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2020年9月29日火曜日

自称「国際平和文化都市」広島の文化的低劣さ

- さらなる2つの具体的例証

 

1)大田洋子「文学碑」についての要望

一方的な柵工事・周囲の樹木の剪定は市民感情を無視するものである

2)「かきぶね問題を考える会」会報 第60号(2020年9月26日発行) 

原爆ドームの周辺夜景がこれでいいのでしょうか

3) 平和芸術文化際の定期的開催を!

 

  最初に、9月23日に亡くなられた、被爆者で長崎大学名誉教授であった岩松繁俊さんに哀悼の意を表します。岩松さんは、自著『戦争責任と核廃絶』(1998年 三一書房)の中で、「招爆論」、すなわち日本側、とりわけ天皇裕仁に、米国による広島・長崎への原爆攻撃を誘引させるような行動責任があったと論じる、興味深い主張を唱えられました。岩松さんは1928年に長崎に生まれ、45年8月9日には、学徒動員による軍需工場での作業中に爆心地から1,300メートル地点で被爆されました。1952年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、その後長年、長崎大学経済学部で社会思想史(とくにバートランド・ラッセル思想)の専門家として教育と研究に携わられました。原水爆禁止運動にも長年にわたって関わり、1997年には原水爆禁止日本国民会議の議長も務められています。社会科学者として、また反核活動家としても重要な貢献をされてきた人物でした。私も岩松さんの著作から多くのことを学ばせていただきました。深く感謝すると同時に、お悔やみ申し上げます。合掌。

 

  さて、9月24日には、このブログで「米国原爆投下の責任を問う会」が広島市長と県知事に宛て提出した「<黒い雨>広島地裁判決の控訴取り下げの要請書」を紹介させていただき、その紹介文の中で、市長、知事の両者に正義感、責任感が欠落していること、その欠落は「文化の問題」であるという持論を述べておきました。戦争責任問題に関する正義感、責任感を養うということは、市民の間に倫理的想像力を力強く形成するような「文化の創造」の問題なのですが、そのことが全く市長、知事をはじめ市役所や県庁の職員にも理解されていないため、次々と「文化を破壊」するような行政措置ばかり打ち出しています。以下に紹介させていただく「広島文学資料保全の会」の市長あて要望書と「かきぶね問題を考える会」会報の最新号記事もまた、そのことをはっきりと裏付けています。この二例とも、自称「国際平和文化都市」広島の文化的低劣さをまざまざと暴露しています。

  最後に、もう10年も前のことになりますが、広島の「新しい文化」創造のために私が提案した案を、再度、紹介させていただきます。ご笑覧いただき、「広島の文化」の問題を考え、議論していただくための一参考資料にしていただければ光栄です。

 

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1)大田洋子「文学碑」についての要望

 

 

2020年8月31日

広島市長・松井一實 殿

 

大田洋子「文学碑」についての要望

一方的な柵工事・周囲の樹木の剪定は市民感情を無視するものである

 

 

 中国新聞(2020年2月4日)は、「中国庭園の移設へ」の見出しでサッカースタジアム建設の顛末を報じた。

 今まで、サッカースタジアム建設予定地として、宇品(南区)のみなと公園、観音(西区)の西飛行場跡地、旧・市民球場跡地などが候補地にあがり、議論は二転・三転し、最終的に広島市中央部の中央公園に決定した、とのことだ。

 当初、スタジアムを中央公園東側と発表したが、突如西側に変更し、中国新聞は「一部が中国庭園・渝華園」(ゆかえん)にかかる可能性が高く、文学碑やモニュメントの移設も検討」と、述べている。この「文学碑」とは「大田洋子文学碑」のことであろう。(この付近にはこの文学碑しかない)

 

中区選出の市議会議員・まにわ恭子氏は「議会報告」で次のように記している。

 

当初の計画では、スタジアムは東側の配置でしたが、突然、西側に変更されました。建設にあたり調査したところ、東側に貴重なお城の文化遺跡があるからという理由でした。中央公園の案が浮上した時に調査しておくべきことではないでしょうか。また基町の住民は説明を受けていなかったのです。後手、後手です。(まにわ恭子NEWS LETTER VOL61 2020年5月11日)

