文の中でマッカーサーは「(敗戦が日本人にもたらした)精神革命が、2千年間という長い歴史、伝統、伝説の上に築かれていた(日本人の)生活の論理と実践を、ほとんど一夜のうちに粉々に打ち砕いてしまった」と述べ、占領軍が行った「日本民主化」政策が日本人を決定的に変えてしまったのだと主張し、占領政策を自賛した。

伊丹とマッカーサーのどちらが日本人を正しく理解していたかは、日本の我々をとりまくその後の様々な出来事を一瞥して見るだけで明らかであろう。「だまされていた」といって平気でいられるままの国民であったため、この75年の間、日本国民は次々と政治家の言うことにだまされてきたことは、「非核三原則」や「原子力安全神話」という言葉を思い浮かべるだけで十分で、詳しく説明するまでもない。敗戦と占領軍による「民主化政策」で「精神革命」が起きたなどとは、我々には夢にすら思えない。それとも、マッカーサーだけが見た夢だったのか(苦笑)。

  伊丹は、「だまされていた」と平気で言えることは、自己の「責任」を放棄しているのだと主張し、「責任を追求しない」ことは「支配者に対する奴隷根性」の結果であり、「悪を憤かる精神の欠如」にもよるものであると述べているわけである。「支配者に対する奴隷根性」とは「権力者に対する服従意識」、「悪を憤かる精神の欠如」とは「正義感の欠如」とも言える。つまり、「責任」とは、結局のところ、自分の身の廻りで起きていることで「正義が行なわれること」を確実にする義務が人間にはあり、その正義の遂行義務を果たすことが「責任」であると言える。したがって、「反正義的な行為」に対して憤かりを感ぜず、「反正義的行為を平気で自分でも行い、他者にも強要する」人間に自分が服従することは、実は「責任を放棄」していることなのである。この「責任」と「正義遂行」の密接な相互関連性が、どうも日本人一般には明確に理解されていないように私には思えるのである。「責任」と「正義」は表裏一体になっていることが、理解できていないようである。

  例えば、安倍晋三の「桜を観る会」で、会費で賄えなかった多額の費用を不法に安倍個人が補填していたことがようやく判明し、政治資金規正法違反の疑いで秘書を立件することを東京地検特捜部が決めたとのニュースが流れた。不記載額が4千万円を上回るという。親分が不正をやっていることに盲従すること、あるいは親分に不正行為を強要されて服従する奴隷根性的行為は、従って、実は「責任放棄」なのだが、それが秘書には「責任放棄」であるとは全く考えられていないようである。むしろ親分に奴隷根性的に忠誠を尽くすことが、子分の「責任」であると考えられている。同時に、子分に不正行為を強要することが「責任放棄」であり、子分に対する「人権侵害」でもあるということが、親分にも全く理解されていない。

  森友問題では、そのことがもっとはっきり言える。森友学園への国有地売却に関する資料改竄を、財務省の理財局長であった佐川宣寿が近畿財務局に命じ、その仕事を自分がさせられたという内容の手記や遺書を近畿財務局職員であった赤木俊夫が残して自殺。この事件に安倍自身あるいは妻の昭恵が直接関与していたかどうかは、今のところ明らかではない。しかし、もしこの改竄行為を佐川が安倍への「忖度」として部下に強要したのであれば、これは伊丹の言う「支配者に対する奴隷根性」そのものである。この「忖度行為」が言うまでもなく「反正義的行為」であり、すなわち正義に対する「責任放棄」なのである。

部下に不正を強要し、精神的に非常な苦痛を与え、最終的に死にまで追いやった残酷極まりない不正行為は、もちろん「責任放棄」であり、明白な「人権侵害」である。財務局のこの不正行為に対して徹底的調査を行おうとしない財務大臣、麻生太郎もまた、最初から「責任を放棄」している。結局、誰も責任をとらず、責任を放棄した本人である佐川は、「忖度」に対する見返りなのか、国税庁長官に昇進させられた。伊丹のいう「無自覚、無反省、無責任」という「悪の本体」が財務省そのものを侵食しているのである。おそらく、状況は他の省庁内でも似たようなものであろう。

  亡くなった人には厳しい言葉かもしれないが、しかしながら、改竄行為を強要されても、その不正行為強要に対してあくまでも抵抗せず、結局は服従してしまった赤木も「責任放棄」したことは明らかである。彼もまた、不正行為の強要であることをはっきり自覚しながらも、上から命じられたことには苦しんでも服従するのが自分の「責任」であると生真面目に考えていたものと推測される。

