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2015年8月20日木曜日

「安倍談話」を徹底批判する


明日発売の『週刊金曜日』に、拙著論考「欺瞞に満ちた安倍首相の戦後70年談話」が掲載されます。この論考は、実は、下記の拙論を短くした、いわばダイジェスト版です。日本のメディアは、一般に、あまりにも「安倍談話」の欺瞞性の理解に欠けています。これは、新聞記者たちの歴史的知識自体が貧困であることから、批判的分析ができないからだと思います。よって、ここではできるだけ徹底的な批判を試みてみました。ご笑覧いただければ光栄です。

全くの余談ですが、今日の朝日新聞ネット版に「祖母に贈る、あの夏の新婚旅行」という記事が出ています。感激して、涙しました。

安倍談話批判 —「過去の克服」失敗を明瞭に証拠づける「負の遺産」として後世に残すべき記録 —

田中利幸

予想した通り、安倍談話は欺瞞と政治的妥協の産物以外のなにものでもなかった。安倍ならびに彼をとりまく「有識者」たちの歴史に対する知識の浅薄さ、そのような知識の低劣さゆえの日本にとっては恥辱的とも称せる歴史認識の欠落、そのうえで政治的妥協をはかった欺瞞的「反省」の表明。結果は、当然のことであるが、「おわび」の言葉を1回も使わない談話は、「反省」や「おわび」の思いなど全く伝わらない、はなはだしく空虚な言葉のつなぎ合わせに終わっている。

一見、全体的には「反省」を表明しているように見える談話であるが、一文一文を注意して読んでみると、これまでの安倍の国内外での演説や国会答弁同様、いかに虚妄と欺瞞に満ちた内容であるかが明白となる。

安倍の歴史認識欠落は、談話の初めの部分の「日露戦争は、(西洋諸国による)植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」(カッコ内は田中が付加)という表現からして、すでに明らかである。日露戦争には当初から日本の朝鮮半島植民地化の狙いが含まれていたのであり、戦時中は、朝鮮での徴発、軍用品輸送や土木作業のための人夫労役に反抗する多くの朝鮮人を日本軍は処刑した。戦争直後には、日本による朝鮮植民地化に反対する「義兵運動」が高まり、190611年には朝鮮各地で義兵闘争が起きた。日本軍はこれに対し、暴行、略奪、焼き払いなどで弾圧を試み、その結果、朝鮮人義兵側には推定死傷者24千名が出た。「多くのアジアやアフリカの人々が勇気づけられた」のは、その実態を知らなかったからである。

西洋諸国の「圧倒的な技術優位を背景に」した「植民支配の波は19世紀アジアにも押し寄せ」たのは事実であるが、日本もまたそうした西洋諸国と競うように朝鮮・台湾の植民地化を、軍暴力を駆使してがむしゃらに推し進めた。日清戦争後の18955月に台湾植民地化のために台湾北部に上陸した日本軍は、台南占領までの約5ヶ月間に、軍民合わせて14千人以上を殺害。その後起きた北部蜂起に対する日本軍による報復殺害の犠牲者数は3千人近く。18981902年までに台湾総督府が処刑した「叛徒」の数は1万人以上にのぼった。このように日本は、朝鮮・台湾植民地化の当初から虐殺行為を繰り広げた。さらに、アジア太平洋戦争中には朝鮮・台湾から100万人以上の人たちが炭鉱、軍事工場、土木工事などでの労務のために強制連行され、その上多くの女性たちが軍性奴隷としてアジア太平洋各地に送り込まれた事実は周知のところである。しかし、安倍談話は、この朝鮮・台湾の植民地化と植民地住民に対する残虐行為、由々しい人権侵害については一切触れていない。

日本軍性奴隷問題については、直接言及することは避けて、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」(強調:田中)と、あたかも他人ごとのように描写するだけで済ませている。被害者となったアジア太平洋各地の多くの女性たちの中には、「戦場の陰」どころか、「前線」にまで送られ、砲弾や弾丸にさらされながらも男たちに強姦まがいの性的搾取を受けた人たちがいることを、安倍は「忘れてはなりません」どころか、これまで様々な陰険な手段を使って「いなかったことにしよう」と躍起になってきたことは、もはや世界中の人々が知るところである。そんな首相が述べる、「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」などという欺瞞に満ちた言葉を信じる人が、いったいどれほどいるであろうか。