 

 昨年末から今年にかけて、公園の一部に縄が張られ重機によって掘削されているのを多くの人は目撃しているが、「広島城の遺跡調査」であったことを、「まにわ報告」ではじめて知ることになった。

 令和2年3月に「中央公園サッカースタジアム(仮称)基本計画(案)」が作成されているが、この「調査」が何のために行われているのか、地元住民はもとより市民にはまったく知らされず既成事実として進められているのだ。(スタジアム構想が東側から西側への変更についても、計画案策定が不十分だったことによる)

 渝華園は、1992年に広島と中国・重慶市との友好都市提携5周年を記念して開園、四川省の古典庭園を再現しているといわれている。また、大田洋子文学碑は、1978年、「屍の町」や「夕凪の街と人と」など数多くの原爆作品を残した作家・大田洋子の文学を賛え、平和への道標として(建立のお願い)詩人・栗原貞子、作家・佐多稲子、作家・大原富枝などをはじめとする全国の多くの人々の募金によって建立された。

 この地に建てられたのは、たびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれた実妹・中川一枝宅を訪ね、「夕凪の街と人と」の舞台としたことによる。

 さらに、設計・デザインを担当した四國五郎は、「大小十五の石を、碑文を刻んだ中心の碑石に向って、あたかも爆心から爆風によって吹き寄せられたかのように並べました。石のひとつひとつを、数千度の熱線と音速の二倍を超える爆風下に生ま身を晒した老若男女に見たてながら並べました……<夕凪の街と人と>の舞台となったゆかりの地の一角から、碑石が人々への語りかけをはじめるのです」(爆風の中の碑:建立記念誌)と述べ、碑石も自ら山峡を歩き探し出すなど並々ならぬ意気込みであったことがわかる。(平和公園内にある「峠三吉詩碑」も四國五郎の手によるもの)

 実は、「大田洋子文学碑」の移動は二度目のことである。前述の渝華園建設の折、少し移動したが、それでも、碑の建立委員会代表者の栗原貞子・斎木寿夫には事前に丁寧な説明を行い諒解をとっている。今回はどうか。スタジアム建設予定地にいきなり柵を巡らし、「関係者以外立ち入り禁止」とし、こんもりした周囲の樹木の枝は切り取られ無様な光景が出現した。事前の説明や広報もない。

 担当課(広島市都市整備局スタジアム建設)は、「広島城遺跡の調査をするため」と述べ、「文学碑の移設は公園内」としているが、あまりに性急な乱暴さに心ある市民は驚いている。

 

以上経過説明と意見を述べさせていただいたが、会として次のことを要望したい

                  

 

要望

 

1.「文学碑」建設後、建立委員会は広島市に寄贈(碑および付帯する工作物)したが、広島市に生殺与奪の権限を丸投げしたわけでない。広島市民の共有文化財産として

保護する義務があるはずである。

よって工事日程および、移動先を、市民に公表し、丁寧な説明をすべきである。

2.「広島城関連遺跡」だけでなく、「旧・陸軍施設の遺構」(この地域は旧・陸軍関係の施設が林立していた)も視野に入れ、西側の戦争遺跡の綿密な調査も必要である。

3.広島は、「平和・文化」を標榜する都市である。今回のスタジアム建設にかかわり、文字通り「平和と文化」の名にふさわしい対応をすべきである。

 

 

 

広島文学資料保全の会

広島市中区本川町2丁目129301

電話・FAX 082-291-7615

 

 

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2)「かきぶね問題を考える会」会報 第60号(2020年9月26日発行) 

原爆ドームの周辺夜景がこれでいいのでしょうか <9月25日()20時30分> 折り鶴タワー1階の光景です。

 



 

 


 


原爆ドームから道を隔てて、わずか40mの折り鶴タワー、その1階で繰り広げられるビアガーデン・ダンスショー。スピーカーからの大音量・足拍子と手拍子が辺りの静寂を破ります。月26日付の会報 57号で、「原爆ドーム・平和公園周辺地区に『夜のにぎわい』はふさわしくありません」とお知らせして、三ヶ月が経過しました。会員からもひどい状況を憂う返信や報告が寄せられています。