この「上司に対する服従」は、戦前戦中から、天皇制イデオロギーの重要な要素として長く日本人の精神に叩き込まれてきたものであるが、敗戦後の「民主化」でもそのまま継承され続け、今も極めて日本的価値意識体系の要素を成しているように私には思えてならない。自殺に追い込まれるまで苦しんでも上司の命令に服従するなどというのは、他の国では極めて稀なのではなかろうか。日本では、なぜ抵抗しないで服従してしまうのだろうか。

 

憲法12条は抵抗権を保障している

 

戦後改正されたいわゆる「民主憲法」である現行憲法の12条には次のように書かれている。

 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。(強調:引用者)

 

権利、とりわけ基本的人権の尊重は、これまたあらゆる人間にとって「責任」である。なぜなら、それは根本的には「正義」の遂行であり、基本的人権の侵害は正義に反する「不正行為」であるから。憲法12条は、その基本的人権を含む権利を侵すような不正行為を、常日頃から努力して防ぎ、人権を守る義務が我々にはある、と主張しているのである。12条が憲法第3章「国民の権利及び義務」に入れられているのは、そういう理由からである。

  ではどうしたらその義務を我々は果たせるのであろうか。答えは簡単である(実践は難しいが)。それは、権利侵害の不正行為に抵抗すること、これしかない。したがって、この12条には、「抵抗」という言葉が使われてはいないが、文意からすれば、「抵抗する権利」が我々には保障されており、「抵抗権を使って権利・人権を守る義務が我々にはある」と解釈すべきだと私は思っている。つまり、この12条には、「抵抗」は権利であると同時に義務であるという意味が含まれていると考えるのが当然なのである。抵抗の権利と義務は、したがって正義遂行のためには必要不可欠のものなのである。したがって、権利侵害に抵抗することは人間としての「責任」なのである。

私は憲法学者ではないが、12条をそのように解釈すべきだと信じている。このような解釈を法的にもっと精緻に展開していた憲法学者は、同志社大学教授であった田畑忍(1902〜94年)であったと思われる。田畑の解釈が憲法学者たちの間で多数派意見を代表するものなのかどうか、私は知らない。しかし多数派であれ少数派であれ、この解釈は正しいと私は思っている。ただし、「抵抗」はあくまでも平和的手段で行うべきであり、暴力的抵抗は相手の人権を侵害する不正行為となってしまうため、絶対に許せない。

上に述べた安倍晋三の秘書や近畿財務局の赤木俊夫は、自分たちの人権を侵害する上司の不正行為強要に対しては、あくまでも憲法12条の「抵抗権使用の権利と義務」を全面的に打ち出す形で抵抗すべきだったのである。それが本当の「責任」のとり方である。

ドイツ憲法には、国民が抵抗権を保有していることが明記されている。憲法第20条「国家秩序の基礎、抵抗権」の第3、4項は以下のようになっている。

 

3)立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、 法律および法に拘束される。

4)すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する (強調:引用者)

 

ドイツ国民は、この抵抗権の保障をしっかり知識として共有しているのではないかと私は推測する。そのことは、例えば、福島原発事故が起きた翌日に、ドイツ全国各地で原発即時停止を求める大規模デモが続き、一挙に政府方針を変えさせてしまった事実にも表れていると思われる。それは、ドイツ独自の歴史教育に根ざす、政治体制への市民の基本的な立ち向かい方の具体的な表れのように思える。政府が根本的な誤りを犯す危険性が出てきたときには、国民は「抵抗権」を使って厳然として立ち向かうという態度、それは歴史教育から無意識のうちに培われたものではないか、というのが私の推測である。

しかし、こうしたドイツの国民性は戦後の長年の持続的な教育の中で培われたものであり、もともとあったものではない。そのことは、例えば、アメリカの著名な小説家・劇作家、カート・ヴォネガットが友人のドイツのノーベル文学賞受賞者であるハインリッヒ・ベルに「ドイツ人の国民性のいちばん危険な弱点はなにかね」と尋ねたとき、ベルが「服従性だね」と応えたとのこと。これは1983年のことであるが、戦後38年経ったそのときですら、ナチ政権下でドイツ国民のナチスへの全面的な服従行動をイヤというほど見せつけられたベルには、まだまだその弱点がひじょうに気になっていたようである。

