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2016年1月20日水曜日

原爆から性奴隷まで:被害と加害の象徴的・普遍的表現方法を求めて

私は、最近一種の虚脱感に苛まれている。なぜかその理由は自分でもはっきりつかめないのであるが、おそらくその一端は、現在の救い難いくらい劣悪な日本の政治・社会状況にあると思う。日本に住んでいれば、様々な市民活動に加わり、忙しく動き回らなくてはならないため、「虚脱感」などと呑気なことを言っている余裕がないであろう。広島の活動仲間たちからは「なにを贅沢なことを言っているか」と叱られそうである。しかし、あまりにもひどい日本の状況を見つめながらも、日本から遠く離れ、自分が具体的にできることがほとんどないその無力さを実感する毎日を過ごしていると、どうしても精神的に憂鬱にならざるをえない。

しかし、理由はそれだけではなさそうである。定年退職に伴い昨年4月には、一応、活動の「拠点」を広島からメルボルンに移したが、敗戦70周年のための様々な学会や集会出席で日本、オーストラリア、ヨーロッパと駆け回り、昨年中は「拠点」についてゆっくり考える暇もなかった。ところが、年が明けるや、毎晩、奇妙な夢を見るようになり、熟睡できなくなったのである。その夢とは、いつも自分がどこか見知らぬ場所を放浪し、不安にかられている夢なのである。つまり、「拠点」を見つけられず、私は彷徨い歩き続けているのである。どうも、これは広島からメルボルンに「拠点を移した」ことに対する精神的なケジメが自分の中でついておらず、無意識のうちに、自分の居場所がいまどこにあるのか決められずに葛藤している状況にあるのではないかと、自己分析しているような次第である。器が小さいこんな自分になんとも情けない次第であるが、そんなわけで、目下、依頼された原稿執筆の仕事が複数あるのだが、集中力が長く続かないことに頭を悩ませている。

そこで、このだらしない状況をなんとか打破しようと、この数日は、執筆作業とは直接は関係のない能楽関係の本、とりわけ多田富雄の感動的な著作を読み直している。なぜ能なのか。能楽関連の本が、今私が抱えている(他人から見ればごくつまらない)精神的な問題のための直接の助けになるとは思わないのであるが、能劇作品には人間の「惑い」や「苦しみ」をテーマにしたものが多いので、読んでいるとある種の「癒し」になることは確かであるからなのだ。(本当は、能の実演を観覧したいのであるが、メルボルンではそれは叶わない願いである。)

「能」という言葉を耳にすると、「なんか難しそう」と思われる人が多いと思う。しかし、それはたいへんな誤解である。「能」ほど面白く感動的な芸術はないと私は思っているので、少し我慢して以下最後まで読んでいただければたいへん嬉しい。

多田富雄についてご存知の方はあまり多くないと思う。1934年生まれの日本を代表する世界的に著名な免疫学者であったが、20104月に亡くなっている。恥ずかしながら、私は彼の免疫学関連の著書は全く読んでいないのであるが(読んでもおそらく理解できないかも<苦笑>)、実は、彼の趣味は能楽で、能舞台で小鼓を打っていたし、すばらしい新作能を10作あまり書き残している。それらの作品は『多田富雄新作能全集』(藤原書店 2012年)に収められている。そのうえ、『能の見える風景』(藤原書店 2007年)や『独酌余滴』(朝日文庫2006年)といったエッセイ集も数多く出している。この素敵なタイトルの本『独酌余滴』などは、「ぬる利を一本載せた箱膳の前に座し、念する。さっきた能の舞台を、旅先で出会った風景を、そして過ぎ去ってゆく時を」という内容の、情緒豊かな内容の本である。(私も酒が好きであるが、「ぬる燗」は大嫌いで、「キレのよい辛口の冷酒を前に、観念することなど最初からカンネンして<=あきらめて>、ただ旨い酒を味わうことだけに専念するばかりである」が。)さらに多田は、和歌や詩の創作も手がけ『歌占 多田富雄全詩集』(藤原書店 2004年)も著している。同じく晩年に多くの優れた和歌を詠った鶴見和子との往復書簡を集めた『邂逅』(藤原書店 2003年)、水俣をテーマにした新作能を書いた石牟礼道子との往復書簡集『言魂』(藤原書店 2008年)も心を動かされる内容の本である。このように多田は免疫学者でありながら、傑出した文才をもった人物でもあった。