25日の夜、浜崎さん(自治労連)と事務局の望月先生・大亀の人で訪れてみました。 「広島の平和行政は何をしとるのか」「金儲けのためには何をしてもいいというのか」

「被爆二世市長を名乗るが、かなわ・カフェポンテ・折り鶴タワー、やってることは歴代最悪」 「平和大通りの樹木を切って飲食店街にする、平和大通りパーク PFI も同じ様になるのか」 「世界企業を標榜するマツダも落ちたもの。世界遺産の景観を破壊する行為ではないか」

「世界遺産原爆ドームを守ることは補修工事で終わるものではありません。周辺地域(バッファゾーン)の景観を保全することも大切な役目です」「折り鶴タワーに隣接する相生ホテルは修学旅行の定宿です。被爆者のお話を聞く時間にこれらの大音量が流れたとき、各地に戻って生徒たちはどのようにヒロシマを伝えるのでしょうか」「ここでこの光景はあり得ない」等三人の感想でした。

平和推進担当課が握手カフェに申し入れ

9月2日()に、市民局国際平和推進部へ「折り鶴タワー握手カフェ・ビアガーデン問題」の申し入れを行いました。申し入れの設定時には、担当課長は「自分たちには応答する権限がない」との態度でした。 2日当日、担当課長の説明は、「平和公園や原爆ドームへの来訪者のためのにぎわいづくりは必要。バッファゾーン内の飲食店や施設はこの方針に沿ったもので、ドームの役割を否定してはいない。」というもの でした。

申し入れ参加者からは、ドームの前でダンスショーや女性のウォーキングが来訪者へのおもてなしになるのか/そもそもBZ内にこのような施設が設置されていいものか・アウシュビッツにはこのような施設はない/計画時にどのように判断したのか/静かな環境の中でこそ「平和の追体験」が可能ではないのか/BZ 設定の意味を市職員に教育するのが平和推進課の役割/ホテル関係者内では折り鶴タワーの評価は高くない/「祈りの場」に売店やビアガーデンがいるのか/県外の人に勧められない市民として恥ずかしい/修学旅行の宿泊ホテルの前・ドームの前でダンスショーこれが広島市の平和行政か/イベントの実態を調査せよ/戦争の負の遺産としてドームは世界遺産登録された・その BZ である・イコモスの懸念表明は継続されている/状況を確かめて業者に指導するべき等の声が出されました。

23日、担当課長から電話があり、「握手カフェ・ビアガーデンの問題について、調査をし当店に伝えた。」 店側から「イベントについては考える」「(期間を一月短縮して)9月26日で終了する」との応答があったと言うことでした。

動かない・動けない・権限がないと言っていた平和推進担当課が、私たちの申し入れに対応したことは一定評価できますが、25日の光景はとてもそのままには受け取れない様相でした。引き続き声を上げ続けなければならないと言えます。

平和大通りを一緒に歩きませんか

とき:10() 午前10時〜1130 (小雨決行)
集合 白神社前

散策と慰霊碑や被爆者の森巡り移動演劇さくら隊殉難碑の説明や、平和大通り樹の会の小林さんによる平和大通りの樹木の説明も計画中です。

主催:平和大通りを歩く会(かき船問題を考える会が事務局を担当します)

広島市が平和大通りを民間委託で商用地化し、カフェやレストラン街にする計画中(平和大通りパーク PFI)の地区をゆっくり歩きます。10月の平和大通りを散策しましょう。

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3) 平和芸術文化際の定期的開催を!

 

上記2つの最近の例からも分かるように、情けないことには、広島市には平和活動を深みのある文化活動として推進していこうという強い意欲も展望も全くありません(広島県も同じですが)。文字通り、原爆を売り物にして観光客さえ集めることができ、その観光客が金さえ落としていってくれればよいという場当たり的な態度。「平和」も「反核」も本当は口先だけ。たとえ市長や知事自身は真剣に「平和」も「反核」も考えていると仮定しても、それを具体的にどのように文化運動として推進、展開していこうというのか、そのアイデアが全くないのが現状。2010年の、当時の秋葉市長によるオリンピック広島招致提案もまさに、倫理的想像力を掻き立てるような斬新なアイデアが全くない、その典型的な悪例でした。このとき私は、オリッピク広島招致提案を痛烈に批判し、文化活動としての反核平和運動のやり方として「平和芸術文化際の定期的開催」を提案しました。この提案は、やる気さえあればいまでも実行可能だと私は信じています。下記アドレスでその提案をご笑覧いただければ光栄です。