 

ハインリッヒ・ベル

反正義に対する抵抗権は、憲法に書かれているから良いというものではない。その明文化されている憲法条項を、いかにしたら自分たちの血肉として身につけることができるか、それが重要である。

 

天皇制イデオロギーを引きずっている日本の「人権、平等」観念

 

ところが、日本での問題は、この「抵抗の権利と義務」ということについて誰も我々に教えてはくれない。学校の授業でも、憲法については「基本的人権」とか「自由と平等」については習うが、子どもたちに「抵抗する権利」があるなどと教えるのはけしからん、と政治家も文部科学省の官僚たちも考えているようである。とりわけ自民党議員たちは、自民党の時代錯誤的な憲法改悪案、とりわけ憲法97条「基本的人権の保障」をスッポリ削除し、代わりに「国民の義務」を強調していることからもはっきり分かるように、近代国家の憲法では必然的な「基本的人権の尊重」が頭の中にはない。ましてや、「抵抗権」を使って国家に逆らうなどという人間は非国民だと考えているのは間違いなかろう。自民党憲法改悪案は、まさに明治憲法への逆戻りであり、天皇制イデオロギーを強く引きずっていることは一目瞭然。こんな憲法を採用したら世界中の笑いものになる、という意識すら自民党員にはないのである。恥を知らないということは、恐ろしい。

しかも、学校の授業で教えている「基本的人権」と「平等」の教え方そのものが、すでに上に述べた自民党の考え方に沿った形となっている。基本的人権を含む権利の主張を堂々と行うようなケースは、「わがまま」であると捉えられているのであろうか、教えの中では出てこない。また、基本的人権を教える場合には、当然、その侵害がいかに由々しい問題であるかを教えなくてはならないが、実際に人権侵害を受けている在日韓国・朝鮮人や難民家族などについては全く触れることなく、人権という概念が極めて抽象的なものとしてしか授業の中ではとりあげられていないようである。障害者のような社会的弱者の権利についても、本来ならば、どのようにその人たちの権利が守られなければならないかを議論しなければならないのに、「障害者には親切に、思いやりを持って接触しよう」という道徳問題としてのアプローチに終わっている。

「思いやり」で「差別」や「人権侵害」が克服されることはない。なぜなら「思いやり」と「差別」、「人権侵害」は常に同居しているからである。民族差別、性差別、障害者差別、貧困者差別など様々な差別は、社会構造とイデオロギーに由来する人権問題であって、本来は「思いやり」といった「心の問題」ではない。差別をそのままにしておいて、人権意識を強化する教育ができるはずがない。

「平等」すなわち「人間みな平等」という考えは、もちろん憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という規定に基づいて教えられなければならない。しかし、実際に学校で、先に述べた在日韓国・朝鮮人、難民や外国人労働者とその家族、被差別部落民に対する差別などを具体的な例にしながら、いかにこの「法の下の平等」が重要であるかというような教え方は、果たしてされているのであろうか。政府、とりわけ文部科学省が朝鮮人学校に対して激しい差別政策をとり、難民家族の子どもの権利も守ろうとはせず、女性に対する差別の解消にはいつも口先だけで極めて消極的。政治家や官僚はセクハラのし放題。そんな状態であるから、ヘイト・スピーチが全国各地で頻繁に起きるのも全く不思議ではない。よって、学校での「法の下の平等」の教え方が形式的、形骸的なものにしかならないのも当然なのである。

しかも、現実には、「人間みな平等」という考えが「基本的人権の尊重」を土台にしたものとして捉えられていないことも問題なのである。「人間みな平等」とは、個人の人種、社会、家族的背景の違いだけではなく、考え方の違いや個人的嗜好の違いにもかかわらず、その人の基本的人権はあくまでも尊重されなければならないことを意味している。ところが、日本の学校では、クラスの中の多数派の意見や考え方とは違った意見を強く主張すると、これまた「わがまま」、「協調性」がないと嫌われ、そうした態度を取り続ける子どもは「いじめ」の対象とされ、排除される。

