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2019年1月16日水曜日

「退位する明仁天皇への公開書簡」への批判に応えて


- 天皇は「裸の王様」、あるいは「人間みんなチョボチョボ」という視点から

読者のみなさんからの反応
  元日に当ブログで発表した「退位する明仁天皇への公開書簡」には、これまで、私たちが当初予測していたよりはるかに多くの人たちが目を通されたようです。おそらくフェイスブックなどで情報が拡散されたものと思われますが、日本だけではなく、ロシア、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、カナダ、韓国など、海外各地からもアクセスがあり、2週間以上たった今もまだアクセスは止まりません。「天皇制批判」は人気のないテーマだと思っていたので、予想外の反応に、やはり天皇制に問題を感じている市民の人たちは少なくないのだと認識しなおしている次第です。読者のみなさんの中には賛同のコメントを送ってこられた方も幾人かおられますので、それらのコメントもすでに掲載させていただきました。
  ネトウヨからの批判があるに違いないと私たちは考えていましたが、グーグル・サーチした限り、いまのところ、この書簡で展開した天皇制批判に真っ向から論戦を挑むような内容のネトウヨ反応は見られません。しかし、ネトウヨではなく、私たちの政治社会思想に近い考えをお持ちであると思われる人からの批判を見つけましたので、これを紹介し、この批判に対する反批判を試みておきたいと思います。
  その批判は、「みずき」というブログを公開しておられる、山口県にお住いの東本高志さんという人によるものです。以下、その全文を引用させていただきます。

退位する天皇明仁宛に書かれた田中利幸さん(元広島平和研究所教員、メルボルン在住) のこの公開書簡 は天皇明仁がむことなど絶対と言ってよいほどないだろうことは百も承知の上で書かれたものでしょうから、実のところ市民(それもリベラル左派の)向けに書かれたものとみなされるものです。そうだとすると、田中利幸さんには少し以上にあざとさがあるというべきではないか。実際に彼の長文の論攷をんでみても、書かれている事実の主張そのものは頷けるものの、私にはまっすぐに腑に落ちてこないのです。彼はてらう、あるいは取るのはやめて思うところがあるならばまっすぐにその思いを市民に述べるべきでした。というのが、私の後感です。わざわざ天皇明仁宛にしているところにも天皇崇り香のようなものを私は見ます。これでは真の象天皇制批判にはなりえないでしょう。リベラル左派の者の中にはリベラリスト明仁天皇像を依然持ちける者も出てくるでしょう。そういう余地をした書き方というのが私の批評です。(強調:引用者)

天皇は「裸の王様」と叫ぶことの重要性
  私は、てらったり気取ったりしてこの書簡を書いたつもりは全くなく、東本さんが冒頭に書かれているように、目的はできるだけ多くの人たちに「天皇制と民主主義」について考えていただく機会をつくることでした。どのように考えていただきたいと思ったかについては、具体的に後で述べさせていただきます。
  明仁個人宛に手紙を出すことが、東本さんの考えでは、なぜゆえに「天皇崇拝」に即つながってしまうのか、その論理的な説明が完全に抜けていると私は思います。書簡の内容に私の「天皇崇拝」感があると東本さんが考えられ、その証左を具体的に取り上げて指摘されるのなら論理的な説得性がありますが、そのような指摘は全くなにもありません。あるはずがないと思います。答えは簡単です。なぜなら、私には「天皇崇拝」感などは最初から最後まで一カケラもないからです。
  私がこの書簡で展開した議論の主たる論点は、天皇制、とりわけ天皇の「象徴権威」が持っている民衆(とりわけ民衆意識)支配のカラクリを暴き出し、そのような「象徴権威」を持っている天皇個人を、天皇という神がかり的な地位からいかにしたら我々市民と同じレベルにまで引きずり降ろすことができるか、ということです。「引きずり降ろす」という意味は、我々大衆の意識の中で、「天皇は特別に崇敬すべき」と捉えられている存在から、長所短所の様々な性格要素と喜怒哀楽の感情をもった「我々と同じ人間」としての存在になるまで変革する、ということです。つまり「天皇を引きずり降ろす」ということは、私たち自身の「天皇観」に変革をもたらすことなのです。天皇制を廃止するためには、単なる制度の変革ではなく、その制度の変革に決定的に重要な「天皇イデオロギー=天皇崇拝」の廃止=思想的な意味での「天皇の引きずり降ろし」という価値転換がどうしても必要です。
  「天皇イデオロギー=天皇崇拝」を徹底的に崩すためには、天皇を一個人の人間とみなし、彼に個人的に呼びかけ、彼が天皇として持っている「象徴権威」のカラクリを彼自身にむけて暴露し、その「象徴権威」がいかに民主主義にとって危険なものであるかを、彼が反ぱくできないまでに論証すること、その論証をできるだけ多くの市民に「なるほどそのとおりだ」と理解してもらうこと、これが最も効果的な方法だと私は考えています。したがって、明仁が実際に書簡を読むかどうかはそれほど重要なことではなく(書簡はすでに宮内庁気付けで郵送しました)、彼に宛てた書簡で、「象徴権威」を引き剥がされた「生身の人間」としての明仁の姿を、市民のみなさんの前に曝け出すというのが、書簡の最も重要な目的なのです。つまり、簡単に表現すれば、「象徴権威」という見栄えのよいガウンを脱ぎ捨てると「あなたは裸ですよ!」と天皇に直接呼びかけ、同時にその呼びかけをできるだけ多くの市民に聞いてもらうことで、「みなさん、天皇は『裸の王様』なんですよ!目を覚ましてよく見てください!」と声高に叫ぶこと。これこそが「わざわざ天皇明仁宛に書簡を書いた真の目的なのです。もう一度述べますが、明仁宛に書簡を出す目的は、彼を我々市民と同じレベルに引きずり降ろすことなのです。
  同時に、徴権を自分の政治目的のために利用し、行政の私物化を臆面もなくも行い、憲法を不能化させ、あげくのはてには年間5兆5千億円を超えるとてつもない膨大な軍事予算で金を浪費して国家を借金漬けにし、国民の生活を文字通り崩させようとしている安倍晋三と彼の取りき連中を、力の座から引きずり降ろすことを私たちは考えなくてはなりません。