アジア太平洋戦争勃発の理由については、安倍は、「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」と述べ、連合諸国側が日本に対して導入した資源輸出禁止=経済封鎖のみに戦争の原因を求める。かくして、日本はいやおうなく戦争をせざるをえなくなるまで追い詰められたという、保守「有識者」たちが使う常套的な偏向的解説をここで応用しているのである。その文章の後には「満州事変、国際連盟からの脱退」という簡単な言葉の羅列だけが続く。本来ならば、日本軍が侵略の口実としてデッチ上げた「満州事変」をきっかけに、いかに日本が中国への「侵略戦争」を拡大していき、その過程で、南京虐殺や三光作戦、731部隊による人体実験など、様々なおぞましい戦争犯罪行為を中国各地で日本軍が犯したのか、「侵略戦争」のその内容と責任について、ここでしっかりと言及すべきなのである。

ところが、侵略された中国その他のアジア太平洋地域に関しては、「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました」(強調:田中)と、これまたあたかも他国がやったかのような表現である。「戦火を交えた国々」という表現は、連合軍諸国のみを念頭においており、抗日武装闘争を粘りつよく中国全土で展開した国民党軍や毛沢東軍、あるいはフィリッピンの抗日組織フクバラハップなどは、まったく念頭におかれていない。「中国、東南アジア、太平洋の島々など」は、安倍にとっては「戦場」になったに過ぎないのである。この文章からも、安倍の歴史視点からは、いかに「侵略戦争」という観念が抜け落ちているかが明瞭である。

侵略戦争に関しては、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、 すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と、これまた、「事変、侵略、戦争」という言葉を羅列して、一般論として述べることで、ごまかしてしまっている。侵略戦争を「用いてはならない」のは「誰」なのか、「民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」のは「誰」なのか、という主語をあえて使わない。(英語版では、主語は「We」となっているが、英語の「We 我々」は、しばしば「人間一般」を指す。したがって、「我々日本人」と特定する場合には「We, Japanese」という表現を使わなくてはならないが、そうはなっていない。)このような曖昧な表現で、具体的に「誰が侵略戦争を犯したのか」については誤魔化してしまおうという小賢しい意図がはっきりと読み取れる。

他国の民衆に対して苦痛を与えたことについては、安倍は「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。……この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」と述べ、談話のもう2ヶ所で「心に留めなければなりません」と「思いを致さなければなりません」という表現を使っている。さらに「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」とも述べている。ところが、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」してきたのは、村山政権など過去の政権であって、安倍自身から、「私」を主語にしたそのような発言がなされたことを、耳にしたり読んだ覚えは私にはない。日本軍の蛮行に苦しんだ多くの被害者に対して「断腸の念を禁じ得なく」、その苦しみを「心に留め」、「思いを致す」ならば、なぜ素直に「反省」と「おわび」の謝罪表明ができないのか。当然の疑問であろう。答えは簡単である — それは安倍の真意ではないからである。

こうした、いかにも一見「反省」めいた表現が談話に入れられたのは、明らかに違憲である安保関連法案問題や沖縄・辺野古基地問題、新国立競技場建設問題などで全国から批判の声があがり、内閣不支持率が急激に高まったため、これ以上、外交問題でも批判を受けることを避けようとした政治的妥協によることはあらためて説明するまでもないであろう。また、米国政府からの圧力も考慮せざるをえなかったということも、もちろんあったであろう。

安倍は、謝罪をしないだけではない。「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張する。この発言には、安倍の「戦争責任」と「謝罪」に関する浅薄な考えが如実に表れている。戦後の世代には、確かに日本軍が犯した戦争犯罪に対する直接の責任はない。しかし、そうした過去の国家責任を十分にとらないどころか、戦争犯罪を犯した事実すら否定してしまう政権に、歴史的事実を明確に認識させ、正当な国家責任をとらせることを追求しなければならない国民としての義務と責任が、戦後世代の我々にはあるということが安倍には理解できないらしい。しかも、安倍のような人物が首相であれば、国民はますます「謝罪を続ける宿命を背負わされる」ということに、当の本人が気がつかず、このような発言を堂々と行うこと自体が、日本国民にとってはひじょうに不幸なことなのである。