日本では、「平等」が「平均」と同義語として捉えられる傾向が非常に強く、クラスであろうと会社や組織、あるいは社会などの「大勢」には従順的、服従的でない人間は排除される傾向が極めて強い。「平均的人間」にならないと、日本ではひじょうに生活しにくい(とりわけ私のような「変人」には<笑>)。社会が個人化する傾向がひじょうに強まっていると言われているが、実は、その傾向は「個人化」ではなく「孤立化」である。「個人化」の場合は、人権を尊重しあいながら、精神的には互いに独立した諸個人の人間同士の横の繋がりは切れないままなので、諸個人間の社会化、連帯化は少しも弱まらない。社会から排除され、人間関係を失った人間は人権を無視されて「孤立化」するが、日本の場合は、この「孤立化」傾向が猛烈な勢いで強まっている。

日本社会での深刻な問題の一つである「学校でのいじめ」は、まさにこの「平均尊重」から起きる「孤立化」と言えるのではないか。2018年の統計数字によると、報告された日本全国の学校での「いじめ」の件数は全国でほぼ54万4千ケース、22万人近くの子どもたちが登校拒否、自殺者は332人。「いじめ」られるのは、子どもたちだけではない。文部科学省の学校教育政策に反抗する教師もまた、同僚や校長による「いじめ」の対象とされる。学校での「いじめ」は海外諸国でも見られるが、これほどまで深刻な社会問題にまでなっている国はないと思われる。

「平等化」実は「平均化」という大勢(=体制)服従強要傾向も、よく考えてみれば、これまた戦前戦中の天皇制イデオロギー、とくに「一君万民(=天皇の下に国民は全て平等)」の服従思想を引きずっている「天皇制イデオロギーの遺制的要素」と言える。

現行憲法の三大原理は、憲法前文でも謳われているように、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重である。ところが憲法が発布された直後の政府の公式発表による憲法の三大原理は、国民主権、平和主義、文化国家建設であった。憲法公布日が「文化の日」とされたのも、これが理由である。つまり、日本政府は、 憲法発布当初から「基本的人権」を認知することに後ろ向きであったことがこのことから分かる。しかも、いまだに「文化国家」と呼べるにはほど遠い、恥ずかしい反文化的な政府の国である。最近の日本学術会議会員任命拒否問題は、政府の破廉恥な反文化的行為の典型的な例である。

 

結論:日本の歴史教育と責任感・正義感の問題

 

日本の歴史教育では、ほとんど古代から現代までの単に歴史的事実だけを年代別に羅列し、それを暗記するという通史という教え方が、戦後これまで一貫して行われてきた。しかも、その歴史的「事実」すら、教科書検定制度という国家介入、畢竟、政府と保守政党のイデオロギーに基づく恣意的な判断で、教科書から削除されるということが頻繁に行われてきた。とりわけ、安倍政権下でのこの点での学校教育への国家介入は、凄まじいものであった。安倍が「慰安婦」や「徴用工」の歴史事実を否定し、日本の戦争責任をうやむやにしようと様々な画策を行ったこと。「私の責任」と言いながら、森友、加計、「桜を見る会」など自分が直接関与している一連の政治汚職問題について、一切責任はとらなかったこと。つまり、これらの問題に対する虚妄まみれの安倍の対応には、社会的、政治的な正義感や責任感のカケラすら感じられなかった。安倍親分から政治屋ヤクザ集団を受け継いだ菅政権は、親分がやったことをそのまま繰り返していることはすでに明らか。この事実は、単なる前政権と現政権の正義感と責任感の堕落という政治問題ではない。それは、日本の子どもたちに、人類普遍的な意味での、強い正義感と責任感を育むような教育が戦後これまで行われてこなかったこと、その日本の教育問題と深く絡んでいることを私たちは、はっきり認識する必要がある。

  

  正義感を養うためには、不正=罪に対する深い認識が必要であるが、日本の場合、侵略戦争で犯したさまざまな残虐な戦争犯罪という罪に対する責任認識を国民的規模で深めること、とりわけ教育で深めることを、戦争直後から怠ってしまい、その後ずっと怠ってきた。「民主主義教育」と言いながら、上に見たように「自由と平等」については形式的には教えても、その根本的な精神要素である正義感と責任感の問題には、教室ではほとんどタッチしてこなかった。不正=罪に対する深い認識の上に立った正義感、責任感、さらにその責任を果たすための抵抗権は、現在の政治社会状況に立ち向かうために必要なだけではなく、どのような未来を作るのか、その未来に向けての私たちの「倫理的想像力」を養うためにも不可欠である。自分たちの両親、祖父母、それ以前の世代が犯した「国家的不正=罪」の被害者の痛みに想像力を働かせ、その痛みを自分たちのものとして共有し、内面化することで、将来、同じような不正を自分たちも犯さないし、また誰にも犯させない、という「倫理的想像力」を身につけるためには、正義感と責任感、それを担保し実現するための抵抗権は不可欠なのである。

2020年10月22日木曜日

中曽根康弘合同葬を原子力・核兵器の観点から切る!