能劇の内容にはほぼ共通のパターンがある。「異形の人」、それはしばしば「幽霊」という形をとるのであるが、その人物が舞台の橋掛りの暗がりから時空を超えてこちらの世界(舞台正面)にやってくる。そして自分の体験した凄まじい出来事と苦悩を物語り、その一部始終を語り終えると再び橋掛りの向こうにある「異界」へと戻っていく。凄まじい体験には、愛する子を失い狂気する母の苦悩、嫉妬に狂った女性の苦悩、戦いで殺された武将の死んでなお残る恨みと悲しみといった、言語に絶するような深い悲哀や怒りを伴うものが多い。

実は、能劇は、幽霊を主役とするという点で、世界に類例をみない極めてユニークな演劇である。幽霊は、通常の演劇では、見えるか見えないか分からないくらいの「脇役」しか与えられていない。ところが能楽では、幽霊が時空を超えて我々の眼前に姿を現わし、もろに語りかけてくるので、その話は当然に時間的限定性を超越した「歴史超越的」な「普遍的」なメッセージとなる。しかもその物語の内容が、ある特定の歴史的時期における具体的な「出来事」を基にしてはいるのであるが、「語り」の内容が「謡」という濃縮された「詩的表現」をとり、顔などの「身体的動き」はごく限られた数の「能面」による凝縮表現で、人間の苦悩・恐れ・怒りなどを徹底的に洗練し、純化し、高度にシンボリックな表現にまで簡潔化、凝結化させているため、これまた世界中のあらゆる人間に深い共感を呼ぶような「普遍性」を強くそなえているのである。したがって、惨たらしい殺戮の場面などを具体的に再現しなくとも、いや再現しないからこそ、その惨状の実相は、強烈なシンボリズムの形で観覧者である我々の魂を震わせるのである。

したがって、能劇は異常で激烈な出来事の「場」、特定の「場」でありながら同時に普遍性をもった「場」、に置かれた人間の精神的葛藤の、時空を超えた普遍的な形での超シンボリックな表現なのである。14世紀という昔に、なぜこのような、多田の言葉を借りれば「霊魂だけが持つ普遍的、形而上的世界を描く」能劇という驚くべき芸術が日本で生まれたのか。鎌倉時代後期から室町時代初期は戦乱が続く世の中であったため、人々が「心の癒し」を求め、「平和」を求め、戦乱の犠牲者の苦悩と悲哀への共感を多くの人々に呼び起こす演劇を作り出したのも、したがって不思議ではないのかもしれない。その意味では、同じく人類への普遍的メッセージを内包しているギリシャ悲劇が産み出された歴史的背景と似ているのかもしれない。

私は古典能も好きであるが(とりわけ「殺生石」などのような劇的なストーリーのもの。ちなみに、「殺生石」には原発事故を想起させ、環境問題について深く考えさせるような要素が多分にあると私は考えている)、新作能、とりわけ多田富雄の作品に強く心を惹かれるのである。なぜなら、多田は、被爆の残虐性、非人道性を見事にシンボル表現化した「原爆忌」と「長崎の聖母」、沖縄戦の地獄を描いた「沖縄残月記」、若い時代に強制連行で夫を失った韓国人老婆の痛恨の悲しみを描いた「望恨歌」などで、日本の戦争加害と被害の両面を取り扱い、能という芸術作品で「過去の克服」を見事に成功させていると考えるからである。「過去の克服」は、歴史学の知識上の学習だけでできるものではないというのが私の持論で、昨年2月におこなった私の「さよなら講演」、「何のための被爆体験継承か:『過去の克服』としての記憶の継承を考える」でも論じておいたように(このブログに昨年3月に載せた「講演ノート」を参照されたし)、「文化的記憶」という方法がひじょうに重要だと私は考えている。多田の新作能は、まさに、この「文化的記憶」の日本のモデルとも言えるものの一つであると私は思っている。