右も左も「天皇タブー」に囚われている現状をどうすべきか
  なぜこのことが東本さんには理解できないのでしょうか?なぜ「天皇、あなたは『裸の王様』なんだ」と彼に直接呼びかけることが、東本さんには「天皇崇り香」としてしか理解できないのでしょうか?東本さんの私への批判はごく短いコメントなので、その理由はよく分かりませんが、以下は私の推測です。
  「天皇問題はタブー」であるとしばしば言われます。つまり「庶民が天皇問題で賛否とやかく言うべきではない」という意味です。文化人類学者たちは、タブー(日本語では「禁忌」)には「両義性が内在している」と言います。つまり、両義性とは「神聖」と「穢れ」、「死」と「再生」といった対照的な、あるいは矛盾する要素のことですが、タブーはしばしばこの両方の要素を内包しているというわけです。また、状況によっては、一方の要素が他方の要素に変貌することもしばしばあります。日本の民俗学でよく言われる「ハレ」と「ケ」もそれに当たるかと思います。
  この「神聖と穢れ」、「ハレとケ」の両義性を現在の「天皇問題タブー」に当てはめてみると、以下のように要約できるかと思います。天皇を極めて神聖で崇高な存在として崇める右翼国家主義者たちはもちろん、最近では天皇を民主主義防衛(=ハレ)のチャンピオンのように崇め奉る、内田樹、島園進、半藤一利などのいわゆる「進歩的知識人」が、両義性のうちの「神聖タブー」に囚われている代表と言えるでしょう。明仁を崇め賛美し、畏れ多くて批判など決してしてはならないというタブーです。それとは全く逆に、天皇制に批判的であるがゆえに、天皇を徹底的に忌み嫌い、その存在を「穢れ」というよりは「ケ(=凶)」とみなして完全に否定することで、天皇を直接相手にするなどということは「気持ちが悪い」と考える。しかし、批判の対象を「忌み嫌う」という感情移入のほうが先立ってしまい、そのことで実際には鋭利な批判的論理性を失うという思考的な落とし穴に陥没してしまっている人たち。この人たちも、実は「神聖タブー」と全く逆の、天皇の「凶のタブー」と称すべきタブーに囚われていると私は考えます。この「凶のタブー」には、実は無意識のうちにせよ、天皇の象徴権威を恐れているからこそ、徹底的に拒否したいという心理が働いています。状況によっては、この「恐れ」が、「畏れ」に変貌する危険性は十分あります。したがって、一見したところ全く対照的に映るこの二つは、「天皇存在の是非には実際には触れない」=「天皇をタブー視する」という点では共通しているのです。
  さらにやっかいなのは、天皇の「神聖タブー」に囚われている人たちも、逆に「凶のタブー」に囚われている人たちも、自分がそのような「天皇タブー」に緊縛されているという自覚がないことです。天皇制には、天皇と自分を同じ人間として対峙させる「民衆の自覚」を消し去ってしまうという「魔力」があるのがひじょうに恐ろしい点です。
  私の推測では、東本さんは、この「凶のタブー」に囚われているのではないでしょうか。「徹底的に否定すべき相手である天皇に個人的な書簡を送るなどということはけしからん」、「そのようなけしからん行為は、てらいであり気取っている」のであり、「天皇崇り香のようなもの」が臭うというわけです。東本さんの私への批判には論理的説得性がないと私が述べたのは、東本さんの批判が、この極めて感情的な「凶のタブー」のレベルでの「気持ちの悪さ」の表現にとどまっているからだと思うからです。その意味では、東本さんの私への批判にこそ、「天皇への畏れの残り香のような」臭いを私は嗅ぐのです。再度述べておきますが、このような「タブー」に緊縛されている限り、真に力のある天皇制批判はできません。
  「凶のタブー」から私たちを解放するには、次のようなことが必要だと私は考えます。明仁天皇は徹底的に批判すべき相手であるからこそ、その相手を最初から完全に否定あるいは無視する(=畏れる)のではなく、あくまでもその相手の「人間性」に訴えるという姿勢をとることで、相手の間違いをとことん追求し、そのことで相手を私たち市民と同じレベルにまで引きずり降ろす。「裸になれば、天皇も私も同じ人間」、つまり小田実の表現を借りれば、「人間みなチョボチョボや」というレベルにまで相手を引き下ろす。そのような「人間性に訴える」という姿勢と行為を市民全体で共有することで、少しでも天皇イデオロギーに風穴を空けていく。
  あらためて言うまでもなく、日本で反天皇制を市民運動として展開していくのは容易なことではありません。しかし、天皇を「普通の人間」とみなすことが全国民的な広がりで一般的とならない限り、天皇制廃止への道は見えてきませんし、したがって日本に民主主義を本当に根付かせる可能性も見えてはこないと思います。
  