中曽根康弘合同葬半旗掲揚と「大学の自治」崩壊

 

10月16日の東京新聞によると、翌日に行われる自民党と内閣の中曽根康弘合同葬に合わせて、当日、半旗掲揚を行うよう国立大学82校に文科省が要請したとのこと。これに対し56校が弔旗や半旗を掲揚することを決め、19校は掲揚しないと決めた。16日現在で、いまだ検討中は3校で、4校からは回答がなかったとのこと。要請を受け入れた大学のうちの多くが、その理由を「文科省の通知を受けた対応」と説明。つまり、「お上から言われたことには、そのまま従います」という、全く無節操で無責任な対応。掲揚しないと決めた19校も、ほとんどが当日は「土曜日で休業日」のためを理由にあげたとのこと。

本当に情けないことであるが、「大学における思想、精神の自由をあくまでも守るため」に、一政治家の葬儀のために国家権力が1億円近い額の税金を使って(自民党負担額を含めると総額2億円)行う葬儀に合わせて半旗を掲揚せよなどという要求は、絶対に拒否するとはっきり表明した大学はなかったようである。本来ならば、「大学における学問の自由」=「大学の自治」を侵す抑圧行為であるこのような半ば強制的な「要請」に、大学側が徹底的に抵抗する強い意志を示すと同時に、このパンデミックで生活困窮に陥り四苦八苦している国民が大勢いるこの時期に、2億円もの大金を葬儀に使うことの国家的背徳性を大学が批判すべきなのである。しかもこの合同葬には、反対デモを取締るために警察のみならず大勢の自衛隊員まで動員し、日本が文字通り「警察国家」、いや「軍事体制国家」の方向へと急速に突き進んでいることは明らかである。

ちなみに、半旗掲揚の「要請」は日本全国の都道府県教育委員会にもあり、それを受けて広島では平和公園内の原爆資料館前でも日の丸と広島市旗の半旗が掲げられた。中曽根康弘という人物が、原子力・核兵器でいかに極悪な政策を推進した政治家だったのかを少し考えてみるだけでも、半旗を掲げるどころか、広島市は本来ならばこの機を捉えて、中曽根批判を通して日本政府の原子力・核兵器政策を徹底的に検証してみるべきなのである。ところが、広島市は、先日の「黒い雨」広島地裁判決を不服とする政府の控訴決定をそのまま受け入れたのと同様に、今回もまた「お上が言われたことには、そのまま従います」という何の自主性もない、実に情けない対応であった。

 


 

 

中曽根の原子力・核兵器への関与で大損害をうけた日本

 

詳しく述べている時間がないので、ごく簡単に中曽根の原子力・核兵器問題への関与をかいつまんで記しておこう。中曽根は、日本が戦争に負けた原因は科学技術(特に核技術開発)を蔑ろにしたからだと確信し、戦後の占領期にマッカーサー元帥に建白書を出し、原子力研究と民間航空機開発利用を禁止しないようにという要望を提出している。1951年4月に対日講和交渉のために訪日したダレス国務長官に対しても、同じように原子力平和利用研究と民間航空機開発の解禁を訴えた。この時期、中曽根の頭の中にあったのは「原爆と原爆投下を行った大型爆撃機B-29」であったものと思われる。「平和利用、民間利用」から始めて、最終的には核兵器と核兵器搭載可能な爆撃機の開発にまで到達したいというのが夢であったのであろう。