上述したように、悲惨な状況をこと細かに繰り返し記述しても、必ずしもそれが読み手または聞き手の魂を強く動かすとは限らない。例えば、「原爆忌」創作にあたって多田が多くの被爆体験記を読んだことは間違いない。しかし彼は、次のように説明している。「しかし、それ(=被爆体験)を能に書くのは困難だった。事実は表象不可能な原爆である。書きようがないというのが本当だった。いくら悲惨なエピソードを集めても、能の題材にはならない。それを救ってくれたは、能という演劇の象徴性、普遍性だった。」(強調:田中)

同じようなことが反核運動にも言えるのではないかと私は思う。いくら悲惨な被爆証言を数多く積み上げ、繰り返し聴かせても、反核運動の広がりにはつながらないのではなかろうか。要は、数多くの被爆体験に含まれている根本的に重要なメッセージを、いかなる形にすれば、言葉を超えて人々の魂に訴えるような象徴性、普遍性をもった強烈な力をもつ反核メッセージになるのか、このことが極めて重要だと私は考える。

「原爆忌」のすばらしさを知るには、やはり実際に観劇するほかはないのであるが、その「謡」の中から、ごく一部を抜粋して紹介してみよう。
「求むれど
猛火に包まれし水はなし、
助けを求め水を乞い
常葉の橋に駆け上がりて
川瀬を眺むれば無残やな
見渡す限り
死屍累々と折り重なって足の踏み場もなかりけり。
おおわが子はいずくにありやと、
声を限りに叫べど
煙霧と炎に覆われて
道は広島、六つの川に
死骸は川面を埋め尽くす
…………(以下、数行省略)
見慣れたる薄衣に
あれはわが子と走りより
抱きあげ見れば無残やな
たれとも分からぬ幼子の死骸なり」

これは被爆し亡くなった男の幽霊が、60年後に、旅の僧に語る被爆体験の地謡の一部である。この能劇の最後は、当時、被爆しながらも生き残ったこの男の娘、今では老女になった女が父親の霊と灯籠流しで再会し、父親が、「一瞬にして地獄と化した広島、水を求め黒い雨にうたれてさ迷い命を落としたありさまを語り舞」うというシーンである。

幽霊が生きている近親者に自分の「死に様」を語り説明し、2人の間の情愛を再確認するという形式は、能劇でしばしば見られるものである。広島で被爆して死んだ父親の幽霊が生き残った娘に語りかける、井上ひさし作の『父と暮らせば』や、その続編とも言える、長崎の原爆で死んだ息子の幽霊と生き残った母親の情愛を描いた山田洋次監督作の映画『母と暮らせば』は、実は、もともとは能楽のこの伝統的な表現形式を継承しているのである。井上は、演劇の脚本を書くにあたって、おそらく能からアイデアを得たのであろう。この表現形式には、生き残った者が、自分の身近にいた死者の霊と交流し、その死者の霊の苦しみを理解し、生き残った自分の苦悩と悲哀を死霊にも理解してもらうという「苦悩と悲哀の分かち合い=痛みの共有」をなすことで、自分の心が癒され、精神的回復を遂げることができるという機能が働いているのである。この機能は、したがって、世界の多くの人間の共感を得ることができる普遍的なものなのである。能に「癒し」を感じるのは、まさにこのゆえである。

実は、「原爆忌」や「長崎の聖母」は海外でもすでに何回も上演され、大変好評で、観客たちも観劇後の印象として「癒し」を感じたという意見が多い。昨年、「長崎の聖母」がニューヨークで上演されたことを伝えるニュースをユーチューブで見ることができるが、このときの観客へのインタヴューでも、原爆殺戮に911テロ事件を重ね見たという興味深い意見が出されている。https://www.youtube.com/watch?v=LmJinbMKI8Y
(なお、『多田富雄新作能全集』には、「原爆忌」や「望恨歌」など6作の英語訳も含まれている。)