- 完 -


2019年1月1日火曜日

退位する明仁天皇への公開書簡


- 日本に本当の民主主義を創るために

  いまから50年前の1969年1月2日の皇居一般参賀では、ニューギニア戦線での生き残り兵、奥崎謙三が当時の天皇裕仁に向けてパチンコ玉を発射しました。奥崎がこのような奇抜な事件を起こしたのは、この事件を起こすことで逮捕され、裁判所で裕仁の戦争責任を追及する機会をえるためでした。奥崎は裁判で憲法1章「天皇」が違憲であるという持論を展開しましたが、 地方・高等・最高裁判所の全ての判事たちによって完全に無視されました。私たちが知る限り、天皇制に対する法的挑戦、しかも極めて説得力のある挑戦は、奥崎のケース以外には皆無です。奥崎の暴力行為を私たちは決して容認しませんが、50年前の彼の徹底した天皇裕仁ならびに日本国家の戦争責任追求と天皇制に対する稀なる法的挑戦をここに想起しながら、明仁天皇に対して公開書簡を送ります。


謹賀新年
  明仁さん、私たちはこの書簡を、単に「天皇」という公的地位にあるあなたに向けてだけではなく、一個人の人間としてのあなたに向けて送ります。したがって、「天皇」という表現はなるべく使わず、「さん」付けであなたとあなたの家族の名前を呼ばせていただきます。

憲法1章「天皇」が内包している大きな矛盾
  明仁さん、あなたは 2016年8月8日、「譲位」の個人的希望を国民に向けて表明された声明の中で、過去28年にわたって、ご自分が憲法1条で規定された「日本国民統合の象徴」としての役割を果たすことに真摯に努めてきたことを強調されました。2018年12月20日、誕生日の3日前に行った記者会見でも、あなたは「日本国民統合の象徴」としての努力を真摯に長年努めてきた実績を再び強調されました。私たちもあなたのその真摯さは認めます。しかし、真摯な態度であれば何であれ正しいとは言えません。
  ご承知のように、憲法14条は、「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」と明言しています。ところが、あなたの「象徴」の地位は、皇室典範第1条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを承する」という規定によって、女性を明らかに差別しています。近代民主主義国家といわれる世界の国々の中で、憲法(24条第2項)で男女平等を唱っておきながら、その憲法に明らかに違反する差別行為を「日本国の象徴」である天皇とその家族に堂々と行わせているような摩訶不思議な国は、日本以外にはないのではないでしょうか。そして、そのことを政治家たちだけではなく、憲法学者もメディアも国民の大多数もたいして矛盾とも思わないような国である日本。それを考えると、性差別が日本社会の様々な場所ではびこっている現状に、本当は驚くべきではないのでしょう。換言すれば、天皇が象徴する性差別と、国民の多くが矛盾と思わない性差別とは、互いに照らし合っている鏡映だと言えると私たちは考えます。
  さらに憲法2条で、あなたの天皇としての地位は「世襲のもの」であると決められています。「世襲」ということは、実際にはあなたの家系のみが尊重されるという意味で、これまた明らかに14条の「門地(=家柄)」による差別の禁止に抵触しています。しかも「日本国民統合の象徴」としてのあなたは「万世一系」の「純粋な日本人」の家系の人とみなされることから、意識的にであれ無意識的にであれ、外国人、とりわけ「在日」と称される韓国・朝鮮系、中国系などの市民を差別するイデオロギー上の拠り所を、一部の国民に提供している事実も否定できません。現在さかんに問題になっている「ヘイト・スピーチ」も、一見、憲法1〜2条とは関係がないように見えますが、実は、あなたの天皇としての存在が、国民の無意識的な感情レベルに深く且つ広く影響していることと密接に関連していると私たちは考えます。
  また、あなたの家族は神道をひじょうに重視していますが、現憲法が発布された1946年以降は政教分離が憲法20条で明確に規定されました。にもかかわらず、あなたの亡くなられた父親である裕仁さんの葬儀であった「大喪儀」や、あなた自身の新しい「象徴」の即位式であった「大嘗祭」などをはじめ、神道に基づく多くの皇室関連儀式を巨額の国民の税金で執り行うという違憲行為を堂々と行ってきました。2019年11月に行われるだろうと言われている、あなたのご子息である浩宮(徳仁)さんの天皇即位行事である「大嘗祭」も、再び巨額の税金を使って、明らかに憲法に違反する形で執り行われようとしています。
  このように、あなたが「象徴」としての役割をいかに真摯に務められようと、憲法1条で規定されたあなたの存在そのものが、実は様々な差別と違憲行為の元凶であることを、あなた自身はどう思われますか?
  それと同時に、憲法6条や7条では様々な「国事行為」を行う義務をあなたが負っていることが規定されていますが、それらの国事行為を拒否したり、個々の国事行為に対して個人的な意見を述べたりする自由はあなたには全く与えられていません。すなわち、あなたは「日本国民統合の象徴」であるにもかかわらず、12条で国民一人一人に保障されているはずの「自由および権利」という基本的人権と13条で明言されている「個人的尊重」があなたには与えられていないという、大きな矛盾に緊縛されています。(天皇は国民からたいへん「尊重」されていると主張する人がいるかと思いますが、この場合、あなたはただ「天皇」という存在として「尊重」されているのであって、個人的「人間」として「尊重」されているのではないことは改めて言うまでもないと思います。なぜなら、あなたを個人的に人間としてよく知っている国民はほとんどいませんから。)つまり、あなただけではなく、あなたの妻・美智子さんや二人の息子さんである徳仁さんと文仁さん、彼らのお連れ合いである雅子さんと紀子さんたち、さらには孫たちまで、皇室にとどまる限り基本的人権が実際にはないという、極めて不条理な状態におかれているわけです。
  そういう意味では、あなたの「天皇」としての存在は、他者に対する差別の元凶でありながら、同時にあなた自身とあなたの家族が、ひじょうに特殊な意味での差別の被害者でもあるわけです。基本的人権が認められていないということは、換言すれば「人間」として認められていないということになります。きわめて不思議な現象ですが、したがって、ひじょうに高貴な存在であると国民一般に思われているあなたの「天皇」としての存在は、「基本的人権」を完全に否定されている奴隷と根本的には共通している性格をおびているわけです。この「奴隷である」という点にこそ、「天皇」が政治的に利用される、とりわけ強烈な国家主義的思想をもっている政治家たちに利用される危険性の重大な要因があると私たちは考えます。