さらに指摘しておかなければならないことは、残虐な戦争犯罪の被害者に対する「謝罪」は、単なる「おわびの言葉」ですませるような軽いものではないことである。真の「謝罪」とは、我々の父や祖父の世代が犯した様々な戦争犯罪行為と同じ残虐行為を、我々日本人はもちろん、どこの国民にも再び犯させないように、我々が今後長年にわたって地道に努力していくことである。「戦争犯罪防止」という、そのような堅実な「謝罪活動」によってこそ、加害者側は、はじめて被害者側から信頼を勝ちえることでき、「赦し」をえて「和解」に達することができる。「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります」という安倍のおざなりな発言が、本当に意味を持つようになるためには、こうした具体的な形で且つ地道に「戦争責任」を果たすことが日本の国民国家には必要なのである。

一方、日本人が受けた戦争被害について安倍は次のように述べる。「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。」これまた、まるで傍観者のように国民が受けた戦争被害を描写している。では、何のためにこのような苦難を日本国民が受けたのか、そのような戦争とはいったい何であったのか。そのような戦争を行うことを許してしまった「責任」、戦争を開始し遂行した「責任」、とりわけ、原爆と焼夷弾の雨による無差別大量殺戮という悲劇を起こすまで戦争を長引かせた「責任」、こうした様々な「責任」はいったい誰にあるのか、といった最も重要な問題については、これまた一切問わない。

同時に、原爆無差別大量殺戮という由々しい人道に対する罪を犯した米国の戦争責任を棚上げにしておきながら、「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」(強調:田中)などと、全く本意とは逆の虚偽発言を赤面もなく行っている。しかも、核兵器の「究極的廃絶」であって、「即時廃絶」ではない。広島被爆70周年にあたる86日の前日5日の参議院特別委員会では、中谷元防衛大臣が「安保法制下では核兵器を輸送することも可能」と述べて、核兵器保有・使用を間接的に認める発言をしているのである。さらに86日の広島での平和記念式典での挨拶では、安倍自身が、これまで歴代の首相の挨拶の中には必ず含まれていた「非核三原則堅持」の誓いの言葉を削除した(これに対する批判の声が強かったため、9日の長崎での式典の挨拶では急遽これに言及)。日本の歴代内閣が、タテマエでは「核兵器の究極的廃絶」を唱えながら、現実には米国の核抑止力を強固に支持する政策をとってきたことは周知のところである。しかし、実は、「核抑止力」に関する日本政府の見解は、最近の安倍政権の「集団的自衛権」行使容認への強い動きにあわせて、さらに悪化していることが、なぜか国民の間で広く知られていない(*注を参照)。さらに、長崎被爆70周年89日の2日後の11日、全国で強い反対運動が展開されているにもかかわらず、今度は川内原発再稼働を強行実施。福島原発事故でこれほどまで深刻な自然破壊と社会破壊をもたらし、多くの被曝者を出し続けており、今も大量の放射能放出を止めることができない状況の中での再稼働。これには、原発を完全廃棄することで、核兵器製造潜在能力を失いたくないという日本政府の隠された強い願望が働いていることも、我々は忘れてはならない。その上安倍は、アラブ首長国、トルコ、核兵器保有国のインドなど、海外に向けての原発輸出でも自ら積極的に動き、事実上、核拡散政策を推進しているのである。

以上、安倍談話の中で、最も決定的欠陥と思われる数点だけについて批判を試みた。まだまだ批判すべき点は多々あるが、要するに、安倍は、これまで「過去の邪悪な戦争の正当化」ないしは「忘却化」に躍起になってきたため、「過去の克服」の失敗にみごとに陥っており、その失敗をこの談話でまざまざと露呈しているのである。「過去の克服」の失敗が現在と未来に関する偽装欺瞞政策をも産み出しており、明らかな違憲行為である集団的自衛権行使用容認やその他の戦争法制の整備を通して「将来の戦争を正当化」し、ナチス政権がやったと同じように、事実上、憲法をすでに「棚上げ状態」にしている。かくして安倍政権は、過去の侵略戦争と未来の戦争の両方の正当化を通して、日本の民主主義体制の全面的解体作業をますます強め、日本社会破壊への暴走を加速させている。