原爆をテーマにした新作能は、多田富雄の上記の能劇の他に、京都の能楽師、宇高通成の作による「原子雲」といったものもある。これまた観客の心を震わせる傑作である。

たいへん興味深いことは、最近、オーストラリアのシドニー大学の音楽学の名誉教授アラン・マレットが「Oppenheimer(オッペンハイマー)」という新作能を作っていることである。昨年101日にシドニーで初演が行われた。幸いにして、私も妻と同伴でこれを観劇する機会があった。マレットは日本音楽の専門家ではなく、アボリジニ音楽などの研究を専門にしてきたようであるが、武蔵野大学文学部教授で能楽専門家であるアメリカ人、リチャード・エマートの協力をえて、この新作能を創作したのである。原子爆弾という大量破壊兵器を産み出し、無差別大量殺戮を犯してしまったことへの救い難い罪意識にとらわれ、成仏できないオッペンハイマーの苦悩を見事に描き出した内容となっている。おもしろいのは、「謡」が全て英語で行われていることである。シドニー大学日本研究科の康子・クレアモント教授による和訳がつけられた初演が、下記ユーチューブで観れるので、ぜひ御一見願いたい。

このように、いまや能楽は、その演劇が内包している「象徴性と普遍性」という固有の優れた特徴から、日本という国土を超えて、世界的な芸術になりつつある。このことを広島市民はもっとよく知り、自覚し、その活用について広く議論すべきであると私は考える。幸いにして、広島にはアステールプラザに能舞台がある。広島では「ひろしま平和能楽祭」といったイベントも開催されてはいるようであるが、もっとこうした素晴らしい新作能を、あらゆる機会をとらえて、広島で公演すべきであろう。とりわけ海外からの訪問者が観劇できるような機会を積極的に作っていくべきである。

しかし、原爆関連の新作能と同時に、それとセットにした形で「望恨歌」や「沖縄残月記」を上演すべきだと私は考える。そのことによってこそ、広島が真の意味での「普遍的な平和メッセージ」を世界に発信できるのであるから。

実は、私は「日本軍性奴隷」についての新作能を誰かが創作してくれないかと熱望している。シテは「元慰安婦の老婆」、後シテは「元日本兵の男の霊」、ワキは「旅の僧」、ワキツレは「若い修行僧」。性奴隷とされた老婆の苦悩の記憶、その加害者でありながら同時に国によって戦争に駆り出され殺された日本兵の罪意識と恨みの二重性、この2人の苦悩の記憶をどう理解したらよいのか悩む僧、とりわけ若い修行僧、この4人による「苦悩の舞」である。私には新作能を創作する能力など全くないので、どなたか適任者をご存知の方がおられたら、私にまでご一報願いたい。



2016年1月3日日曜日

2016 年頭メッセージに代えて — 昨年末パリ訪問で考えたこと —


昨年121618日、パリ政治学院主催の第2次世界大戦終結70周年記念国際会議『危機に直面する市民:1931年以降アジア・ヨーロッパにおける大規模暴力』に招かれ、2日目の「市民空爆」で講演、3日目のパネル「植民地における大規模暴力に対する抵抗」でコメンテイター、最終日の「最終パネル・ディスカッション」でパネリストの一人として総括的な意見を述べる役目を務めました。この会議の内容についての簡単な報告については後述します。

パリには1214日から19日までの短い滞在。21日にはメルボルンにりましたが、その後1間ほど、午後3時頃になると突然睡魔に襲われ、夜も8時になる頃には再び頭が朦朧としてくるという激しい時差ボケが続き、回復するまでにかなり時間がかかりました。こんな経験は初めてでした。オーストラリア大陸東南端のメルボルンから中近東(カタールのドーハー)由でのヨーロッパ行きは、ヨーロッパまでの飛行距離としては最短距離ですが、やはり遠いです。ヨーロッパの連中(とりわけイギリス人たち)がオーストラリアのことをdown under(地球の底)と呼んでバカにしてきましたが、距離の遠さについては議論の余地がないです。(実は、地球儀を逆さにしてみれば、当然のことながらイギリスが「地球の底」になるのですが。また、「底」がなぜ悪いのかと、西欧中心主義に反論することもできます。)「地球ドン底」の我が家の玄関からパリのホテルのロビーまで30時間以上かかりました。もちろんりも30時間余り。をとってくると、 30時間余の連移動は身体にひじょうにこたえます。とにかく、激しい時差ボケのため、思考散漫状態が長く続き、ブログの更新も怠りました。