あなたの父親の戦争責任の重大性
  生れながらにこのようなひじょうに難しい立場に置かれたあなたを、一個人の人間として見るとき、私たちは同情に耐えません。国家のための一種の機械的、奴隷的人間であることを死ぬまで強要されるあなたとあなたの家族には、本当に気の毒に思います。しかし、同時に、明治元年以来、天皇という存在を国家の最高象徴としてきた天皇制によって、抑圧され、差別され、苦しめられ、殺傷された無数のアジア太平洋地域の人々、植民地化された朝鮮・台湾の人々と日本国民のことを考えると、あなたや歴代の天皇だった人たちに単に同情していることはできないのです。
  この点で、とりわけあなたの父親である裕仁さんには重大な罪と責任があります。天皇裕仁を大元帥と仰ぐ日本帝国陸海軍は、1931年9月から45年8月までの15年という長年にわたって中国、東南アジア、太平洋各地で中国軍、連合軍とすさまじい破壊的な戦闘を繰り広げました。とりわけ中国に対する日本の戦争は初めから終わりまで一貫して残虐極まりない侵略戦争であり、犠牲者の数は2千万人と言われています。エドガー・スノーは日本軍の中国での蛮行を「近世において匹敵するもののない強姦、虐殺、略奪、といったあらゆる淫乱の坩堝を泳ぎ廻っていた」戦闘と表現しました。こうした中国での犠牲者の他に、この15年戦争の犠牲者は、インド(150万人)、ビルマ(15万人)、ベトナム(200万人)、マレーシア・シンガポール(10万人)、フィリッピン(111万人)、インドネシア(400万人)、その他にも多くの太平洋の島々の住民犠牲者を合わせると、おそらく1千万人に近い人たちが死亡したと考えられます。また、日本軍兵士・軍属の死亡者数は(朝鮮・台湾の植民地出身者約5万人を含む)230万人(その6割が戦病死・餓死者)。これに、原爆を含む空襲の犠牲者と沖縄や満州などでの一般邦人犠牲者数80万人を合わせると、約310万人の人命が失われました。強制疎開で取り壊された住宅は310万戸、約1千5百万人が家を失い財産を空襲・原爆で焼かれました。(日本に対する空襲・原爆による無差別大量虐殺という戦争犯罪に対しては、米国側が重大な戦争責任を負っていることは明らかですが、長くなりますので、この書簡ではこの問題には触れません。)
  戦後、あなたの父親は、大元帥である自分の意志を無視して軍部が独走したのだと主張し、責任を回避しました。しかし、防衛庁防衛研究所戦史部が編纂した膨大な戦史叢書を読んでみると、彼が統帥部の上奏に対する「御下問」や「御言葉」を通して戦争指導・作戦指導に深く関わっていたことは否定しがたい事実であることがよく分かります。とりわけ、1941年12月の対連合国開戦の決定過程では、裕仁さんが最終的には決定的に重要な役割を積極的に果たしたことは、当時の内大臣・木戸幸一氏の日記を見てみれば一目瞭然です。戦後の極東軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)で、元首相・東条英機氏が、米占領軍と日本政府の政治的圧力から、裕仁さんが開戦決定をしたのは「私の進言、統帥部、その他責任者の進言によってシブシブ御同意になった」からだと証言しました。しかし、たとえ「シブシブ」であったとしても、それに同意し、「宣戦の詔勅」に署名したことは事実です。裕仁さんに開戦の意志が全くないのに署名できたということ自体がおかしいと私たちは思いますが、いずれにせよ帝国陸海軍の統帥権者として署名した限り、その最終責任が彼にあったことは否定できません。ところが、1946年4月29日(あなたの父親の誕生日)に28名の軍人や政治家たちがA級犯容疑者として起訴され、1948年12月23日(つまりあなたの誕生日)に、そのうちの7名(板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東条英機、武藤章、松井石根、広田弘毅)の死刑が執行され、これで戦争責任問題は解決済みとされてしまいました。
  しかし、戦争は他の誰でもなく、国家元首であったあなたの父親の命令によって開始され、彼の命令によって収拾されました。その結果、310万人という日本人と数千万人に及ぶアジア太平洋地域の人たちが命をなくしたのです。あなたの父親の命令には、なによりもまず、数千万人に及ぶ「人の命」がかかっていたのです。私たちは、数千万人という抽象的な数字ではなく、命を失ったその一人一人の「悔しさ」、残された親族や友人たちの「悔しさ」、戦争をなんとか生き延びた徴用工、軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)、捕虜や被爆者、空襲被害者、満蒙開拓民など、多くの人たちの一人一人の「悔しさ」をあくまでも大切にしたいと思います。
  ちなみに、あなたは、1961年に渡辺清さんという人が、あなたの父親に対して公開書簡を送ったことをご存知でしょうか?渡辺さんは、1944年10月24日にレイテ沖海戦で撃沈された戦艦「武蔵」の生き残り水兵の一人でした。彼は、その書簡の中で次のように書いています。