 

オリンピック代替案

 平和芸術文化際の定期的開催を! 広島市民球場跡地利用への展望も含めて

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/mb/post_656.html

 



2020年9月24日木曜日

「黒い雨」広島地裁判決の控訴取り下げの要請書

正義感、責任感が欠落している広島市長、広島県知事

 

  東京の市民団体「米国の原爆投下の責任を問う会」が、今月22日付で下記のような要請書を松井・広島市長、湯崎・広島県知事の両人宛に送りました。会のご許可をいただき、下にその要請書の全文を紹介させていただきます。

  要請書を読んでいただければはっきりお分かりになると思いますが、被爆者を全面的に支援するかのような言動を表面的にだけはいつもとりながら(おそらく選挙目的のため)、いつも実際には政府の言うままにしか動かない市長と知事。この2人には、正しいことにはあくまでも正しいと主張すること、75年もの間苦しめられている戦争被害者の憲法で保障されている「平和的生存権」を守るためには、その「平和的生存権」を侵害している国家権力に対して「抵抗権」を使用すべきであるという、市長、知事が持っているべき公的責任感が完全に欠落している。責任感が欠落しているということは、その責任感と表裏一体になっている正義感もまた欠落していることは、あらためて言うまでもない。

  この正義感、責任感の欠落は、現職の市長・知事に限ったことではない。歴代の市長・知事に共通してみられる情けない現象である。原爆無差別大量虐殺という由々しい犯罪に対して、あくまでも正義感、責任感で立ち向かうという気概が全くないのである。このことは、平和公園内にも原爆資料館にも(もちろん国立の原爆死没者追悼平和祈念館にも)、広島にはどこにも、原爆無差別大量虐殺を犯した米国の犯罪を明確に追求・批判する明記は、全くみられない。したがって、犯罪の責任も認めず謝罪もしないアメリカ大統領オバマを大歓迎するという愚行を犯しても、平気でいられるのである。同時に、戦時中、アジア太平洋各地で日本側が犯した様々な残虐行為に対しても、徹底した正義感、責任感で受けとめようという気概もない。例えば、広島市は中国の重慶と友好都市になっているが、友好都市であるその理由を、市のホームページで以下のように説明している。「本市と重慶市の間には、第二次世界大において甚大な被害を受けた市民の復興に向けた、たゆまぬ努力があり、平和にする意識が高い、という類似点がありました。」 ところが、驚くべきことには、重慶の「甚大な被害」が、200回以上の空爆による1万2千人にのぼる死者であることも、またその空爆を行ったのが日本軍であった歴史的事実についても一言も触れていないのである。なんという破廉恥ぶりであろうか!よくもまあ恥ずかしくもなく、「世界平和文化都市」などと自称できるものである。

  「黒い雨」広島地裁判決の控訴をめぐる市長と知事の態度は、したがって、単なる「黒い雨」に限った問題ではないのである。この問題の元凶は、広島市民・県民一般、引いては日本市民一般の正義感、責任感の欠落、そうした欠落を「おかしい」とも思わせない日本の文化全体の問題であることを私たちははっきりと自覚すべきであると、私は思う。正義感、責任感の欠落は、とりわけ安倍政権下の日本でさらに悪化し、その正義感、責任感の欠落悪化がそのまま菅政権に継承されているのが現状である。

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                                       2020922

 

   松 井 一 實 広島市長殿

   湯 崎 英 彦 広島県知事殿

                              

                              慶應義塾大学名誉教授 松 村 高 夫

                              (「米国の原爆投下の責任を問う会」共同代表)

                                      名古屋大学名誉教授  澤 田 昭 二

                                      (原水爆禁止日本協議会 代表理事)

 

 

             「黒い雨」広島地裁判決の控訴取り下げの要請書

 