シャルル・ド・ゴール空港に到着してまず気がついたのは、空港内が閑散としていることでした。パリのテロ事件の影響で、空港税関ではかなり厳しく調べられるのだろうと考えていたので、パリ政治学院からの招待状や学院教授たちとのメール交信のハード・コピーをいつでも提示することができるようにファイルを手元に準備していました。ところが、パスポートを見せただけで、質問は一切なし。税関通過には1分もかからないという簡単さに、肩透かしをくったようで驚かされました。

空港から市内中心部まで電車で行きましたが、その電車も乗客はまばら。しかし、市内中心部からパリ政治学院と宿泊ホテルのあるサンジェルマン地区まで移動するために一旦地下鉄に乗換えるや、いつものパリの状態と変わらない雑然とした雰囲気でした。しかも乗客の半分近くが北アフリカからの移民と思われる人たち。これほど多民族が混在して暮らしているパリで、「イスラム国」ISのテロリストが自分の周りにいるのかどうかを気にしていたら日常生活は成り立ちません。通常の生活を持続するためには、逆に、どのような民族背景を持った住民ともいかに「平和共存」していけるかという考えのもとに、地下鉄で隣に座った人間とできるだけ対話する、あるいは親切に対応することに務めるということから始めるより他に道はありません。つまり(安倍晋三のエセ表現ではない)真の意味での「積極的平和主義」を、日常の生活の小さな行動で実践していくより他に道はないのだと、地下鉄に乗るや私は考えさせられました。

12月初旬に行われたフランスの地域圏議会選挙での第1回選挙では、パリのテロ事件を受けて国民の間に治安や移民問題で不安が高まり、極右の国民戦線(FN)が大躍進を見せたものの、第2回選挙ではFNが全敗しました。したがって、この選挙結果は、フランス国民の政治的感覚が多民族文化主義に基づく比較的健全なものであることを証明したように私には思えます。難民・移民はほとんど受け入れず、多文化主義も極めて表面的で浅薄なもの(例えば「グルメ」)としてしか受け取られていない日本の政治文化的狭隘性(=潜在的大衆ナショナリズム)との違いは決定的です。

しかしながら、その一方で、シリア空爆という軍事手段でのオランド政権のテロ事件対応策では、ISテロ攻撃を減少させることはほとんど不可能であることも目に見えて明らかです。そもそも、ISという一大暴力テロ組織を生み出した根本的な原因は何だったのか。このことをすっかり忘れて、米英仏露は、再び空爆という国家テロでISテロに立ち向かうことで、ますます状況を泥沼化させているのが現状です。ISは、言うまでもなく、イラク戦争でイラクを追われた元フセイン政権の幹部、とりわけ軍幹部を中心に組織された暴力集団です。つまり、イラク戦争は決して終結しておらず、今も続いているのです。それのみか、むしろ戦域はイラクからシリア、レバノン、トルコ、イランへと大幅に拡大してしまい、その上にヨーロッパ社会がISによる無差別テロ攻撃の「戦場」にまでなり、終止符がつかない状態にまで悪化してしまったのが実情です。私は、今の世界状態は「世界大戦」と称すべき戦争状態にあり、「911事件」から徐々にこの状態に入り込んでいったと見なしています。

IS戦闘員数は2万人を超えると言われていますが、将兵数150万人、年間6000億ドル(70兆円以上)近い膨大な軍事予算を持つ米軍がこのISを屈服させることができないのが現状です。しかし、実は、オバマ大統領はイラクに対して戦争を開始すれば、遅かれ早かれこうした泥沼状況に陥ることをイラク開戦前から予測していました。彼がまだ上院議員だった200210月にイリノイ州で開かれた反戦集会で、イラクへの侵攻は中近東全域に戦火を広げることになり、イスラム過激派を拡大させ、アラブ社会を混乱状態に陥らせると彼は警告していました。ところが、そのオバマが大統領になるや、これまでに、中近東の回教徒国家のうち7カ国を空爆して事態を混沌化させてきました。次期大統領として最も有力な候補であるヒラリー・クリントンは、当時野党の民主党の中でもブッシュ大統領の対イラク戦争を支持した少数派の一人でした。共和党の大統領候補として有力視されているドナルド・トランプにいたっては、ISを壊滅するためにはISの家族を殺害するのが最も有力な手段であるという、信じがたい暴言を吐いていますが、本人は暴言などとは全く思っておらず、本気です。