  自分の命令でそれだけの人々が死んだという事実を考えただけでも、あたりまえの人間なら、傷心きわまり、それこそいても立ってもいられないはずだと私は思います。それがあたりまえの人間の心であり、あたりまえの人間の感覚なんだろうと私は思います。
  したがって、もしそういうあたりまえの感覚がないとすれば、それは心ない人間なんだと思います。人間であって人間でない、人間という名をかむったまったく別のなにかなんだと思います。どう考えても私にはそうとしか思えません。
……… 
  1946年(昭21)の元旦、あなたは詔書を発布して……自ら「神格」を否定されました………
  自分の命令で多くの人を死地に追いおとしておいて、いまさら「信頼」だの「敬愛」だのといっても、余人はいざ知らず、私はもうそんなすらごとは一切信じません。騙されません。とにかく元旦の詔勅にはあなたの責任意識の片鱗だに見出すことができませんでした。
  敗戦時の詔書にも同じことがいえます。国民はいうにおよばず、深刻な被害を与えた中国や東南アジアの国々にたいしても、あなたは“戦争は私の責任である、申訳なかった”と、ただのひと言も謝罪していません。そればかりでなく、戦後のどの詔書にもそのことにはひとことも触れてはいません。

あなたの「戦没者慰霊の旅」の問題性
  裕仁さんが渡辺さんのこの書簡を実際に読まれたのかどうか知りませんが、もし読まれたとすれば、どのように思われたのでしょうか。
  あなたが美智子さん同伴で、日本国内のみならず沖縄をはじめ太平洋の島々にまで足をのばして「戦没者の霊を慰める」という「慰霊の旅」を続けてこられたことは、あなたが自分の父親に幾分なりとも戦争責任があったと感じておられるからだろうと私たちは推測します。前にも述べましたように、あなたと美智子さんの「戦没者の霊を慰める」というその真摯さについては、私たちは決して疑いはしません。しかし、その真摯さにもかかわらず、実際には、あなたの「慰霊の旅」には深刻な問題があると私たちは考えています。例えば、2015年4月に、あなたはパラオ島とペリリュー島への「慰霊の旅」に出かけましたが、パラオに向けて旅発つ直前にあなたが発表したメッセージの中には、次のような言葉が含まれていました。

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命かが失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことかが深く偲ばれます。………
終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。」(強調:引用者 なお、米軍戦死者約1,700名という数字は実際の死亡者数より500名以上少ないです。)

  あなたが述べられているように、ペリリュー島での戦闘だけが日本軍将兵に多くの死傷者を出す結果になったわけではありません。1942年8月に始まったガダルカナル島での戦闘での20,860名の死者(そのうち15,000名が餓死・病死)や、合計157,646名という大量の兵員が送り込まれた東部ニューギニアでは、敗戦時の生存者はわずか10,724名。つまり94パーセントという高死亡率で、ここでもその多くが餓死・病死でした。1944年になると、日本が占領していた太平洋の島々に米軍が次々と攻撃をかけ北上する作戦を展開したため、ブーゲンビル、ポナペ、トラック、グアム、サイパンなど多くの島が攻撃目標となり、兵員だけではなく無数の民間人が犠牲者となったことも、あなたはよくご存知なはずです。サイパンでは日本兵と在留民間日本人の合計55,000人以上が死亡しましたが、その多くが「自決者」でした。ペリリュー島での悲惨で無意味な「玉砕」作戦は、1945年2月19日から始まり3月26日に終結した硫黄島での戦闘で繰り返され、さらに10万人の兵員死亡者のうえに10万人ほどの民間人の死者を巻き添えにした沖縄戦でも繰り返されました。
  上に引用させていただいたメッセージでは、あなたは、熱帯地域で餓死・病死に追いやられ、なんとか生き延びても「玉砕」という自殺行為を強いられた、このような無数の兵たちを「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった」という美辞麗句で表現しました。あの戦争は本当に「祖国を守る」ための戦争だったのでしょうか?何のための戦争だったのでしょうか?とりわけ、いったいその責任は誰にあったのかについては、あなたは一切問わないという態度をとっています。彼ら「帰らぬ身となった」者たちは、はっきり言えば「犬死に」したのです。彼らの死は、「悲惨、無意味、一方的に殺戮された」結果の死、つまり作家・小田実氏が適確に表現したように、「難死」以外のなにものでもなかったと私たちは思います。しかも「難死」させられた人たちは、国家によって見捨てられた「棄民」だったのです。しばしば私たちが耳にするあなたや政治家たちの言葉、「戦争犠牲者のうえに戦後の日本の繁栄がある」などというのは詭弁に過ぎないと私たちは思います。彼らの「難死」は戦後の「繁栄」とはなんら関係のない、悔しい「犬死に」以外のなにものでもなかったのです。  
  「このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」というあなたの言葉を真に実践し、「犬死に」させられた人間のことを記憶に留め、同じような歴史を繰り替えさないようにするために絶対不可欠なことは、日本人は「なぜゆえに、このような悲しい歴史を歩まなければならなかったのか」、「そのような悲しい歴史を作り出した責任は誰にあるのか」という問いだと思います。ところが、あなたの「お言葉」には、「悲しい歴史」を作り出した「原因」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも、また例年の「終戦の日」の「戦没者追悼式」での「お言葉」でも、常に完全に抜け落ちています。最も重大な責任者であったあなたの父親の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は天皇自身の責任を曖昧にすることで、国家の責任をも曖昧にしているのです。つまり、換言すれば、あなたと美智子さんの「慰霊の旅」は、あなたたち自身が意識していようと否とにかかわらず、実際には、天皇と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスに終わってしまっているのです。
  しかも、あなたの「慰霊の旅」の目的は、もっぱら日本人戦没者の「慰霊」であって、日本軍の残虐行為の被害者の「慰霊」が行われることはほとんどありません。時折、「お言葉」の中で、きわめて抽象的あるいは一般的な表現で連合軍側やアジア太平洋地域の住民の「戦争の犠牲者」について触れられることはあっても、いずれの「慰霊の旅」でも中心はあくまでも日本人戦没者です。2005年6月、あなたたち御夫妻の初の海外慰霊の旅となったサイパン訪問では、多くの日本人が崖から身を投げて自殺した「バンザイ・クリフ」の前で、あなたたちは深々と頭をさげました。この旅では、あなたたちは韓国人犠牲者の慰霊塔にも訪れましたが、実は、これは当初の日程には含まれていなかったとのこと。サイパン島の韓国人住民があなたに謝罪を求めて抗議運動を起こしたために急遽行われ、あなたは謝罪はしませんでしたが、この後で抗議運動は静まったと、後日報道されました。
  したがって、あなたたち御夫妻の旅は、結局、日本人の「戦争被害者意識」を常に強化する働きをしますが、日本軍戦犯行為の犠牲者である外国人とその遺族の「痛み」に思いを走らせるという作用には全く繋がりません。つまり、日本人の「加害者意識の欠落」を正し、戦争被害を加害と被害の複合的観点から見ることによって、戦争の実相と国家責任の重大さを深く認識できるような思考を私たち日本人が養うことができるような方向には、あなたの「慰霊の旅」は全く繋がっていないのです。こうして、「日本国、日本人は戦争被害者でこそあれ加害者などではない」という国家価値観が作り上げられ、それが今も国民の間で広く強固に共有されています。そればかりではなく、「徴用工」や「軍性奴隷」のような、非日本人の戦争被害者、とりわけ日本軍の残虐行為の被害者には目を向けないという排他性が、日本人の他民族差別と狭隘な愛国心という価値観を引き続き産み出し続け、そのため戦後73年経つ今も海外諸国と真に平和的な国際関係を築けない根本的な原因ともなっていると私たちは考えています。そのような価値観を共有することが国民の知らないうちに強制されていくという、「国家価値規範強制機能」が、あなたが天皇として持っている「象徴権威」にはあるのです。
  あなたはどれほど深く自覚しておられるか知りませんが、あなたがいたく重要視する「天皇の象徴活動」には、このように、実際には「国家正当化」という極めて政治的な意味が強く且つ深く内在しているのです。それは、天皇の「象徴権威」を巧妙に活用したい政治家にとっては、国民支配機能、すなわち被支配者に「支配」を「支配」とは感じさせない国民支配機能であり、権力支配者側にとって極めて都合の良い政治機能なのです。天皇の政治性を全く否定しているかのように映る8条からなる憲法第1章は、実はこのように、国民の社会政治意識を国家が支配するという面で、並々ならぬ影響力を深く内在させているということを、あなたご自身がもっと強く、深く自覚されるべきではないでしょうか。