1953年12月にアイゼンハワー大統領が国連総会で「原子力平和利用」に関する演説を行うと、中曽根は一国会議員でありながら、翌年54年3月2日には突然「原子力予算案」(2億6千万円という当時では巨額の予算案)を上程。その後、正力松太郎(原子力委員会初代委員長、初代科学技術長官)らと協力して、修正予算案を驚くべき額の50億円にまで増大させている。これがその後の日本の原発産業の出発点であり、中曽根は、福島原発事故に対しても何らの責任も感じることなく、死ぬまで一貫して原発利用拡大政策を唱え続けた。悪運の強いことには、実は、原子力予算案を提出した前日には、米国のビキニ環礁核実験で第5福竜丸が大量の「死の灰」をかぶったのであるが、これがニュースになったのは漁船が焼津の母港に戻った3月14日以降であった。予算案提出がもう少し遅れていれば、「死の灰」の恐ろしさを知った議員や国民から猛反対が起こり、成立の見込みはなかったであろう。

1959年には第2次岸内閣改造内閣に科学技術庁長官として入閣し、原子力委員会の委員長にも就任して、原子力開発に引き続き力を入れている。このとき彼は、原子力利用政策の中に原子力潜水艦の開発の余地も残しておいたと後年述べている。ちなみに、岸は「日本国憲法では、自衛のためであれば核兵器使用も禁止されてはいない」と、将来の日本核兵器武装の可能性にまで言及した最初の首相である(その後、複数の歴代首相が同じ見解を述べている。岸の孫である安倍晋三もその一人)。

1970年には、中曽根は第3次佐藤栄作内閣で防衛庁長官となり、この時、「日本の核武装能力の試算」なるものを防衛庁内でやらせており、その結果は、核兵器製造には当時の金額で2千億円が必要で、5年以内で核武装が可能というものであった。ただし、日本では実験場を確保できないため、実際に核武装をするのは困難であると判断。しかしながら、この段階から彼は、日本がいつでも核武装が可能なように原発運転で核物質を確保しておくべきであるという考えを持つようになった。もっと具体的に言えば、原子炉の数を増やし常に稼働させることで、日本は原発でできる核燃料を使って核兵器製造がいつでも可能であるということを海外諸国に知らしめておくことで、「核抑止力」と同じ影響力を持つというのがその考えである。この考えが今も自民党の石破茂のような政治家に継承されている(石破は福島原発事故後の原発稼働停止に強く反対したが、その理由として「抑止力がなくなる」とはっきりと公言した)。ちなみに、日本のロケット開発も最初から、人工衛星打ち上げだけが目的ではなく、核弾頭利用の可能性を狙って始められた。

その一方で、中曽根は、1968年に佐藤内閣が正式に打ち出した「非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)」を閣僚として全面的に支持しているが、佐藤も中曽根も「持ち込ませず」が「建前」に過ぎないことを百も承知していた。実は、「持ち込ませず」という原則を含めるように佐藤に助言したのは中曽根であったと、後に中曽根自身が言っている。「持ち込ませず」は沖縄返還に向けて、国民ならびにアジア諸国に日本軍国主義復活の危惧を抱かせないためのパフォーマンスだったのであり、「持ち込む」に関しては佐藤栄作とニクソン大統領の間で密約を結んでいたことは今では周知のところ。佐藤はこの大嘘でノーベル平和賞を受賞した。後年、中曽根はこの密約について、「当然だろう。外には言えないことなので、その時には密約の必要があったんだ」と平気で述べており、恥ずかしいとも思っていない。ちなみに、本土返還後の沖縄への自衛隊配備を準備したのも中曽根であった。

1982年に中曽根は首相の座につくや「戦後政治の総決算」を掲げ、靖国神社公式参拝、防衛費GDP1%枠撤廃、戦後歴史教育見直し、日教組つぶしなど、次々と復古主義的な右傾化をすすめる政策を導入。広島との関係で言えば、1986年の広島訪問の際に原爆病院を視察したが、そのとき被爆者に対して「病は気から」と述べたとのこと。本人は被爆者を元気づけるつもりで言ったのであろうが、被爆者の病苦の実相に無知な、あまりにも無神経な発言である。首相在任中には、このほかにも、アイヌ民族の存在を無視した「日本は単一民族国家」、「黒人は知的水準が低い」といったはなはだしい差別発言をはじめ、米国のためにソ連進出を防ぐような意味合いで、米国に媚を売るために「日本は不沈空母」と称するなど、様々な問題発言を吐いた。国鉄・電電公社・専売公社の民営化と国労、総評つぶしなど、日本の労働運動に決定的な打撃を与えたのも中曽根であった。