この2人のうちどちらが大統領になっても、シリアとその周辺国家の状況が改善される可能性はほとんどないと見なすべきでしょう。逆に、米英仏露がISに空爆をすればするほど、欧米社会での無差別テロ攻撃は拡散していき、市民の犠牲者がますます増えていくでしょう。こんな米国に、嘘とまやかしで憲法違反してまでも加担しようというのが安倍晋三が推し進めている政策で、日本を破滅へと確実に押しやりつつあります。我々市民がこうした状況を根本的に変革しない限り、我々は文字通り安倍の自滅行為の道連れにされます。安倍とトランプという組み合わせの想定は、最悪です。考えたくもないくらい恐ろしい想定です。

私がパリに到着したのは『気候変動会議』が終わったすぐ後でしたが、私が不思議に思うのは、「気候変動」の最も重要な原因であるCO2を問題にしているにもかかわらず、「戦争によるCO2大量排出と猛烈な環境破壊」を指摘する政府も環境団体も皆無であったことです。いうまでもなく、戦争では戦車をはじめとする様々な軍車両、爆撃機、戦闘機、艦船などが大量の石油を消費しCO2を排出する上に、自然環境を破壊し、陸上のみならず海洋汚染をもたらします。第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ボズニア戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争の上に、中近東やアフリカ各地で行われ今も世界各地で行われている様々な小規模戦争で排出されるCO2の驚愕すべき排出量と環境破壊の激しさを考えれば、「気候変動」を議論にするなら「戦争」は避けて通れない問題であるはずです。今、ヨーロッパではシリア難民が大きな問題になっていますが、地球温暖化がこのまま悪化すれば、いずれは、地球温暖化の結果としての食糧難のために「気候変動難民」と称すべき大量の難民が、ヨーロッパ、北米などに押し寄せてくるはずです。いったい、我々人間はどこまで状況が悪化しないと、このことに気がつかないのでしょうか。

国際会議『危機に直面する市民:1931年以降アジア・ヨーロッパにおける大規模暴力』の「市民爆撃」では、アメリカ、イギリス、フランスからの学者、それにアジアからは私が発表講演を行い、「市民爆撃」をめぐる様々な問題について議論を展開しました。しかし、私が驚いたのは、欧米の学者のほとんどが、とりわけアメリカの学者が、一応「市民爆撃」を犯罪行為としてとらえてはいるのですが、以下の2つの観点でひじょうに問題があるにもかかわらず、その問題に十分気がついていないということでした。その1つは、軍事目標爆撃=精密爆撃で出る市民被害者=いわゆる「付随的損害」は国際法(とりわけ1977年ジュネーブ追加協定)に準じており、したがって違法ではないという主張。つまり、市民の犠牲者が出ることはやむをえないという欧米諸国軍の主張をそのまま受け入れていること。2つ目は、「市民爆撃」の犠牲者を、爆撃による直接の被害者しか想定しておらず、爆撃で破壊される様々なインフラストラクチャー(社会経済設備)の結果として、間接的に出る多くの市民死傷者を全く想定していないということ。例えば、発電所や水道設備が破壊され、その結果、病院設備が機能しなくなって、多くの市民が死亡するというケースです。