あなたの「国事行為」が持つ政治的危険性
  憲法で規定されているあなたの「象徴」としての行為は、厳密には憲法3条から7条で定められている国事行為以外にはあるはずがないのです。にもかかわらず、本来は国事行為ではない、「慰霊の旅」を含む様々な「象徴権威」活動が、敗戦後も引き続き「事実上の国事行為」として公認状態で行われてきましたので、これをフルに活用することが「象徴天皇」の任務であるとあなたは考えられたに違いありません。そのような「象徴権威」活動の中でも、最も国民の信頼を確保できる活動は、「国民に寄り添い、国民と苦楽を共にする姿勢」=「慈愛表現」活動であることは、あなた以前の天皇・皇室活動ですでに証明済みでした。そこであなたは、美智子さんと一緒に、厳密には違憲行為であるこの「慈愛表現」活動 - 戦没者を慰霊し遺族を慰め、地震、火山噴火、台風などの自然災害の被災者や難病患者を励ます等々にとりわけ力を入れてこられたわけです。
  あなた自身は、おそらく、長年にわたるこうした活動で天皇と皇室への国民の信頼を強めかつ広めてきたと自負しておられるはずです。しかし、ご本人の思いとは別に、「象徴権威」は国民支配という面で極めて強力な機能を果たしてきましたし、これからもその機能を果たし続けるでしょう。その国民支配は、天皇の「象徴権威」が、あらゆる政治社会問題に関して、その原因や責任所在を国民の目には見えなくしてしまうことで、実際には隠蔽してしまうという形をとるということに、あなたはどれほどはっきりと気がついておられるでしょうか。つまり、隠蔽することによって、国民が正確に現状を分析し、批判し、社会改革への展望を持つ可能性を削いでしまい、結局は現状をそのまま受け入れさせるという状態をもたらす現象です。このような状況を作り出す天皇の「象徴権威」機能は、政権を掌握している政治家たちにとっては極めて都合が良いものです。なぜなら被治者である国民は、実際には治者=権力掌握者が国民を支配していることに気がつかなくなるからです。しかも、「象徴権威」を活用して現状隠蔽という役割を果たすそのような役割を天皇であるあなた自身が自己認識しているか否かは問題ではありません - 「おやさしい」天皇を批判することは、常に「社会的同調圧力」によって排除されてしまうのです。
  具体的な例で、あなたの天皇としての「象徴権威」が持つこの社会問題隠蔽機能と社会的同調圧力機能が、どのように作用するのかを説明してみましょう。以下は、東京新聞が報じた、あなたたち御夫妻が2012年10月に福島県川内村を訪問した折の状況です。