しかし、原子力・核兵器問題の観点からするならば、中曽根が首相在任中に強力に推し進めた六カ所再処理工場(核燃料サイクル施設)設置計画を、私たちは決して忘れてはならない。もともと六ヶ所村は、石油化学プラントを中心とする「むつ小川原巨大開発計画」の場所として選ばれたが、この計画が頓挫するや、中曽根政権下で秘密裏にここに核燃料サイクル施設を設置する計画がすすめられ、住民投票すら行われずに、いつのまにか決定されてしまった。1973年のオイルショック以来、強力に推進してきた原発設置の結果、放射性廃棄物の処理・処分が問題となってきたし、使用済み核燃料の再処理によるウラン・プルトニウムの分離利用も展望に入れ、この両方をセットにして、六ヶ所村を「夢の核燃料サイクル施設」にしようという計画であった。「核燃料サイクル」とは、原発における核燃料使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、それを燃料として利用することを繰り返すことで、無限のエネルギー源が得られるという「夢のプロジェクト」である。ところが、発電をしながら使用済み核燃料を高純度のプルトニウムに転換するという増殖炉計画を、商業用目的で実現させた国は世界中でどこもなく、文字通りの「夢のプロジェクト」。

日本はこの技術開発のために、核兵器用プルトニウムを生産してきたアメリカの軍事技術から学ぼうと、その軍事技術の日本への移転を米国に求めた。その日米交渉は、中曽根・レーガン時代の1980年代末から両者が退陣した後の90年代初期にかけて行われ、実際に技術移転が行われている。アメリカは、日本が核燃料サイクル計画で大量のプルトニウムを蓄積することは十分に承知していながら協力した。事実、現在、日本は47.8トンという大量のプルトニウム(核兵器6千発分)を保有している。NPT(核不拡散条約)加盟の非核兵器保有国の中で、高純度プルトニウム製造施設とこれほどまでの大量のプルトニウム保有量を持っている国は日本だけで、アメリカが特別に日本だけにこれを許しているのが現状。しかも、日本のプルトニウム保有量は、公表されていない中国を除くと、米露英仏の核兵器保有国に続く世界第5位である。日本は、その気さえあれば、いつでも核兵器を製造できるし、核ミサイルも配備できる。イランなどより、日本の方が余程危険な国なのである。なぜこのようなことをアメリカが日本に許したのか、その理由についての確証的な資料は現在のところ入手できない。その理由の推測については詳しく述べている余裕が今ないので、興味のある方は拙著「自滅に向かう原発大国日本(上)」(『広島ジャーナリスト』18号、2014年9月発行)を参照していただきたい。

六カ所再処理工場の建設、運転・保守などの総費用には、これまでに、なんと13兆9300億円(2018年現在)がかかっていると見積もられている。しかし、この数字は、工場が40年の間常時100%フルに無事故で稼働するという、あり得ない前提のもとに出した試算であるから、実際には、14兆円を遥かに超える費用がかかっているはずである。実際、六カ所再処理工場ではトラブルが続発しており、今後もますます費用はかさみ、最終的には19兆円になるという予想すら出ている。六カ所再処理工場では年間800トンの使用済み燃料を処理し、約8トンのプルトニウムを分離する。ところが、このプルトニウムをウランと混合させて作るMOX燃料が使える原子炉は4基のみで、プルトニウム消費量は全部合わせても年間で最大2トンほど。全く経済的に採算が合わない。プルトニウムを使う高速増殖炉の「もんじゅ」も「常陽」も、巨額の建設・運転費を投入したにもかかわらず、事故続発で廃炉状態。「夢の核燃料サイクル」は、実際には、完全に破錠している。こんな「悪夢のサイクル」を作り出した元々の責任者はいったい誰か!

危険極まりないプルトニウム製造にこれだけの巨額を投入し、原発事故では福島県民をはじめ多くの国民の生活を困窮に追い込み、家庭、地域社会を崩壊させ、その上に放射能汚染除去のためにこれまた巨額の税金を国民に使わせた責任の一端は、明らかに中曽根にある。その中曽根は、死んでも再び、自分の葬儀のために国民から1億円近い金を負担させた。こんな人物のために、半旗掲揚で哀悼の意を表せなどという政府の「要請」に、黙々と従っている多くの大学、多くの日本人!なんという情けない国なのか!不正不義、とりわけ政治家と官僚の不正不義に対する怒りを忘れた国民は、最終的に自分たちの社会共同体を崩壊させるだろうと私は思う。

 

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」 田中正造