故・加藤周一は、1947年に発表した「知識人の任務」題した短い論考で、「戦争を正しい意味で体験しなかった者が民主主義革命の意味を正しく理解する可能性は、寸毫もない」と述べた。同じように、「戦争を正しい意味で理解しない者が民主主義の意味を正しく理解する可能性は、寸毫もない」と言えると私は考える。「戦争を正しい意味で理解しない」どころか、「戦争を極端に歪曲し、忘却化させている」安倍には、「民主主義を正しく理解する」能力が全く欠落している。そのような人物が、敗戦70年にあたって日本を代表する「政府談話」を発表したこと自体が無責任極まりないことなのである。それゆえ、我々は、安倍政権を1日も早く打倒しなければならない。

「安倍談話は出さなかったほうがよかった」という意見が多々ある。私はそうは思わない。むしろ、安倍談話のような虚偽と欺瞞に満ちた劣悪きわまりない政府談話を出すことを許してしまう現在の日本の「民主主義社会」とはいったいどういう社会なのか、それを深く考え、日本国民の多くがしっかりと「過去の克服」に向けて歩み出すための重要な「負の遺産」資料とすべきだと私は考える。

— 完 —

* 2014120日、広島出身の岸田文雄外務大臣は、4月の広島でのNPDI (軍縮・不拡散イニシアティブ広島外相会合)に向けて、長崎で「核軍縮・不拡散政策スピーチ」と題して講演し、その中で政府の新たな核兵器政策に関して言及し、「核兵器の使用を個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」ことを核保有国が宣言すべだと述べた。ようするに、「日米が集団的自衛権を行使するような戦闘で、『極限の状況』と判断するような事態であれば、核兵器の使用が許される」という主張である。しかも「極限の状況」とはいったいどのような事態なのかについてはなんらの定義も説明もない。長年、日本政府は米国の「核の傘=核抑止力」に依存するという方針を内外に向けて明らかにしてきた。しかし、「核兵器の使用」については具体的にどのような状況の場合に使用を認めるかについては、これまで全く言及したことはなかった。岸田の発言は、日本政府が初めて「核兵器の使用」を公然と容認するものであった点で、極めて深刻である。

2015年8月19日水曜日

集会「検証:被爆・敗戦70年―日米戦争責任と安倍談話を問う―」報告

846日にわたって広島で開催した 証:被爆70日米争責任と安倍談話を問うを、成功裏のうちに終えることができました。講師の皆さん、それに準備のために長期にわたってご力いただいた事務局スタッフ、日手伝っていただいたたくさんのボランティアの方々にあらためてお礼を申し上げます。どんな草の根の運動も同じですが、市民のみなさんの積極的平和活動がなければ、この種の集会を成功させることはできません。安倍のまやかしの積極的平和主義積極的争主義をつぶし、安倍政1日も早い打倒に向けて、みんなで頑張りましょう!

下記は、実行委員会事務局の(事実上、事務局長あるいはドンと言ってよいかも<笑>しれない)久野成章氏の報告です。

久野成章です。

70年安倍談話=村山談話上書き(骨き)に成功したつもりのようですが、国外の民衆によって、第二次世界8000万人の死者たちの力によって、ジコチュウ安倍政は必ず倒するであろう。
6ヒロシマ平和へのつどい2015 
証:被爆70日米争責任と安倍談話を問う実行委員会  
  広島市民による被爆70年談話(日本語) 
 広島市民による被爆70年談話(英語)

田中利幸さんのブログ
安倍談話批判がもうすぐアップされる予定です。  

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NPO現代の理論社会フォーラム
NEWS
 LETTER 2015.8 vol.8-8
【寄稿】

 被爆70年の広島長崎市民運動からの報告
 日米安保の原点=天皇裕仁の招爆責任を考える
                                  
久野成章(86ヒロシマ平和へのつどい事務局)

 1945年8月革命(丸山眞男)からちょうど70年、何と2015年8月反革命(中北龍太郎)にならんとしている情勢である。争法、川原発再稼働、沖辺野古、安倍談話、TPPをめぐる暑くて熱い夏である。