屋根上から高圧水で民家を洗浄する除染作業を視察したときには、風が吹いて霧状の水が降り掛かったが、両陛下は気にするそぶりも見せず「線量はどれぐらいですか」「それなら大丈夫ですね」と熱心に質問を重ねた。
当時五十世帯が住んでいた仮設住宅では、目線を相手の高さに合わせ、一人一人に「お体の加減はいかがですか」などと言葉をかけた。働き手は村外の避難先にそのまま残り、戻った住民の多くは高齢者。遠藤さんは「感激して涙を流す人もいた。両陛下の来訪後、村民の間で『自分たちのことは自分たちでやろう』という雰囲気が生まれた」と話す。(『東京新聞』2017年12月5日掲載記事からの抜粋)
  あなたたちは、福島原発事故による放射能汚染で最も深刻な影響を受けた地域の一つである川内村を、放射能除染作業が行われている最中に訪れ、住民に放射能線量について質問し、「それなら大丈夫ですね」と応えました。住民たちは、彼らの健康状態を心配するあなたたち2人のやさしい言葉と、彼らの高さに(あなたたちが雲上から降りてきたかのごとくに!)合わせる目線に感激して涙を流しました。あなたたちが去ったあと、住民たちは、天皇・皇后にこれだけ「慈愛」を受けたのであるから、仮設住宅での苦しい生活に苦情を述べるのではなく、問題はできるだけ自分たちで解決するように努力していこうと発奮する。こうして原発事故の原因と事故を引き起こした東京電力の責任、さらには「日本の原発は絶対安全」という原発安全神話で国民を騙し、がむしゃらに原発を推進してきた原発関連企業と日本政府の責任、被害者はもっぱら農漁民や労働者であり加害者は経済的に裕福な電力会社の重役や政治家という貧富の差、階級制の問題などが、あなたたち2人が福島に出現したことだけでうやむやにされてしまう。それだけではなく、被害者の間に「自分たちのことは自分たちでやろう」という自己責任感だけが強まる。こうして、加害者と被害者の峻別は忘れ去られ、「問題解決には全員が努力すべき」という「幻想の共同性」が創り上げられてしまうのです。このことに何の疑問も呈せず、5年たって再びあなたたちの福島訪問を記事にして賛美するメディア。もしもこの「おやさしい天皇・皇后陛下のお気持ち」を批判するような人間がいるならば、「とんでもない非国民」と非難されるでしょうから、天皇・皇后批判は他人の前では誰もしなくなる、という状況が創り出されているわけです。
  「慈愛のこもった」あなたたちの「国事行為」、あなたが「天皇の象徴行為」と強く信じてやまないその行為が内包しているこのような重大な政治的影響力について、あなたは当の御本人として、いったいどう思われますか?それでもあなたは、天皇制は民主主義を維持・強化する機能をもつすばらしい制度だと思われますか?

憲法前文、9条と第1章の根本的矛盾
  以上説明してきましたように、憲法1章とその実際の運用は、「民主憲法」の精神には根本的にそぐわないものであると私たちは強く信じています。憲法1章が憲法の他の部分 - とりわけ前文と9条  とそぐわないことをもう少し具体的に説明したいと思います。
  憲法前文の第1段落は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」、この新しい憲法を制定するのだと主張しています。したがって、戦争放棄を唱える憲法9条も、15年という長期にわたる日本人の戦争体験からの反省と戦争責任の深い認識を基本的な理念としていることは明らかだと思います。つまり、9条の絶対的な非戦・非武装主義は、憲法前文で展開されている憲法原理思想と密接に絡み合っているのであって、したがって、9条は前文と常にセットで議論されなくてはならないと私たちは考えます。その点で、とりわけ、前文の以下の第2、第3段落部分が重要だと思います。
  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
   われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