 2020年7月30日、広島地裁高島義行裁判長は、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」により健康被害を受けたにもかかわらず、広島市や広島県から被爆者健康手帳の交付を受けられなかったのは違法であるとして手帳の交付などを求めた原告の主張を認め、84人全員への手帳の交付を命じました。

 原告は原爆投下時に、生後4ヶ月~21歳だった84人とその遺族で、84人は援護の対象とはならない「小雨地域」や「降雨地域」の外にいたとされていました。これまで国は、黒い雨が激しく降った「大雨地域」に限って「特例地域」として援護対象とし、その他の地域の人を被爆者援護法上の「被爆者」と認めていませんでした。 

 しかし今回の地裁判決は、原告らが援護法上の「被爆者」と認めたのです。判決は、黒い雨の実際の降雨範囲は国の大雨・小雨地域より広いと断定し、降雨地域の人は、黒い雨を浴びた「外部被曝」や放射能汚染された水などを体内に取り込んだ「内部被爆」が想定されるとして、地域の違いや降雨時間の長短によって援護に線引をすることは「合理性がない」としました。「内部被曝」の重要性はすでに澤田昭二名古屋大学名誉教授(素粒子物理学)により明解に分析されています。判決は、原告を個別に検討し、癌など援護対象となる特定疾病を発症していることをあわせ、原告全員を被爆者と認定したのです。

 『朝日新聞』(2020年7月30日)社説は、「地理的な線引で対象者を限ってきた国の被爆者援護行政を否定し、個々の被爆体験に関する証言と健康状態を重視して広く救済する。そうした視点に立つ画期的な判決である。」と記しました。

 

 この判決を受け、被告である松井一實広島市長と湯崎英彦広島県知事は、両氏とも控訴しないことを意思表示しました。他方、政府は安倍首相が広島地裁の判決は最高裁のかつての判決と違いがあるとし、また加藤厚生労働大臣は、地裁判決は「過去の最高裁判断と異なり、十分な科学的知見に基づいていない。」と、強い圧力を広島市長、広島県知事にかけ続けました。市長と県知事両氏は、8月12日、前言を翻して控訴に踏み切りました。国の権力に屈したのです。

 松井市長は「・・・国からは降雨地域の拡大も視野に入れた再検討をする方針が示されるとともに、強い控訴要請を受けた。控訴せざるを得ないと判断した。」「勝訴した原告を思うと本当に辛く、申し訳ない。」「ソクラテスの弁明じゃないけど、毒杯を飲むという心境だ。」(『東京新聞』2020年8月14日)と述べています。

 また、湯崎知事は、「国との協議では、県として控訴しない意思を伝えてきた。一方、今回の判決を受け入れて現行の基準が替わらない場合、被害者の間で不公平が生じてしまう。」、「少しでも早く被害者の救済に繋げられればよかったが、公平性の問題もある。今回は原告84人の救済だが、同様に国の援護対象区域外で黒い雨を浴びたほかの人たちについては全く白紙で、救済されない状況が生まれる。」と述べています。 また、「援護対象地域が、科学的知見で拡大されるとの担保はありますか。」という記者の質問に対しては、「担保はない。ただ被爆者行政のトップである厚生労働相と、国のトップの首相が『拡大も視野に入れた検討をする』と明確に言った。結果として全く拡大しないということは、政治的にはあり得ないと思っている。」と答えています。

 以上のように控訴した弁明を色々述べていますが、「降雨地域の拡大も視野に入れた再検討する方針」と「控訴せずに、地裁判決の原告84人全員を被爆者と認定する事を確定する」ことは全く両立可能なのですから、控訴することにした理由は唯一つ、政府の圧力に屈服した、言い換えれば広島市民、被爆者たちを裏切ったということにほかなりません。政府のいう新たな調査、再検証は、時間の引き伸ばしであることは誰の目にも明らかでしょう。高齢者になっている被爆者を救済するのではなく、亡くなるのを待っているのが政府の方針であり、それを市長と知事も受け入れた、と言ったならば、言い過ぎでしょうか。

 松井市長は、8月6日に「広島平和宣言」を読み上げたばかりです。『宣言』の終わり近くで、日本政府に対し、「・・・平均年齢が83歳を超えた被爆者をはじめ、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」と、述べました。

 