「付随的損害」とは、明確に意図した市民攻撃でない場合の犠牲者は、「間接的、付随的に起きる損害(collateral damage)」というわけで、したがって攻撃した側に「責任」はないという都合の良い解釈です。裏返せば、戦闘に参加しない市民が、軍によって意図的に殺害あるいは傷つけられる場合のみが「非人道的」な「無差別攻撃」として批難されるというわけです。私に言わせれば 、これは市民空爆=無差別殺戮を正当化する論理以外のなにものでもありません。「付随的損害」をこれまで様々な地域で出し、今も出し続けている米軍とその同盟軍である多国籍軍は、被害者側から見れば、これは「テロ集団」です。今、欧米社会を震撼させている無差別テロは、まさにこうした「国家テロ」に対する「報復・反撃のテロ行為」なわけです。「国家テロ」に対する「非国家テロ」の戦い、これが私の主張する現在の「世界大戦」の状況です。

2点目については、最近私が翻訳したジョン・ダワーの論考「2次世界大戦以降の戦争とテロ」から、ダワーが湾岸戦争に触れて論じている関連部分を引用しておきます。
1993年に出版された、アメリカのある人口統計学者の研究によると、イラクにおける死亡者総数は205千人にのぼる可能性があるという結論となっている。(その内訳は、戦闘で殺害された兵士56千人、市民35百人、戦争が終わったすぐ後にアメリカ政府がけしかけたクルド人とシーア派の暴動で殺害された35千人、電力送電網、下水道と汚染水浄化施設、健康管理関連施設、国内道路と輸送網などが被った損害に原因する「戦後の健康への悪影響」からの死亡者111千人。)この計算によると、戦争に原因する健康障害問題で亡くなった者のうち7万人が15歳以下の子どもであり、85百人が65歳以上の老人であった。」

なぜパリの学会に出席した欧米の学者たちは、これほど明確な事実に注目しないのでしょうか。いや「注目する能力を欠いている」と表現したほうが適切かもしれません。研究室に閉じこもり、書籍の上だけの情報でものごとを分析するということを続けていると、「被害者の痛み」にまで想像力を働かせることができず、こうなるのも不思議ではないのでしょう。

とにかく、私はこの2点でかなり怒りを覚えたため、最後の「最終パネル・ディスカッション」ではこの2点にマトを絞って、痛烈に批判し、「爆弾を落とす側」ではなく、もっと「爆弾を落とされる側=市民被害者」の立場に立って想像力を働かせて欲しいと苦言を呈しておきました。

残念ながら、今年も「国家テロ」と「非国家テロ」の戦争は続き、多くの犠牲者が出ることは避けられないでしょう。年頭から、あまり明るいメッセージを発信できなくて申し訳ありません。

「良いお年をお迎えください」とはとても言えません。「良い年にするようお互いに頑張りましょう」という言葉で終わらせていただきます。お元気で。

2016年1月1日金曜日

2016 New Year Message


Although I officially retired at the end of March last year, I remained very busy throughout the year, due to my involvement in various activities concerning the 70th anniversary of the end of World War II and the Asia-Pacific War, which occupied me in Japan, Europe and Australia. These coincided with my political campaign against Japan’s Abe regime, which introduced many fraudulent and devious policies. Among these were attempts to sanitize Japan’s wartime atrocities, violate Japan’s peaceful constitution, re-start Japan’s nuclear power reactors and export nuclear power technology to India and other nations.



Unfortunately 2016 does not hold the promise of a peaceful and tranquil year and I am afraid that we may have to face many more acts of violence, in particular armed conflicts between state and non-state terrorism.



Rather than adding to the depressing account of the world affairs, I would like to introduce a couple of works by Michael Leunig, an Australian cartoonist and poet whom I truly admire.



* I want to be sub-human

I want to be sub-human

And be a lesser man

Humans are too much for me

Too much to understand

They’re too much for each other

And too much for the earth

They’re too much for themselves as well

Much more than what they’re worth.

They want too much, they do too much;

Too much, too much for me

I want to be less human now

And be more creaturely



 
* All my father left me was the moon

All my father left me was the moon

When I am dead, it’s yours” he said

And all too soon his will was read

But he continued speaking from the grave:

“It will not save you, this moon I gave you

from sadness, human madness, life and death.

But step outside into the night and take a breath,

And while you do, for what it’s worth,

That happy man up there who got away from earth

Will smile at you.”



All my father left me was the moon
May the moon keep smiling at you and giving you a sense of happiness being a sub-human throughout this year !



Yuki