 7つのセッション

 1977年から名更しながらも継続してきた今年の6ヒロシマ平和へのつどい2015は、証:被爆70日米争責任と安倍談話を問うと銘打ち8月4日から6日の三日間にかけて広島市まちづくり市民交流プラザで開催された。
 初日のスタート集会では、集的自衛行使容認閣議決定以、デモや集会、学者の会での呼びかけ人など、精力的に活動し、8月6日のヒロシマに49年ぶりで訪問したという上野千鶴子さんが講演をした。題して、敗70周年の責任。220人が参加した。その後、セッション1日本軍性奴争責任渡辺美奈(女たちの争と平和資料館wam事務局長)、セッション2日本争犯罪と教科書領土問題高嶋伸欣(琉球大学名教授)、セッション3韓国朝鮮人被爆者と市民運動市場淳子(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)、セッション4争責任と天皇制日米争責任と安倍70年談話を問う天野恵一(反天皇制運動連絡会)、セッション5辺野古新基地建設阻止!安保自衛隊米軍再編安次富浩(ヘリ基地反協)+田村順玄(岩国市議)、セッション6争法制と明文改憲中北龍太郎(弁護士、関西共同行動)+石口俊一(弁護士、広島県9条の会ネットワーク)の6つのテーマで問題提起の講演を共有した。メイン集会では、武藤一羊さんの講演安倍政を葬るなかで新しい世界を視野に捕える - 後日本国をめぐる原理次元での -を受けた。8日は、原爆ドーム前で広島市民による被爆70年談話第九条の会ヒロシマの新聞意見広告を各2000枚配布し、広範な市民による共同集会を300人で持ち、中国電力までのデモと原発座り込み集会を行い、セッション7反核(無責任システム批判)運動の総括とのテーマで原由紀夫(広島県原水禁元事務局長)さんの問題提起を受け、高嶋さんを除くった講師全員が今後のアベ政治阻止に向けての方針について討論した。
 文字通り運動の現場の第一線で活動する各講師の実とレジメと報告は素晴らしいものであった。実行委員会代表の田中利幸さんが一冊の本にまとめる予定であるから、ここでは僕の個人的な受け止め方で整理をし問題提起したいと思う。
 武藤さんによれば後日本国家を構成する相互に矛盾し合う三つの原理、すなわち米国の覇原理(日米安保)、日本国憲法の平和主義民主主義原理、大日本帝国の承原理の中で一番れていた原理が安倍政によるナチスの手口(=憲法クーデター)によって前面に出てきて現在進行中である。しかし中国朝鮮をはじめとするアジア民衆によって一度粉されたこの原理はで全面化することはありえない。アジア革命と正反のベクトル、原爆(核)外交を展開してきて今や衰退しつつある米国覇原理に追随し奉仕することで復活しようというのだ。そもそも争最高指導部の天皇裕仁こそが米国の日占領の切り札であり傀儡であった。天野さんによれば日米支配層の共犯関係は原爆攻をめぐる攻防に根があった。民衆の牲を配慮せず、ただ国体護持、天皇制存にこだわりけたために、アメリカの作にはまり、原爆投下を招いた。天皇制は招爆責任の究極的責任主体であったというべきであろう(岩松繁俊争責任と核廃絶三一書房1998)という認識に立たない限り被爆地の広島長崎から後70年を見据えることはできない。後の象天皇制こそが米国仕掛けであり、それでしか大日本帝国の承原理は生きることはできなかった。そのような敗後の日本国家の出発を曖昧なまま放置し経済闘争に明け暮れてきたがゆえに、70年後の今日がある。上野さんによれば争体者の退場、敗15以上だった者が人口の5%、後生まれが国民の5分の4、ベビーブーマーが高齢者に、政治力の担い手もポスト塊世代へという現在がある。記憶の風化、承の困難、直接体から伝聞へ」「後70年積みした宿題が突きつけられている。占領軍の創作物としての後体制(象天皇制/9条と日米安保の補完関係)の再定義が必要だ。後生まれの日本人による再選は護憲と改憲のせめぎあいの中で、憲法の主体的選としてなされなければならない(上野千鶴子2014上野千鶴子選憲論集英社)と言う。安次富さんによれば、そのような後ヤマトンチュのありようを明治政府の琉球分までさかのぼり総括しないとウチナーンチュの今日の争の爆発を本には受け止めることはできないと言う。市場さんの70年間の言葉でみ解く韓国人朝鮮人原爆被害者にする責任の所在を一することで被害者の70年間の苦に思いを馳せる。渡辺さんによれば争中/植民地支配のなかで自分が犯した加害にする責任と、自分が受けた被害にする責任の所在を明確にしてこなかったこと。軍部の暴走論と一億総懺悔、日本人の手で争責任者を裁いてこなかった後、責任者罰と真相究明プロセスの不在が加害と被害の曖昧化を生んだ。それぞれのレベルにじてそれぞれの責任を取らせる必要性がある。中北さんによれば争法の衆院での強行可決後、安倍政の支持率が大きく落ちた。この支持率をさらに引き下げる運動で安倍政の打倒は可能であり、8月30日の全国100万人行動を成功させようとの檄が飛ばされた。高嶋さんによれば教科書問題に後日本国家の意志が反映されており領土問題をめぐって実は歴史認識が問われているのだ。原さんは、軍都廣島の地で被爆地ヒロシマの加害責任を問おうとすることが被爆者運動のリーダーから拒否されていた事実を述べた。栗原貞子さんは例外でヒロシマというときという詩でテーゼを出している。また松江澄さんも年は加害と被害の重層構造に問題意識を提示しけた。さらに一般空襲被害者との結合の機運が盛り上がった時期もあるが後退した事実、原子力の平和利用に批判的点を持ちけた活動家は少派だった事実、沖の基地を本土が引き受けるべきだと述べたとき猛烈な批判を受けたことなどを振り返った。
 8月11日の川原発の起動、8月14日の安倍談話、辺野古を巡る攻防、TPPをめぐる攻防を踏まえて、若い世代との結合という最大課題を含めて明日からの全国運動に取り組むことを確認して終えた。なお、広島市民による被爆70年談話は、田中利幸さんが起草し広島での討論を反映したものである。
 