 松井広島市長に問います。広島原爆の投下後の黒い雨による被爆者の広島地裁判決を控訴することが、平和宣言にある「心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添う」ことになると本当に考えておられるのでしょうか。さらにいえば、「人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、強く求めます。」と述べたのは、1週間後に控訴に踏み切る自己への免罪符だったのではないでしょうか。

 松井広島市長と湯崎広島県知事に、あらためて『平和宣言』の理念に立ち返り、控訴を取り下げることを求めます。

 

                           「米国の原爆投下の責任を問う会」

                               共同代表  高橋 信

                               共同代表  横田嘉夫

                               共同代表  吉沢倫子

 

                           東京都府中市白糸台1-47-17 ℡090-1769-6565

                                         事務局長  水澤壽郎

 

 

 


2020年9月7日月曜日

自民党総裁選挙前に


笑話のようで、実は笑い話でない真面目なパロディ

登場人物:
爺さん(60年安保闘争時代の元活動家)と熊さん(少々頭は弱いが気のいい人間)

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熊:「安保爺さん、後期高齢者には危険なこのパンデミックのときに、マスクもせずにこんな街路をぶらぶらと歩きまわって、いったいなにをしてるんかね?」

爺さん:「わしに呼びかけるときは、安保と<反>をつけろと前から言っているだろう、うすのろ熊め!マスクをしていてもいなくても、この腐った汚臭には気がつくはずだ。気がつかないならよっぽど鈍感だが、お前もマスクをはずしてこの臭いを嗅いでみろ、馬鹿め!」

熊:マスクをとって臭いを嗅いでみる。「ひゃ〜、こりゃひでいや、これなんの臭い?」

爺さん:「犬の糞なんだが、その糞がどうも垂れ流しのような状態で、わしにはどうもこの犬は潰瘍性大腸炎にかかっているように思えるんだ。」

熊:「え?潰瘍性大腸炎っていうと、あの人を痔忍(本人は「辞任」のつもり)に追い込んだあの評判の難病?まさか、ワンチャンがそんな病気にはなるめいよ。」

爺さん:「犬だって贅沢させられるとこういう難病にかかっても不思議ではない。この犬は、向こうに見えるあの大邸宅で飼われている犬なんだが、<大モリカケそば>と<サクラもち>が大好きな飼い主夫婦に、同じものをワンサと喰わされて、いつも消化不良を起こしていたんだが、最近、売れ残った<安倍川餅>まで喰わされているという噂だ。どうも消化不良の症状が<安倍川餅>で悪化して、潰瘍性大腸炎になったとわしは判断している。毎日、散歩に連れ出された犬がこの街路を通ったあとは、糞が垂れ流し状態で、汚泥のような汚くて悪臭漂う糞があちこちに落ちている。気をつけないと、お前も自分の安物の靴をその汚物で汚すぞ!」

熊:「<安物>はよけいなお世話だが、そんなめちゃくちゃな、たまったもんじゃないな。<ちゃんと糞の後始末をしろ>と、なんで安保爺さん、じゃなかった安保爺さんは飼い主に文句を言わないんだね。」

爺さん:「不思議なことに、あの馬鹿夫婦には通常の責任感とか倫理観が全く通用しなくて、他人にどのくらい迷惑をかけているのか全く分かっていないのだ。金さえあればなんでもできると思っている、救いようがない夫婦だな。海外に出かけては、全くいらないものばかり爆買している。夫のほうは軍事オタクで、武器が大好き。家の中はアメリカ製のジェット戦闘機、爆撃機、ミサイル、空母などのオモチャでいっぱいだとよ。妻のほうは、若い芸能人を招いて、酒を飲んでドンチャン騒ぎするのがご趣味だそうで、花見の時期には毎晩大勢お仲間を招いて、花火まであげて、キャーキャー騒ぎやがって、うるさくてしょうがない。迷惑極まる生活ぶりだな。」