  日本は天皇制軍国主義の下で、アジア太平洋全域で、文字通り「専制と隷従、圧迫と偏狭」を作り出してきた国家でした。これを深く反省し、その責任を痛感し、その責任感を内面化することによって、国家=政府が再び戦争を起こすことを国民がさせないという決意をここで確認しているわけです。その上で、人間相互の平和的関係を構築する上で国際社会に大きく貢献し、そのことで名誉ある地位を占めたいと主張しています。さらには、全世界のあらゆる人々(日本語の前文では「国民」となっていますが、英語の原文はpeople )が平和に暮らす権利=「平和的生存権」を有していることも確認しています。つまり、この前文では、日本人が自分たちの政府に戦争を再び起こすことを許さず、世界のあらゆる人間が平和を享受する権利を持っているという認識に立って、国際社会で平和的な人間関係を創り出していくことに積極的に貢献していきたいと主張しているわけです。ここには、平和とは人権の問題、生存権の問題であり、地球的・普遍的正義論の問題であり、国際協調主義の問題であることがうたわれています。
  その意味では、一国の憲法前文でありながら、普遍的、世界的な平和社会構築への展望を展開しているという点で極めて特異な前文と言えると思います。
  憲法9条が前文と常にセットで議論されなくてはならないと先に述べましたのは、このように9条と前文が密接に絡み合って一体化しているからに他ならないからです。つまり、9条と前文は、一体となって、「あらゆる戦争の非合法化」に向けての展望をすら内包しているとも言えます。逆に言えば、憲法9条と憲法前文を分離させるならば、平和構築に向けてのこうした複合的アプローチの見取り図と展望が失われてしまうでしょう。
  ところが、その憲法の第1章にはまず「天皇」についての条項が8条にわたって置かれているにもかかわらず、前文では、戦前・戦中には「直接的暴力」装置の帝国陸海軍の大元帥で、反民主主義的な天皇制軍国主義の象徴的存在であった天皇の地位が、国民主権主義と平和主義の人類普遍原理という観点から見て、どのように変革されたのか、あるいは、「民主化されたはずの天皇制」が前文で強調されている国民主権主義と平和主義の普遍原理とどのように関連しているのかについては一切説明されていません。
  憲法第3章10条から40条の30条にわたる「国民の権利及び義務」は、前文で強調されている国民主権原理を具体的に条文化したものであり、憲法第2章9条が平和主義原理を具現化したものであることは誰の目にも明らかなことです。ところが、順列として最優先されている第1章1〜8条の「天皇」に関する「原理」説明は、前文のどこにも書かれていません。第2章、3章の諸条項を裏打ちしている根本原理については秀逸した理念が前文で展開されているにもかかわらず、第1章については一言も説明がありません。これは、本来、形式として実におかしなことだと私たちは思います。憲法は、なぜこのようなおかしなことになっているのでしょうか。
  すでに述べましたように、この憲法前文で唱われているのは、「人類普遍の原理」としての「国民主権」、全世界の人々が持つ「平和的生存権」、「普遍的な政治道徳の法則」としての「国際協調」というように、全てが、我々が日本人という国民性を超越して、人間として思考し行動するための規範としての普遍原理の理念について述べたものです。あらためて言うまでもないことですが、「天皇制」は、戦前・戦中は国民主権を否定し、国内外の無数の人々の「平和的生存権」を甚だしく侵害し、国際協調を破壊してきたことから、前文で唱われている「普遍原理の理念」のすさまじい破壊者でした。
  ところが、米軍占領下の日本で、天皇裕仁を「戦争犯罪/戦争責任」問題から引き離し、彼をなるべく無傷のままにしながら、「天皇制」を脱政治化しながらも温存、維持していくことが、日本の占領政策を円滑にすすめていくため、とりわけ急速に高揚しつつあった共産主義活動とその思想浸透を押さえ込んでいくためには絶対に必要である、というのが占領軍司令官・マッカーサー将軍の考えであり、同時に米国政府の一貫した基本政策でもありました。こうした政治的意図から、あなたの父親の戦争責任をうやむやにしてしまい、憲法1章を設置したわけです。つまり、憲法前文で政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」と主張したにもかかわらず、その「決意」が実は、戦争最高責任者の天皇の責任をうやむやにしたままでの「決意」だったわけです。しかも、天皇制という制度は極めて日本独自のものであって、憲法前文で唱えられている「人類普遍原理」とは根本的に矛盾するものです。そのような幾つもの矛盾を抱えた「天皇制」の規定である憲法第1条の原理を、前文で「人類普遍原理」と並べて書くなどということは、あまりにも不条理で不可能だったのだと思います。
  したがって、憲法1章とその実際の運用が「民主憲法」の精神に根本的にそぐわず、憲法の他の部分とそぐわないないのも当然であって、本当は全く不思議なことではないのです。

退位するだけではなく、普通の市民になってください
  民主主義とは根本的に矛盾する天皇制という制度、侵略戦争を推進した制度、そんな反民主主義的な制度を、日本国憲法は一応「脱政治化」、「民主化」し、あらたに憲法1章として規定したすなわち立憲主義的、民主的天皇制にした - というのが一般的な認識です。しかし、数千万人という人の命を奪ったことに対する責任を天皇家の誰も全くとらず、天皇の存在そのものが憲法で保障された国民の基本的人権や平等に抵触し、天皇が国事行為の憲法規定を堂々と破ることを、国民が気がつかないうちに正当化してしまうだけではなく、国民に広く受け入れさせてしまうような雰囲気=「天皇イデオロギー」が、強く、深く、広く日本社会に浸透しています。このような状態が、本当に「民主主義」と言えるでしょうか?長年、その「天皇イデオロギー」の中心核をなしてきたあなたは、このような日本の現状をどう思われますか?
  私たちは、天皇制が存続する限り、日本に「民主主義」がしっかり根付くことはないと考えています。あなたが2019年4月末に天皇を退位されても、このような日本の現状は改善されるどころか、もっと悪化するだろうと私たちは思いまます。極端に国家主義的、愛国主義的な安倍政権は、あなたの息子さんの新天皇皇位継承の際に行われる「剣璽等 承継の儀」や「大嘗祭」を、自分の権威高揚のためにフルに政治的に利用するでしょうし、2020年に予定されているオリンピック開会式でも、開会宣言を天皇にやらせることで、国威誇示のために利用するのは間違いないでしょう。また、近い将来、いま急激に武力攻撃力を強めている自衛隊を、天皇に閲兵させることも安倍政権ならきっとやるでしょう。
  こんな状況の中で、日本の民主主義のために天皇制を廃止する市民運動を推進していくことがどれほど困難であるかを、私たちは、はっきり自覚しています。しかし、退位されるあなたが「上皇」などという神様のような雲上人にならず、あなたと美智子さんがそろって、私たちと同じ一市民になることを宣言され、あなたの父親の戦争責任をはっきりと認め、父親に代わって被害者と被害国に謝罪し、基本的人権を持ち他の市民と平等に扱われる人間としての喜びを表明されるなら、状況は相当よくなるはずだと私たちは確信します。
  明仁さん、もう国家の奴隷であることは止めて、普通の人間になりませんか?普通の人間になって、私たちと同じ人間としての喜怒哀楽を共有しませんか?あなたが尊重される民主主義を本当に日本にもたらすためには、あなたが普通の人間になることがとても重要だとは思いませんか?

2019年元旦

久野成章(「8・6ヒロシマ平和へのつどい」事務局) 
田中利幸(「8・6ヒロシマ平和へのつどい」代表)