 長崎へ

 この21年間年、僕は長崎を訪問している。今年は8月8日の核のない世界を! 2015MIC長崎フォーラム核なき世界へ思いを引き(主催/日本マスコミ文化情報組会議(MIC)、長崎マスコミ文化共会議)に参加した。その中の基調講演=後70年被爆70年それぞれの歴史認識と題した舟越耿一さん(長崎大学名教授)の講演容を報告する。舟越さんは長崎における三菱の兵器生を告発し一貫して問題にしてきたピースバス長崎、市民運動ネットワーク長崎の代表である。
 舟越さんの安倍政に関する情勢認識を述べたうえで、昨年亡くなった本島等長崎市長の反核の立場を振り返った。1988年12月7日本島さんは市議会で天皇の争責任はあると思うとの発言により1990年1月18日右翼による銃を受けて、かろうじて一命を取りとめた。全国から銃事件に抗議し、長崎での言論の自由を守る全国集会に結集した。この発言以降一貫して本島さんを擁護しけた舟越さんは、本島さんの16年間にわたる16本の平和宣言すべてに日本の侵略の責任、争責任の文言が必ずあったことに触れた。本島市長の立ち位置と正反の時代がやってきた。安倍の平和の言葉の連発をいていて舟越さんは思い至った。1941年12月8日の太平洋争開の詔勅だ。自存自衛のためを謳っていた。存立危機事態の概念だ。日新聞一面の仲畑流万能川柳の直力は素晴らしいと言い、紹介した。中と後を生きて、いま(東京 麻子)。マスコミ働者にして危機感が足りないと檄を飛ばした。長崎の兵器生を問わない反核運動や報道に未はないとキッパリ言い切った。
 翌9日は、例年通り、爆心地公園での長崎原爆朝鮮人牲者の碑前での早朝集会、そして舟越さんが代表を務める市民集会に参加し全国からの仲間とエールを交換した。
 被爆から70年、日米安保の原点が沖縄戦後の原爆殺戮攻をめぐる日米支配層の攻防にあったことを確認し、安倍政との決に向かっていく。