熊:「どこか他に苦情を申し出るところがないのかね……。後期高齢者の爺さんには、精神衛生上もよくないぜ、そんな怒り心頭の毎日じゃ。脳溢血になっちゃうぜ。」

爺さん:「おい、後期高齢者とわしを呼ぶな!<後期高齢者>というのは、わしは差別用語だと思っているのだ!<光輝高齢者>と書くなら許せるがな。わしのように歳を重ねるごとに叡智を深め人間的な品格を高めて光り輝いている人間を、あたかも何の価値もないかのように<後期高齢者>などと呼ぶのはけしからん!まあ、それについてはまた別の機会にお前に説教するとして、実は、あの馬鹿夫婦の邸宅の後ろ側に<畜生病院>があるのをお前は知ってるだろう?」

熊:「ちょっと爺さん、それを言うなら<犬猫病院>だろうが……。いまは<畜生>というのは動物に対する差別用語になると、俺ですら思うんだがな〜。」

爺さん:「わしは犬猫病院のあの獣医を<畜生>と言っているので、動物の権利を尊重しているわしは犬猫を<畜生>などと失礼な用語では呼ばない。あの獣医は馬鹿夫婦の親友で、あの犬のかかりつけの獣医でもあるのだ。病気になった犬猫を連れていって診断してもらうとき、病状を飼い主がまず説明すると、あの獣医は必ず<アッ、ソー>というのが口癖だそうだ。とにかくだな、わしはあの<アッ、ソー獣医>に苦情を言ったんだ。<お前は、あの犬が潰瘍性大腸炎だということを隠蔽しているのではないか>とな。ところが、あいつは<犬が潰瘍性大腸炎になることはありえないし、あの立派な犬は消化不良ですらない>と言い張るのだ。そこでわしは<診断書を見せろ>と言ったのだが、<個犬情報だから見せられない>などと口実を言いやがった。そこであの犬の糞で近所迷惑をしている町内仲間で署名運動をやり、<診断書開示要求>をあいつに突きつけてやった。その結果だな、診断書のコピーを出したのだが、ほとんどが黒塗りされていて読めるとこがないのだ。黒塗りしたところは<個犬情報に関わる箇所>などと主張しやがって。だからあいつは<畜生道>にも劣る人間だと、わしはあいつの病院を<畜生病院>と呼んでいるのだ!分かったか!」

熊:「ひでいやつらばっかりだな、まるでヤクザだな。いや、ヤクザの連中は形式的にせよ一応<仁義>だけは保つよな。トラさんの口癖じゃないけど、その犬はもちろん、犬の飼い主夫婦も獣医も<尻の周りは糞だらけ>のようなきたねい連中だな〜。しかし、最近、あの金持ち夫婦は全く見なくなったがどうしたのかね。見たことのねい背の低い、頭が半分禿げあがったジジイが犬の散歩をさせているが、あのジジイは誰だい?」

爺さん:「あのジジイは番頭だとよ。あれくらいの大金持ちになると、家計やその他の家の様々な事務をこなす<執事>がいるのだが、あのジジイには<執事>という品のあるような用語ではなくて、<番頭>が似合ってる。とにかく、昨日もあのジジイが、犬を散歩しながらこの街路を通りかかったのをわしは家の二階から見ていたんだ。ところが、垂れ流す糞をきれいにすくって集めて歩くのかと思ったら、小さなスコップですくって、誰も見ていないかどうかそっと周りを確かめた上で、溝や他人の家の垣根の後ろに放り投げたりしているんだ。つまり、ご主人の犬の糞を隠蔽する役目を、今度は番頭が代わりにやっているのだ。わしは腹が立って、怒鳴りつけてやろうと思って、すぐに家を飛び出してあのジジイに向かって行ったら、あいつ、なんて言ったと思う!<スガスガしい朝ですな〜>だとよ!あの野郎は、犬の飼い主夫婦に勝るワルだな。今日は、もう糞を隠そうともしないで、さっさと通り過ごしてしまったようだな。」

熊:「反安保爺さんの話を聞いていると、まるでどこかの国の政界の話のように思えるな〜、どこの国だったけな〜、確か、メディアが全くだらしない東洋の島国の話だったような記憶があるんだがな〜。」

爺さん:「おい、熊!今晩はやけ酒だ、わしにつきあえよ!<光輝高齢者>をどれほど大切にしなければならいか、たっぷり教えてやる。」

熊:<あ〜、やなところでつかまっちゃった。この安保爺さんと飲んでも少しも酔いが回らないのが辛いよな〜。>